聖女の仕事が無給で無休だったので【返品】しました ~召喚特典は世界救済ではなく、理不尽を送り主に叩き返す返品スキルでした~ 作:kuratn
お嬢さんは、フードの下に月色の髪を隠していた。仕立ては王都でも三本の指の工房のもの、所作は完璧、なのに目が泳いでいる。椅子を勧めると、座る前にスカートの裾を三回直した。緊張の作法まで完璧である。
「ご、ごきげんよう。わたくし、その、さる家の者ですけれど」
「はい。ご依頼ですか?」
「……あの、ね」
お嬢さんは店内を見回し、誰もいないのを確かめてから、意を決したように頭を下げた。月色の髪が、フードからこぼれ落ちる。号外の似顔絵で、王都中が知っている髪の色である。
「聖女の役目を——返品して、ほしいんです」
……なるほど。さる家の者、というのは本当らしい。目の前のお客様は、浄化の儀に失敗し続けている当代の聖女、セラフィナ様である。
「事情を伺います。まず——聖女のお役目は、ご自分で受けられたものですか?」
「宣誓式で、署名を。家のために、と言われて……祝詞の暗記が得意なだけで選ばれましたの。浄化なんて、できたことも、なくて」
なるほど、同情の余地はある。あるが――。
私は正直に言うしかなかった。嘘のつけない商売である。
「署名済みのものは、返品できません。ご自分で受領されたものは、私のスキルの対象外です」
「そん、な……」
お嬢さんの完璧な猫かぶりが、音を立てて崩れた。
「あたし、もう無理なんだって! 毎晩、儀式のたびに死ぬかと思うんだって……! 家のためって言うけど、あたしはお菓子屋になりたかったんだって……!」
敬語が剥がれて、下町の言葉が出てくる。堰を切った話は、痛々しかった。祝詞の暗記が得意だっただけで代役に選ばれたこと。儀式のたびに体中の力が抜けて、三日は起き上がれないこと。失敗のたびに、号外が「無能の聖女」と書き立てること。
聞けば、乳母が市場筋の出で、子どもの頃はこの辺りで焼き菓子を買い食いしていたそうだ。敬語より、こっちの言葉のほうがずっと生きている。
私は黙って、試作の焼き菓子を一枚、彼女の前に置く。セラフィナ様は一口かじって、ぼろっと泣いた。
「美味しい……これ、バターの匂いのやつ。乳母のと、同じ匂い」
「……そう?」
私は彼女の涙に胸がキュッとした。このバターの風味が分かるものはもう仲間である。
「落ち着いたら、続きです。——返品はできませんが、道がないわけではありません」
「えっ!?」
キラリと青い瞳が輝いた。
私は手帳を開き――新しいページに、論点を書く。『一、説明の内容。二、説明した人。三、証拠』。
「署名が『錯誤』……つまり、騙されてしたものなら、契約自体を無効にできる余地があります。署名のとき、お役目の中身を、どう説明されました?」
「『名誉なお勤め』としか。浄化が命がけだなんて、聞いたのは式の後で……」
「その説明をしたのは、どなたですか?」
「……大神官様。ゲオルク様が、直々に。『ただの儀礼だよ』って、笑って」
手帳のペンが、一瞬だけ止まった。額に金の印章を貼りつけた、あの作られた笑みを思い出す。……あの人は、笑いながら、子どもに命がけの署名をさせるのか。ふぅ……。
「では、それを証明する物を探しましょう。ご依頼、お受けします。着手金は——その焼き菓子に泣いてくれた涙で十分です」
「え。でも、泣いただけ……ですよ?」
「そのバターの風味で泣いた涙は特別なんです。受領済みのものは、返品できません」
セラフィナ様は目を丸くして、
帰り際、彼女は思い出したように振り返った。
「証拠なら、心当たりがあるかも。……大神官様の書庫の奥にね、変な帳簿があるの。誰にも触らせないの。『浄化受領記録』……とか、いう」
帳簿。
……嫌な予感のする言葉である。私の九年の経験上、「誰にも触らせない帳簿」には、触られると困ることが書いてある。
セラフィナ様を裏口から見送って、私は手帳の新しいページに書き付けた。『浄化受領記録。大神官の書庫。誰にも触らせない』。文字にすると、予感はいっそう嫌な形になる。
のれんを仕舞いに出ると、路地の向こうで、神官服の影がひとつ、音もなく離れていくのが見えた。
——見られている。
翌朝、私は二つの備えをした。一つ、台帳の魔法の写しを灯火亭の金庫へ。一つ、セラフィナ様との連絡は、ネリちゃんを通じて花の色を合図にすること(白は「異常なし」、赤は「緊急」)。
監視には監視の、書類には書類の備えである。
だが、まあいい。うちは、来る人を選ばない店である。来る理不尽も、選ばない。全部まとめて、送り主に返すだけだ。