聖女の仕事が無給で無休だったので【返品】しました ~召喚特典は世界救済ではなく、理不尽を送り主に叩き返す返品スキルでした~   作:kuratn

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27. 帳簿は、燃やさせません

 夜の神殿は、昼より正直な顔をしている。

 

 昼間は香と鐘の音で着飾っている石壁が、夜は、ただ高くて冷たいだけの壁になる。監査院の緊急立入――係争中の文書の、隠滅を防ぐための封印手続きである。提灯も持たず先を行くレナート様の外套が、月明かりに灰色に揺れていた。道中、互いにほとんど口をきかない。急ぐ夜は、言葉より足が先に出る。吐く息だけが、二人分、白く並んで流れていく。定時のあとの呼び出しに、文句のひとつも浮かばなかった。破る値打ちのある残業というものが、九年目にして、初めてあったのだ。

 

 裏手の焼却炉は、聖堂の荘厳から隠れるように、塀際の暗がりにうずくまっていた。門番の神官は、掲げられた令書と後ろに続く監査官の列を見て、無言で道を空ける。

 

 焼却炉の火床には、まだ熱の残る灰。

 

「くっ……」「やられた……」

 

 二人はすでに燃やされてしまったことに、苦虫を嚙み潰したような表情をしながら、急いで焼却炉の蓋を開けた――――。

 

 夜風が吹き込むたび、白い灰が粉雪のように舞い上がって、監査官の外套に降りかかる。焦げた匂いに、香の甘さがわずかに混ざっていた。その灰の中から、監査官の火箸が、焦げた金具と燃え残りの紙片を摘まみ出していく。私は思わず膝をついた。紙片は、白い。文字が、ない。どれをすくっても、灰は白紙の灰である。

 

「あれ……? 白紙、ですね」

 

「表紙の金具と、白紙の束。中身の詰まった帳簿が燃えれば、灰はインクの分だけ色が変わる。――これは、空の装丁を焼いた灰だ」

 

 レナート様の声が、わずかに緩む。その時、書架代わりに積まれた空の木箱の間で、こと、と音がした。

 

 魔石灯を向ける。木箱の陰に、人がひとり、うずくまっていた。生っちろい顔。査問会の日、袖口に密書を吸い込まれて蝋のように白くなっていた、あの記録係の書記さんである。

 

「おや……?」

 

「や、焼けと、言われたのです。古紙だと。……夜のうちに、誰にも見られずに、と」

 

「命令書は、ありますか?」

 

「……声だけ、です。判は、どこにも」

 

 また、それか。判を押さずに人を動かす手口ばかり、あの組織は上達していく。魔石灯の光の中で、彼の指はインクに染まって、爪の際まで黒かった。字で生きてきた、という言い分の、これ以上ない証文である。書記さんは震える手で、木箱の一つの蓋を開けた。祭具用の藁の下から――黒い革装が、七冊。

 

 古い革の匂いがした。本物は、匂いからして違う。

 

「わ、私は、字で生きてきた人間です。読める字も、読めない字も、書き写して食べてきました。……字を火にくべるのは、その、どうしても」

 

 書記さんは、うまく言葉にできないらしく、何度も言い直した。どこに隠すか考えて胃が痛かったという。うまく言えていないのに、これほどよく分かる言い分も、珍しい。私は前掛けのポケットから、おばあちゃんのお守りの飴玉を一つ、彼の手に握らせた。

 

「甘味は、震えに効きます。……あなたは白紙を焼き、原本をこうして監査院に引き渡した。それだけの話です」

 

「名は、記録に伏せる。ただし証言は、もらう」

 

 レナート様が事務的に言い、書記さんは崩れるように何度も頷いた。命令書のない命令は、彼の側に何の義務も残していない。受領していないものは、背負わなくていいのだ。帰り際、彼は監査官の列に向かって深々と頭を下げた。誰に対する礼なのかは、たぶん、本人にも分かっていない。

 

       ◇

 

 封印の前に、確認のため、一冊だけ開いた。

 

 『聖女アデーレ』の巻である。古い頁は蜂蜜色に焼け、虫の食みがあり、インクは茶色く褪せていた。偽物との違いは、重さと匂いでも分かる。四十年前の記帳は、精緻で、荘重で、見事な筆である。受領量の数字が、月を追うごとに膨らんでいく。千四百七十――写しで知っていた数字は、本物の頁の上で見ると、桁がひとつ増えたように重い。摘要の欄には『北ノ荒野ヨリ』『宛先不明』の文字が、繰り返し、繰り返し。そして最終の行――数字は途中で途切れ、インクが小さく滲んでいた。

 

 余白に、一行。

 

『本日ヲ以テ、記録ヲ了ス』

 

 その、跳ねと払い。

 

 ……この手を、私は知っている。荘重な、見事な筆。閉店命令の申立書の末尾で見た、あの署名と同じ手である。四十年前、この帳簿にペンを走らせていた書記が、いま、白と金の法衣を着ている――。

 

 背筋を、夜気とは別の冷たさが這った。

 

 レナート様が、黒手袋を片方だけ外し、素手で古い頁の端に触れる。数字を確かめる指ではなく、墓碑に触れる指だった。

 

「……昔、正しい帳簿が、正しくない理由で燃やされるのを見た」

 

「はい」

 

「今日のは……間に合った。間に合ったぞ……」

 

「はい。間に合いました」

 

 七冊に封印票が貼られ、監査院の保管箱へ収まっていく。帰り道の市場筋は寝静まって、灯火亭の窓だけが、いつもの色に灯っていた。夜風は冷たいのに、不思議と体の芯は冷えない。保管箱の中の七冊が、まだ体温のようなものを持っている気がしたのだ。

 

 明朝、写しは官報に載る。対策を講じる時間を与えてはならない。

 

 四十年分の名前と数字が、初めて、日の当たる場所に出る――。

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