聖女の仕事が無給で無休だったので【返品】しました ~召喚特典は世界救済ではなく、理不尽を送り主に叩き返す返品スキルでした~ 作:kuratn
棚卸しには、とにかく人手が要る。
私は灯火亭に、応援を頼んだ。マルタさんは二つ返事で荷運びの兄さんたちを叩き起こし、おばあちゃんは「監督役だよ」と称して長椅子ごと詰所に運び込まれ、ネリちゃんは湯気の立つ白湯を配って回る。夜明けの市場筋を、そろばんと筆と天秤棒を担いだ下町の隊列が北へ歩く眺めは、ちょっとした出兵である。霜の降りた道に、下駄と長靴の音が景気よく鳴る。北の詰所は、その日、下町の総力戦の現場になった。
「いいかい、数えたら、声に出す。書くのはリカちゃん。ごまかしっこ、なしだよ」
マルタさんの号令ひとつで、寒々しかった詰所が、たちまち市場の朝みたいに賑やかになる。魔石の青い燐光の下、めいめいが白い息を吐きながら、木箱を開けては、数を読み上げていく。ネリちゃんの配る白湯の湯気が、青白い光の中で、綿毛のようにほどけていった。冷えきった石の床に、人の声と体温が、少しずつ満ちていく。
おばあちゃんは長椅子にどっかと腰を据えたまま、「そこ、数え直しっ」「札と現物、声を揃えな」と、やたら偉そうに采配を振るう。数えてはいないが、見張ってはいる。荷運びの兄さんたちは口では文句を垂れながらも、その調子に、なぜだか妙に張り切っていた。祭りではないのに、どこか祭りに似た熱が、詰所にこもりはじめる。理不尽を数え上げる作業は、一人でやればただ陰気なだけだが、大勢でやると、不思議と景気がいい。
「第七棚、大魔石、十二!」「小魔石――札は四十、現物は、三十一!」
――現物のほうが、いつも、少ない。
三日かけて、詰所じゅうの魔石を数え直す。伝票と現物の差を、日付ごとに拾って綴じていけば、それはやがて、一冊の帳簿になった。差の出方には、はっきりと癖がある。そして癖のある数字というのは、必ず、どこかの誰かの手癖である。三日目の晩、綴じ終えた帳簿は、見た目よりずっと重い気がした。消えた魔石の分だけ紙が重くなる道理は、ないのだけれど。
四日目の朝、レナート様が、監査院の分厚い記録を抱えてやってきた。外套の肩に、霜がうっすら白い。
「そちらの現物台帳と、こちらの搬入記録を、突き合わせる」
黒手袋の指が、二冊の帳簿の同じ月を、並べて押さえる。しばしの沈黙。行灯のかわりに、魔石の光が、二人の手元を青白く照らしていた。頁をめくる音だけが、静まり返った詰所に、規則正しく続く。
「……見事に、合わないな」
「合わないほうが、正しい台帳です」
「同感だ。消えた差の分だけ、どこかで、誰かの懐が温まっている」
『どこか』なんて御用商会に決まっているのだ。
二つの帳簿を重ね、御用紹介の名前を念じた瞬間、消えた魔石の行き先が、うっすらと光る荷札になって、私にだけ見えた。宛名は、北方物資の御用商会――その番頭。搬入の数を水増しし、浮いた魔石を横流しして、あとは記録の帳尻だけを、几帳面に合わせていた張本人。荷札は、いつだって正直である。
「これは、詰所の受け取るいわれのない、"水増し請求"です。三年分、まとめて――受け取りません」
ぽん。ぽん、ぽんぽんぽん。
三年ぶんの水増し請求書が、次々に朱の差戻印を浮かべ、御用商会の帳場めがけて、一斉に舞い戻っていく。青白い詰所に、朱色の残光がしばらく尾を引く。番頭が青ざめる暇さえ与えず、その帳簿は、待ち構えていた監査院の立入によって、その日のうちに押収された。横流しの利は追徴、記録の偽造は査問行き。レナート様が、めずらしく、口の端をほんのわずかに上げる。
「概算、追徴、金貨六百枚。根拠は――君と、この街の、棚卸しだ」
番頭は、最後の最後まで「長年の信用」を盾に言い逃れようとしたらしい。けれど、数字というのは、情に流されてはくれない。合わないものは、どこまでいっても合わない。ただ、それだけのことである。
番頭の一味が引っこ抜かれると、魔石の補給は、嘘みたいに滑らかになった。
水増しもなく、横流しもない。あるべき数が、あるべき棚に、あるべきだけ、静かに並ぶ。ただ、それだけのことで。北方の結界は、目に見えて安定していく。数え直しの済んだ棚の前で、詰所長さんが、こっそり洟をすすっていた。「数が……合うんです。全部、ちゃんと、合うんです」。大の大人の泣きどころではないと思う。思うけれど――たぶんここが、この人の、九年目の私の机だったのだ。
灰色に濁っていた東の空から、瘴気が、じりじりと後退していった。峠の村に、久方ぶりの晴れ間が戻ったと、号外が伝えている。市場の店先では、誰もが手を止めて東の空を見上げ、まぶしそうに目を細めていた。灰色に慣れた目に、晴れ間というのは、少し沁みるらしい。
――祈りではなく、棚卸しで。
その事実は、私が思うよりずっと速く、王都じゅうを駆けめぐった。
「聖女様の、"棚卸しの奇跡"だってさ」「いや、祈ってないらしいよ。ずうっと帳簿つけてただけって」「じゃあ……聖女様って、そもそも要るのかい?」
噂は、悪気なく、無邪気に、だからこそ危うい方向へ転がっていく。私はただ、在庫を合わせただけである。けれど「聖女は要らないのでは」というその一言は、ある人々にとっては、瘴気なんかよりよほど、恐ろしい言葉のはずだ。制度で食べている人間は、その制度が要らないと言われることを、何より恐れる。
案の定――翌日。勝手口に挿された花が、白から、赤に、変わっていた。
朝日の中で、その一輪だけが、落ち火のように赤い。そっとつまんだ指先から、体温がすっと引いていった――。