聖女の仕事が無給で無休だったので【返品】しました ~召喚特典は世界救済ではなく、理不尽を送り主に叩き返す返品スキルでした~ 作:kuratn
官報の隅に、小さな公告が載った。
『四十年分ノ理不尽ニ心当タリアル方、委任状ヲ受付ク。相談無料。王都南、返品屋リカ』
翌朝の行列は、市場筋を曲がった先まで伸びていた。
並んでいるのは、依頼人ではない。覚えている人たちである。冤罪で兄を送った人。店を取り上げられた人。字が書けないまま、拇印の指を固く握りしめてきた人。みんな、紙一枚ぶんの古い理不尽を胸に抱えて、静かに並んでいる。行列なのに、市場の朝ほど、うるさくない。
店の間口では、とても足りない。灯火亭が、まるごと受付になった。
食堂の卓は書き物机に、帳場は疎明の検分所に。マルタさんの号令で班が組まれ、おばあちゃんは整理券と飴玉の係である。「泣いた人には、二つやんな」。ネリちゃんとミラさんは白湯と花を配って回り、台所ではセラフィナ様の焼き菓子が切れ目なく焼き上がる。バターの匂いは、重い話の隣に置く薬である。難しい話は腹が減るという女将の持論は、今日も正しい。
代筆班の長は、あの書記さんである。証言を終えて身の振り方を探していたところを、マルタさんが首根っこごと連れてきた。
「読める字も、読めない字も、書き写して食べてきました。……字で、償わせてください」
「償いは受け付けません。賃金をお支払いします。うちは、無給の奉仕を扱いませんので」
書記さんは深々と頭を下げて、それから一日中、雨だれのような筆の音を立て続けた。夕方には、その音が夕立になっていく。
受付の卓では、花売りのミラさんが、生まれて初めて自分のための書類を作っていた。字は、ネリちゃんが書く。母の名を一画ずつ、舌の先を覗かせながら。拇印を押したミラさんは、朱の付いた親指をしばらく眺めて、少し笑った。
「娘に名前を書いてもらうのは、悪くないもんだね」
行列の中程には、革前掛けの見知った顔もあった。鍛冶屋のご主人である。若い時分に世話になった親方が、店ごと取り上げられた口なのだという。宿題の途中経過ってやつを見に来たのさ、と言いながら、火傷の痕の残る指が、委任状の枠を几帳面になぞっていた。
昼、緋色の馬車が停まった。降りてきた殿下は、従者に持たせず、自分の腕で冊子を抱えている。『大照合支援 一式 発注書』。国璽、副署、予算、納期。欄という欄が、過不足なく埋まっていた。
「筆生二十名、紙、インク、灯り用の魔石。それから――検収、してくれ。だめか?」
「――検収、合格です」
殿下の顔が、ぱっと明るくなる。後ろでレナート様が、ぼそりと言った。
「六度目で、初めて直しがない」
神殿も、動いた。広場で説法である。瘴気に人の手で触るるは冒涜なり、神罰下るべし。触れ札も出たが、貼られたそばから、おばあちゃんが焚きつけに回収していく。八百屋のおかみさんは笑って言った。
「神罰なら、四十年前から下りっぱなしさね」
夕方には、乳白色の封蝋も届いた。『瘴気取扱奉賛金 金貨三十枚也』。
「根拠規定のない奉賛金は、受け取りません」
ぽん。使いの神官さんは、心得た様子で三歩下がっていた。申し送りが、行き届いている。
一万一千の行は、束ねれば三千十四件になった。声を上げてくれた人の分から、委任状が積み上がっていく。千を数え、二千を越え――足りない分は、下町の目が路地の奥から探し出してくる。それでも、宛先の側が見つからない件が六百近く残った。名乗り出る人のいない理不尽は、まだ返せない。受付は、締め切らないでおく。詰所長さんの文は数字の列が日ごとに切迫していくのに、末尾の一行だけは変わらない。『数ハ、合ッテオリマス』。合っている数字に励まされる日が来るとは、思わなかった。
◇
夜は、名簿の写しを抱えて、外壁へ通った。
壁の上では、ヴェルン様が靄を仕分けている。声を聞き、年ごとに束ね、荷札代わりの木札を提げていく。四十年分の、倉庫番である。差し入れの焼き菓子は、一つだけ食べた。姉の好物を、一度に二つは食べない人である。
「名簿の名を読むと、声が、静かになる」
「……静かに、ですか?」
「ああ。呼ばれるのを、待っていたらしい。四十年、誰にも名を呼ばれなかった声だ」
壁の下から見上げる靄は、もう空の半分を灰色に染めている。近くで見るそれは音のない海鳴りに似て、石積みに寄せては、押し返されていた。物見の目測は、外壁まで指二本。それが、指一本になり――
未明、東門の鐘が三度、続けて鳴った。
「靄が――外壁に、触れたぞ!」
私は寝台から起き、顔を洗い、髪を結んで、前掛けの紐をきつく結んだ。
「――納期です」