紀伊型戦艦現存IF   作:戦艦オワタ

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地図の空白

日本国、中部地方。

 

鈴鹿海軍工廠跡地。

 

その名を掲げた案内板の前を、数人の観光客が通り過ぎていった。

 

戦時中に建設された巨大工場。

 

終戦後に解体され、長らく立入禁止となっていた産業遺構。

 

現在は跡地の一部が商業施設、公園、歴史資料館として整備され、休日には家族連れや観光客が訪れる。

 

案内板には、そのように書かれていた。

 

グラ・バルカス帝国情報部員、ナグアノは、翻訳機を耳へ装着したまま案内文を読み直した。

 

服装は、日本を訪れる外国人観光客として不自然にならないものを選んでいる。

 

明るい色の上着。

 

肩から下げた小型鞄。

 

首には日本製の撮影機。

 

同行者は二人。

 

一人は通訳を装った情報部員。

 

もう一人は帝国海軍技術部から送り込まれた造船技師だった。

 

表向きの目的は、日本の近代産業遺産を巡る視察旅行である。

 

日本政府が外国人観光客の受け入れを再開して以来、ムーやクワ・トイネ、神聖ミリシアル帝国などから多くの訪問者が来日している。

 

その中に三人の帝国人が混じっていても、目立ちはしない。

 

もっとも、彼らが観光を楽しみに来たのではないことは、資料館へ入って数分もしないうちに明らかになった。

 

ナグアノは展示された古い航空写真の前で足を止めた。

 

戦時中の工廠を上空から撮影したものだという。

 

写真の大部分は空襲と戦後の解体によって失われた施設を示していた。

 

工場棟。

 

鉄道引込線。

 

倉庫。

 

発電施設。

 

装甲板加工場。

 

そして、写真の端に不自然なほど大きな長方形の水面があった。

 

「これは何だ」

 

ナグアノが日本語で尋ねると、資料館の案内員は展示説明を指した。

 

「大型船舶用の実験水槽、または資材搬入用の水路だったと考えられています。正確な用途は、資料が残っていないため分かっていません」

 

「大型船舶?」

 

「はい。ただ、ここは内陸に近いですから、実際に軍艦を造っていたという説には疑問もあります」

 

案内員は笑いながら付け加えた。

 

「昔は、ここで秘密戦艦を造っていたなんて噂もあったそうですよ」

 

ナグアノは表情を変えなかった。

 

隣にいた造船技師が、撮影機を構えるふりをして写真を拡大する。

 

水面の横幅。

 

長さ。

 

接続する水路。

 

周辺の工場棟。

 

通常の実験水槽としては、大きすぎる。

 

「その秘密戦艦というのは?」

 

「地元の伝説みたいなものです。戦時中、夜になると巨大な鉄の塊が運ばれてきたとか、海へ続く地下水路があったとか。もっとも、終戦後の混乱で話が大きくなったんでしょう」

 

案内員は、よくある観光地の怪談を紹介するような口調だった。

 

しかしナグアノたちにとっては、冗談ではなかった。

 

紀伊型戦艦。

 

建造場所不明。

 

公式記録上、計画艦として中止されたはずの艦。

 

にもかかわらず、実際には二隻が完成し、九十年以上を経た現在も存在している。

 

ナグアノは、展示写真をもう一度見た。

 

巨大な長方形の水面は、紀伊型の全長と比べても不自然ではない。

 

むしろ、数値を重ねれば符合する可能性が高かった。

 

「ほかに当時の水路跡は残っているか」

 

「公園の北側に一部だけあります。ただ、現在は親水広場になっていますよ」

 

案内員は観光案内図へ印をつけた。

 

その日の午後、三人は親水広場へ向かった。

 

子供たちが浅い水路で遊び、周囲には飲食店と土産物店が並んでいた。

 

一見すれば、どこにでもある再開発地区である。

 

だが水路は、途中から不自然なほど広がっていた。

 

護岸に使われている古いコンクリート。

 

埋め立てられた側面。

 

商業施設の地下へ続く封鎖区画。

 

そして、水路の先にある丘陵。

 

造船技師は、観光案内図を見ながら歩幅を測った。

 

「水路幅は、紀伊型の船体を通せる」

 

小声で告げる。

 

「誤差は?」

 

「現在の護岸は戦後に造り直されている。元の幅はさらに広かった可能性がある」

 

「海までつながっているのか」

 

「地上では途切れている」

 

通訳役の情報部員が、周囲を確認してから言った。

 

「地下か?」

 

造船技師は即答しなかった。

 

「断定はできん。しかし、ここから伊勢湾方面まで高低差は大きくない。運河を掘ること自体は不可能ではない」

 

三人は商業施設の裏手へ回った。

 

立入禁止を示す簡素な柵の向こうに、古いコンクリート壁が残っていた。

 

表面は蔦に覆われている。

 

中央には、後年になって塞がれたと思われる巨大な開口部。

 

高さは数階建ての建物に相当し、幅も通常の車両用通路とは思えない。

 

ナグアノは、買い物袋から小型撮影機を取り出した。

 

観光写真を撮るふりをして、壁面、開口部、コンクリートの厚さを記録する。

 

「ドックの端部か」

 

「あるいは船体部品を搬入する組立棟だ」

 

造船技師が答えた。

 

「だが、これほどの開口部を必要とする部品は限られる」

 

「戦艦の主砲塔」

 

「装甲板。機関。艦橋構造物。そして船体そのものだ」

 

ナグアノは周囲を見回した。

 

休日の商業施設。

 

買い物客。

 

子供の声。

 

飲食店から漂う匂い。

 

その足元に、かつて大型戦艦を建造した施設が埋まっている。

 

紀伊型が博物館から復帰したという事実を知らなければ、地元の伝説として笑っていただろう。

 

だが今は違う。

 

存在しないはずの戦艦が、実際に二隻存在する。

 

その建造場所として、目の前の遺構はあまりにも条件が揃いすぎていた。

 

三人は、その後も数日間にわたって周辺を調査した。

 

市販の地図。

 

地方自治体が公開している都市計画資料。

 

歴史愛好家が作成した工廠跡の復元図。

 

戦後間もない時期の航空写真。

 

古い鉄道路線図。

 

地元住民の回想録。

 

情報の大半は軍事機密とは無縁だった。

 

日本では、過去の軍事施設について民間研究者が独自に調査し、書籍や雑誌、通信網上の記事として公表している。

 

ナグアノは、その開放性に何度も戸惑った。

 

帝国なら軍の秘密に触れる資料が、土産物店で売られている。

 

工廠の配置を推定した地図が、歴史雑誌の付録になっている。

 

埋め立てられた水路の位置が、地域史の本に記されている。

 

もちろん、最も重要な部分は欠けていた。

 

何を建造していたのか。

 

なぜ内陸に巨大ドックが必要だったのか。

 

水路はどこまで続いていたのか。

 

終戦直前に何が運び出されたのか。

 

だが、欠けている部分を紀伊型の諸元と重ねると、一つの形が浮かび上がった。

 

鈴鹿海軍工廠は、紀伊型戦艦を外部から秘匿したまま建造するための施設だった。

 

ナグアノは帰国用の外交便へ、暗号化した報告を託した。

 

件名は簡潔だった。

 

『紀伊型建造施設と推定される遺構について』

 

その報告書は、帝国情報部を経由し、海軍上層部へ送られた。

 

そして数週間後。

 

グラ・バルカス帝国海軍省の会議室に、鈴鹿の写真と日本製の地図が並べられた。

 

会議の上座には、海軍大将カイザル・ローランドが座っていた。

 

その隣には、帝国三将の一人、ミレケネス・アンネッタがいる。

 

艦隊司令官。

 

海軍情報部長。

 

造船技術部の将校。

 

兵站部の担当官。

 

対日分析班の責任者。

 

それぞれの前に、ナグアノが集めた資料の写しが置かれていた。

 

報告を担当する情報将校が、壁に鈴鹿工廠跡の復元図を掲げた。

 

「調査員の報告によれば、この長方形区画は大型建造ドックであった可能性が高いと判断されます」

 

カイザルは図面を見たまま尋ねた。

 

「規模は」

 

「紀伊型一隻を収容可能です。周辺施設を含めれば、二隻を並行建造した可能性も否定できません」

 

「水路は」

 

「現在は大部分が埋め立てられています。戦時中は伊勢湾方面へ通じる運河が存在したと考えられます」

 

「考えられる、か」

 

「直接示す図面は発見されておりません。ただし地形、古い護岸、鉄道配置および住民証言は一致しております」

 

別の将校が補足した。

 

「紀伊型の建造記録は、日本側の公開資料にほとんど存在しません。しかし同級が実在する以上、どこかに建造施設があったことは確実です」

 

「それが鈴鹿だと?」

 

「可能性は高いと判断します」

 

カイザルは、紀伊型の側面図とドック跡の寸法を見比べた。

 

「大型戦艦を二隻、建造から進水まで秘匿した」

 

誰も否定しなかった。

 

カイザルは椅子へ背を預けた。

 

それまで未確認戦艦説に慎重だった彼も、この一点については認めざるを得ない。

 

日本には、少なくとも一度、巨大戦艦を外部から隠して完成させた実績がある。

 

「分かった」

 

カイザルは低く言った。

 

「紀伊型が秘匿建造された可能性は認めよう」

 

一部の情報将校の顔がわずかに明るくなった。

 

だが、カイザルはすぐに続けた。

 

「ただし、それは紀伊型二隻が秘密裏に建造されたことを示すだけだ。現在も日本各地に戦艦が隠されている証拠にはならん」

 

情報部長が答える。

 

「しかし、同様の施設がほかにも存在する可能性は――」

 

「可能性なら、いくらでも作れる」

 

カイザルは机上の日本地図へ手を伸ばした。

 

「戦艦を一隻隠すには、船体が収まる空間だけでは足りん。建造用地、工場、鉄道、発電所、鋼材置場、作業員の宿舎、弾薬庫が必要だ」

 

指先で鈴鹿周辺を示す。

 

「鈴鹿には、それらがあった。だから建造できた」

 

続いて日本各地に付けられた候補地の印へ視線を移す。

 

「だが、入り江が深い、山が海に近い、その程度で秘密軍港と呼ぶことはできん」

 

「地形的には建設可能です」

 

「建設可能な土地と、実際に建設された基地は別物だ」

 

カイザルは、候補地一覧を一枚ずつ確認した。

 

紀伊半島。

 

瀬戸内海沿岸。

 

九州西岸。

 

三陸海岸。

 

北海道南部。

 

確かに、大型艦を隠せそうな湾や崖は多い。

 

しかし、戦艦を何隻も維持するには巨大な兵站組織が必要になる。

 

「艦を隠せても、艦隊は隠せん」

 

カイザルは言った。

 

「燃料の輸送はどうする。主砲弾はどこで作る。乗員はどこで訓練する。空母があるなら航空隊はどこで飛ばす」

 

情報将校たちは沈黙した。

 

「紀伊型二隻は認めよう。だが、そこから直ちに日本全土へ秘密戦艦を配置するのは飛躍だ」

 

カイザルの主張は明快だった。

 

紀伊型の秘匿建造は事実である可能性が高い。

 

少数の未確認保存艦が存在する可能性も排除できない。

 

しかし、帝国海軍に匹敵する規模の予備艦隊を隠しているという説には、兵站上の裏付けがない。

 

「特に人員だ」

 

カイザルは続けた。

 

「戦艦には熟練した水兵が要る。艦長、航海長、砲術長、機関長。下士官も必要だ。船だけ残しても、人間がいなければ艦隊にはならん」

 

その時、それまで黙って地図を見ていたミレケネスが口を開いた。

 

「平時の海軍人員だけを数えるから、足りなく見えるのではなくて?」

 

カイザルが彼女を見る。

 

「どういう意味だ」

 

ミレケネスは机上の資料から、一冊の折り畳み地図を取り上げた。

 

日本国内で一般向けに販売されている道路地図だった。

 

軍用地図ではない。

 

都市、道路、鉄道、港湾、工業地帯、発電所、観光地まで記された、民間人向けの地図である。

 

「日本は島国よ」

 

地図を広げる。

 

「この国では、軍人でなくても船に関わる人間が多い」

 

彼女は沿岸の主要都市を指した。

 

「商船会社。造船所。漁港。大型フェリー。沿岸警備組織。港湾労働者。機関技師。通信士」

 

「商船員は戦艦の乗員ではない」

 

「全員が戦艦乗りである必要はないでしょう?」

 

ミレケネスは即座に返した。

 

「操艦、砲術、機関の中核だけを海軍の熟練者で固める。荷役、補給、衛生、通信補助、艦内警備には別の組織から人員を回せる」

 

兵站部の将校が眉をひそめた。

 

「それでも訓練には時間がかかる」

 

「だから紀伊型は、転移直後ではなく今になって復帰したのでしょう」

 

ミレケネスは紀伊型の再就役日程を示した資料へ目を移した。

 

「日本人も一日で艦を動かしたわけではない。船体を修復し、人員を集め、訓練した。必要な時間をかければ、民間人や他軍種から補助要員を育成することはできる」

 

カイザルが腕を組む。

 

「陸兵まで艦へ乗せるつもりか」

 

「可能性はあるわ」

 

ミレケネスは地図上の島々を指した。

 

「この国の陸軍は、海を越えなければ離島へ移動できない。島嶼防衛を重視しているなら、陸軍が船舶運用や海上輸送の要員を持っていても不思議ではないでしょう」

 

「輸送船と戦艦は違う」

 

「ええ。だから全員を戦艦へ乗せるとは言っていない」

 

彼女は紀伊型の推定乗員構成表を引き寄せた。

 

「私が言っているのは、現役海軍人員の数だけで予備艦の存在を否定することはできない、ということよ」

 

ミレケネスは、乗員を三つの層に分けた。

 

第一は、海上自衛隊の現役要員。

 

第二は、退役者と予備役。

 

第三は、民間海運、沿岸警備、造船、陸上部隊から転用可能な補助要員。

 

「紀伊型が高度に改修されているなら、必要乗員も建造時より減っている可能性がある」

 

「根拠は」

 

「日本の現役護衛艦よ」

 

ミレケネスは別の資料を示した。

 

帝国艦と日本艦の推定乗員数を比較した表だった。

 

同規模の船体でも、日本艦の乗員は帝国艦より少ない。

 

「彼らは機械で人間の仕事を減らしている。紀伊型も同じなら、千人を超える乗員を用意する必要はないかもしれない」

 

技術部の将校が慎重にうなずいた。

 

「艦橋および機関制御の更新状況から見て、自動化が進んでいる可能性は高いと思われます」

 

カイザルは表を確認した。

 

「それでも、秘密艦隊の証明にはならん」

 

「もちろん」

 

ミレケネスはあっさり認めた。

 

「でも人員が見えないから艦も存在しない、という反証には使えなくなるわ」

 

その言葉に、会議室の空気がわずかに変わった。

 

ミレケネスは、再び民間地図へ目を落とした。

 

「それに、用地の問題も、もう少し調べる価値がある」

 

「鈴鹿以外に候補があるのか」

 

「少なくとも、地形条件だけならいくつかある」

 

彼女は地図に鉛筆で印をつけていった。

 

最初は瀬戸内海。

 

多数の島に囲まれ、外洋から直接観測しにくい。

 

沿岸には大型造船所と工業地帯がある。

 

「ここは民間船の出入りが多すぎて、かえって軍艦一隻の部品輸送を隠しやすい」

 

次に九州西岸。

 

複雑な湾。

 

深い水深。

 

山地。

 

古い軍港と造船施設。

 

「外海への出口が複数ある。大型艦を保管するなら悪くない」

 

続いて紀伊半島。

 

海岸まで迫る山地と、人口の少ない湾岸。

 

「鈴鹿に近い。戦時中の関連施設が分散していた可能性がある」

 

三陸沿岸。

 

切り立った海岸。

 

深く入り込む湾。

 

「大型艦を建造するには不便でしょうけれど、保管場所としては使えるかもしれない」

 

最後に北海道南部。

 

人口密度が低く、大型港湾と広い後背地を持つ。

 

「寒冷地であることを除けば、秘密施設の用地は確保しやすい」

 

カイザルは、地図に付けられた印を見た。

 

「すべて地形上の可能性にすぎん」

 

「ええ」

 

ミレケネスはまた認めた。

 

「だから、ここに戦艦がいるとは言っていない」

 

「ならば何を主張している」

 

「鈴鹿の例が確認された以上、日本には大型艦を隠して建造する技術と経験がある。地形上、同様の施設を置ける場所も複数ある。人員についても、平時の海軍定員だけでは判断できない」

 

鉛筆を机へ置く。

 

「これだけ揃っているなら、“ない”と決めるより、“あるかもしれない”として調べる方が合理的ではなくて?」

 

カイザルはすぐには答えなかった。

 

彼は鈴鹿工廠跡の写真を手に取った。

 

商業施設。

 

公園。

 

水路。

 

巨大なコンクリート遺構。

 

そこだけを見れば、過去の工場跡にすぎない。

 

だが実際には、紀伊型戦艦二隻がそこで建造された可能性が高い。

 

日本は、一度は成功している。

 

それが問題だった。

 

「調査は続ける」

 

カイザルは最終的に言った。

 

情報部の将校たちが姿勢を正す。

 

「ただし、仮説と確認事項を混同するな」

 

彼は地図上の印を指した。

 

「鈴鹿は高確度。ほかは候補にすぎん。報告書では明確に区別しろ」

 

「承知しました」

 

「秘密基地を探すために、日本中の湾を軍港扱いするような真似もするな。水深、道路、鉄道、電力、造船設備、燃料輸送を照合しろ」

 

ミレケネスが小さく笑った。

 

「随分と具体的になったわね」

 

「存在を認めたわけではない」

 

「調べる価値は認めたのでしょう?」

 

カイザルは答えず、別の資料を開いた。

 

「乗員についても同様だ。現役、予備役、退役者、民間船員、造船技術者。他軍種からの転用可能性を分けて推定しろ」

 

情報部長が記録する。

 

「未確認予備艦隊については、想定規模をどの程度に設定いたしますか」

 

カイザルはしばらく考えた。

 

「大艦隊を想定する必要はない」

 

「では」

 

「少数だ」

 

彼は紀伊と尾張の札を見る。

 

「紀伊型と同様に保存された艦が、さらに数隻。あるいは未完成の大型艦が存在する場合を考慮する」

 

「空母は」

 

「可能性は排除しない。だが証拠が出るまでは、戦艦と同列には扱うな」

 

「承知しました」

 

カイザルは会議を締めくくる前に、全員を見渡した。

 

「敵を侮るな」

 

その言葉に、列席者たちがうなずく。

 

「だが、敵を想像で作り上げるな」

 

今度は、数人だけがわずかに視線を伏せた。

 

「紀伊型二隻は事実だ。鈴鹿も、ほぼ事実と見てよい。そこから先は、調査によって埋めろ」

 

会議は終了した。

 

将校たちは資料を抱え、順次部屋を出ていった。

 

ミレケネスだけがしばらく残り、机上に広げた日本地図を眺めていた。

 

カイザルが書類をまとめながら言う。

 

「まだ何かあるのか」

 

「別に」

 

彼女は地図を折り畳んだ。

 

「ただ、奇妙な国だと思って」

 

「何がだ」

 

「戦艦を隠して造った場所を、九十年後には商業施設と観光地にする」

 

ミレケネスは、鈴鹿工廠跡の写真を指先で軽く叩いた。

 

「本当に秘密にしたいのか、忘れたいのか、それとも誰も信じないと思っているのか。判断に困るわ」

 

「日本人自身も、すべてを知っているわけではないのだろう」

 

「それなら、なおさら厄介ね」

 

「なぜだ」

 

「政府が隠している秘密なら、政府を調べればいい」

 

ミレケネスは地図を脇に抱えた。

 

「でも、国民まで忘れてしまった秘密は、どこに残っているか分からないでしょう?」

 

カイザルは返事をしなかった。

 

ミレケネスが退室した後、彼は鈴鹿の航空写真をもう一度見た。

 

現在は買い物客が歩く広場。

 

その地下に残る巨大なコンクリート。

 

途切れた運河。

 

そして、そこから海へ出た二隻の戦艦。

 

カイザルは未確認艦隊説を信じてはいなかった。

 

少なくとも、全面的には。

 

だが、日本側が「存在しない」と説明するものを、そのまま存在しないと判断することも、もはやできなかった。

 

その日、帝国海軍情報部では新たな調査班が編成された。

 

任務は、日本各地に残る旧軍港、旧造船所、廃止工場、大型地下施設の再調査。

 

調査基準には、地形だけでなく、道路、鉄道、電力、港湾水深、民間造船能力が加えられた。

 

同時に、海上自衛隊の現役定員とは別に、日本の潜在的海上要員を推計する作業も開始された。

 

この時点では、誰も日本列島全体が要塞であるとは主張していなかった。

 

崖の中に戦艦が並んでいるとも、公園が砲台になるとも考えていない。

 

ただ一つ。

 

日本には、まだ見えていない何かがあるかもしれない。

 

その程度の、慎重な疑念にすぎなかった。

 

だが疑念は、一度制度の中へ組み込まれると、独りでに成長を始める。

 

とりわけ、その疑念を裏付ける本物の遺構が、すでに一つ見つかっている場合には。

 

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