HXH世界を旅する少年王子のお話   作:azuazu000

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念に目覚めたばかりなのに、早速ジンを巻き込んで二人揃って死にかけるアズリル。規格外の才能が判明したところで、ジンによる容赦のない試練が始まります。


無理心中

 カードが眩い光の粒子へと変わり、二人の前に一人の少女が形を成していく。

 

 ──しかし、目的を果たしたというのに、アズリルの体内を巡るオーラは収まるどころか、さらに凶悪な勢いを増していた。

 

「おい待て待て待て! 落ち着け! 坊主、こっち見ろ!」

 

 ジンはアズリルの注意を自分へ向けさせようと、必死に声を張り上げた。

 

 アズリルの肩を掴んだジンの掌から、膨大なオーラが凄まじい勢いで引き抜かれ、次々と少年の内側へ呑み込まれていく。

 

 ジンが自ら送り込んでいるのではない。

 

 アズリルが無自覚に始めた操作が、触れ合った掌を通じて、ジンのオーラを際限なく吸い上げているのだ。

 

「っ、くそ……!」

 

 手を離そうとしても、磁石のように吸い付いて剥がれない。

 ジンの太い腕には、引きずり込まれるオーラを繋ぎ止めようと、限界まで怒張した血管と筋肉の筋が、恐ろしいほど鮮明に浮かび上がっていた。ミシミシと骨が軋むような音が聞こえるほど、その手には凄まじい力が籠っている。

 

 一方のアズリルは、許容量を遥かに超えるオーラに内側から押し潰されていた。

 脳を直接焼かれるような衝撃に意識が白く塗り潰されていく。呼吸をしなければと思うのに、胸も喉も強張り、息一つまともに吐き出せなかった。

 ただ奥歯を噛み締め、目を固く閉じて耐えることしかできなかった。

 

「アズレイッ!」

 

 反応がない。

 

 ジンは空いている手で少年の頬を乱暴に掴み、無理やり顔を上げさせた。

 

「目ぇ開けろ!」

 

 アズリルの瞼が、かすかに震える。

 

 やがて薄く開いた青い瞳が、辛うじてジンの目を捉えた。

 

「息しろ! いいから、ゆっくり吐け!」

 

 閉ざされていた意識に、その声が鋭く突き刺さる。

 アズリルは言われるまま息を吐こうとした。けれど、強張った胸も喉も石のように固まって、思うようには動かない。

 

「……っ、……」

 

 唇の隙間から、掠れた音だけが漏れる。

 開いたばかりの瞳から、急速に光が失われていく。

 

(チッ……やべえな)

 

 呼吸の反射そのものが、止まりかけている。

 

 迷っている猶予はなかった。

 

 ジンは焦りを押し殺し、低く短く告げた。

 

「──悪ぃ」

 

 次の瞬間、アズリルの顎を引き上げ、塞がった気道を開く。そのまま鼻を押さえ、躊躇なく唇を重ねた。

 

 ゆっくりと、確実に空気を送り込む。

 

 硬直していた胸が、外から与えられた呼気によってわずかに持ち上がった。

 

 それが、止まりかけていた呼吸を強引に呼び戻した。

 

「っ……ごほッ、ひゅ……は──っ!」

 

 唇が離れた途端、アズリルは激しく咳き込み、胸の奥に詰まっていた息を吐き出した。続けざまに空気を貪るように吸い込み、途切れ途切れの呼吸を必死に繰り返す。

 

「そうだ! 止めんな、そのまま呼吸しろ!」

 

 胸が上下し、酸素が再び全身へ巡り始める。

 

 それに伴って、体内で制御を失っていた吸引力も、ほんのわずかに勢いを失っていった。ジンの手を絡め取っていた、逃れようのないオーラが、一瞬だけ、ふっと緩んだ。

 

 ジンはその隙を逃さなかった。

 

 地面を強く踏み締め、腰を落とす。そのまま全身を後方へ投げ出すようにして、張りついていた掌をアズリルの肩から力任せに引き剝がした。

 

 バチィンッ──! 

 

 空間そのものが裂けたかのような、凄まじい破裂音が森に響き渡った。

 

 強引に断ち切られたオーラが弾け、その反動が二人を勢いよく引き離した。

 

 ジンは何歩も大きく後ろへよろめき、アズリルはそのまま地面へと激しく叩きつけられる。

 

「う……っ」

 

 苦しげな呻きが喉からこぼれ、アズリルの身体が芝生の上で小さく跳ねる。

 

 ジンはすぐさま地べたを蹴って少年のもとへと駆け寄った。

 

「おい、しっかりしろ!」

 

 覗き込んだ少年の顔色は酷く青褪めていたが、視線を落とすと、その胸は確かに小さく上下していた。自発的な呼吸がしっかりと戻っているのを確認し、ジンは張り詰めていた両肩の力をようやく抜いた。最悪の事態だけは免れたのだと、内側で深く息を吐き出す。

 

 それきり、しばらくの間、二人の荒い呼吸だけが、静まり返った森に重苦しく響いていた。

 

 やがて、ようやく呼吸の落ち着いたアズリルが、おぼつかない声を漏らす。

 

「……何、が……起きたの……?」

 

 その一言を聞いた瞬間、ジンの堪えていた感情が爆発した。

 

「危ねえだろうがッ!! 何しやがった! 俺にお前を殺させる気か!?」

「ひっ……な、何って……」

 

 まだ頭の芯が痺れているアズリルは、地べたにへたり込んだまま、混乱に瞳を揺らす。

 

 だが、それを遮るように、ジンの目が限界まで見開かれた。

「……っ!?」

 

 少年の身体を包む異様なオーラが、ようやくジンの目に飛び込んできた。

 

 アズリルの細い身体には到底釣り合わない、巨大で濃密なオーラが包み込んでいた。しかも、そのオーラの膜の中には、明らかにジンのものと分かるオーラが混ざり込んでいた。

 アズリル自身の青白いオーラと、ジンの赤いオーラが、まるで冷えた水に熱い血を注ぎ込んだかのように、ぐるぐると身体の周りを巡っていた。

 

「お、お前……それ……俺の念を、吸収したのか……っ?」

 

 ジンは微かに震える指先でアズリルを指差した。

 

「え……っ、なに、これ……っ」

 

 アズリルは自分の身体を見下ろす。

 ──見える。

 身体を覆う青と赤の光が、互いを拒むように激しくぶつかり合い、渦を巻いている。

 

「これが、さっき言ってた『オーラ』……!?」

 

 突然、先ほどまでどれだけ目を凝らしても見えなかった世界が、鮮明な色彩を持って視界に飛び込んできたのだ。身体はひどく疲弊していたが、それでも驚きと好奇心を隠しきれず、瞳が輝いた。

 

「感心してる場合か! 自分が何したか分かってんのか、説明しろ!」

「な、何って言われても……っ!」

「思い出せ!!」

 

 ジンの怒声に、アズリルはびくりと肩を竦めた。

 

 まだ頭の芯に残るしびれのせいで、思考がうまくまとまらない。アズリルは小さく息を吐きながら、必死に記憶の糸を手繰り寄せた。

 

 沈黙が二人の間に流れる。

 ジンはじっと少年の様子を観察している。

 

 やがて、アズリルは視線を彷徨わせながら、たどたどしく口を開いた。

 

「えっと……ジンが僕の中に入れてきたものが、奥でずっと激しく動いてて……気持ち悪いし、すごく苦しくて……」

「お前、言い方……」

 

 ジンは額を押さえ、絶妙に頭の痛そうな顔で呻いた。──で、? と視線で先を促す。

 

 アズリルはまだ苦しげに小さく呼吸を乱しながら、落ち着かなげに視線をさまよわせた。自分の胸元をぎゅっと掴み、頭の中でさっきの感覚を必死に手探りする。

 

「だから、どうにか鎮めたくて、動きを抑えようとしたんだ。……触れてみたら、思っていたより素直に動いてくれて」

 

 そこで一度言葉を切り、アズリルはまだ手元に出ていた『ブック』へと目を向けた。

 

「それなら、カードもジンの力を借りずに、僕自身の力で使えるんじゃないかって思って……そのまま、自分で動かしてみたの」

 

「カードを、自分の念で……?」

 

「うん。最初は、ちゃんと思ったとおりに動いてくれたんだ。それが少し楽しくなって、ほかにもいろいろ試してみたくなって……オーラをあちこち動かしているうちに……」

 

 アズリルの声が、次第に小さくなっていく。

 

「つい、ジンのオーラまで引っ張ってしまったみたい」

「……」

 

 弁解するように続けた声が、わずかに震える。

 

「でも、それが、どんどん流れ込んできて……止めようとしても、もう自分の言うことを聞かなくなって。僕にも、どうしたらいいのか分からなくなって……」

 

 最後のほうは、ほとんど消え入りそうな声だった。

 

 自分の力が引き起こした事態を、今になって理解し始めたのだろう。アズリルの顔には、戸惑いだけでなく、怯えにも似た色が浮かんでいた。

 

 その告白を聞きながら、ジンはゆっくりと天を仰いだ。

 しばらく何も言えなかった。

 

(なんという、デタラメだ……)

 

 念に触れたことも、その存在を知ったのも、わずか数分前。詳しい技術の体系すら何も教えていない少年が、最も簡単に、そして最も恐ろしい形で念を操作してみせたのだ。

 もともと、自分の強力な念を流し込む衝撃で、アズリルの精孔(念の穴)を無理やりこじ開けるつもりではあった。それによって念が見えるようになることまでは想定内だ。

 

 だが、この少年はそれ以上に、送り込まれた「他人のオーラ」を、自らの内へと引き込んで自分のものにした。しかも、暴れ狂う莫大なオーラを、教えられてもいないまま身体の周囲に留めている。

 

「……今、どれくらい意識してそのオーラを動かせる?」

 

 ジンの額から、一筋の冷や汗がぽたっと地面へ落ちた。声のトーンが、完全にプロのそれに変わっている。

 

「まずは、全身のオーラを消してみろ」

「け、消す……?」

 

 アズリルはジンのただならぬ雰囲気に気圧され、不安そうに身を縮めながらも頷いた。

 ごくりと唾を呑み、自分の身体へ意識を集中させる。

 

 ジンは無言のまま、その一挙手一投足を凝視していた。

 

 ──その瞬間。

 目の前にあったアズリルの気配が、すうっと薄れた。

 

 ジンは息を呑む。

 

 少年の身体から漏れ出していたオーラは、跡形もなく消えている。肌を覆っていた青と赤の揺らめきは一片も残らず、その存在感だけが周囲の景色へ溶け込んでいた。

 

 完全な『絶』だった。

 

 ジンが言葉を失っているとも知らず、アズリルは『絶』を保ったまま、不安そうにその顔を見た。

 

 ジンはすぐさま次の指示を出す。

 

「じゃあ次だ。その状態のまま、オーラを全部右の拳だけに集めろ」

「右手だけ?」

 

 ジンは固唾を呑んで少年の手元を見つめる。

 

 アズリルは、言われた意味が分からず困惑したように首を傾げていた。

 

 念の基礎と応用を複合させ、全身のオーラを一点へと集中させる高等技術──『硬』。

 さすがに、今の段階でいきなりこの複合技ができるはずがないか。

 そう考えたジンが、肩の力を抜きかけた、そのときだった。

 

 アズリルの身体に閉じ込められていたオーラが、堰を切ったように右腕へ流れ始めた。

 

 淀みも、迷いもない。青白いオーラと、ジンから取り込んだ赤いオーラが拳へ集まり、互いに絡み合いながら密度を増していく。やがて二つの色は深い紫へと変わり、小さな拳の周囲だけで、押し固められた炎のように激しく揺らめいた。

 

 ジンの喉が、かすかに鳴った。

 

 疑いようもない。見事な『硬』だった。

 

「はっ……マジかよ……」

 

 ジンは完全に打ちのめされたように、力なく呟くしかなかった。

 

「こ、これで合ってるの……?」

 

『硬』を保ったまま、アズリルがまた不安そうにジンの顔を見ている。

 

「……ああ。もういい、戻せ」

 

 その言葉でアズリルが緊張を解くと、オーラは再び通常の状態へと戻った。だが、やはり意識せずとも身体の周りを綺麗に『(まと)』ったままであり、青と赤のオーラがゆらゆらと妖しく混ざり合っている。

 

「はあああぁぁぁ……」

 

 ジンはこれまでで一番大きな溜め息を吐き出すと、力なくその場に腰を落とした。さらに後ろへ倒れて仰向けになり、両手で顔を覆う。

 

 アズリルはしばらくその様子をオロオロと眺めていたが、そっと近づき、心配そうに上からジンの顔を覗き込んだ。

 

 顔の真上で、今にも泣きそうなほど純粋な瞳が自分を見つめている。

 先ほど、トッププロのハンターすら戦慄させるほどのとんでもない才能の片鱗を見せつけておきながら、中身はただの何も知らない少年のままだ。その恐るべきギャップに、ジンはなんとも言えない奇妙な感情に囚われていた。

 

「ねえ、ジン……。僕、やっぱり何か、とんでもなく悪いことしちゃった……?」

「いや……お前は何も悪くねえよ。むしろ、俺がしくじった」

「え?」

 

 アズリルが不思議そうに頭を傾げる。

 

 少年を責める気など、毛頭なかった。あるはずもなかった。

 

 先ほどオーラを引き込まれた瞬間、ジンは完全に主導権を奪われていた。

 流れを押し戻すことも、接続を断ち切ることもできなかった。純粋なオーラの引き合いにおいて、念に目覚めたばかりの少年に力負けした──それが厳然たる事実だった。

 

 もし、オーラの流れを止めるのが遅れていたら、大量の念を受け止めきれず、アズリルの肉体は内側から崩壊していただろう。まるで、空気を送り込まれすぎた風船が、耐えきれずに木端微塵に破裂するように。

 

 もちろん、ジンなら、力任せに自分の手を引き剥がすことは可能だった。だが、そんな暴挙に出れば、吸着した掌とともにアズリルの肩口は肉片ごと引きちぎられ、少年は確実に死に直結する致命傷を負っていたはずだ。

 

 アズリルを死なせないためには、オーラが吸い込まれるスピードに合わせて、自らの念を外へと放流し続けるしかなかった。

 器の限界が先に来て少年が壊れるか、ジンのオーラが根こそぎ奪い尽くされるか──あるいは、その双方が同時に起きて二人揃って果てるか。

 

 あのまま膠着状態が続いていれば、どちらの死も免れ得ない最悪の結末へと突き進んでいた。

 

 結果的に、アズリルの意識が引き戻され、オーラを吸引していた力がわずかに緩んだからこそ、辛うじて二人の間にできた念のつながりを断ち切ることができたのだ。

 

 文字どおり、二人の命は紙一重の死線で繋がっていた。

 

 そして、その致命的な危機を招いたのは、他でもないジン自身の慢心だった。

 

 他人の身体へ直接オーラを流し込む行為には、もともと相応の危険が伴う。わずかな加減の誤りが、受け手の肉体を容易に破壊しかねない。

 それでもジンは、自分なら完璧に制御できると踏んでいた。

 

 相手は念の基礎すら知らない素人だ。たとえ予期せぬ反応が起きたとしても、自らの技量なら力ずくで抑え込める。世界屈指の念能力者として積み上げてきた経験と自負が、その判断を疑わせなかった。

 

 だが、その前提そのものが間違っていた。

 この少年を、あまりにも侮っていたのだ。

 

(こんな、死にかけるような大しくじりをしたのは……一体、何年ぶりだ?)

 

 凍てつくような冷気が、背筋を這い上がっていく。

 

 ──そんなジンの戦慄を知る由もないアズリルは、仰向けに倒れた彼の顔を、すぐ真上から心配そうに見下ろしていた。

 

 澄んだ瞳と、まだあどけなさの残る整った顔には、何ひとつ邪なものがない。

 

 自分がどれほど異常なことをしでかしたのかも、二人がどれほど死に近づいていたのかも、まるで理解していないのだろう。

 

 そのあまりに無垢な表情が、ジンにはかえって恐ろしく映った。

 

「ふぅ……」

 

 ジンは小さく息を吐き、気を引き締めるように上体を起こすと、アズリルの両頬を大きな手で挟むように包み込んだ。

 あまりにも優しい手つきに、アズリルの強張っていた表情がわずかに緩んだ、次の瞬間。

 

 バチンッ!!! 

 

「痛いいいいっ!?」

 

 ジンの両手が、少年の頬を小気味よい音を立てて叩いた。

 アズリルはその勢いのまま後ろへひっくり返り、芝生の上へと転がる。

 

「何するんだよ、いきなりっ!」

 

 両頬を自分の手で押さえ、涙目でジンを睨みつける。

 

「やっちまったもんはやっちまった! しゃーねえ、次に進むぞ!」

 

 ジンはまるで今までの緊迫感をかなぐり捨てるように、ひょいと威勢よく跳ね起きた。

 

「これでお前も念能力者の仲間入りだ! これからはそれ相応の厳しい試練を乗り越えてもらうからな」

 

 ジンは芝生に倒れ込んでいるアズリルに手を差し出す。

 しかし、アズリルはその手をすぐには握れなかった。先ほどのことが頭をよぎり、ジンに触れるのが、どうしても少し怖い。

 

「……心配すんな。普通の状態で触っても、もうあんな反応は起きねーよ。さっきのは俺が無理やりお前の中にオーラを流し込んだから起きた、イレギュラーだ」

 

「……うん」

 

 仕組みはよく理解できなかったが、アズリルはジンを信じてその手を握り、立ち上がらせてもらった。引き上げられた身体についた土を、小さな手でぱたぱたと払う。

 

 ふと、ジンがアズリルの肩口へ視線を落とした。

 そっと手が伸び、少年の衣服の襟元をわずかにずらす。

 

「ん……?」

 

 首元に触れた手の感触に、アズリルは不思議そうに顔だけをそちらへ向けた。

 

 露わになった白い肌には、ジンが力任せに掴んでいた指の跡が、禍々しい赤紫色の痣となってくっきりと浮かび上がっていた。ジンが、あの極限状態で、どれほど必死に少年をつなぎ止めようとしていたのか。その切迫した力の痕跡が、痛々しい傷となってアズリルの身体に刻まれていた。

 

「……悪かったな」

 

 ジンは聞こえるか聞こえないかほどの小さな声で、ぽつりと呟いた。

 

「こうなったのも俺の責任だ。だから、お前がその力をまともに扱えるようになるまでは、俺が面倒見るよ」

 

 アズリルは襟元をずらされたまま、急に殊勝な態度を見せたジンを不思議そうに見つめた。先ほどまで怒鳴り散らしていた男と同一人物とは思えないほど静かな声音に、ただ小首を傾げる。

 

 ジンは我に返ったようにアズリルの肩口の服を乱暴に直すと、照れ隠しにぷいっと顔を背けた。

 そして、気まずい話を無理やり打ち切るように、先ほどからずっと傍らに横たわっていた少女へ視線を移した。

 

 そこには、カードから姿を変えて以来、二人の騒動を気にする様子もなく、眠たげな顔で寝転がる少女がいた。

 

 アズリルもその視線を追うように横を向くと──。

 

「──っっっ!!???」

 

 アズリルの顔が、瞬時に沸騰したように真っ赤に染まった。彼は悲鳴すら上げられず、猛烈な勢いでズリズリと後ろへ後退していく。

 

 カードから具現化した少女の姿を、ここで初めてまともに認識したのだ。

 

 少女は美しい紫青色の長い髪を地面に散らし、上半身だけを起こして横たわっている。

 だが、問題はそこではない。

 少女は、一糸も身にまとっていなかった。

 

 完全なる、全裸だった。

 

「じ、ジンっ!! 服!! 早く服を貸してあげてっ!!」

「はあ? 何言ってんだよ、ただのゲームアイテムだぞ? 気にするなって」

「いやいやいや!! ダメだってば、絶対にダメっ!!」

 

 アズリルは慌てて立ち上がると、自分が着ていたシャツのボタンをちぎれんばかりの勢いで外し、急いで脱いだ。そして、少女の裸体が視界に入らないように顔を思い切り真横に向けたまま、手探りでシャツを差し出す。

 

「こ、これ……っ、着てください!」

 

 少女は眠たげな瞳で、目の前に差し出されたシャツをぼんやりと見上げた。

 それから、特に恥じらう様子もなくそれを受け取ると、ゆっくりと、どこか気だるげな動作で袖に腕を通していく。

 

「ごめんね……こんなのしかなくて……」

 

 自分のシャツ一枚を羽織っただけの少女の姿に、アズリルは耳まで真っ赤にしながら、申し訳なさそうに視線を泳がせた。

 

 ジンはそんな初心な少年の大慌てな様子を、呆れ果てたような顔で見ている。

 

 すると、シャツを着終えた少女が、トボトボとアズリルのすぐ隣まで歩いてきて、そのまま地面にコロンと横たわって目を閉じてしまった。

 

「えっ、あ、あの……?」

 困惑して少女とジンを交互に見るアズリルに、ジンが肩をすくめて歩み寄る。

 

「言ったろ、ゲームのキャラだって。そいつは『睡眠少女』。お前の代わりに眠ってくれる便利なやつだ」

「僕の、代わりに?」

「ああ。そいつが寝てる間、お前は眠らなくて済む。眠気も来ねえし、身体も休んだことになる」

 

 アズリルは、自分の傍らで丸くなって眠る少女を見下ろした。

 それから、ゆっくりとジンに視線を戻す。

 

(それって……僕を丸一日、休みなしで動かす気ってことじゃ……)

 

 完全に意図を察したアズリルは、この上なく不満げな、じっとりとした目をジンに向けた。

 

 ジンは悪びれる様子もなくニッと不敵に笑う。

 

「ま、ちょっとばかり予定外のドタバタはあったが……。さっきも言った通り、ここからはハンターライセンスを渡すためのテストだ。とりあえず最初に、お前がハンターに相応しい『強さ』と『精神力』を持ってるかどうか、試させてもらう」

 

 ジンはアズリルの足元で眠る少女を顎で示した。

 

「テストの内容はシンプルだ。その『睡眠少女』を守りながら、生き延びろ。期限はとりあえず、一週間としよう」

「……守るって、何から?」

 

 アズリルが眉をひそめて問い返す。

 

「そりゃ、敵からに決まってんだろ。この森には、ゲーム用に仕込まれたいろんなモンスターが出る。ウサギみてえな雑魚から、油断すりゃ一撃で首を飛ばされるような奴まで、強さも様々だ」

 

 ジンはそこで、アズリルを上から下まで眺めた。

 

「念が使えねえままなら、相当てこずるとは思っていたが。まあ、さっきのを見る限り、もうそこまで心配はいらねえだろ」

 

「ちょっと待って! まだ何も教えてもらってないし……僕、念の使い方なんて何も知らないよ!」

 

「そんなもん、襲われながら身体で覚えろ。手本は見せたろ。手に集めたり、消したりできんだから上等だ」

 

 いくらなんでも横暴すぎる。アズリルが抗議の声を上げようとしたが、ジンはそれを手で制し、アズリルの手元にあるブックを指差した。

 

「それに、手札はそいつだけじゃねえだろ。さっきもう一枚、カードをブックに入れたはずだ」

 

 アズリルははっとして、自分のブックを開いた。

 そこには確かに、もう一枚のカードが収まっていた。

 描かれているのは、背中に綺麗な羽を生やし、頭に立派な冠を被った──おじいさん? 

 

「……なんだこれ」

「そいつがどういうカードなのかは、自分で使って確かめろ。ちょっとばかしうるせえやつだが、けっこう頼りになると思うぜ」

 

 そう言い残すと、ジンは「じゃ、俺はちょっと見晴らしのいい特等席で見学させてもらうわ」と、ひらりと身を翻して大樹の太い枝の上へと飛び乗ってしまった。

 

「あ、ジン……っ!」

 

 呼びかける声も虚しく、ジンは枝の上で胡坐をかき、早くも観客を気取るようにニヤニヤと見下ろしてくる。

 

 アズリルは深くため息をつき、眠り続ける少女の前に立ちはだかるようにして身構えた。全身には、しっかりとしたオーラが灯っている。

 

(強さと、精神力、か……)

 

 アズリルは、ジンの口にした条件を頭の中で反芻していた。

 

 

 

 だが、木の上からその姿を見下ろすジンの目は、別人のものになっていた。

 先ほどまで浮かんでいたふざけた色は跡形もなく消え、冷徹なまでに鋭い、観察者の眼差しへと変わっている。

 

 ジンが本当に見極めようとしているのは、『強さ』や『精神力』といった表向きの項目だけではなかった。

 

 脳裏に蘇るのは、ここへ来る前、ネテロから聞かされていた話だ。

 

 ハンター試験の最終試験において、いともあっさりと己の死を受け入れた少年。

 目の前に死を突きつけられ、頑として負けを認めなかった。

 合格という目的のために、自分の命を犠牲にすることを選んだのか。

 

(……いや、違う)

 

 ジンは木の上から、己の身体を覆う異様なオーラを見つめる少年を、じっと観察する。

 それだけでは、どうしても説明がつかない。

 

 先ほどの暴走もそうだ。あれは本当に、ただ念を制御しきれなかっただけなのだろうか。

 あの少年は、ジンの膨大なオーラを自らの内へ引き込み、そのまま『死のうとしていた』のではないか。

 

 もちろん、意識して自滅を図ったわけではないだろう。

 その顔には恐怖こそあったものの、命を諦めるような悲痛さも、絶望も、投げやりな色も一切浮かんでいなかった。

 

 だからこそ、異様だった。

 

 死にたいわけではない。

 それなのに、アズリルの内側に潜む『何か』は、ただ淡々と、機械的に死を求めている。

 

 極限状態に追い込まれたとき、その狂気じみた衝動はどこまで肥大化するのか。

 そして、何がこの少年を、本人さえ知らない死へと駆り立てているのか──。

 

 ネテロから託された、アズリルの「死に急ぐ癖」。

 その根源を力ずくで暴き、白日の下に晒すこと。それこそが、この過酷な試練におけるジンの本当の目的だった。

 

 その正体を確かめるための試験が、今、静かに幕を開けようとしていた。

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