HXH世界を旅する少年王子のお話   作:azuazu000

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ヒソカと初めて距離が縮まる回です。
オリジナル試験ルールを含む内容になります。


三次試験 相棒の道

 船内に、目的地到着を告げるアナウンスが流れた。

 

 アズリルはその声で、ゆっくりと目を開ける。最初に映ったのは、窓いっぱいに広がる空だった。

 

 それから、雲の切れ間に巨大な塔が姿を現す。

 

 地面から突き立つように聳え立つ、石造りの塔。近づくにつれて、そのあまりの高さに、アズリルは思わず息を呑んだ。

 

「……あれが」

 

 三次試験会場。

 

 トリックタワー。

 

 いつの間に眠っていたのだろう。

 

 ふと思い出して隣を見ると、そこにキルアの姿はもうなかった。ついさっきまで隣に座っていた気がするのに、銀色の髪の少年はどこにもいない。

 

 アズリルは首を傾げたが、飛行船が塔の上へ降り立つ揺れで、慌てて立ち上がった。

 

 扉が開くと、受験者たちは次々と外へ出ていく。

 

 地上数百メートルに位置する塔の頂上は広く、強い風が吹き抜けていた。円形の石床がどこまでも平たく広がり、その外縁は、奈落へと直下に続く切り立った絶壁だ。

 

 試験官が説明する。

 

「制限時間は七十二時間。生きて塔の下まで降りてきてください」

 

 生きて。

 

 その一言に、何人かの受験者が黙り込んだ。

 

 やがて、試験開始の合図が響く。

 

 アズリルは屋上を見回した。少し離れたところに、クラピカとレオリオの姿がある。

 

「アズリル」

 

 こちらに気づいたクラピカが、軽く頷いた。

 

 レオリオはまだ眠そうな顔をしていたが、アズリルを見ると、にっと笑う。

 

「よう。ちゃんと休めたか?」

「うん。ありがとう」

 

 アズリルが頷くと、クラピカは周囲へ視線を向けた。

 

「人数が減っているな。すでに頂上から脱出した者が、かなりいるようだ」

 

 そこへ、ゴンとキルアが駆け寄ってくる。

 

「隠し扉があったよ」

 

 ゴンが足元を指さした。

 

 アズリルは目を落とす。一見ただの床に見える場所にも、よく見れば継ぎ目があり、あちこちに似たような入口が隠れているらしい。

 

「入る場所によって、中の道も変わるのだろうな」

 

 クラピカが言う。

 

 レオリオが顔をしかめた。

 

「つまり、運任せってことかよ」

 

 そうしている間にも、周囲の受験者たちは床の継ぎ目を探り、次々と塔の中へ消えていく。

 

 ゴンたちも、互いに別々の扉から入ることにした。

 

「じゃあ、下でまた会おうね」

 

 ゴンが明るく言うと、クラピカも静かに頷く。

 

「ここで一度別れることになるな」

「地上でまた会おうぜ」

 

 レオリオが片手を上げる。

 

 アズリルは背筋を伸ばした。

 

「ご武運を」

 

 そうして、それぞれが別々の扉を選んだ。

 

 アズリルも近くにあった石板の上へ足を乗せる。

 

 次の瞬間、足元が抜けた。

 

「わっ」

 

 短い声を上げる間もなく、身体が下へ落ちていった。

 

 

 

 

 四人の影が、ほとんど同時に床へ放り出された。

 

「いてて……」

 

 レオリオが腰を押さえながら起き上がる。顔を上げた四人は、互いの姿を見て、しばらく言葉を失った。

 

「……同じ部屋だったのか」

 

 クラピカが言う。

 

「別々に入ったはずなのにな」

 

 キルアが肩をすくめた。

 

 ゴンは不思議そうに部屋を見回す。

 

「あれ?」

 

 その声に、クラピカも視線を巡らせた。

 

 レオリオは黙ったまま、すでに部屋の隅から隅まで見ていた。眉間に皺が寄り、口元がわずかに引きつっている。

 

「……アズリル?」

 

 その部屋に、アズリルの姿はなかった。

 

 

 

 

 その頃、アズリルは滑り台のような通路を何度も曲がり、転がるようにして別の場所へ落ちていた。

 

 最後に勢いよく放り出され、危うく壁にぶつかりそうになる。

 

「っ」

 

 アズリルは咄嗟に床へ手をつき、なんとか体勢を整えた。

 

「……痛」

 

 膝と手のひらがじんじんする。ゆっくり顔を上げた時、背後から声がした。

 

「やあ♣」

 

 アズリルは振り返る。

 

 部屋の隅に、ひとりの男が立っていた。派手な服装に、何を考えているのか分からない薄い笑み。二次試験会場でレオリオを運んできた、あの男だ。

 

 その時、壁の一部が光った。

 

 石壁に文字が浮かび上がる。

 

 ──相棒の道。

 

 続いて、低い機械音声が響いた。

 

『この道は二人一組で進んでいただきます』

 

 アズリルは瞬きする。

 

『次の部屋へ進むためには、備え付けの装置を首に装着してください』

 

 壁際の箱が開き、中から現れたのは、二つの黒い金属の輪だった。

 

 首輪だ。

 

 そう理解した瞬間、アズリルの顔が引きつった。

 

『装着具は互いに連動しています。二人の距離が一メートルを超えると警告音。二メートルを超えると電流が流れます。四メートルを超えた時点で失格となります』

 

『また、装着具を破壊、または無理に外そうとした場合も失格です』

 

 壁の文字が、また変わった。

 

 ──受験者番号四十四番、ヒソカ。

 ──受験者番号四〇七番、アズリル。

 

 二名を相棒として登録します。

 

 アズリルは表示された名前を見上げた。

 

 ヒソカ。

 

 それが、この男の名前らしい。

 

 部屋に沈黙が落ちた。

 

 アズリルは首輪を見つめる。

 

「……これを、つけるの?」

 

 なんだか少し、屈辱的な気分だった。

 

 ヒソカは答えなかった。首輪を一瞥し、それからゆっくりとアズリルを見る。

 

 その目に、さっきまでの笑みはなかった。冷たく、背筋まで刺さるような視線だった。

 

 アズリルは思わず眉を寄せる。

 

「……何?」

 

 ヒソカの指先が、ほんのわずかに揺れる。

 

 アズリルがそれに気づくより早く、部屋のスピーカーから声が割り込んだ。

 

『ちなみに、相棒を殺した場合も失格じゃ』

 

 聞き覚えのある、飄々とした老人の声だった。

 

 アズリルは目を瞬かせる。

 

「ネテロ……?」

 

『まあ、そもそも相棒がおらんことには、この道は下まで降りられんようになっておる。仲良くすることじゃな』

 

 ヒソカはしばらく黙っていたが、やがて口元に薄い笑みを戻した。

 

「……つけるしかないみたいだね♠」

 

 そう言って、ヒソカは首輪を手に取り、かちゃりと自分の首につけた。

 

 アズリルは迷ったが、試験である以上、従うしかない。

 

 冷たい金属が首元に触れる。

 

 かちり、と音がして首輪が閉じた。

 

「よろしくね、アズリル♦」

「……よろしく」

 

 アズリルがそう返した直後、正面の扉がゆっくりと開いた。その先には、薄暗い長い通路が、塔の奥へ沈むように続いていた。

 

 

 

 

 

 二人の様子は、別室の画面に映し出されていた。

 

 薄暗い監視室には、壁一面にいくつもの画面が並んでいる。トリックタワー内部の通路や試験室、受験者たちの動きが細かく映し出され、試験補佐員たちはそれぞれの画面を確認しながら記録を取っていた。

 

 その中央で、ネテロは髭を撫でながら、アズリルとヒソカが映る画面を眺めている。

 

 隣にいた補佐員が、困惑したように口を開いた。

 

「ネテロ会長」

「なんじゃ」

「今の……相棒を殺したら失格、というルール、ありましたっけ?」

 

 ネテロは髭を撫でたまま、ほっほと笑った。

 

「さて、どうじゃったかのう」

「……」

「まあ、細かいことは気にせんことじゃ」

 

 補佐員は何か言いたげだったが、結局それ以上は追及しなかった。

 

 映像の中で、ヒソカは首輪の存在など忘れたように、気ままに通路を進んでいる。その後ろを、アズリルは置いていかれまいと追っていた。

 

 ネテロは画面を眺め、愉快そうに目を細める。

 

「面白い組み合わせになったのう」

 

 

 

 

 

 ヒソカは無言で通路を進んでいる。

 

 アズリルはその後ろを歩きながら、慎重に距離を測っていた。

 

 一メートルを超えたあたりから、首輪は小さく警告音を鳴らしはじめる。二メートルを超えれば電流が流れるため、アズリルはそのぎりぎり手前の距離を保つようにして歩いていた。

 

 ピ、ピ、ピ。

 

 耳障りではある。

 

 

 けれど、なんとなく今のあの男には、近づきすぎない方がいい気がした。

 

 通路は灯りが弱く、足元の石はところどころ欠けている。気を抜けば躓きそうだった。

 

 アズリルは転ばないよう足元を確かめながら、前を歩くヒソカとの距離を保とうとする。そのせいで、ほんの少しだけ視線が下がった。

 

 ピ、ピ……。

 

 警告音が止まった。

 

「え」

 

 アズリルが顔を上げると、ヒソカの顔がすぐ目の前にあった。

 

「っ!」

 

 反射的に後ろへ飛び退いた瞬間、足がもつれた。アズリルはそのまま尻餅をつく。

 

 同時に、首輪から鋭い電流が走った。

 

「────っ!」

 

 声にならない悲鳴が喉の奥で詰まる。

 

 ヒソカの首輪にも、同じように電流は流れているはずだった。それなのに、ヒソカは特に気にした様子もなく、自分の首元を軽く掻きながら近づいてくる。

 

 やがて、電流が止んだ。

 

 アズリルはしばらく息を整えてから、ようやく顔を上げる。

 

「……急に、驚かさないでくれる?」

「音がうるさいかなと思って♥」

 

 ヒソカは悪びれもせずに言った。

 

 それからしばらく、二人は無言で通路を進んだ。

 

 先ほどの電流がよほど堪えたのか、アズリルはさっきより距離を詰めて歩くようになっていた。それでも、一メートル半を超えたところで、首輪はまだ小さく鳴り続けている。

 

 ピ、ピ、ピ。

 

 

 

 

 道の先には、眩しいほど白い部屋が広がっていた。

 

 壁も床も天井も、すべて白い。その中に、同じ色をした細い柱のようなものがいくつも立っていて、側面にはボタンらしきものが埋め込まれている。

 

 正面の壁に、文字が浮かび上がった。

 

『指定された距離にある二つのボタンを、同時に押してください』

 

『誤答は三回まで』

 

 その下に、最初の数字が表示される。

 

『五十センチ』

 

 どうやらこの試験は、距離当てのようなものらしい。

 

 指定された距離とぴったり同じ間隔で離れている二つのボタンを探し、それを同時に押す。ただ、それだけ。

 

 最初のうちは簡単だった。

 

 距離が短いうちは、アズリル一人でも届いた。目当てのボタンを見つけては、両手で同時に押していく。

 

 ピコン。

 

 壁の表示が消える。

 

 けれど、表示される数字が伸びるにつれ、状況は少しずつ面倒になっていった。アズリル一人では、もう両方のボタンに手が届かない。

 

 そうなると、どうしてもヒソカにも動いてもらうしかなかった。

 

 首輪が警告音を鳴らしはじめる。

 

 ぎりぎりの距離を行き来するたびに、アズリルの首元には嫌な緊張が走った。

 

「そこ。右の柱の横」

 

 アズリルが言うと、ヒソカは鼻歌まじりに歩いていく。

 

 けれど、指定したボタンの前で止まらない。そのまま、何食わぬ顔で通り過ぎようとした。

 

「ヒソカ、そこ──」

 

 言い終えるより早く、首輪から鋭い電流が走る。

 

「──っ!」

 

 アズリルは思わず肩を跳ねさせた。

 

 ヒソカは、ん? という顔で振り返る。

 

「ヒソカ!! 戻って!」

「ああ」

 

 そして、何でもないように一歩戻った。

 

 絶対にわざとだ。

 

 アズリルはそう思ったが、今それを問い詰めても意味がない。

 

 二人でボタンを押す。

 

 ピコン。

 

 壁の表示がまたひとつ消えた。

 

 残るボタンは、あと一組。

 

 指定された距離は──

 

『三九〇センチ』

 

「……」

 

 アズリルは思わず黙った。

 

 四メートルにかなり近い、失格寸前の距離だ。二メートルを超えれば電流が流れる以上、正解のボタンを押すには、かなり長い間その痛みに耐えなければならない。

 

 しかも、間違えられるのはあと一回だけ。

 

「次は慎重にいこう」

 

 アズリルはそう言った。

 

 ヒソカは上の空だった。まるで真剣に試験を受けているようには見えない。

 

 アズリルは小さく息を吐き、部屋を見渡した。

 

 白い柱。白い床。白いボタン。

 

 距離の感覚が狂いやすい部屋だった。

 

 アズリルはひとつのボタンを指さす。

 

「ヒソカは、ここで待っていて。僕が向こうのボタンを押してくる」

 

 ヒソカは素直にそのボタンの横へ立った。

 

 アズリルはもう片方の候補へ向かう。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 首輪の警告音が速くなる。

 

 そして、二メートルを超えた瞬間、電流が走った。

 

「──っ……!」

 

 足が止まる。膝が抜けそうになった。

 

 それでも、アズリルは奥歯を噛みしめる。

 

 ヒソカは表情を変えずにこちらを見ていた。まるで、自分には関係のない見世物でも眺めているようだった。

 

 アズリルは震える足で立ち上がり、目当てのボタンへ向かう。指先をボタンの上に置き、ヒソカを見た。

 

「押して」

 

 二人が同時に押す。

 

 ブー。

 

 嫌な音が響いた。

 

 間違いだった。

 

「……っ」

 

 アズリルは震える足で来た道を戻る。二メートルより内側へ入った瞬間、ようやく電流が止んだ。

 

 その場に座り込み、深く息を吐く。額から汗が落ちた。

 

 アズリルは息を整えながら、もう一度部屋を見渡す。

 

 次で最後だ。

 

 次を間違えれば終わり。

 

 アズリルは別の候補のボタンへ近づき、距離を目で測った。

 

 違う。

 

 こっちでもない。

 

 なら、あれだ。

 

 ただ、見るだけでは足りない。一度、歩いて確かめたい。

 

「ヒソカ、ちょっと来て」

 

 ヒソカは動かなかった。

 

 アズリルの中で、何かが小さく音を立てる。

 

「……来て」

 

 それでもヒソカは動かない。

 

 アズリルは無言でずんずんと近づき、ヒソカの手を掴んだ。

 

「来てって言った」

 

 強く言ったつもりだった。

 

 けれど、身長差のせいでどうしても見上げる形になってしまい、思ったほど迫力は出ない。

 

 それがまた悔しくて、アズリルは思いきりヒソカの手を引っ張った。

 

 ヒソカは目を細めたが、抵抗はしなかった。

 

 アズリルはヒソカの手を引いたまま、二つのボタンの間を何度か往復する。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 向き直る。

 

 また戻る。

 

 距離を身体で確かめるうちに、白い部屋の中で、柱と柱の位置が少しずつ頭の中に並んでいく。

 

「これ……だ」

 

 アズリルは足を止めた。

 

 ヒソカは、にこにこと笑ったままアズリルを見ている。

 

 手が、まだ繋がれたままだった。

 

 アズリルはそれに気づき、眉を寄せる。そして、ぺい、と払いのけるようにヒソカの手を放した。

 

「次はヒソカが向こうへ行って。そこのボタン」

 

「はいはい」

 

 ヒソカは楽しげに歩き出す。

 

 すぐに電流が走った。

 

「うっ……」

 

 アズリルは思わず膝をつく。

 

 何度くらっても慣れない。慣れるものではないとも思った。

 

 ヒソカは指定されたボタンの前で止まった。

 

 アズリルは震える息を吐きながら、自分のボタンに手を添えた。

 

「押すよ」

 

 けれど、ヒソカは動かなかった。

 

 ボタンに手を置こうともしない。

 

「……?」

 

 電流は流れ続けている。首輪から身体の内側へ、鋭い痛みが絶え間なく食い込んでくる。

 

「ひ……そか……!」

 

 アズリルは歯を食いしばった。膝に力を入れようとしても、痛みで身体が言うことを聞かない。このままでは意識が飛びそうだった。

 

 それでもヒソカは、すぐには動かなかった。

 

 ただ、アズリルが痛みに耐える姿を、しばらく眺めている。

 

 その視線に気づいた瞬間、アズリルの中で悔しさが滲んだ。助けを求めるように名前を呼んでしまったことも、こんなふうに見下ろされていることも、どうしようもなく腹立たしい。

 

 そして、ヒソカはようやくゆっくりと手を伸ばす。

 

 アズリルも震える腕を持ち上げ、残った力を振り絞ってボタンに指を押し当てる。

 

 二人の手が、同時に沈んだ。

 

 ピコン。

 

 軽い音が響く。

 

 正解だった。

 

 扉が開いた。

 

 その音を聞いた途端、アズリルはその場に座り込んだまま、上半身から力が抜けた。ヒソカがゆっくりと近づいてくるにつれ、二人の距離が縮まり、ようやく首輪から流れていた電流が止まる。

 

 目の前にヒソカが立つ。

 

 アズリルはゆっくりと顔を上げた。痛みのせいで目尻には涙が滲んでいたが、それでも、なんとかヒソカを睨み上げる。

 

 ヒソカはなぜか、ひどく嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 同じ頃、試験補佐員たちはアズリルとヒソカがボタンの部屋を抜ける様子を見ていた。

 

「……あの少年も災難ですね。完全に遊ばれています」

 

 補佐員の一人が、同情したように呟く。

 

「片や試験官殺し。片や、どう見ても非力そうな坊や。ずいぶんな凸凹コンビだ」

 

 別の補佐員が肩をすくめる。

 

 ネテロはその様子を眺め、ほっほと愉快そうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 次の部屋には、二人の男が待っていた。

 

 壁に新しいルールが浮かび上がる。

 

『接触戦。制限時間十分』

 

『服役囚側は、受験者二名を四メートル以上引き離せば勝利』

 

『受験者側は、制限時間まで首輪の距離を維持すれば勝利』

 

『受験者側からの先制攻撃は禁止。ただし、接触後の反撃は認める』

 

 アズリルは息を呑んだ。

 

 服役囚たちは、こちらを見ながら口元を歪めていた。一人は細身で、目つきが鋭い。もう一人は大柄で、腕が太く、厚みだけならアズリルの四倍はありそうだった。

 

 開始の合図が鳴る。

 

 その瞬間、大柄な男がアズリルめがけて突進してきた。

 

「っ」

 

 アズリルは正面から受けなかった。

 

 相手の腕が伸びてくる直前、身体を半歩だけずらす。大柄な男の手は空を掴み、勢いのままアズリルの横を通り過ぎた。

 

「ちょこまかと……!」

 

 アズリルは床を蹴り、男の手が届くぎりぎりのところをすり抜ける。掴まれそうになれば腕の下を抜け、足を払われそうになれば、ひらりと後ろへ下がった。

 

 けれど、逃げられる範囲は限られていた。

 

 ヒソカとの距離が二メートルを超えれば、首輪から電流が流れる。四メートルを超えれば、その時点で失格だ。

 

 アズリルは大柄な男の動きをかわしながら、ヒソカとの距離だけは見失わないよう、必死に意識を割いていた。

 

 ピ、ピ、ピ。

 

 首輪の警告音が鳴るたびに、アズリルはわずかに踏み込む角度を変える。大柄な男の攻撃をかわしながら、ヒソカを中心に円を描くように動いた。

 

 その間に、細身の男が長い剣のようなものを取り出し、じりじりとヒソカへ近づいていく。

 

 そして、襲いかかった。

 

 ヒソカは大きく避けなかった。ただ、相手の体が自分へ触れるように、ほんのわずかに位置をずらす。

 

 男の肩がヒソカにぶつかった瞬間、ヒソカは男の首を掴み、捻った。

 

 骨の嫌な音がした。

 

 細身の男が床に倒れ、動かなくなる。

 

 アズリルは一瞬、言葉を失った。

 

 人が一人死んだのだと理解するまでに、少しだけ時間がかかった。

 

 今のは、最初からそうなるように誘ったのだろうか。

 

 そう考えた、ほんのわずかな隙だった。

 

 床を踏み鳴らす音が近づく。

 

 振り向くより早く、大きな手がアズリルの腕を掴んだ。

 

「っ」

 

 アズリルは反射的に腕を引こうとした。けれど、男の手はびくともしない。

 

 次の瞬間、背後から腕が回される。

 

 腹のあたりを抱え込まれ、身体がふわりと床から離れた。

 

「……!」

 

 アズリルは思いきり足をばたつかせた。肘を押し返し、身を捩り、どうにか抜け出そうとする。

 

 けれど、まるで赤ん坊が大人に抱え上げられているようだった。どれだけ暴れても、男の腕は少しも緩まない。

 

 力が違いすぎる。

 

 大柄な男はにやりと口元を歪める。

 

 余裕を見せつけるように、男はそのままヒソカから離れる方向へ歩き出した。

 

 首輪が警告音を鳴らす。

 

 ピ、ピ、ピ。

 

 一メートル。

 

 一メートル半。

 

 二メートルまで、もうほとんど余裕がない。

 

 アズリルは男の腕に爪を立てた。けれど、男の腕はびくともしない。

 

 男は顔をしかめるどころか、余裕そうに笑っただけだった。

 

「暴れんなよ」

 

 そう言いながら、さらに一歩、ヒソカから離れていく。

 

 二メートルに近づいた瞬間、首輪から鋭い電流が走った。

 

「うっ……!」

 

 痛みに膝が揺れ、身体から力が抜ける。

 

 男はそのままアズリルを投げ飛ばそうとした。

 

 その瞬間、空気が変わった。

 

 大男の動きがぴたりと止まる。

 

 男の肩越しに、ヒソカがこちらを見ていた。

 

「駄目だよ♠」

 

 軽い声だった。

 

 けれど、喉元に刃を当てられたような圧があった。

 

 大男の腕から、一瞬だけ力が抜ける。

 

 アズリルの足先が床についた。

 

 今だ。

 

 アズリルは男の手首を取り、身体を沈めた。

 

 投げようとした男の勢いは、まだ残っている。まともに力で返すことはできない。だから逆らわず、手首を捻りながら、自分の身体ごと相手の重心の下へ潜り込む。

 

 男の足が、ほんのわずかにもつれた。

 

 アズリルはその瞬間だけを逃さず、低く沈めたまま足を払う。

 

 次の瞬間、巨体が自分の勢いに引きずられるように床へ倒れ込み、鈍い音が部屋に響いた。

 

 アズリルは反動でよろめきながらも、すぐに体勢を立て直し、ヒソカとの距離を詰め直した。

 

 首輪から流れていた電流が止む。

 

 しかし、大男はすぐに立ち上がると、なおもアズリルへ狙いを定めてきた。息を整える暇もなく伸びてくる腕を、アズリルは紙一重でかわし続ける。

 

 掴まれれば終わりだ。

 

 そう分かっているからこそ、正面から受けることはしなかった。相手の力をまともに浴びないぎりぎりの距離で、紙一重に身を逃がし続ける。

 

 やがて、終了の音が鳴る。

 

『受験者側の勝利』

 

 大男は低く唸り、悔しそうに床を蹴った。

 

 アズリルは緊張の糸が切れたように、その場に膝をつく。肩が大きく上下し、荒い呼吸だけがしばらく止まらなかった。

 

 ヒソカはそんなアズリルを見下ろし、ぱちぱちと愉快そうに軽く拍手する。

 

 その音に応えるように、次の試験場へ続く扉が開いた。

 

 

 

 

 

 次の大部屋は、迷路のようだった。

 

 石壁が複雑に入り組み、通路は狭い。とても二人で並んで歩ける幅ではなかった。

 

 しかも、奥へ進むほど見通しが利かなくなる。少しでも距離が開けば、曲がり角ひとつで相手の姿が見えなくなりそうだった。

 

 アズリルは距離を詰めて、ヒソカの後ろについた。

 

 ヒソカは妙に上機嫌だった。ボタンの部屋を抜けたあたりから、ずっと楽しそうにしている。

 

 正直、あまり協力的な相手ではない。何度か本気で腹が立ったし、今でも何を考えているのかはよく分からない。

 

 それでも、最初に感じた冷たさとは違っていた。

 

 少なくとも、ヒソカはアズリルを失格にさせるつもりはないらしい。おちょくりながらも、大事な場面では最後のところで助けてくれている気がして、その事実が、かえってアズリルを少しだけ困惑させた。

 

 そんなことを考えながら進んでいくうちに、迷路は何度も分かれ道へ行き当たった。そのたびに、二人はどちらへ進むかを選んだが、選んだ先をしばらく進むと、たいてい行き止まりにぶつかった。

 

 仕方なく引き返そうにも、通路は狭く、二人が横並びですれ違えるほどの幅はない。結局、行き止まりにぶつかるたび、狭い通路の中で身体の向きを変えながら、前後の位置を交代するしかなかった。

 

 さっきまでヒソカの後ろを歩いていたはずなのに、引き返す頃にはアズリルが前を歩いている。そんなことを何度か繰り返した。

 

 そして、アズリルが先頭になって進んでいる時だった。

 

 また、行き止まりだった。

 

「またか……」

 

 アズリルは小さく呟き、振り返って来た道を戻ろうとする。

 

 だが、ヒソカは動かなかった。

 

 いつもならここで身体の向きを変えるはずなのに、ヒソカはアズリルの方を向いたまま、狭い通路の真ん中に立っている。

 

「……? 早くして」

 

 また茶化しているのだろうと思った。

 

 けれどヒソカは何も言わず、にこにこと笑みを深めながら、じりじりと距離を詰めてくる。

 

 アズリルは反射的に一歩下がった。

 

 背中が、冷たい壁に触れる。

 

 後ろは壁。

 

 逃げる道はなかった。

 

「ちょ……」

 

 アズリルは慌てて両腕を突き出し、これ以上近づかせまいとヒソカの身体を押した。

 

 けれど、それで止まる相手ではなかった。押し返しているはずの腕は、ヒソカの力に負けて少しずつ曲がっていき、気づけば二人の間にあったはずの隙間は、ほとんどなくなっていた。

 

「ヒソカ……?」

 

 背の高いヒソカを見上げるには、首をかなり傾けなければならない。

 

 けれどヒソカは、片肘をアズリルの後ろの壁につき、顔は正面へ向けたまま、意味ありげな沈黙を保っている。

 

 しばらく、どちらも動かなかった。

 

 狭い行き止まりの中で、二人分の息だけがゆっくりと混ざり、周囲の空気を妙に温めていった。

 

 しばらくして、アズリルは抵抗するのをやめた。ヒソカの身体を押していた腕から力を抜き、諦めたように小さく息を吐く。

 

 どうせ、押しても動かない。たぶん、飽きるまで待つしかない。

 

 そう思って、またちらりと上を見る。

 

 ヒソカも下を見ていた。

 

 にこりと笑う。

 

 なんなんだ。

 

 その時、背後でかちゃりと小さな音がした。

 

「ん?」

 

 次の瞬間、背中を支えていた壁が、ふっと奥へ沈んだ。

 

 体重を預けていたものが急になくなり、アズリルの身体が後ろへ傾く。

 

「っ」

 

 落ちる、と思った。

 

 けれど、その前にヒソカの腕が腰へ回った。

 

 ひょい、と引き寄せられ、アズリルは倒れ込む寸前で止まる。

 

 気づけば、すっぽりとヒソカの腕の中に収まる形になっていた。

 

 背後には、先ほどまで壁だったはずの場所が、扉のように奥へ開いている。細い抜け道が、その先に続いていた。

 

「出口♥」

 

 ヒソカはアズリルの腰を離さないまま言った。

 

「……ははは。なるほどね」

 

 アズリルは引きつった笑みを浮かべる。

 

 つまり、ヒソカは出口を見つけていただけだったらしい。

 

 勝手に勘違いした自分が、少しだけ恥ずかしかった。

 

 監視室で、ネテロが小さく息を吐く。

 

「危なっかしいのう」

 

 

 

 

 

 

 そして最後の部屋にたどり着いた時、アズリルはもうかなり疲れていた。

 

 本当なら、その場に座り込んでしまいたかった。けれど、そうもいかない。

 

 アズリルは膝に力を入れ、どうにか顔を上げる。

 

 壁には大きく文字が刻まれていた。

 

 ──決別の部屋。

 

 中央の台座には、鍵が一本だけ置かれている。

 

『首輪を外した者のみ、この扉を通過できます』

『首輪を装着したまま扉を越えた場合、即時失格』

『鍵は一つ。一度差し込めば、二度と抜けません』

 

 アズリルは壁の文字を見つめた。

 

 鍵は一つ。

 

 首輪は二つ。

 

「……つまり、一人しか出られない?」

 

 ヒソカの口元が、ゆっくりと弧を描いた。

 

「そうみたい♦」

「でも、そんな」

 

 ヒソカは台座から鍵を取る。

 

「戦って勝った方が出る。分かりやすいね♠」

「え、待っ──」

 

 言い終わる前に、ヒソカが動いた。

 

 アズリルは反射的に身を引く。

 

 速い。

 

 服役囚とはまるで違う。

 

 アズリルは距離を読み、首輪の制限を意識しながら逃げた。けれど逃げられる範囲は、あまりにも狭い。

 

 ぎりぎりの間合いで、ヒソカの手をかわす。

 

 その指先が頬の横をかすめ、髪を掠る。

 

 足元を払われそうになり、アズリルは後ろへ下がろうとした。

 

 その瞬間、首輪がぴり、と震えた。

 

 二メートルを越えてしまったのだ。

 

 アズリルは咄嗟に前へ踏み出そうとした。けれど、それより早く首元から電流が走る。

 

「っ……!」

 

 膝が一瞬、崩れかける。

 

 そのわずかな硬直を、ヒソカは逃さなかった。

 

 次の瞬間、ヒソカの手がアズリルの腕を掴んだ。

 

 壁際へ押し込まれ、逃げ場がなくなる。

 

「っ……」

 

 ヒソカの指が首輪へ触れた。

 

 冷たい金属の縁をなぞるように滑り、それからゆっくりと、首輪の下へ入り込む。

 

 ひやりとした指先が喉元に触れた。

 

 アズリルの呼吸が止まる。

 

 確かめるように首の形をなぞり、喉の中心に親指が添えられる。

 

 殺される。

 

 そう思った瞬間、がちゃり、と小さな音がした。

 

 アズリルは目を見開いた。

 

 ヒソカの手には、鍵が握られている。その鍵は、アズリルの首輪に差し込まれていた。

 

 首輪が外れた。

 

「……え?」

 

 アズリルは呆然とヒソカを見る。

 

 ヒソカは笑っている。

 

「はい。君の勝ち♦」

「どうして」

「なんとなく♥」

 

 ヒソカは悪びれた様子もなく、いつものように笑っていた。

 

 助けられたのだとは思う。けれど、つい先ほどまで本気で殺されると思っていた相手でもある。礼を言うべきなのか、怒るべきなのか、自分でもうまく判断できなかった。

 

 それでも、これで先に進める。

 

 そう思っていいはずなのに、胸のあたりが落ち着かない。ヒソカの気まぐれひとつで命も合否も左右されてしまうような感覚が、いつまでも喉元に残っていた。

 

 アズリルはちらりとヒソカを見る。

 

 ヒソカはもうこちらを見ていなかった。興味が済んだのか、壁際へ下がり、片膝を立てるようにして腰を下ろしている。

 

 まるで、残り時間をそこで潰すつもりのようだった。

 

 自分だけ出ていけ、ということなのだろうか。

 

 アズリルは扉の方を見る。それから、壁際に座るヒソカをもう一度見た。

 

 アズリルは、首輪に差し込まれた鍵を引っ張ってみる。

 

 抜けない。

 

 やはり、説明通り一度差し込めば外せない仕組みらしい。

 

 アズリルは眉を寄せたまま、首輪に刺さった鍵をじっと見つめた。鍵は根元まで差し込まれているのに、外に突き出た部分だけが妙に長く、不自然な形をしている。

 

 ただの持ち手にしては、輪郭が入り組みすぎている。

 

「……?」

 

 アズリルは首を傾げ、鍵を見る角度を変えるように、外れた首輪を少し傾けた。

 

 すると、突き出ていた金属の輪郭が、ふと別の形に見えた。

 

 まっすぐ見た時にはただ入り組んだ持ち手にしか見えなかったものが、角度を変えた途端、もう一つの鍵の形として浮かび上がる。

 

 アズリルは目を見開いた。

 

「これ……」

 

 鍵になっているのは、片側だけではなかった。

 

 外に突き出た反対側の輪郭もまた、別の首輪に差し込むための鍵の形をしている。

 

 アズリルはしばらくそれを見つめていたが、やがて小さくため息をつき、外れた首輪を手にしたまま、ゆっくりとヒソカの方へ近づいた。

 

 ヒソカは壁際に座ったまま、黙ってこちらを見上げる。

 

 アズリルはその前に膝をつき、正面からヒソカの顔を見た。

 

 ヒソカの口元に、いつもの余裕の笑みが浮かぶ。

 

 アズリルは不満を隠さない顔で、ヒソカの首輪へ手を伸ばした。

 

 ほんの少しだけ、困らせてやりたかった。

 

 さっき、自分がされたように。

 

 アズリルは指先を首輪の隙間へ滑り込ませる。黒い金属の下に触れた首元は思ったよりも温かく、その感触にわずかに指先が迷った。

 

 けれど、すぐに唇を引き結ぶ。

 

 そのまま首筋をなぞるように指を滑らせ、軽く包むように喉元を押さえた。

 

 その途端、ヒソカの動きがぴたりと止まる。

 

 それを見て、アズリルはヒソカのしたことを真似るように、わざと指先に力を込めた。

 

 喉元は思ったより硬い。けれど、指先の下で脈が小さく跳ねた。

 

 その近さに、アズリルの方が一瞬だけ戸惑う。

 

 けれど、すぐにむっとした顔を作り直した。

 

 ちょっとくらい、いつもの余裕が崩れればいい。

 

 今日ずっと好き勝手に振り回された分の、ささやかな仕返しだった。

 

 けれど、顔を上げたアズリルが見たのは、予想していたような表情ではなかった。

 

 ヒソカは、今日見た中で一番、ぞっとするほど昂ぶった顔をしていた。

 

「……」

 

 アズリルは、すぐに後悔した。

 

 ヒソカの喉元が、かすかに上下する。

 

 その反応を見た瞬間、これ以上はまずいと悟った。アズリルは何事もなかったように慌てて指を引き、首元から手を離す。

 

 この人に仕返しをしようとしたのが間違いだった。

 

 それから、自分の首輪に刺さったままの鍵を支え、突き出たもう一方の端をヒソカの首輪へ近づけた。

 鍵の端が、ヒソカの首輪の鍵穴へ入る。

 

 かちり。

 

 小さな音を立てて、ヒソカの首輪も外れた。

 

 その瞬間、ヒソカの笑みが一拍だけ止まる。

 

 アズリルは目を逸らしながら言った。

 

「これで一緒に出られる」

 

 それはただ、当然のことをしただけのつもりだった。けれどヒソカは、まるで予想外のものを見せられたように、しばらく黙っている。

 

 やがて、何かを堪えるように唇を閉じた。

 

 それから喉の奥で、低く笑う。

 

「……くく」

 

 

 

 

 決別の部屋を抜けた二人は、しばらく長い通路を歩いた。

 

 もう首輪はない。

 

 距離を測る必要もないはずなのに、二人の間隔は、なぜかさっきまでとほとんど変わらなかった。

 

 アズリルはヒソカの背中を見ながら、無意識に距離を保っている。

 

 一メートルを超えるたびに、頭の中で警告音のようなものが鳴る気がした。

 

 ピ、ピ、ピ。

 

 その先に、ようやく光が見えた。

 

 二人が光の中へ出た瞬間、頭上から淡々とした声が響いた。

 

「通過者、第一号、第二号」

 

「所要時間、六時間十七分」

 

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