聖女の仕事が無給で無休だったので【返品】しました ~召喚特典は世界救済ではなく、理不尽を送り主に叩き返す返品スキルでした~ 作:kuratn
偽証というものは、細部から腐る。九年間、数字の嘘を見てきた経験則である。
大聖堂の石の冷気は、床から静かに立ち上ってくる。それなのに、私の手はもう冷えていなかった。数字の嘘を前にすると、指先まで血が通う。我ながら、因果な体質である。
「確認します。五日前の、夜半。場所は、店の裏手。お間違いありませんか?」
「ま、間違いない! この目で見たのだ」
「もう一度だけ確認します。五日前の、夜半、ですね?」
「くどい! 宣誓書にもそう書いてある!」
ピムは声を裏返しながら、二度も確かめてくれた。親切な証人である。気の毒だ、とも思う。台詞の端々が、渡された原稿の棒読みなのだ。聖典に載せたままの手が、汗で光っている。憎むべきは書かせた手であって、読まされる口ではない。とはいえ――嘘は、嘘である。私は手帳の間から畳んだ紙を一枚取り出し、卓に広げた。
「五日前の夜、私は北の詰所におりました。魔石横流し事件の、帳簿押収の立ち会いです。こちらはその立入調書の控え。立会人の欄に私の署名、刻限は『夜半ノ鐘ノ後』とあります」
「そ、そんな紙、後からいくらでも――」
「原本は、王室監査院にある」
低い声が、傍聴席から立ち上がった。石床を鳴らす、迷いのない靴音。いつもより、半拍速い。銀灰色の髪が、まっすぐ壇へ歩いてくる。黒手袋の指には、見覚えのある封蝋の書状が一通。
「王室監査卿、レナート・ヴィスマルク。出頭状には『証人』とあった。……呼ばれたので、来た」
「証人は、お断りしたはずですが」
「キミは断ったが、呼んだのは向こうだ。……義理はない」
神殿は、監査院ごと魔女の縁者に仕立てるつもりで、ご丁寧に証人席を用意していたらしい。悪手である。監査卿様は査問官席へ調書の写しを差し出し、短く言った。
「立入調書は公文書だ。刻限、立会人の署名、同席者十四名。――怪文書と公文書、どちらが重いかは、査問官殿もご存じのはずだが」
ピムの顔から、みるみる血の気が引いていく。そして気の毒に、首筋へ、見覚えのある赤い斑点がぽつぽつと浮かび始めた。あの蕁麻疹は、どうやら嘘に反応する体質になってしまったらしい。
「ち、違う、私は……渡された書き付けを、その通りに読んだだけで――」
言い切ってから、彼は両手で自分の口をふさいだ。遅い。大聖堂というのは、囁きですらよく通る造りなのである。神様のための音響が、今日ばかりは神殿の敵に回った。
「ピムさん。宣誓は、代理のきかない決裁です。聖典に手を置いた瞬間から、その証言は、あなたご自身の署名決裁になっています。――ですので、この汚名は、受け取りません」
ぽん。宣誓書の上に朱印が灯り、荷札がひるがえる。偽証の責は、規定どおり署名の主へ。ピムはその場で、査問会自身の衛士に取り押さえられた。私は何もしていない。彼の署名が、そうさせたのである。
「じゅ、順序が乱れただけである! 証人の不始末など、査問の本筋には関わりが――」
ラングが食い下がった、その時だった。
「――でしたら、本筋のお話をいたしましょう」
鈴を張ったような声が、聖女の席から立ち上がる。月色の髪が、ステンドグラスの光の中で揺れた。当代聖女、セラフィナ様である。壇上の空気が凍りつく。聖女は、神殿側の飾りとして座らされていたはずなのだ。彼女は袖から折り畳んだ紙を取り出し、真っ直ぐにラングを見た。指先は震えている。声は、震えていない。祝詞で鍛えられたその声は、大聖堂の高い天井へ、澄んで通る。神殿がこの子に与えた唯一の財産が、いま、神殿へ向けられていた。
「聖務局の回覧の写しですわ。『返品屋ニ関スル風説ヲ流布スベシ』。……決裁の印は、ラング様。あなたのお名前でしてよ」
大聖堂が、爆ぜた。
傍聴席の下町勢は総立ち、査問官たちは顔を見合わせ、ラングは椅子ごと半歩後ずさる。私は集めておいたビラの束を、静かに卓へ載せた。
「検収結果を申し上げます。魔女の汚名、全量不合格。――決裁者様に、お返しします」
ぽん。ぽんぽんぽん。ビラの束が一斉に朱印を灯し、光の粒の群れが渡り鳥のように壇を越え、ラングの頭上へ降り積もっていく。ステンドグラスの七色を潜るたび、光の粒が色を変えた。綺麗なものだ、と場違いなことを思う。嫌疑、不成立。査問会は、査問した側の査問を決めて散会となった。ラングは衛士に挟まれ、自分の開いた査問会から退場していく。聖務局長の椅子は、本日付で空席である。世間の目という執行人は、今日も仕事が早い。
ただ――――。
一段高いあの席で、白と金の法衣は、最後まで身じろぎひとつしなかった。回覧にも、宣誓書にも、密書にも、あの人の判は、どこにも押されていない。荷札は、きれいにラングで止まっている。
退出の間際、ゲオルクは私の卓の脇で、歩みをわずかに緩めた。
「神の家の埃が払われた。礼を言おう、聖女殿?」
「お掃除のご依頼でしたら、営業時間内に承ります」
「ふ。……良い検収であった」
慈愛の笑みのまま一礼し、老人は香の匂いだけを残して去っていく。笑みの奥にあったのは、あの乾いた帳簿の目だった。判の押し方を知り尽くした人は、判の隠し方も知り尽くしている――。
帰り際、人垣の陰で、セラフィナ様がそっと私の袖を引いた。勝った日だというのに、その指先は、まだ冷たい。
「今夜、お店に伺ってもいい? ……渡したいものが、まだあるの」