紀伊型戦艦現存IF 作:戦艦オワタ
グラ・バルカス帝国で膨らんだ列島要塞説が、日本国内へ届くまで、それほど時間はかからなかった。
最初に流れたのは、帝国海軍の正式資料ではない。
第三国を経由して持ち込まれた軍事雑誌の翻訳画像だった。
巨大な日本列島。
山々から突き出す戦艦砲塔。
富士山の地下から発進する航空母艦。
東京湾を塞ぐ機雷原。
桜の咲く公園へ展開した自走榴弾砲。
そして紀伊半島の断崖を爆破し、煙の中から出撃する架空の超大型戦艦。
表紙の題字には、大仰な書体でこう書かれていた。
『仮面の平和国家――日本列島要塞の全貌』
最初に画像を掲載したのは、海外情報を扱う小規模な軍事系ウェブサイトだった。
記事には、グラ・バルカス帝国皇太子カバルが列島要塞説を強く支持していること、日本には未確認戦艦艦隊が存在すると主張していること、自走榴弾砲を秘密の移動式沿岸砲として評価していることなどが書かれていた。
公開から数時間もしないうちに、記事は通信網の各所へ転載された。
見出しだけを読んだ者が拡散し、画像を見た者が加工し、軍事愛好家たちが帝国側の推論を分析し始めた。
当初は、驚きよりも困惑の方が大きかった。
『地下戦艦ってどうやって換気するんだ』
『富士山から空母出したら噴火するだろ』
『海岸公園に自走砲を置くのは、まあ物理的にはできる』
『できるのと、やる予定があるのは別だろ』
『帝国情報部、軍事転用可能という言葉を覚えてしまったばかりに日本中が基地になっている』
やがて、列島要塞説は半ば冗談として消費されるようになった。
日本各地の観光地を、帝国側の視点で軍事評価する遊びが流行したのである。
海を見下ろす展望台の写真には、
『砲兵観測所。観光用望遠鏡は測距儀を偽装したものと推定』
と注釈が加えられた。
海浜公園の駐車場には、
『自走沿岸砲八両、弾薬車十六両を収容可能』
という架空の評価表が貼られた。
長い道路トンネルには、
『地下機甲師団の待機壕』
港湾の防災倉庫には、
『予備艦隊用四十一センチ砲弾庫』
古い採石場には、
『戦時発破式地下空母基地候補』
という説明が付けられた。
特に人気を集めたのは、断崖から戦艦が出てくる帝国雑誌の想像図だった。
日本人の手で何度も加工され、崖から出る艦が紀伊型から大和型へ、さらに宇宙戦艦や怪獣へと置き換えられた。
『本日の地下艦隊出勤風景』
『雨天のため出撃口の発破を延期』
『艦長、出口を一メートル間違える』
そうした投稿が並び、列島要塞説という言葉自体が、いつしか大げさな軍事陰謀論を指す冗談として使われ始めていた。
しかし、防衛省と外務省は笑っていなかった。
日本の民間施設が敵国の攻撃目標にされる可能性がある以上、単なる外国の珍説では済まされない。
情報本部は帝国内で流通する雑誌、講義資料、皇太子府の要約文書を収集し、どの主張が海軍の正式評価で、どこからが皇太子周辺の誇張なのかを分析していた。
その一方で、現場の自衛官や技術者の間では、どうしても笑い話になってしまう。
呉の造船所も例外ではなかった。
昼休み。
呉造船所の一角にある休憩室で、東は携帯端末の画面を部下たちへ向けていた。
画面には、例の帝国軍事雑誌の表紙が映っている。
日本列島の山々から砲塔が生え、富士山の裾野から空母が発進していた。
「よくできているだろう」
東が言った。
「何がです?」
若い設計技師が、紙コップの茶を持ったまま画面を覗き込む。
「この秘密基地の配置だ。北海道から九州まで満遍なく置いてある。地域格差への配慮が行き届いている」
「四国にも戦艦くださいよ」
別の技師が言った。
「四国は山岳ミサイル基地らしい」
「また山ですか」
「帝国の連中は、日本人が山の中なら何でも隠せると思っているらしい」
笑いが起きた。
東は画面を横へ滑らせ、別の記事を表示した。
そこには、呉市周辺を分析した帝国側の地図が載っていた。
呉港。
海上自衛隊基地。
造船所。
島々。
そして市街地の東側にそびえる休山。
山体内部には、赤い点線で巨大な空洞が描かれている。
『呉地区地下潜水艦泊地推定図』
「うちにも地下基地があるそうだ」
東は言った。
「休山を丸ごとくり抜いて、東西に出入口を造る。内部には潜水艦十二隻、弾薬庫、修理工場、司令部、燃料庫」
「豪華ですね」
「食堂も欲しいですね」
「風呂は?」
「帝国の想定図によれば地下温泉付きだ」
再び笑いが起きた。
設計技師の一人が、画面を拡大する。
「この入口、場所はどの辺です?」
「西側は港町付近、東側は広の製鉄所跡地へ出るらしい」
「へえ」
「何だ」
「いえ」
その技師は少し考えるような顔をした。
東はそれに気づいた。
「どうした」
「その話、完全に荒唐無稽というわけでもないかもしれません」
休憩室の笑いが止まった。
東は端末を持ったまま、技師を見た。
「何がだ」
「休山の地下ドックです」
「帝国人になったのか、お前は」
「違いますよ」
技師は周囲を気にするように声を少し落とした。
「広の製鉄所跡地を、防衛省が再利用する計画が進んでいるじゃないですか」
「ああ」
旧製鉄所の広大な跡地を、防衛関連施設、艦艇整備、物資備蓄などに活用する計画は、造船所関係者の間でも知られていた。
まだ詳細がすべて確定したわけではない。
それでも、呉地区の防衛・造修能力を拡張する大規模事業になると見られている。
「それと休山が、どうつながる」
「呉市側から出ている将来構想の一つに、休山を東西に貫通させる案があるらしいです」
東の眉が動いた。
「道路か」
「それだけじゃありません」
技師は端末の地図を指した。
休山の西には呉港。
東には広地区と製鉄所跡地。
「西側の海自基地と、東側の新しい防衛施設を山中の地下交通路で直接結ぶ。地上道路が寸断されても、人員や資材を移動できるようにする構想です」
「防災用の連絡路だろう」
「基本はそうです。ただ、市の提案資料には、もっと大規模な利用案も含まれているとか」
「もっと大規模?」
「山中に艦艇用の地下区画を造る」
東は数秒、何も言わなかった。
休憩室にいたほかの者たちも、冗談を挟まなかった。
技師は続けた。
「休山の西側を呉港、東側を広地区へ接続する。山体内部に地下ドックと整備区画を設けて、潜水艦を収容する構想だそうです」
「誰から聞いた」
「市の港湾再開発に関わっている土木会社の人です。決定事項じゃありませんよ。市側が将来案の一つとして防衛省へ提案している段階らしいです」
「規模は」
「まだ概念設計です。通常動力型潜水艦数隻を、空襲や艦砲射撃から守れる程度の地下泊地。広地区から資材を搬入し、呉側から出入りさせる案だとか」
東は手元の端末へ目を落とした。
帝国側の想定図。
休山を東西に貫く巨大トンネル。
山中に並ぶ潜水艦。
修理設備。
弾薬庫。
出入口は呉港と広地区。
細部は大げさだった。
収容隻数も過大。
弾薬庫や地下司令部など、帝国人の想像が加えられた部分も多い。
だが、位置と基本構造は、今聞いた日本側の構想と驚くほど似ていた。
「いつから、その案がある」
「転移前から防災と交通の観点で休山を貫く話はあったそうです。防衛省が製鉄所跡地を使うことになって、軍事利用まで含む構想に発展したとか」
「地下ドックまで?」
「市としては、大きい案を出しておいて、そこから現実的なところへ削られるのを見越しているんじゃないですか」
「地方自治体が、国に地下潜水艦基地を提案しているのか」
「呉ですから」
その一言に、別の部下が妙に納得した顔でうなずいた。
「呉なら、まあ」
「納得するな」
東は反射的に言った。
だが、自分でも声に力がなかった。
彼は画面を拡大した。
帝国側の図面には、山体内部を東西に貫く主坑道と、そこから分岐する地下ドックが描かれている。
呉港側の出入口は、周辺地形を多少誤っている。
広側の開口位置も、実際の製鉄所跡地とは少しずれている。
しかし、帝国が限られた公開資料から推定したものとしては、気味が悪いほど近かった。
「いや、待て」
東は自分へ言い聞かせるように口を開いた。
「向こうが日本中の山に地下基地を描いた。そのうち一か所が、偶然こちらの構想と重なっただけだ」
「その可能性は高いと思います」
技師は素直に認めた。
「では問題ない」
「ただ」
「まだあるのか」
「紀伊型の秘密建造施設も、最初は地元の噂だったんですよね」
東は黙った。
休憩室の隅にある窓からは、呉港の一部が見えていた。
クレーン。
建造棟。
整備中の艦艇。
さらにその向こうには、街を挟んで休山の稜線が立ち上がっている。
あの山を東西からくり抜く。
内部に巨大な空洞を造る。
港へ通じる水路を掘る。
潜水艦を収容する。
現代日本の土木技術なら、予算と時間さえあれば不可能ではない。
問題は、それを実際に行うかどうかだけだった。
グラ・バルカス帝国の列島要塞派も、同じ理屈を使っていた。
技術的に可能。
地形条件が一致。
将来の軍事利用に有効。
ならば、すでに存在するかもしれない。
東はそれを笑っていた。
だが日本側でも、まだ存在しない地下基地を、地方自治体が本気で提案している。
帝国側の妄想が、日本側の将来計画に追いつきかけていた。
「嘘から出た実、か」
東が呟いた。
部下の一人が笑う。
「建設が決まったら、帝国情報部は大喜びですね」
「自分たちの分析が正しかった、と」
「次は地下戦艦も造らないと」
「造るな」
「紀伊型なら入りますかね」
「入る坑道を掘るだけで国家予算が飛ぶ」
「でも帝国側は、もうあると思っているんですよね」
東は端末を伏せた。
「この話はここまでだ」
「秘密ですか?」
「まだ正式でもない構想を、お前たちが通信網へ書き込んだら、本当に列島要塞説の証拠にされる」
部下たちの表情が、少しだけ真面目になった。
「誰かが書いたら、どうなります?」
「帝国の次号に載る」
東は即答した。
「『日本国内の情報提供者が地下ドックの存在を確認』とな」
「構想段階なのに」
「向こうにとっては、“建設を計画している”と“すでに秘密裏に建設した”の差など、もう大した問題ではないらしい」
窓の外で、汽笛が鳴った。
東は椅子から立ち上がり、休憩室の時計を見た。
「時間だ。作業へ戻れ」
部下たちが紙コップを片づけ、順に部屋を出ていく。
最後に残った設計技師が、もう一度休山を見た。
「本当に造るんですかね、地下ドック」
東は答えなかった。
造船技師としてなら、興味はある。
防衛上の意義も理解できる。
航空攻撃から潜水艦を守り、東西の造修施設を地下で結び、災害時にも機能を維持する。
合理性はあった。
同時に、そんなものが完成すれば、列島要塞説を笑うことは二度とできなくなる。
「少なくとも」
東は歩き出しながら言った。
「休山の崖を爆破して戦艦を出す案だけは、やめてもらいたいな」
それから数日後。
呉港には、朝早くから多数の関係者が集まっていた。
先進十一カ国会議の開催日が近づいている。
列強諸国の首脳、外交官、軍関係者が集う大規模な国際会議。
日本政府は代表団を送り、各国との安全保障、通商、グラ・バルカス帝国への対応について協議する予定だった。
代表団を乗せる船舶と、その護衛部隊が呉から出港する。
港の中央には、二隻の軍艦が並んでいた。
一隻は、イージス護衛艦《ちょうかい》。
灰色の船体。
平面状のレーダーを備えた艦橋。
多数の誘導弾を収める垂直発射装置。
日本海上防衛の中核を担う、現代の護衛艦。
その隣に浮かぶのは、あまりにも異質な巨艦だった。
大型護衛艦《きい》。
九十年以上前に建造され、戦後を生き延び、記念艦となり、新世界で再び軍籍へ戻った紀伊型戦艦。
艦首から艦尾に並ぶ三基九門の四十一センチ砲。
低く長い装甲船体。
その上に追加された現代的なレーダー、通信装置、近接防御火器。
旧時代の戦艦と現代の電子戦艦艇が、一つの港に並んでいる。
遠くから見れば、《ちょうかい》の方が小さい。
しかし、その艦内に収められた戦闘能力を理解する者にとって、単純な大きさの比較に意味はなかった。
外交官たちは連絡艇を経由し、それぞれの配置についた。
《きい》は代表団の洋上指揮・宿泊機能を担い、《ちょうかい》は防空および周辺警戒を担当する。
ほかにも補給艦と複数の護衛艦が随伴する予定だった。
東は造船所の岸壁から、その光景を見ていた。
《きい》の艦上では出港準備が進んでいる。
係留索の近くに隊員が並び、艦橋では航海要員が忙しく動いていた。
主砲は艦首尾線へ向けられたまま、静かに伏せられている。
その巨体の背景には休山があった。
山の内部には、今はまだ何もない。
少なくとも、東の知る限りでは。
だが将来、本当に地下連絡路が掘られるかもしれない。
潜水艦用の地下ドックが造られるかもしれない。
グラ・バルカス帝国が想像した列島要塞に、日本の方から少しずつ近づいていく可能性さえある。
東は苦笑した。
「笑えなくなってきたな」
隣にいた部下が尋ねる。
「何がです?」
「何でもない」
港内放送が流れた。
出港時刻が近い。
《ちょうかい》から先に係留索が外された。
タグボートの助けを受け、艦首がゆっくりと港口へ向く。
続いて《きい》の巨体が動き始めた。
岸壁と艦をつないでいた最後の索が外される。
低い機関音。
わずかに立ち上る煙。
艦尾で翻る自衛艦旗。
九十年を超える鋼鉄の船体が、静かに岸壁を離れていった。
《ちょうかい》が先行し、その後を《きい》が追う。
現代の防空艦と、過去から蘇った戦艦。
二隻は呉湾を進み、島々の間を抜けていく。
その目的は戦争ではない。
各国との対話の場へ、日本の外交官を送り届けることだった。
だが水平線の向こうでは、その日本を、全国の山々に戦艦と砲台を隠す巨大要塞国家だと信じる者たちがいた。
《きい》の艦影は、やがて港口の向こうへ小さくなっていった。
休山の稜線だけが、何も語らず、その背後に残っていた。