紀伊型戦艦現存IF   作:戦艦オワタ

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半分ネタで書いてます。


鉄の老兵、再び

一 帰還

 

昭和二十年八月。

 

伊勢湾の沖合に、二隻の巨艦が姿を現した。

 

戦艦《紀伊》。

 

戦艦《尾張》。

 

いずれも全長二百五十メートルを超え、艦首から艦尾へ向けて三基の四十一センチ三連装砲塔を並べた、帝国海軍最後の大型戦艦であった。

 

ただし、その存在を知る者は海軍内部にもほとんどいなかった。

 

二隻は八八艦隊計画における紀伊型戦艦の設計を基礎としながら、鈴鹿海軍工廠で極秘裏に建造されていた。

 

艦隊決戦のためではない。

 

異世界へ遠征し、未知の敵と戦うためである。

 

紀伊と尾張は、東征艦隊の中核として日本を発ち、遥か新世界において魔王軍との戦争に参加した。

 

飛竜、魔獣、巨大な陸上兵器。

 

海上を埋め尽くす異形の軍勢。

 

地球では想定されていなかった敵を相手に、両艦は四十一センチ砲を撃ち続けた。

 

紀伊は第二艦隊に、尾張は第一艦隊に編入され、幾度も損傷しながら戦い抜いた。

 

やがて遠征軍は任務を終え、帰還の道を開いた。

 

故国では、凱旋艦隊を迎える準備が整えられているはずだった。

 

だが、戻ってきた日本に軍楽隊はいなかった。

 

沿岸の灯火は少なく、港湾には空襲の跡が残り、無線から流れてきたのは聞き慣れない命令だった。

 

日本は、すでに降伏していた。

 

紀伊艦長は、艦橋に立ったまま長いあいだ何も言わなかった。

 

沖合には、焼け残った街並みが見えていた。

 

尾張から信号が届く。

 

《入港命令を請う》

 

紀伊は返答した。

 

《所定航路に従い、鈴鹿へ帰投せよ》

 

二隻は夜陰に紛れ、伊勢湾から極秘運河へ入った。

 

鈴鹿海軍工廠へ通じるその水路は、外海から見えないよう丘陵と防潮堤に囲まれていた。

 

遠征艦隊を送り出すために造られた秘密施設だったが、すでに空襲によって各所が破壊されていた。

 

大型クレーンは折れ、乾ドックの排水設備は停止し、鉄道引込線には爆弾で開いた穴が残っていた。

 

それでも、紀伊と尾張を収容する空間だけは残されていた。

 

帰還した乗員たちは、故郷の土を踏むより先に武装解除を命じられた。

 

主砲の閉鎖機は取り外され、弾薬庫は封印された。

 

軍令部から最後に届いた指示は、二隻の存在を完全に消し去ることだった。

 

異世界遠征の記録を処分し、艦を解体し、可能であれば工廠そのものも破壊する。

 

だが、解体作業は進まなかった。

 

工廠の設備は空襲で損傷し、作業員も資材も不足していた。

 

何より、日本という国家そのものが戦後の混乱に沈んでいた。

 

巨大な二隻の戦艦を切断し、運び出すだけの余力は、もはや誰にも残されていなかったのである。

 

紀伊と尾張は、解体を待つ鋼鉄の亡骸として鈴鹿の奥に係留された。

 

しかし、その待ち時間は長く続かなかった。

 

 

 

 

 

 

二 占領軍

 

進駐した連合国軍は、ほどなく鈴鹿の秘密施設を発見した。

 

当初、二隻は建造途中の戦艦、あるいは終戦直前に放棄された未成艦だと考えられた。

 

だが、調査に入った米海軍技術者たちは、すぐに不審な点へ気づいた。

 

機関には長時間の航海を示す摩耗があった。

 

砲身には多数の発射痕が残されていた。

 

艦腹には、日本近海では見られない生物の付着物があり、装甲板には既知の兵器によるものとは考えにくい損傷まで刻まれていた。

 

未成艦ではない。

 

二隻は実際に航海し、戦闘を経験していた。

 

しかし、どこで戦ったのかを示す公的記録は存在しなかった。

 

残された海軍関係者も、口を閉ざした。

 

米側は二隻を接収し、詳細な調査を開始した。

 

一部には標的艦として処分する案もあった。

 

艦砲射撃実験に使用する案、米本土へ回航して研究する案、完全に解体する案も提出された。

 

だが、いずれも実行されなかった。

 

戦後の日本から巨大戦艦二隻を運び出すには、あまりに多くの人員と費用が必要だった。

 

鈴鹿の運河は空襲で損傷し、船体を外海へ出すにも大規模な復旧作業が要る。

 

さらに米海軍内部では、二隻の損傷痕と航海記録に説明のつかない点が多すぎることから、拙速な破壊を避けるべきだという意見が強まった。

 

紀伊と尾張は、武装を封印されたまま研究対象として保管されることになった。

 

公には、戦時中に建造された試験用大型艦艇とだけ発表された。

 

異世界遠征に関する記録は、日本とアメリカの双方で最高機密とされた。

 

鈴鹿海軍工廠も、地図上から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

三 戦艦から警備艦へ

 

二隻の運命を変えたのは、朝鮮半島で始まった戦争だった。

 

東アジアの情勢が急速に悪化し、日本周辺の海上警備能力が不足していることが明らかになると、占領政策は転換された。

 

日本には再び海上戦力が求められた。

 

もっとも、敗戦から間もない日本で戦艦を復活させることには、政治的にも軍事的にも強い抵抗があった。

 

そこで提案されたのが、紀伊型を戦艦としてではなく、海上警備、教育、指揮および災害支援に使用するという案だった。

 

四十一センチ主砲は封印したまま。

 

対空兵装の大半を撤去。

 

通信設備、航海装置、居住区画、発電設備を更新し、大型の練習艦兼指揮艦として再利用する。

 

巨大な船体は多数の隊員を収容でき、洋上司令部、工作艦、病院船に近い役割も果たせる。

 

何より、すでに船体そのものは存在していた。

 

新たに同規模の艦を建造するより、はるかに短期間で使用可能になると見積もられた。

 

鈴鹿の運河とドックは密かに修復され、二隻は順次、呉と横須賀へ回航された。

 

紀伊は先に改修を受け、海上警備隊へ編入された。

 

尾張は予備艦として保管され、紀伊の運用実績を確認した後に復帰した。

 

海上自衛隊の発足後、両艦は正式に自衛艦籍へ加えられた。

 

艦種は、戦艦ではなかった。

 

公式には「大型警備艦」、後には「大型護衛艦」とされた。

 

四十一センチ砲を持つ護衛艦という、世界でも例のない存在だった。

 

もっとも、主砲の封印が永遠に続いたわけではない。

 

冷戦が深まり、日本近海の軍事的緊張が高まると、紀伊型の主砲を限定的に復活させる計画が認められた。

 

砲身は検査され、内筒が交換された。

 

旧式の機械式射撃盤は撤去され、レーダーと電子計算機による射撃指揮装置が搭載された。

 

初めて試射が行われた日、遠い海上に着弾した九発の水柱を見て、戦前から残る元乗員の一人は帽子を脱いだという。

 

その後も二隻は、時代に合わせて姿を変えた。

 

旧式の高角砲と機銃は撤去され、新型の速射砲に置き換えられた。

 

マストには対空・対水上レーダーが追加され、艦橋内には現代的な指揮通信設備が設けられた。

 

後年には近接防御火器や電子戦装置も搭載された。

 

ただし、主砲塔三基だけは最後まで残された。

 

巨大すぎて撤去に費用がかかるという事情もあった。

 

だが、それ以上に、紀伊型から四十一センチ砲を失わせれば、この艦を残す意味そのものが薄れるという意見が根強かったのである。

 

 

 

 

 

 

四 長すぎた現役

 

紀伊と尾張は、第一線の戦闘艦として常に行動したわけではない。

 

二隻を同時に動かすには、あまりに多くの乗員と燃料が必要だった。

 

そのため、一隻が現役にある間、もう一隻は予備艦または練習艦として扱われる時期が長かった。

 

紀伊は主に艦隊指揮と教育を担当した。

 

広大な艦橋と通信設備を活かし、海上自衛隊演習における総旗艦を務めた。

 

多数の実習員を乗せ、長期航海へ出ることもあった。

 

尾張は工作能力と収容力を活かし、災害派遣や遠洋支援任務に使用された。

 

地震や台風の後には、発電機、医療設備、真水製造装置を備えた巨大艦として被災地沿岸へ向かった。

 

戦艦の装甲と砲塔の下で、避難民へ食事が配られたこともある。

 

時代が進むにつれ、二隻の軍事的価値には疑問が呈されるようになった。

 

乗員が多すぎる。

 

燃費が悪い。

 

機関も船体も古い。

 

主砲は強力だが、使用する機会がない。

 

同じ予算があれば、新型護衛艦を何隻も建造できる。

 

そのたびに退役案が提出された。

 

それでも紀伊型は生き残った。

 

艦隊指揮艦として便利だったから。

 

練習艦として多くの人員を収容できたから。

 

大規模災害時の支援艦として有用だったから。

 

そして何より、二隻を完全に解体する費用さえ莫大だったからである。

 

紀伊と尾張は、実用と象徴の中間にある存在として、戦後日本の海を航海し続けた。

 

やがて二十一世紀を迎えるころ、両艦は艦齢八十年を超えた。

 

船体の主要部分はなお健全だったが、維持費と乗員確保は限界に達していた。

 

紀伊は呉で、尾張は横須賀で退役した。

 

二隻は記念艦として保存されることになった。

 

一般公開が始まると、その巨大さは多くの見学者を驚かせた。

 

甲板では子供たちが走り、主砲を背景に家族が写真を撮った。

 

艦内には戦後の海上自衛隊史が展示され、異世界遠征に関する区画だけは「戦時中の特殊任務」と曖昧に記された。

 

しかし、紀伊型は完全な死んだ船にはされなかった。

 

保存方針をめぐる議論の末、二隻は「動態保存に準じた特別保存艦」とされた。

 

軸は定期的に回された。

 

発電系統は一部が生かされた。

 

機関室の主要設備には防錆処置が施され、艦底も定期的に検査された。

 

主砲の閉鎖機や射撃装置は別施設に保管され、設計図、改装記録、予備部品も廃棄されなかった。

 

これは再就役を想定した措置ではなかった。

 

あくまで、戦後日本を象徴する歴史的艦艇を、可能な限り良好な状態で後世へ残すためだった。

 

少なくとも、その時点では。

 

 

 

 

 

 

《big》五 日本転移《/big》

 

日本国が新世界へ転移した日、紀伊と尾張はいつものように岸壁へ係留されていた。

 

空から見れば、動かぬ灰色の巨体だった。

 

甲板には見学用の通路が設けられ、艦内の一部には土産物売り場さえあった。

 

転移直後、防衛省が実施した全装備調査でも、二隻は戦力として数えられなかった。

 

分類は、文化財に準じる保存艦。

 

海上自衛隊の現役艦艇一覧にも載らない。

 

新世界で最初に遭遇した国家の軍事力も、日本へ深刻な脅威を与えるものではなかった。

 

ロウリア王国の木造艦隊。

 

パーパルディア皇国の旧式戦列艦と竜騎士。

 

それらを相手に、九十年前の戦艦を復活させる理由はなかった。

 

現役の護衛艦と航空機だけで十分だった。

 

むしろ日本政府にとって優先すべきは、食料、石油、天然資源、海上交通路の確保だった。

 

紀伊型を動かせば、大量の燃料と乗員を消費する。

 

主砲弾の製造設備も失われて久しい。

 

防衛省内で一度だけ再就役案が提出されたものの、検討会ではほとんど相手にされなかった。

 

「博物館を戦場へ連れ出す余裕などない」

 

それが当時の結論だった。

 

状況が変わったのは、グラ・バルカス帝国の存在が明らかになってからである。

 

帝国は近代的な戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦を大量に保有していた。

 

単艦の性能では日本の護衛艦が優位に立てても、相手の艦数は桁違いだった。

 

戦闘が長期化すれば、高価な誘導弾を大量に消費する。

 

日本は新世界で誘導弾の増産体制を整えつつあったが、半導体、特殊素材、推進薬、精密部品には限りがあった。

 

一方、帝国艦隊の多くは、巨大ではあっても第二次世界大戦前後の技術水準に近い砲戦艦艇だった。

 

それらを相手に、すべて誘導弾を使用する必要があるのか。

 

その疑問から、再び紀伊型の名が挙がった。

 

四十一センチ砲弾なら、誘導弾ほど複雑ではない。

 

大量生産が可能になれば、敵戦艦、巡洋艦、港湾施設、沿岸要塞に対して継続的な大火力を投射できる。

 

装甲船体は、敵の通常砲弾に対して高い抗堪性を持つ。

 

広大な艦内には、新型の指揮通信装置や無人偵察機運用設備を設置できる。

 

イージス護衛艦や戦闘機の防護下で運用するなら、紀伊型は単なる旧式戦艦ではなく、巨大な洋上砲兵陣地になり得た。

 

防衛省は、二隻に対する緊急船体調査を命じた。

 

結果は、技術者たちの予想を上回った。

 

装甲区画の腐食は限定的。

 

主要隔壁にも致命的な損傷はない。

 

長年の動態保存措置により、推進軸と機関基部は再使用可能。

 

主砲塔も、大規模な整備と部品交換を行えば復旧できる。

 

記念艦時代の電気設備や内装はほぼ全面的に撤去する必要があったが、船体そのものは生きていた。

 

調査団長は報告書の末尾に、簡潔な一文を記した。

 

『再就役は技術的に可能。ただし、もはや修理ではなく再建造に近い』

 

 

 

 

 

 

六 復活計画

 

計画には、当然ながら反対意見が相次いだ。

 

古い戦艦へ人員と資材を投入するより、新型護衛艦を建造すべきだ。

 

紀伊型は対潜能力が低く、航空攻撃にも弱い。

 

主砲弾の製造設備を一から復活させなければならない。

 

九十年以上前の艦を実戦へ投入し、沈没させれば文化的損失も大きい。

 

何より、乗員をどこから集めるのか。

 

現役の海上自衛官だけで二隻を満たせば、他の護衛艦が人員不足に陥る。

 

それでも計画は消えなかった。

 

主砲塔、装甲、船体、推進軸。

 

新造すれば莫大な費用と時間を要する構造物が、すでに目の前に存在していたからである。

 

最終的に、二隻を同時に復活させる案は退けられた。

 

まず紀伊を再就役させ、その結果を見て尾張へ作業を拡大する。

 

乗員は現役海上自衛官を中核とし、予備自衛官、元乗員、民間造船技術者を教育要員として招集する。

 

輸送、衛生、補給、通信補助には、他自衛隊から選抜した要員も配置する。

 

艦内の自動化を進め、かつて千人を超えていた定員を大幅に削減する。

 

主機は全面交換せず、既存の蒸気タービンを修復して使用する。

 

一方、ボイラー、発電機、電気配線、消火設備、通信設備は現代規格へ更新する。

 

四十一センチ砲は三基九門すべてを残す。

 

砲身は検査と内筒交換を行い、射撃指揮装置は完全に新造する。

 

新型砲弾の開発も始まった。

 

通常榴弾。

 

対艦用徹甲弾。

 

長射程弾。

 

そして、将来的な誘導砲弾。

 

紀伊は呉の大型ドックへ入れられた。

 

見学用通路が撤去され、土産物売り場の看板が外された。

 

展示室だった区画には、再び通信機器と制御盤が運び込まれた。

 

主砲塔の内部では、長く油に漬けられていた歯車が洗浄され、交換部品とともに組み直された。

 

かつて観光客が歩いた甲板を、作業服姿の隊員と技術者が行き交った。

 

再就役作業には、海上自衛隊だけでなく多くの民間企業が参加した。

 

戦後の改装に携わった企業。

 

記念艦保存を支えてきた技術者。

 

造船所の若い設計者。

 

艦の構造を記憶する退職者。

 

彼らの知識が、九十年の時間を越えてつなぎ合わされた。

 

やがて機関室に火が入った。

 

最初は補助発電機だけだった。

 

次にボイラーが蒸気を発生させ、長く止まっていたタービンが低速で回転を始めた。

 

船体全体に、低い振動が広がった。

 

岸壁で見守っていた元乗員の老人は、その振動を足元に感じ、何も言わずに艦を見上げた。

 

紀伊は、再び生き始めていた。

 

 

 

 

 

 

七 再就役

 

再就役の日。

 

呉には灰色の雲が垂れ込めていた。

 

紀伊の甲板から、記念艦時代の最後の標識が下ろされた。

 

代わりに、自衛艦旗が掲揚された。

 

艦橋には新しいレーダーが並び、後部甲板には近接防御火器と無人航空機運用設備が追加されていた。

 

外見には九十年前の面影を色濃く残しながら、その内部には現代日本の電子機器と通信網が組み込まれていた。

 

艦内放送が流れる。

 

『総員、配置につけ』

 

その言葉が紀伊の艦内に響くのは、退役以来初めてだった。

 

主砲塔内で警報灯が点灯する。

 

電動油圧装置が作動し、第一砲塔がゆっくりと旋回を始めた。

 

数千トンの鋼鉄が動く低い音に、岸壁の見学者たちが息を呑む。

 

砲身が海へ向けられる。

 

紀伊艦長は艦橋から前甲板を見下ろした。

 

そこにいるのは、帝国海軍の水兵ではない。

 

戦後に生まれ、新世界へ転移した日本を守る自衛官たちだった。

 

だが、彼らの足元にある鋼鉄は、かつて魔王軍と戦い、日本へ帰還し、敗戦と復興と冷戦を生き抜いたものだった。

 

艦長は前方を見たまま命じた。

 

「出港用意」

 

係留索が外される。

 

タグボートが船体から離れた。

 

紀伊の煙突から、薄い煙が昇った。

 

岸壁に集まった人々の前で、戦艦はゆっくりと動き始めた。

 

博物館だった艦が、再び軍艦へ戻る。

 

九十年以上の艦歴。

 

二つの世界。

 

三度の就役。

 

戦艦紀伊は、再び新世界の海へ出た。

 

その後方、別のドックでは、姉妹艦尾張の再建造が始まっていた。

 

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