聖女の仕事が無給で無休だったので【返品】しました ~召喚特典は世界救済ではなく、理不尽を送り主に叩き返す返品スキルでした~   作:kuratn

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17. 北方防衛、引き合い一件

 瘴気とは日本で言えば濃い黄砂と言ったところだろうか? 春先に街を覆うスモッグのような黄砂を思い出す。

 

 峠の村に瘴気が届いてから、王都の朝は少し埃っぽくなった。前回の瘴気が過ぎ去ってやっとホッとしたばかりなのに。

 

 東の空の灰色が、日ごとに指一本分ずつ、こちらへにじり寄ってくる。市場の魚は傷むのが早くなり、パン屋のご主人は「窯の火の色が悪い」と朝から機嫌が悪い。井戸の水でさえ、心なしか土の匂いが濃くなった気がする。瘴気というのは、そういう地味な形で暮らしに忍び込んでくるものらしい。派手な災厄より、こういう地味なやつのほうが、私はよほど苦手である。数えられない厄介事ほど、帳簿に載せづらいものはない。

 

 その朝、店先に停まったのは、緋色の房飾りをつけた立派な馬車だった。

 

 金の紋章、磨き上げられた車輪、退屈そうな御者。下町の細い路地には、明らかに不釣り合いな上物である。おばあちゃんが長椅子から腰を浮かせ、「おや、なんか来たね……」と目を細めた。すかさず見物人へ木戸銭を要求しはじめるあたり、この人の商魂は、今日も平常運転らしい。

 

 降りてきたのは、糊のきいた式部官が一人。そしてその後ろに、どこか見覚えのある青年が一人。上等な頭巾を目深にかぶってはいるものの、そわそわと落ち着かない足取りだ。

 

「面を上げよ、返品屋。……いや、面はよい。ええと、あー」

 

「アルディス殿下。頭巾、前と後ろが逆になっています」

 

 青年は、あ、と小さく声を漏らし、慌てて頭巾を直した。

 

 そう、このお方は似顔絵で何度も見た王太子殿下である。無償徴用の一件でざまぁを受け、謹慎していたはずのその人が、朝から下町くんだりまで、しかも変装のつもりらしい頭巾持参で。ご苦労なことだと思う。

 

 式部官が仰々しく咳払いを一つして、緋色の巻物を恭しく広げた。

 

「――王命である。聖女佐伯リカは、本日より聖女業務の一切を代行せよ。北方防衛の任、これを聖女に一任する」

 

「一切、とおっしゃいますと」

 

「一切は一切だ。すべて、という意味だが」

 

「業務を分解した仕様書を、いただけますか」

 

 式部官の眉が、器用に片方だけ持ち上がった。ここで「仕様書」の一語が通じないのが、この国の発注という営みの、根本的な病である。

 

「し、仕様書だと。王命に、内訳もあるものか」

 

「では、こちらで分解いたします」

 

 帳場から紙を一枚取り、さらさらと項目を書き出していく。九年、他人の押し付けてくる仕事を仕様書へ落としつづけた指は、こういう時だけ勝手に動いてくれる。防衛結界の維持管理。魔石補給の手配。詰所の在庫管理。避難民の受付――。そして最後の一項で、私はペンを止めた。

 

「この『浄化』。これだけは、お請けできません」

 

「なぜだ。聖女の、本分であろう」

 

「浄化とは、宛先のない理不尽を、聖女がたった一人で引き受け、濾しつづける作業です。終わりも上限もなく、納期も対価もない。そういう底の抜けた業務を請け負うのは、事務の掟に反します」

 

 言いながら、背筋がひやりとした。魔王へ返品できた理不尽――それがあの瘴気の正体であることを、私の【返品】は、とうに知っている。そんなことを盛大にやれば魔王の標的になることは間違いない。そうなったらどうなるかは何も分からない。分からないが、そこには決して署名してはならないと、事務員の勘が告げている。

 

 式部官は言葉に詰まり、それから声を張り上げた。

 

「ええい、屁理屈を。……よかろう、結界の維持のみでよい。ただし対価は、名誉とする」

 

 名誉。また、それである。無給無休の枕詞は、どの世界でも決まって「名誉」だ。

 

「無償の付帯条項は、受け取れません」

 

 ぽん。

 

 巻物の末尾、『対価ハ名誉トス』の一文だけが朱の差戻印を浮かべ、ぺろりとめくれて光の粒になり、式部官の胸元へ吸い込まれていった。彼は自分の懐で紙の鳴る感触に、びくりと肩を跳ねさせる。

 

「な……今、何をした」

 

「無償の一文だけを、発注者様にお返ししました。ほかの条項は、生きています。結界の維持管理を、案件単位の業務委託として。正式な仕様書と見積りをいただければ、お請けいたします」

 

 式部官が言葉を探してぱくぱくしている、その横で。頭巾の青年が、ずい、と一歩、前に出た。

 

「……仕様書。それ、俺が、作るよ」

 

「殿下?」

 

「父上に、認められたいんだ。ちゃんとした発注ってやつを、一度でいいから、してみたい。……だめか?」

 

 語尾は、相変わらず弱い。それでも、つい先ごろ、無償で人を使い倒そうとして父王に叱られたばかりの彼と比べれば、これは大した進歩である。人というのは、ざまぁの後にこそ育つ。うちの店の、数少ない成功事例だ。

 

「結構です。様式はお貸しします。まずは業務の範囲と、期日と、金額から。三つ揃って、はじめて発注書です」

 

 こうして王国は、建国以来はじめて、聖女向け発注書を作成することになった。

 

 式部官が青ざめ、王太子が張り切り、おばあちゃんが見物客から木戸銭を回収し終える。私は帳簿の隅に、一行だけ書き付けた。『北方防衛、引き合い一件』。

 

 ただ、どう転んでも厄介事の予感はぬぐえない。

 

 

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