聖女の仕事が無給で無休だったので【返品】しました ~召喚特典は世界救済ではなく、理不尽を送り主に叩き返す返品スキルでした~ 作:kuratn
朝九時の鐘が鳴り終わらないうちから、店の前は黒山の人だかりだった。
屋根の上に子どもが三人、長椅子の特等席におばあちゃん、店の脇にはなぜか屋台まで出ている。揚げたての芋の匂いと、朝の冷たい空気と、ざわめき。おばあちゃんは見物人に飴玉を売っていた。商魂は、この下町の風土病らしい。
私は卓の上に、三十七枚の布告を扇形に並べた。見世物ではないと言い続けて、そろそろ諦めてもいる。
「委任状、三十七名分。確認しました。――では」
朝の空気を、ひとつ吸う。宣言は、一度でいい。
「これは、受け取りません」
ぽん、ぽん、ぽんぽんぽん。
朱印が次々に灯り、三十七枚の荷札が一斉にひるがえった。光の粒の群れが朝日を浴びて、屋根を越え、鐘楼をかすめ、神殿の方角へ飛んでいく。ちょっとした渡り鳥である。歓声と拍手と、なぜか誰かの笛の音。祭りになってしまった。
◇
同じ頃、聖光教会財務局――――。
局長ヴォルツの執務机に、朱印の布告が三十七枚、音もなく積み上がった。
「な……なんだ、これは」
折悪しく――財務局にとっては、であるが――その朝の財務局は、王室監査院の立入検査の真っ最中だったのである。銀灰色の髪の監査卿が、積み上がった布告を一枚つまみ、局長に向き直る。
「『奉納の割当』。徴収の根拠となる法令は」
「こ、これは税ではない! 信徒の、自発的なお志で――」
「期限と罰則が付く『自発的な志』などなかろう! 王国法では、これを税外徴収と呼ぶ。……ついでだ。帳簿を見せてもらおう」
この「ついで」が、命取りだった。検められた帳簿からは、『雑費』名目の支出が局長の別邸の改築費に化けていく流れが、三年分、実に几帳面に出てきたのである。
「横領の疑い、概算で金貨四百枚。根拠は三つ。雑費の突出、別邸の改築記録、そして――この几帳面な字だ」
悪事まで几帳面なのが、いかにも役人だと思う。財務局長ヴォルツ、職務停止、査問行き。帳簿は監査院に押収された――この几帳面な帳簿が、のちに別の悪事を照らすことになるのだが、それはもう少し先の話。
◇
夕方の下町は、お祭り騒ぎになった。
奉納割当の撤回が、昼のうちに布告されたのだ。屋台のおじさんは揚げ物を振る舞い、マルタさんは樽を転がし、おばあちゃんは今度は飴玉を配って歩く。夕焼けの市場筋に、麦酒と揚げ油と、気の早い歌声が満ちていく。
「聖女さまの一斉返品、見たかい!」「渡り鳥みたいだったねえ!」
「返品屋です」
訂正の声は、乾杯の音にかき消された。まあ、いい。理不尽が三十七枚返っただけで、街はこんなに嬉しそうにする。この街の人たちは、返らなかった理不尽の数を、よく知っているのだ。
夕焼けの中で、おかみさんが涙を拭っている。奉納の一割は、彼女の店にとって半年分の利益だったのだと、あとで聞いた。祭りは、勝った祝いではない。取り返した安堵が、こういう形で溢れるのだ。私は麦酒の輪には入らず、いつもの隅の席で台帳を付ける。三十七件、完了。数字にすると軽いが、この軽さの下に三十七の暮らしがある。それを忘れないために、私は数字で書く。
人混みの外れ、焼き菓子の屋台に、黒衣の人影が並んでいた。相変わらず、彼の周りだけ音が薄い。
「……祭りか」
「返品祭りだそうです。今日は揚げ菓子もあるみたいですよ」
「そうか。いい祭りだ」
彼は袋いっぱいの焼き菓子を提げ、支払いには真新しい銅貨を出した。今の銅貨である。少しだけ、自慢げに見えたのは気のせいだろうか。
「……昔、これが好きだった人がいる」
ぽつりとそう言い残して、黒衣は雑踏へ溶けていった。――路地の角で、神官服の影がひとつ、その後ろ姿を熱心に帳面へ書き留めていたことに、この時の私は気づいていない。
祝いの喧騒が引いた、閉店後――――。
こつ、こつ、と木槌の音が響いた。市政庁の制服を着た役人が二人、うちの前に立て札を打ち付けている。箒を構えたマルタさんを、私は手で制した。
「打たせてあげてください。役人さんはただ言われて作業しているだけなので」
「悪いが……これが仕事、なので」
役人さんは目を伏せて、最後の一打を打った。
『王都営業許可令第九条ニ拠リ、無許可営業ノ廉ヲ以テ、当店ニ閉店ヲ命ズ』
……営業、許可令?
木槌の音の余韻が、祭りの余韻を打ち消していた――。