HXH世界を旅する少年王子のお話   作:azuazu000

26 / 27
第一皇子暗殺と思われた念攻撃の真の狙いは、城にいないアズリルを捕らえることだった。
その背後にある歪んだ意図とは。
一方、グリードアイランドでは、アズリルがジンからあるカードを託される。


贈り物

 軽い足取りが、静まり返った廊下に響いていた。

 こつ、こつ、と靴音を立てながら進むのは、一人の若い男だった。

 

 二十歳前後。濃い茶色の短髪に、平均的な身長体重。見た目も平凡で特に特徴はなく、強いて言うなら切れ味が鋭そうな細い目が印象的な男だ。

 男は鼻歌まじりに身体を揺らしながら歩いていたが、重厚な木製の扉の前まで来ると、ぴたりと足を止めた。

 

 途端に、表情が強張る。

 先ほどまでの軽薄さはどこへやら、彼は背筋を伸ばし、緊張した面持ちで扉を叩いた。

 

「マルクです。ただいま戻りました」

「入れ」

 

 中から響いた低い声に、マルクは慎重に扉を開けた。

 瞬間、廊下とはまるで違う空気が肌に触れた。大理石の床さえ凍りつかせるような、重苦しい空気だ。

 

 長卓を囲む者たちは、いずれも大陸を動かすほどの傑物ばかり。オルドヴィア皇帝、第一皇子、王宮の重臣たち。そして、ハンター協会会長とゾルディック家の面々。

 

 だが、その誰もが一様に、ひどく消耗した疲弊感を漂わせていた。難解で、終わりの見えない泥沼のような会議が続いていたのだと、マルクは一目で悟った。

 

「……失礼しまーす」

 マルクは静かに部屋へ入り、近衛隊副隊長の隣へ腰掛けた。ガレス隊長とは真逆の、小柄でネズミを連想させるその初老の副官は、遅れてきたマルクを「チッ」と小刻みに鼻を鳴らすようにして鋭く睨みつけてくる。

 

 だがマルクは特に気にした様子もなく、長卓の上に並べられた資料へと淡々と視線を落とした。

 

「──まあ、概ねそんなとこじゃな」

 ゼノ=ゾルディックは、何かを締めくくるようにそう言った。

 

 その言葉を受け、宮廷書記官が慌てて手元の書類を繰る。何枚かの紙がかさかさと音を立て、彼は必死に会議の内容をまとめようとした。

「ええと……つまり、現時点で分かっているのは、こうです」

 

 書記官は額に汗を浮かべながら、慎重に言葉を選ぶ。

「一週間前、第一皇子殿下の寝室で発生した襲撃は、物理的な侵入によるものではない。犯人は、殿下宛てに届いた外交書簡を媒介として念を仕込み、王宮内へ送り込んだ。殿下が書簡を開封したのち、何らかの発動条件が満たされ、念が解放された。そして、その念が殿下を襲った」

 

 上座では、ヴィクトルが椅子の肘掛けを指先で叩いていた。

 一定の間隔で響く硬い音に、書記官の声が上擦る。

 

「し、しかし、殿下は自身の念によってそれを退けられた。現場に残ったのは、黒く変質した封蝋と、わずかな残留オーラのみ。書簡に関わった者はすべて調査済みですが、現時点で明確な犯人は浮かんでおりません。ただ、差出人筋を辿ると、ミテネ連邦、特にロカリオ共和国周辺が有力な手がかりとなる可能性がある……ということかと」

 

 言い終えた書記官は、恐る恐る顔を上げた。

 ネテロが、ほっほ、と笑う。

「だいぶ簡単に色々と端折っとるが、まあ、そう外れてはおらん」

 

「す、すみませんっっ!」

 書記官は勢いよく頭を下げた。化け物じみた男たちの会話に追いつくだけで、彼の脳はとっくに限界を迎えている。

 

「だが、やはり気になるのはこの襲撃の『動機』じゃのう」

 ネテロの呟きに、書記官が恐る恐る口を挟んだ。

「レオンハルト殿下の暗殺……ではないのでしょうか?」

 

「こんな遠隔攻撃、暗殺としてはあからさまに非効率だ。術者が無知なのか、それとも……」

 シルバが冷徹に一蹴すると、イルミがレオンハルトを見た。

「暗殺以外の目的があったのかもね。レオ、もう一度、当夜の正確な状況を教えてよ」

 

 レオンハルトは目を伏せ、記憶を呼び起こす。

「……寝室に入り、いつも通り灯りを落とした。執務机に届けられていた外交書簡の封を切り、内容を確認した後、他の書類を数枚読んでから寝台に横になった。その直後だ」

 

 声は落ち着いていた。

 

「部屋の影が不自然に濃くなった。最初は灯りの加減かと思ったが、すぐに違うと分かった。影が床から剥がれるように立ち上がり、私の身体へ絡みついた」

 

 会議室の空気が、静かに重くなる。

 

「生暖かい何かだった。衣服の隙間を這い回り……。呼吸と視界を鈍らせながら、何かを確かめているような、妙に生々しく、不快な術だったな。攻撃というよりは、まるで──」

 

 レオンハルトはそこで一度言葉を切り、卓上を見下ろした。

 イルミはその横顔を、瞬きもせずに見つめていた。

 

「……とにかく、そうして全身を這い回ったのち、最終的には強固な質量となって、私の首を強く絞め上げてきた。確実に意識を奪いにかかっていた」

 

「それで、どうした」

 ゼノが尋ねると、レオンハルトは事も無げに言った。

 

「全身のオーラを強めた。【(ケン)】に近い状態まで回しただけだ」

 

 そして、長卓の上に置かれた銀皿を指先で軽く押した。

 

「それだけで、影は跡形もなく散った。残ったのは、この手紙の残骸だけだ」

 

 銀皿の上には、黒く変質した紙片と封蝋が載せられていた。

 内側から腐って崩れたような異様な質感だった。

 

 ゼノが無表情のまま、首を傾げる。

 

「それだけで、か」

「暗殺にしては、かなり雑だね」

 

 イルミが平然と言った。

 

「レオを殺すつもりなら、もっと強い念を使うはずだ。少なくとも、基礎的な防御(ケン)を張られただけで霧散するようなものを、リスクを冒してまで皇族の寝室へ運ぶ意味がない」

 

「私もそう思った」

 レオンハルトは薄く笑った。

「だから、君たちゾルディックが裏切ったという線はすぐに消去したよ。君たちなら、こんな半端な仕事はしないからね」

 

 ゾルディック家の面々は、当然だと言わんばかりに沈黙している。

 

 ネテロは卓上の残骸を見つめたまま、髭を撫でながら言った。

「ふむ。念の構築そのものが雑なわけではない。むしろ、かなり精緻に作られておる。問題は、それが何のために作られた念か、じゃな」

 

 その呟きに、卓を囲む者たちの視線が自然とネテロへと集まる。

 

「念というのは、欲張れば欲張るほど、不自由になるものじゃ。確実に人を殺す呪いなど作ろうとすれば、当然、それだけ重い縛りが要る。相手が使い手──それも強大な念能力者ともなれば、必要となる『制約と契約』はさらに跳ね上がる。発動するための厳格な条件も、払うべき莫大な代償もな。術者の命や寿命を削ることなぞ、そう珍しい話ではない」

 

 ネテロは、黒く変質した残骸へ目を落とした。

 

「じゃが、これは違う。物に潜み、封を切るだけで起き、近くの相手へ絡みつく。ずいぶんと融通の利く念じゃ。裏でどんな誓約を組んだかは知らんが、発動の条件がここまで緩いとなると、当然、威力の大半は犠牲になる」

 

 そこで、髭を撫でていた手が止まった。

 

「レオンハルトの首を絞めてきたというのも、あくまで標的の自由を奪うための拘束に過ぎん。初めから、本当に窒息死(ころ)すほどの威力は、制約的に持たせようがないはずじゃ。 念能力者を殺すには到底足りんし、まともな足止めにもならんじゃろう。せいぜい、念を知らぬ者を絡め取って、物理的に動きを封じる程度じゃな」

 

「レオンハルト殿下が念を使えると知らなかった、という可能性は?」

 

 副隊長の問いに、ゼノが首を振る。

「低い。ここまで用意周到な者が、第一皇子の能力を調べておらんとは考えにくい。仮に知らなかったのだとすれば、あまりにも甘い」

 

「では、なぜ第一皇子を襲ったのですか」

 

 その問いに、しばし沈黙が落ちた。

 

「……襲うつもりはなかった、としたら?」

 

 それまで黙っていたマルクの一言に、卓を囲む者たちの視線が一斉に向いた。

 

 マルクは考え込むように手元のペンをくるくると回している。隣の副隊長が怪訝な顔で何か言いかけたが、それより先にマルクは続けた。

 

「本来の標的がそこにいなかった。だから、そのまま近くにいたレオンハルト殿下へ流れた、とか」

 

 マルクは手にしたペン先を机の上に滑らせ、念の行き先をなぞるように一本の線を引いてみせた。

 

「そもそもの目的が、レオンハルト殿下ではなかった……ということか」

 ゼノが低く言った。

 

 座の空気が一段と緊迫する。

 

 人を拘束し、動きを奪うことに特化した、殺傷力の低い念。

 念を使えるレオンハルトには、致命打どころか足止めにもならない。

 だが、非念能力者が受けていたなら、抵抗する術などなかっただろう。

 

 この城にいる、念を使えない者。

 そして、捕らえるだけの絶大な価値がある人間。

 

 その答えに全員が思い至った瞬間、沈黙の質が完全に変わった。

 誰も、すぐには口を開かなかった。長卓の端で、誰かが息を呑む音だけがした。

 

「……アズレイか」

 皇帝ヴィクトルが、地の底から響くような声でその名を漏らした。

 

 副隊長は、その場で凍りついたように顔色を失う。

 

「アズレイ殿下は、念を使えない……」

 絞り出すような声だった。

「王族の中で、もっとも無防備な方です。しかも、レオンハルト殿下の寝室は……アズレイ殿下の部屋の真上にある」

 

「手紙を開けた直後に襲われなかったのなら」

 イルミが、感情の起伏のない声で言った。

「その念は一度、アズレイの部屋へ向かったのかもしれない。アズレイが寝室にいると思い、そちらへ伸びた。でも、本人はいなかった。だから標的を失った」

 

「仕掛けは回収もされず、近くにいた第一皇子へ流れた。代替標的として発動した、と見るべきだろう」

 シルバの言葉に、ゼノが深く頷いた。

 

「つまり、これは暗殺ではなく、アズリルを捕らえるための罠だった……ということか」

 レオンハルトの表情が険しくなる。

「アズリルを殺しても、犯人に大きな利益はない。だが、生きたまま連れ去る価値は絶大だ。政治的な人質、交渉材料、あるいは外交を揺るがす象徴として使える。結果的に、私やオルドヴィアへの強烈な圧力になる」

 

「犯人がミテネ連邦のロカリオ共和国なら、なおさらですね」と副隊長が言った。「アズレイ殿下を攫えば、我々の南方政策そのものを揺さぶれる」

 

 だが、ここでレオンハルトがふと冷ややかな声を漏らした。

「……いや。目的がアズリルなら、元凶はロカリオではなく、東ゴルトーだろうね」

 

 全員の視線が、第一皇子へ集まる。

「なぜだ」とゼノが問う。

 

「アズリルに、昔から執拗に求婚している者がいる」

 レオンハルトの言葉を引き継ぐように、イルミが淡々と言った。

「マサドルディーゴだね」

 

「きゅ、求婚──!?」

 マルクが素っ頓狂な声を上げかけたが、副隊長に睨まれ、慌てて口を押さえた。

 

「東ゴルトーは共和制を名乗ってはいるが、実態はマサドルディーゴの私物だ。あの国では、奴個人の欲望がそのまま国家の意思になる」

 

 レオンハルトの声に、冷たい嫌悪が滲んだ。

 

「その男が、何度も求婚の書簡を送りつけてきている。もちろん、一通たりともアズリル本人には渡していない。城内に入れる前に、すべて処分している」

 

 忌まわしい記憶を掘り起こしたように、彼はこめかみに指を当て、低く息を吐き出す。

 

「東ゴルトーなら、ロカリオと手を組み、外交書簡に術を仕込んで城内へ送り込ませるくらい容易い。なんなら、他のバルサ諸国も裏で絡んでいてもおかしくない。我々は敵が多い。誰が絡んでいても、今さら驚くことではないな」

 

 ゼノが片眉を上げる。

「主犯は東ゴルトー、とな?」

 

「可能性は高い。アズリルは滅多に表へ出ない。顔を知る者も限られている。だが、昔の国際会議で一度だけ姿を見られたことがある。その時以来、マサドルディーゴはアズリルに異様な執着を見せている。いずれ何かしでかすとは思っていたが、まさか王宮の警戒網をすり抜ける術まで調達してくるとはな」

 

 ここで、マルクが思わず顔をしかめて口を挟んだ。

「っていうか……昔って、アズレイ殿下はいま十六歳ですよね。一体いつの話ですか?」

 

「十の頃だ」

 レオンハルトが短く答えた。

 

 列席していた将官の何人かが、露骨に顔をしかめる。

 十歳の幼い少年へ向けるには、あまりにも歪で不気味な妄執だった。

 

「通りで、あの術に妙に粘つくような下劣さがあったわけだ」

 

 レオンハルトは先ほど自身が口にした『何かを確かめるような生々しい不快さ』の正体を悟り、吐き気を催すような嫌悪に眉根を深く寄せた。アズリルに向けられるはずだった、その陰湿で執拗な悪意に。

 

「ちっ……。あの下卑た豚を、早めに始末しておくべきだった」

 レオンハルトが吐き捨てると、皇帝ヴィクトルが静かにそれを嗜めた。

「バルサ諸島全域を敵に回して戦争を始めるつもりだったか? 現実的ではない」

 

 レオンハルトは何か言い返しかけたが、すぐに口を閉ざした。

 息を吐き、冷徹な現実へ話を戻した。

 

「……現時点で確実な証拠はない。東ゴルトーが黒幕である可能性は高いが、断定はできない」

 

 そこで、彼は改めてゾルディック家の面々へ視線を向けた。

 

「問題は、そこだけではない。仮にアズリルの動きを止めることに成功したとして、その後どうするつもりだったのか。この厳重な王宮内で身動きを奪っただけでは終わらないはずだ。連れ出す手段があったのか、受け渡し役がいたのか、そのルートもまだ見えていない」

 

 レオンハルトの声から、先ほどまでの怒気が消えていく。

 代わりに残ったのは、冷徹な皇太子の声だった。

 

「……そこでだ。ゾルディック。君たちに、この件の調査を依頼したい」

 

「暗殺以外は本来、専門外(受け付けない)んだがのう」

 

 ゼノは肩をすくめたが、ヴィクトルもレオンハルトも微動だにしない。

 

 断るという選択肢など最初から与えていない眼光だ。ゼノとシルバは、やれやれといった風に視線を交わした。

 

「アズリルが城にいなかったのは、不幸中の幸いだった」

 レオンハルトが目の前の報告書を閉じる。

「全容が解明されるまで、アズリルを不用意に城へ近づけない方がいい。今は外の平原にいる方が、よほど安全だろう」

 

 その判断に異を唱えるものはいなかった。

 

 重い沈黙の中、ヴィクトルがふとマルクへ視線を向ける。

 

「アズレイといえば……ガレスが付いていたというのに、二人して見失ったらしいな」

 

「ひっ」

 

 皇帝から直接声を掛けられたマルクは、目に見えて肩を跳ねさせた。

 

「まっ、ま、ま、誠に申し訳ございませんっっ!」

 

「落ち着かんか」

 隣の副隊長が、呆れたように小さく叱る。

 

 ヴィクトルはマルクの慌てぶりを気にする様子もなく、静かに続けた。

 

「ガレスはまだ戻っていないのか」

 

「は、はい。ガレス隊長にも帰還命令は出ていたのですが……アズレイ殿下が戻られるまでは残る、と言い張りまして。仕方なく、私だけ先に戻りました」

 

 マルクはそこで、少しだけ声を落とした。

 

「それに、隊長はすぐに動ける状態ではありませんでした。広範囲の【(えん)】を、長時間張り続けた結果……完全に念を使い果たしていました。あのガレス隊長が、本当に燃料切れみたいになっていて」

 

 その言葉に、ネテロが愉快そうに言う。

 

「ジンの仕業じゃろうな」

 

 ヴィクトルの視線が、ゆっくりとネテロへ移った。

 

「ガレスほどの男が、ただ念を使いすぎただけで動けなくなるとは考えにくい。あやつは、ガレスの性分を見抜いて、あえて円を張り続けざるを得ない状況を作ったんじゃろう」

 

 マルクの顔から、さっと血の気が引いた。

 

「えっ……あれって、わざと仕向けられたんですか。もしかして、アズレイ様を連れ去るために……」

 

 言いかけたマルクを遮るように、ヴィクトルが低く言った。

 

「ネテロ」

 

 低く名を呼んだだけで、室内の空気が一瞬にして凍りついた。

 

「お前が手配した『ジン』という男は、本当に信用できる男なのだろうな。あのガレスをあそこまで追い詰め、さらにアズレイを連れて姿を消すなど、到底まともな男には思えんのだが」

 

「ほっほ。心配はいらんよ」

 

 ネテロは、皇帝の威圧をまるで意に介した様子もなく笑った。

 

「少々いたずらっ子が過ぎる男じゃが、これに関しては間違いなく信用できる。アズレイの身の安全も保証しよう。──まあ、あやつがちゃんと隣にいればの話じゃがな」

 

 レオンハルトの目が据わった。

「あの男が、アズリルの側を離れる可能性があるというのか?」

 

「まあ、おそらくないじゃろ。そこはわしも釘を刺しておいた。『試練を乗り越えるまでは単独行動はなし』とな。まあ大丈夫じゃろうて」

 

 レオンハルトとヴィクトルは釈然としない、酷く微妙な表情を浮かべたが、あのネテロがそこまで言うのであればと、渋々納得せざるを得なかった。

 

 マルクは先日のジンの、あの傲岸不遜な態度を思い出し、胸の内に拭いきれない不安を抱いたが、この場でそれを口にする度胸はなかった。

 

 

 

「では、解散だ」

 

 皇帝はそう告げると、すでに具体的な調査ルートの選定に入っているレオンハルトとゾルディック家の面々に一瞥をくれた。彼らの打ち合わせは、まだしばらく続きそうだ。

 

 こうして重苦しい最高会議は幕を閉じた。 各々の将官たちが、解放された安堵とアズレイ殿下への懸念を入り混じらせた表情で退室していく。

 

 ヴィクトルとネテロは、会議室の奥にある硝子扉を抜け、広い露台へ歩み出た。

 外気はひんやりと冷たく、眼下には美しく手入れされた冬宮の庭園と、それを強固に囲む巨大な城壁、そしてその先へ広がるオルドヴィアの活気ある城下町が見渡せた。

 

 さらにその視線の先、地平線の彼方まで遮るものなくいつまでも続いているのは、オルドヴィアの広大な領土そのものだった。

 

「それにしても、久しぶりに遊びに来たというのに、なかなか騒がしいタイミングに居合わせてしもうたのう」

 ネテロがいつもの調子でぼやくと、ヴィクトルは、いつになく柔らかな表情を浮かべた。

 

「あなたは昔からそうだ。いつも嵐の真ん中に現れる」

「おかげで、また老骨に鞭打つ仕事が増えたわい。ほっほっほ」

 

 会議室に満ちていた重苦しい空気から少しだけ離れ、二人は静かに、けれどどこか楽しげに笑い合った。

 

 

 

 

 [newpage]

 

 凄まじい速さで、光をまとった球が空を駆け抜けていく。

 それは尾を引くように平原の上を滑り、やがて大きく弧を描いて地面へ落ちた。

 

 光がほどけるように散ったあと、そこに一人の男が立っていた。

 

「思ったより時間食ったな。久しぶりだったから、ちょっと手こずったぜ」

 

 ジンは軽く肩を回しながら、降り立った平原を見渡した。

 

 置いてきた少年の気配を探る。

 遠くはない。

 

 だが、すぐにジンは眉を上げた。

 

 離れた森の方角に視線を向けた。

 確かに少年の気配はある。だが、一人ではない。ざわざわと複数の不快なノイズが混じっている。

 

「ったく。もう面倒事に巻き込まれてやがる」

 

 ジンは特に急いだ様子もなく、頭の後ろで手を組みながら、気の進まない足取りでその方向へ歩き出した。

 

 森へ続く小道に入ると、すぐに人の声が聞こえてきた。

 何人かの男たちが道の真ん中で、何かを取り囲むようにして揉めている。

 

 近づけば、その中心にいるのは案の定アズリルだった。

 

 乱暴に肩を押され、柔らかな髪がふわりと揺れる。

 腕を掴もうと伸びてくる手を鋭く払いのけても、背後では別の男がニヤニヤと退路を塞いでいた。

 

 見るからに華奢な少年を、男たちは完全に舐めきった態度で嘲るように取り囲んでいる。

 それでもアズリルに怯えた様子は微塵もなく、青い瞳に明らかな苛立ちを浮かべて、男たちを真っ向から睨み返していた。

 

「だから、カードだよカード! ブックも出せねえはずねえだろ!」

「知らないと言っているだろう!」

 

 アズリルは怪訝そうに眉を寄せ、はっきりと言い返した。

 

「大人しく渡せばいいものを……このガキがっ!」

 

 一人の男が大きく腕を振りかぶる。

 

 物陰から見ていたジンが、助けに入ろうと一歩を踏み出しかけた。

 

 だが、次の瞬間には男の身体が宙を舞っていた。

「ぐえっ!」

 殴りかかったはずの男が、いつの間にか地面に叩きつけられ、悶絶していた。

 

 見事な背負い投げだった。

 

「だから!! カードやらブックやら、何のことか知らないと言っているのが分からないのか!!」

「クソガキ!!」

 

 頭に血を上らせた残りの連中が一斉に襲いかかる。

 

 アズリルは一歩下がるどころか、逆に踏み込んだ。

 振り下ろされた拳を身体を捻って避け、その勢いのまま上段へ脚を跳ね上げる。小柄な身体からは想像できない鋭さで、回し蹴りが三人の顔面を続けざまに打ち抜いた。鈍い音が三つ重なり、男たちは為す術もなく地面へ倒れ伏す。

 

 だが、その背後から別の男に負傷している左腕を掴まれてしまう。

 

「いっ……たぁ!!」

 

 激痛に、アズリルの顔が歪む。

 だが、怯むより先に身体が動いていた。掴んできた男の手首を逆に取り、容赦なく捻り上げる。

 

「ぐっ!?」

 

 男の体勢が崩れた。

 

 アズリルはそのまま流れるように腕を絡め取り、地面へ引き倒す。次の瞬間には、男の肩関節を完全に極め、その背に乗るように押さえ込んでいた。

 

「いだだだだっ! 待て待て待て! 外れる! 肩、外れるって!」

「人が寝ている隙に手を出してきたのは、そっちだろう!」

 

 男はアズリルの下で、必死にばたばたともがいた。

 あまりの鮮やかさにジンが一歩近づくと、その足音にアズリルがようやく顔を上げた。

 

「あ……ジン!」

 

 ぱっと表情を明るくしたその瞬間、男を押さえ込んでいた力がわずかに緩む。

 

 ──男の目が、ぎらりと光った。

 

 男の指先に、禍々しいオーラが集束していく。

 だが、念を知らないアズリルには、その危険な気配がまるで見えていない。

 

 ジンは無言で踏み込んだ。

 次にアズリルが瞬きをしたときには、ジンはもう、すぐ傍らに立っていた。

 いつの間に間合いを詰めたのか、移動した気配すらしなかった。

 

 気づいたときには、ジンの手が男の首筋からすっと離れるところだった。

 さっきまでアズリルの下で暴れていた男は、白目を剥いたまま、声を発することすらなく意識を失っている。

 

「……え?」

 

 何が起きたのかまったく理解できず、アズリルはただ呆然と目を瞬かせた。

 

 ジンは何事もなかったように周囲を見渡す。

 道の上には、合計五人の男たちが転がっている。

 

 どれも低級な連中だ。

 だが、それでもこの『グリードアイランド』に足を踏み入れているというだけで、ある程度は念を使い、相応の力を持つ者たちのはずだった。

 それを、念を一切使えないはずの少年が、格闘技術だけでほぼ壊滅させていたのだ。最後は気が抜けて危なっかしかったが。

 

 ジンは横目で少年を見る。

 アズリルは涙目で、腫れた左腕をさすっていた。

 

 まあ、さすがにハンター試験を通っただけはある、ということか。

 見た目に反して、身体能力も反応も悪くない。

 

 初見では、どうしてもただの弱っちい泣き虫にしか見えないが。

 

 ジンは内心で感心しつつも、声には出さなかった。

「とりあえずここを離れるぞ。仲間を呼ばれてたら面倒だ」

 

 

 

 しばらく歩き、森の奥にある静かな池のほとりについた。

 木々に囲まれたそこは、先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まり返っている。

 

 ここで何をするつもりなのだろう。

 

 できれば、もう少しだけ休ませてほしい。

 

 そんなことを思いながら、アズリルは疲れの残る身体で息を吐いた。ふと、先ほどジンに渡された指輪が目に入る。

 

 何の説明もなく身につけさせられたそれは、アズリルの好みからすれば少し派手で、重々しかった。見慣れない意匠もどこか無骨で、正直、自分に似合っているとは思えない。

 

 それでも、渡されたばかりのものをすぐ外すのは失礼な気がして、アズリルは仕方なくそのままにしていた。

 

 そうして何気なく視線を上げたとき、アズリルはジンの左手に目を止めた。

 

 ……その指には、自分とまったく同じ意匠の指輪がはめられている。

 

「お揃い……?」

 

 思わず、そんな言葉がこぼれた。

 

 指輪を渡されただけでも戸惑っていたのに、同じものを目の前の男も身につけている。

 

 皇族として育ったアズリルにとって、指輪を贈られるという行為は、そう軽く受け流せるものではなかった。最初は、外の世界ではこういうものなのかもしれないと思おうとした。自分が知らないだけで、ここでは特別な意味などないのかもしれない、と。

 

 けれど、同じ意匠の指輪を二人で身につけているとなると、話は別だった。

 

 やはり何か、とんでもなく重い意味があるのではないか。

 

 しばらくジンの指輪を凝視したあと、アズリルは急にいたたまれない気持ちになり、自分の指に嵌まった指輪へ手をかけた。

 

「お前な。さっきの雑魚どもも、同じ指輪してただろ」

 

 その思考を読んだようなジンの声に、アズリルの手がぴたりと止まる。

 

「……そうだったっけ」

 

 アズリルはぼそりと呟きながら、まだ怪訝そうにジンの指輪を見つめていた。

 

 そんな少年の視線などどこ吹く風で、ジンはいつもの調子で口を開く。

 

「ブック」

 

 そう唱えた瞬間、手元に一冊の本が現れた。

 アズリルが驚きに目を見開く中、ジンは慣れた手つきで本を開き、迷いなく一枚のカードを抜き取った。

 

「ゲイン」

 

 掲げられたカードが、眩い輝きへと姿を変えていく。

 

 次の瞬間、周囲の空気が淡い色へと染まった。

 薄いカーテンのように揺らめく光の中から、長い桃色の髪を持つ大きな女性の姿が現れる。人ではない。精霊か、天使か。柔らかく神々しい光をまとったその存在が、静かに二人を見下ろした。

 

「こいつの腕を治してくれ」

 ジンはアズリルの左腕を指さした。

「あと、できれば悪いとこ全部な」

 

『お安い御用。では、その者の身体を癒やしてしんぜよう』

 美しく透き通る声で、精霊が微笑む。

 

 すると、ジンはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、さらに余計な注文を付け足した。

「ついでに頭もなんとかなんねぇか? けっこう重症だぞ」

『……恐れながら、それは出来かねます』

 

 アズリルは、冷ややかな目でジンを見る。

 なんなんだ、この男は。

 

 フゥ──……。

 

 精霊が優しく息を吹きかけると、アズリルの身体が温かい光に包まれた。途端に、ズキズキと痛んでいた左腕の腫れが、みるみるうちに引いていく。

 

『では、これにて』

 役目を終えた精霊は、霧のように静かに消えていった。

 

「え!? 何で!? 治った……!」

 

 アズリルは驚愕して自分の腕を見つめ、ブンブンと振り回してみる。先ほどまでの激痛が、嘘のように消え去っていた。

 

「よし。これで怪我も治ったし、邪魔者もいない。好きなだけ暴れ回れるな」

「暴れる……?」

 

 一体何をさせるつもりなのか。

 アズリルは思わず問い返しかけたが、どうせまともな答えは返ってこない気がして、口を閉ざした。

 

 ジンは地面にどさりと腰を下ろすと、膝の上に肘を置いた。促されるようにして、アズリルも渋々その隣に腰を下ろす。

 

「さて。そろそろ説明しとくか」

 

 アズリルはまだ左腕を触りながら、警戒するようにジンを見る。

 

「説明?」

「お前がハンターライセンスを受け取る条件だ」

 

 その言葉に、アズリルの表情が変わる。

 思わず背筋を伸ばした少年を見て、ジンは先に釘を刺すように言った。

 

「言っとくが、俺が手取り足取り教えてやるつもりはねぇぞ」

「……」

「お前はもうハンター試験を越えたんだ。ここから先は、自分で考えて、自分で動いて、自分で失敗しろ。誰かに全部教えてもらうつもりなら、最初からハンターなんか向いてねえ」

 

 アズリルは少しだけ唇を引き結んだ。

 ジンはその反応を見て、にやりと笑う。

 

「とはいえ、最低条件くらいは教えてやる」

 

 ジンは人差し指を立てた。

「ハンターとして必要なもの。──大前提として、シンプルに『強さ』だ。あとはまぁ、『精神力』。だが、それ以上に大事なのは『志』だ。ハンターは狩人だからな。何を狩るのか、その明確な目的がなきゃハンターとは言えねぇ」

 

 ジンはアズリルをまっすぐ見た。

 

「金でもいい。遺跡でもいい。人でも、真実でも、未知でもいい。何でもいいが、自分が何を追うのか分かってねえ奴は、すぐに折れる。そこを自分で決めろ」

 

 ジンはそこまで言うと、ふう、と息を吐いて再び「ブック」を出現させた。そこから三枚のカードを抜き取った。

 

「ところでお前、あれからどれくらい寝た?」

「……よく分かんない。でも、たぶん三時間くらいかな」

 

 アズリルの顔は見るからにげっそりとしていた。通算で四十時間近くも起きていた体に、それだけの睡眠ではあまりにも足りない。

 

「なんだ、めちゃくちゃ寝たじゃねぇか。十分だ」

「全然足りないよ!!」

 

 アズリルが思わず叫ぶと、ジンは「仕方ねーな」と頭を掻き、さらにもう一枚のカードを選んだ。

 そして、計四枚のカードが並ぶページを開いたまま、アズリルへ向ける。

 

「よし、お前にこれらをくれてやる」

 

 アズリルは、差し出された本のページを覗き込んだ。

 

 No.047 睡眠少女

 あなたの代わりに眠ってくれる少女。これであなたは眠ることなく24時間行動可能となる。

 

 No.016 妖精王の忠告

 あなたに足りないもの、直したほうがいいところなどを優しく論じて的確なアドバイスを与えてくれる。たまに呼んでもいないのに現れることがあるのが、少しうっとうしい。

 

 No.026 7人の働く小人

 主人が寝ている間だけ、代わりに働いてくれる小人。ただし主人の能力を超えるほどの要求には応じない。

 

 No.099 メイドパンダ

 絶滅寸前の珍獣。大変きれい好きで、料理が趣味。個体によっては洋裁やガーデニングもたしなむ。何よりも人間の子供の面倒を見るのが得意。

 

 並べられたラインナップを眺め、ジンはニヤリと不敵に口元を釣り上げた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。