紀伊型戦艦現存IF 作:戦艦オワタ
鈴鹿海軍工廠跡の調査を受け、グラ・バルカス帝国海軍情報部には新たな対日調査班が設けられた。
正式名称は、対日沿岸軍事基盤調査班。
任務は、日本国内に存在する旧軍港、廃止造船所、地下施設、港湾、沿岸工業地帯の軍事転用可能性を調査することだった。
当初、その活動はきわめて堅実なものだった。
日本列島の海岸線を区分し、各地域について、
水深。
港湾能力。
道路。
鉄道。
発電施設。
石油貯蔵所。
造船所。
人口。
周辺の軍事施設。
これらを一つずつ照合する。
日本国内で市販されている道路地図、観光地図、海図、産業案内、歴史書までもが収集された。
日本では、民間人向けの資料に驚くほど多くの情報が記されていた。
港の水深。
橋の高さ。
トンネルの長さ。
発電所の位置。
工業団地の規模。
フェリーの航路。
大型船を建造できる造船所。
旧軍施設の遺構。
帝国ならば軍事上の理由から秘匿される情報の多くが、書店や観光案内所で容易に入手できた。
調査班の将校たちは当初、その開放性を日本側の不用心と見なした。
しかし鈴鹿の例があった。
公開されている情報だけでは、何が重要で、何が意図的に欠落しているのか分からない。
そのため調査班は、地図に記されたものだけでなく、記されていないものにも注意を払うようになった。
最初の成果は、旧軍施設の再整理だった。
日本各地には、過去の戦争で使用された砲台、弾薬庫、通信所、観測所、地下壕が数多く残っていた。
その大半は廃止されている。
砲は撤去され、建物は崩れ、民間へ払い下げられ、公園や史跡になっていた。
だが調査班の一部は、そこに別の価値を見いだした。
砲がなくとも、土地は残っている。
地下室が崩れていても、岩盤そのものは残っている。
軍用道路が観光道路へ変わっていても、車両は通れる。
電力と水道が引かれ、駐車場が造られ、管理施設まで設けられている場所もある。
ある若い分析官が、東京湾周辺の旧砲台跡を調べた報告書に、次の一文を書いた。
『当該施設は現在、観光地として使用されているが、有事における観測所、通信所、または臨時砲兵陣地として再利用可能と考えられる』
それ自体は、さほど大胆な指摘ではなかった。
過去に軍事施設だった場所を、再び軍事目的へ利用する。
どの国でもあり得る発想である。
しかし同じような報告が、日本各地から届き始めた。
瀬戸内海の島に残る砲台跡。
九州西岸の地下壕。
紀伊半島の旧監視所。
三陸沿岸のコンクリート施設。
北海道に残る軍用道路。
東京湾の海堡。
対馬海峡を見下ろす高台。
それらの多くは、現在では公園、倉庫、展望台、資料館、あるいは立入禁止の廃墟となっていた。
だが軍事利用できるかと問われれば、できないとは言い切れない。
調査班の地図には、次々と印が増えていった。
最初は確認済み旧軍施設を示す黒印。
次に、軍事転用可能地点を示す青印。
さらに、地下構造が不明な施設を示す黄色印。
数か月もしないうちに、日本列島の沿岸は無数の印で覆われた。
その地図を見た情報部の一人が、冗談めかして言った。
「これでは列島全体が一つの要塞だ」
その言葉を、別の将校が報告書の見出しに使った。
『日本列島要塞化の可能性について』
後に「列島要塞説」と呼ばれる考えの始まりだった。
一 当初の列島要塞説
初期の列島要塞説は、荒唐無稽なものではなかった。
その内容は、おおむね次の通りである。
日本は四方を海に囲まれた島国であり、海上からの攻撃に備えて国家インフラを整備している。
多数の港湾と造船所は、平時には民間経済を支えているが、有事には艦艇修理、兵員輸送、補給に転用できる。
道路と鉄道は沿岸部と内陸を結び、軍事部隊を短時間で移動させられる。
旧軍施設の一部は、完全には破壊されず、再利用可能な状態で残されている。
自衛隊の規模は小さくとも、民間工業力と交通網を組み合わせれば、列島全体で侵攻へ抵抗できる。
つまり、日本は巨大な固定要塞を持つのではない。
港、道路、工場、空港、山地を組み合わせ、必要に応じて軍事利用する分散型の防衛国家である。
この程度であれば、カイザルも否定しなかった。
報告を受けた会議で、彼は日本列島の地形図を眺めながら言った。
「島国が沿岸防衛を重視するのは当然だ」
情報部長がうなずく。
「列島全体の民間設備が、軍事動員の基盤となる可能性があります」
「その表現なら問題ない」
カイザルは地図に増えた青印を見た。
「だが、軍事利用できることと、軍事利用するために造られたことは違う」
会議室には、対日調査班の代表者たちも出席していた。
一人が報告する。
「東京湾周辺だけでも、旧砲台、海堡、地下施設が多数残っています。現在も構造物の一部は健在です」
「砲はあるのか」
「確認されておりません」
「弾薬庫は」
「空です」
「守備隊は」
「存在しません」
カイザルは淡々と答えた。
「ならば現時点では廃墟だ」
「しかし有事には――」
「再利用できるかもしれない。そこまでは認める」
カイザルは報告書を閉じた。
「だが、“利用可能”を“現役”と書き換えるな」
調査班の将校は口を閉じた。
ミレケネスは、机の端で地図を眺めていた。
「でも、完全に無意味な遺構とも言えないでしょう?」
「否定はしていない」
カイザルが答える。
「日本が一週間で東京湾要塞を復活させるような書き方をするなと言っている」
「一週間では無理でしょうね」
ミレケネスは地図上の旧砲台を指した。
「でも観測所や通信中継点なら、もっと短期間で使えるかもしれない」
「それはあり得る」
「小部隊の待機所。沿岸監視。臨時指揮所。弾薬の一時保管」
「だから用途を分けて評価しろ」
カイザルは調査班へ向き直った。
「巨大砲を据え付けられる可能性と、通信員が二十人入れる可能性を、同じ“要塞化”という言葉で扱うな」
この時点では、列島要塞説はまだ軍事的な転用能力を論じる仮説にすぎなかった。
問題は、調査が進むにつれて発見される「説明しにくい施設」が増えていったことである。
二 見つかりすぎる痕跡
日本国内を調査する帝国の情報員たちは、観光や商業視察を装い、各地を巡った。
彼らが訪れたのは軍港だけではない。
工業地帯。
旧鉱山。
水力発電所。
漁港。
採石場。
廃線跡。
山間部のトンネル。
観光公園。
海岸沿いの倉庫。
その中には、確かに不審に見える場所もあった。
山腹に開いた、用途不明の巨大なコンクリート坑口。
海へ向けて広がる、幅の広い道路。
大型車両が旋回できる平地。
閉鎖された旧工場。
地下階が地図に記されていない建物。
異常に頑丈な防潮堤。
外部から内部を見通せない入り江。
だが、その多くには普通の説明があった。
採石場の搬出口。
津波避難施設。
発電所の取水口。
道路工事用のトンネル。
冷戦期に造られた通信所。
民間企業の倉庫。
防災用の地下貯水槽。
しかし、普通の説明があることは、軍事利用できないことを意味しない。
この区別が、調査班の中で次第に曖昧になっていった。
ある報告では、海岸沿いの廃工場について、
『大型車両の収容および修理に適する』
と記された。
別の報告では、山中の旧鉱山が、
『地下弾薬庫として転用可能』
と評価された。
さらに別の報告では、海を見下ろす観光公園が、
『沿岸監視所および砲兵観測所として有用』
とされた。
いずれも「転用可能」と書かれている。
だが、それらを一覧表へまとめると、日本各地に軍事施設が無数に存在するように見えた。
帝国情報部の中で、解釈が二つに分かれ始めた。
一方は、カイザルに近い慎重派である。
彼らは、民間施設の軍事転用はどの国家でも可能であり、それだけで秘密基地の存在を示すものではないと主張した。
もう一方は、列島要塞派と呼ばれ始めた分析官たちだった。
彼らは、日本の民間施設そのものが、最初から有事の転用を計算して配置されている可能性を指摘した。
「偶然にしては、条件が揃いすぎている」
彼らはそう主張した。
沿岸公園には広い駐車場がある。
高台には海を見渡せる展望台がある。
公園へ通じる道路は大型車両が通れる。
管理棟には電気、水道、通信設備がある。
港湾には大型クレーンと倉庫がある。
道路沿いには防災拠点がある。
島国として災害に備えた結果だと日本側は説明する。
列島要塞派は、そこに別の意味を見いだした。
「防災施設と軍事施設は、必要な機能が似ている」
この指摘自体は正しかった。
水。
電気。
通信。
備蓄。
強固な建物。
車両が進入できる空間。
災害時に必要な設備は、戦時にも役立つ。
だが一部の分析官は、そこからさらに踏み込んだ。
日本が自然災害へ備えているのではなく、災害対策を名目として軍事拠点を全国に整備しているのではないか。
そんな疑念が生まれ始めた。
三 慎重派の警告
再び開かれた海軍会議で、列島要塞派は新たな地図を提出した。
日本列島の沿岸に、赤、青、黄の印が無数に並んでいる。
カイザルは地図を一目見るなり、眉をひそめた。
「赤印は何だ」
「確認済みの軍事施設です」
「青は」
「軍事転用が容易な民間施設」
「黄色は」
「用途不明、または地下構造の全容を確認できない施設です」
カイザルは黄色印の多さを見た。
「用途が分からないものを、なぜ軍事地図へ載せる」
「秘密施設である可能性を排除できないためです」
「可能性だけで地図を埋めるな」
「しかし鈴鹿も、当初は用途不明の産業遺構でした」
その一言で、会議室が静まった。
鈴鹿は列島要塞派にとって、あらゆる疑念を支える切り札になっていた。
用途不明の巨大施設。
地元では秘密戦艦の伝説。
公式記録の欠落。
そして実際に存在した紀伊型。
鈴鹿の例がある限り、「そんなことはあり得ない」という反論は弱くなる。
カイザルは地図から目を上げた。
「鈴鹿は実物のドック跡、運河跡、工場配置、紀伊型の存在が一致した」
黄色印の一つを指す。
「この山は何だ」
「海岸近くに大規模なトンネル網があります」
「用途は」
「道路および治水施設とされています」
「戦艦が入れるのか」
「確認されておりません」
「海へ通じているのか」
「不明です」
「ならば、現時点で鈴鹿と同列に置くな」
列島要塞派の分析官は不満そうだったが、反論はしなかった。
カイザルは全員へ言い聞かせるように続けた。
「情報がないことと、秘密があることは同じではない」
ミレケネスも、この段階ではカイザルに同意した。
「黄色印が多すぎるわね」
彼女は地図を見ながら言った。
「これでは、日本人自身も知らない秘密基地が国中にあることになる」
「実際、旧軍施設の一部は記録が失われています」
情報将校が答える。
「それは分かる。でも旧倉庫と地下戦艦基地を同じ記号で表すのは感心しないわ」
「分類を細分化いたします」
「そうして」
ミレケネスは一枚の報告書を取り上げた。
「それと、“民間施設を装った軍事施設”という表現も控えた方がいい」
「理由をお聞かせください」
「民間施設が有事に軍事利用できることと、軍事施設を民間施設に偽装していることは別だからよ」
その区別は重要だった。
だが列島要塞派の一部は、すでに両者を同じものとして扱い始めていた。
四 自走砲と公園
列島要塞説が大きく広がるきっかけになったのは、日本陸上自衛隊の自走榴弾砲だった。
帝国の情報員は、演習場付近で撮影された自走砲の映像を入手した。
大口径砲を搭載し、履帯または車輪で移動する装甲車両。
射撃後、短時間で陣地を離れる。
帝国にも似た兵器はある。
当初は通常の野戦砲兵と評価された。
しかし一人の分析官が、沿岸公園の候補地図と自走砲の行動半径を重ねた。
日本の主要道路を使えば、多くの公園、高台、港湾へ短時間で展開できる。
彼は報告書に書いた。
『日本国自走榴弾砲は、本来の陸上戦闘任務に加え、海峡、湾口、揚陸地点に対する臨時沿岸砲として運用可能と判断される』
これも、軍事的には完全に間違った指摘ではなかった。
狭い海峡や上陸地点に対し、自走砲が射撃を行うことは可能である。
だが列島要塞派は、そこから別の結論へ進んだ。
日本が固定式の沿岸砲をほとんど持たないのは、自走砲を沿岸砲として運用するからではないか。
公園や高台に固定砲座がないのは、必要な時だけ自走砲を運び込むからではないか。
列島要塞説の地図は、さらに複雑になった。
海岸を見下ろせる公園。
大型車両が入れる駐車場。
複数の道路へ接続する高台。
港湾を射程に収められる運動場。
それらが「機動砲兵展開可能地点」として記録された。
カイザルは新しい報告書を読んで、深く息を吐いた。
「今度は公園か」
「自走砲の展開地点として利用可能です」
「利用可能なのは認める」
カイザルは写真を机へ置いた。
桜並木。
遊具。
展望台。
売店。
駐車場。
「だが、ここに砲兵中隊が配備されているわけではない」
「有事には――」
「その言葉で何でも軍事施設にするな」
ミレケネスは隣で写真を眺めていた。
「道路の幅は十分ね」
カイザルが彼女を見る。
「余計なことを言うな」
「事実を言っただけよ」
「調査班が喜ぶ」
列島要塞派の将校は、実際に少し表情を明るくしていた。
ミレケネスは咳払いした。
「自走砲を沿岸防衛へ使う可能性はある。でも、すべての公園を予定陣地と考えるのは行きすぎよ」
「予定陣地ではなく、使用可能地点です」
「その区別を、報告書を読む全員が理解すると思う?」
将校は答えなかった。
五 消えた保有数
自走砲の問題は、保有数の議論へ発展した。
日本側が公表する自走砲の数は、帝国の基準では驚くほど少なかった。
日本は大規模な自動車工業を持つ。
戦車や自走砲を製造できる工場もある。
それほどの工業力を持ちながら、保有する砲兵車両が限られている。
列島要塞派は、そこに不自然さを感じた。
「生産できるのに、なぜ作らない」
日本側の答えは、予算、人員、国防方針、法律上の制約だった。
だが帝国人には理解しにくい。
作れる兵器を作らない。
戦艦を博物館にする。
空母を空母と呼ばない。
軍隊を自衛隊と呼ぶ。
これまでに得た情報が、日本側の説明への不信を強めていた。
ある分析官が主張した。
「公表数は現役部隊のみを示しているのではないか。予備車両、分解保管車両、工場内の未完成車両は含まれていない可能性がある」
「証拠は?」
「ありません」
「では仮説だ」
「しかし紀伊型も、公表上は戦力ではありませんでした」
再び紀伊型が持ち出された。
巨大な戦艦を戦力外として扱いながら、必要になれば復活させる国。
それなら自走砲も同じではないか。
退役車両を保存している。
部品を分散保管している。
民間工場が短期間で軍需生産へ移行できる。
公表数を大幅に上回る予備兵器がある。
根拠の薄い仮説だった。
しかし、完全に否定する証拠もなかった。
調査班の内部資料では、次第に複数の数字が並ぶようになった。
確認済み保有数。
日本側公表数。
生産能力から見た最大保有可能数。
予備役を含む推定数。
戦時急造を含む潜在数。
一番大きな数字だけを見れば、日本は数千両の自走砲を動員できることになった。
もちろん、その数字は工場が数年間、最大能力で軍需生産へ集中した場合の理論値に近い。
だが報告書の要約部分では、条件が省略されることがあった。
『日本は数千両規模の自走砲を動員可能』
この一文だけが、情報部内を歩き回り始めた。
六 仮説の増殖
列島要塞説は、旧軍施設と自走砲だけにとどまらなかった。
海岸沿いの無人のコンクリート建物は、予備司令部と疑われた。
観光用の展望台は、沿岸観測所へ転用可能とされた。
防災用の地下倉庫は、弾薬庫として評価された。
大規模な石油備蓄基地は、秘密艦隊の燃料庫ではないかと疑われた。
フェリー埠頭は、軍用輸送船の乗降施設として記録された。
民間造船所の大型ドックは、空母建造能力を持つとされた。
地下鉄や道路トンネルは、兵員と物資を安全に移動させる軍用網として分析された。
すべてに、ある程度の合理性があった。
民間施設を有事に使うことは可能である。
地下施設は爆撃から守られる。
フェリーは軍用輸送にも利用できる。
造船所は軍艦修理に転用できる。
だが一つ一つの「可能」を重ねるうち、日本列島は次第に異様な姿へ変わっていった。
地図上では、民間港も漁港も軍港候補。
公園も運動場も砲兵陣地候補。
廃墟も観光地も指揮所候補。
山も崖も地下施設候補。
列島要塞派の一部は、固定観念を持つようになった。
日本側の説明には、必ず裏がある。
軍事施設に見えない場所ほど、優れた偽装が施されている。
何も見つからない場所ほど、秘匿に成功している。
慎重派の将校が、
「調査したが軍事施設は確認されなかった」
と報告すると、列島要塞派は、
「確認できないよう造られている可能性がある」
と返した。
「地下構造はなかった」と報告されれば、
「地下入口を別地点に置いているのだ」
と言う。
「大型艦が出入りできる水路はない」と指摘されれば、
「有事に崖を爆破して開口する方式かもしれない」
という新たな仮説が生まれた。
最初にその説を口にした将校は、冗談のつもりだった。
海岸まで山が迫り、水深が十分にある場所の航空写真を見て、
「入口が見えないなら、開戦時に崖を吹き飛ばすのかもしれないな」
と笑った。
だが数日後、その発言は会議記録に、
『戦時発破による開口方式を採用した地下泊地の可能性』
と記されていた。
冗談は仮説になった。
仮説は調査項目になった。
調査項目になれば、専門の分析官が付く。
分析官は、日本の採掘技術、爆破技術、トンネル建設能力を調べた。
結果は、
『技術的には実現可能』
だった。
その一文が、仮説へ新たな生命を与えた。
七 カイザルの苛立ち
列島要塞説に関する第三回会議で、カイザルは資料の山を前にしていた。
日本各地の航空写真。
地形図。
地下施設の推定図。
公園の駐車場面積。
自走砲の射程円。
旧要塞の復元図。
崖内部に描かれた架空の地下軍港。
最後の図を見た瞬間、カイザルの手が止まった。
「これは何だ」
情報将校が答える。
「地下泊地の推定構造です」
「発見されたのか」
「いえ。想定図です」
「何を基にした」
「鈴鹿工廠の構造、日本の地下工事技術、沿岸の水深、山体規模を基に――」
「つまり、存在する証拠はないのだな」
「現段階では」
カイザルは図面を机へ置いた。
「ならば、戦艦を描くな」
想定図には、山の内部に大型戦艦が三隻並んでいた。
「規模を示すためです」
「見る者は実在すると思う」
「注記を付けております」
「注記より戦艦の絵の方が大きい」
会議室に沈黙が落ちた。
カイザルは地図を見渡した。
「我々は日本を調べているのか」
誰も答えない。
「それとも、自分たちが考えた日本を調べているのか」
列島要塞派の主任分析官が口を開いた。
「大将閣下。鈴鹿の前例を考えれば、通常の尺度では発見できない施設を想定する必要があります」
「必要はある」
カイザルは認めた。
「だが、想定したものを発見したことにするな」
「そのような意図はありません」
「ならば、事実、蓋然性、可能性、空想を分けろ」
カイザルは四本の指を立てた。
「鈴鹿海軍工廠。事実に近い」
一本目。
「旧砲台の再利用。蓋然性あり」
二本目。
「自走砲の沿岸転用。可能性あり」
三本目。
「崖を爆破して戦艦が出てくる地下艦隊。証拠なし」
四本目。
「この四つを同じ地図へ同じ大きさで載せるな」
ミレケネスは隣で腕を組んでいた。
「分類方法は必要ね」
「お前まで他人事のように言うな」
カイザルが答える。
「最初に地図へ印をつけたのはお前だ」
「調査候補を絞っただけよ」
「今では公園の便所まで軍事施設扱いだ」
「それは私の指示ではないわ」
列島要塞派の資料には、沿岸公園の管理棟について、
『臨時通信所、衛生所、または小規模指揮所として利用可能』
と記されていた。
ミレケネスは報告書をめくり、わずかに顔をしかめた。
「確かに少し広げすぎね」
「少しか?」
「でも完全に間違いとも言えないでしょう」
カイザルは彼女を睨んだ。
「それを言うから止まらんのだ」
八 ミレケネスの立場
ミレケネスは列島要塞説を全面的に信じていたわけではない。
全国の崖に戦艦が隠れているとは考えていない。
公園がすべて砲兵陣地になるとも思っていない。
だが彼女は、列島要塞派の着眼点そのものには価値があると見ていた。
日本の強みは、軍艦や兵士の数だけではない。
民間工業。
道路。
港。
通信網。
防災設備。
予備役。
退役者。
これらを組み合わせ、有事に戦力へ変換する能力。
帝国の軍人は、常備軍の規模だけで国家の軍事力を測りがちだった。
しかし紀伊型は、その尺度が日本には通じない可能性を示していた。
ミレケネスは会議後、カイザルと二人で残った。
「調査班を止めるつもり?」
「止めはしない」
カイザルは地図をたたんだ。
「だが、報告書の質は下がっている」
「疑い始めた者は、何にでも意味を見つけるものよ」
「分かっているなら抑えろ」
「抑えすぎれば、本物も見落とす」
「鈴鹿のような本物は、寸法も水路も工場も一致していた」
カイザルは崖の地下軍港想定図を指した。
「これは水深しか一致していない」
「だから優先度を下げればいい」
「削除しろとは言っていない」
カイザルは椅子へ座った。
「問題は、この説が情報部内で人気を得始めたことだ」
「人気?」
「日本のあらゆる行動を、一つの理屈で説明できるからだ」
戦艦を博物館にした。
秘匿保存である。
軍隊を自衛隊と呼ぶ。
軍事偽装である。
公園を整備する。
臨時砲台である。
防災倉庫を造る。
弾薬庫である。
軍艦が見つからない。
地下にいる。
「便利すぎる説は危険だ」
カイザルは言った。
「何が起きても正しいことになる」
ミレケネスは、しばらく地図を見ていた。
「でも、日本列島そのものが防衛に向いた地形なのは事実よ」
「それは認める」
「港も道路も、戦時には使える」
「認める」
「旧軍施設も残っている」
「それも認める」
「なら列島要塞説の中心は間違っていない」
カイザルは首を振った。
「中心が正しいからといって、枝まで正しくなるわけではない」
ミレケネスは小さく笑った。
「あなたらしい答えね」
「お前は違うのか」
「私は枝の中に、本物が一本くらい混じっていると思っている」
彼女は鈴鹿の写真を取り上げた。
「これが、その前例でしょう?」
カイザルは答えなかった。
九 情報部内の流行
やがて「列島要塞」という言葉は、正式報告書の外でも使われるようになった。
若い情報将校は、対日分析の講義でその言葉を使った。
技術士官は、日本のトンネル工事を説明する際に列島要塞説へ触れた。
海軍大学校の学生は、卒業論文の題材に選んだ。
軍事雑誌の編集者も、情報部の噂を聞きつけた。
まだ機密指定が厳しく、具体的な内容は公表されなかった。
それでも海軍内部では、
「日本の戦艦は山の中にいる」
「公園が砲台になる」
「民間造船所は全部予備軍港だ」
といった話が広まり始めた。
最初は冗談だった。
だが、冗談を聞いた者が別の者へ話す時、鈴鹿の事実が付け加えられた。
「笑うな。日本は本当に内陸で戦艦を造ったんだ」
その一言で、冗談は真実味を持った。
やがて話は少しずつ変わった。
鈴鹿で二隻の戦艦が極秘建造された。
それが、
鈴鹿には今も秘密ドックが残っている。
さらに、
日本各地に同じ施設がある。
最後には、
日本は数十隻の戦艦を地下へ隠している。
誰が最初に言ったのかは分からない。
正式な報告書には、そんな記述はない。
しかし噂は、正式文書より速く広がった。
調査班が慎重な表現を使えば使うほど、
「公表できないほど確度が高い」
と解釈する者まで現れた。
列島要塞説は、まだ帝王府には届いていなかった。
海軍省と情報部の内部で、半ば専門家の議論として扱われている。
カイザルもミレケネスも、それを管理できる範囲にあると考えていた。
だが、調査は続いていた。
調べれば調べるほど、日本には軍事転用できる施設が見つかる。
それは当然だった。
人口の多い工業国であり、災害対策の進んだ島国なのだから、港も道路も地下施設も多い。
しかし列島要塞派にとって、施設が見つかることは説の正しさを示していた。
施設が見つからないことも、秘匿の成功を示していた。
仮説は、ゆっくりと反証を受けつけなくなりつつあった。
ある夜、対日調査班の執務室で、若い分析官が新しい航空写真を机へ広げた。
海に面した断崖。
その背後にある山地。
沿岸には大型艦が接近できる水深がある。
入口らしい構造物はない。
分析官は写真へ赤い線を引いた。
山体内部に仮想ドック。
地下鉄道。
発電所。
弾薬庫。
外海へ向けた出口。
隣の将校が尋ねた。
「何か見つかったのか」
「まだ何も」
「では、なぜ図を描く」
分析官は崖を指した。
「条件が揃っている」
「入口がない」
「戦時に開くのかもしれない」
「どうやって」
「爆破だ」
隣の将校は笑った。
「崖を吹き飛ばして、戦艦が出てくるのか」
分析官も笑った。
「日本なら、やりかねない」
その場では、二人とも冗談のつもりだった。
だが翌朝、その航空写真は、
『戦時開口型地下泊地候補』
と記された資料の一部として、上官の机へ置かれていた。
列島要塞説は、すでに誰か一人の意思で止められるものではなくなり始めていた。