聖女の仕事が無給で無休だったので【返品】しました ~召喚特典は世界救済ではなく、理不尽を送り主に叩き返す返品スキルでした~   作:kuratn

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41. 神様の不備を突く

 神様を前にすると、人はまず言葉を失うらしい。

 

 私は失わずに済んだ。相手が、窓口に立ってくれたからである。窓口越しの話なら、九年やってきた。膝は、折らない。客と窓口は、対等である。前掛けの紐を、見えないところで一度だけ握り直した。

 

 背中に、通りぜんぶの息遣いを感じる。マルタさんの、セラフィナ様の、ネリちゃんの。……大丈夫。窓口の用談は、一人でやるものと決まっている。それでもこの背中は、一人ではないのである。

 

「検収をお願いしたい書式がございます。――召喚契約。私が締結させられた、あの書式です」

 

「原本を、お出しいたします」

 

 窓口の上に、光でできた紙が一枚、音もなく広がった。文字は読めない。読めないのに、意味だけが染みてくる。召し出しの条項、特典の条項、そして、役目の条項。目で追ううちに、あの夜の雨の匂いが喉の奥へ戻ってきた。終電のホーム、床に開いた光、冷めたスープ。……私はこの紙一枚で、ここへ運ばれたのである。記録の卓から、レナート様が目だけでこちらを見た。頷きは、しない。頷かれたら、たぶん少し泣く。

 

 手帳を開く。論点欄には、三行だけ書いてある。三行にしておかないと、膝が震える、とも言う。

 

「一。本契約に、私の署名がありません。魂の移送という重大条項に、本人の同意欄そのものがない」

 

「召喚は、こちらの世界の切なる祈りに応える書式でございます。祈る側の署名は、揃っておりました」

 

「存じています。ですが、運ばれる側の欄が、ない。……二。特典は、移された魂のいちばん強い願いを形にすると聞きました。つまり設計者様は、移送の瞬間、私の願いをお読みになった」

 

 窓口の人影は、否まなかった。

 

「読みました。――『もう何も、受け取りたくない』と」

 

 通りが、しんとする。人垣のどこかで、誰かが小さく洟をすすった。……あの夜の願いを、他人の声で聞く日が来るなんて。存外、恥ずかしいものである。私は続けた。声が硬くならないよう、いつもの調子で。

 

「それをお読みになった上で、移送は実行された。同意がないと知りながらの、締結です。そして三。この書式には――断る欄が、ありません」

 

 目配せひとつで、書記さんが進み出た。二人がかりで、帳簿の写しを七冊、窓口へ積み上げる。膝が笑うほどの重さではない。ないのに、この七冊はいつも、持つ手より先に胸へくる。いちばん上は、アデーレの巻である。革表紙に、朝日が斜めに差していた。見ていてください、とは言わない。帳簿に語りかけるのは、事務員の悪い癖である。

 

「四十年分の受領記録です。この七冊のどこにも、断りの記載は一行もありません。四十年、誰ひとり。……偶然ではないと思います。断る欄のない書式は、断れない人のところへ流れ着くようにできている。――私が、そうでしたので」

 

「……歴代の方々の特典は、【慈愛】、【忍耐】。受け取る願いばかりでございました。『受け取りたくない』と願った方は――あなたが、初めてでした」

 

 静かな通りに、その言葉が、ひとつずつ置かれていく。慈愛。忍耐。美しい言葉である。美しい言葉で呼ばれた受領を、私は四十年分、帳簿で読んできた。

 

「はい。ですから私は、たまたまです。たまたま限界だった夜に、たまたま呼ばれただけです。私の前の誰かが断れなかったのは、その人が弱かったからではありません。書式が、断らせなかったんです」

 

「……運用は、人の側の追記でございます。無給も、無休も、浄化も、原本にはございません」

 

「存じています。追記したのは人間で、その分は、人間の側で精算しました。ですが――追記できる余白を空けたまま、断る欄を作らなかったのは、設計者様です。書式は、悪用できる欄の分だけ、作った側の責任です。……九年、書式で食べてきた者の経験則ですが」

 

 人影は、長く黙った。

 

 通りの誰も、動かない。屋台の火がひとつ爆ぜる音まで聞こえる静けさである。光の紙の上を、見えない指が条項をひとつずつ辿っていくのが分かる。読み返しているのだ。四十年分どころではない。たぶん、最初の一枚から。辿る速さが、頁を追うごとに、少しずつ落ちていく。窓口の中の人が読み直しに手間取る姿ほど、静かに恐ろしいものはない。九年の窓口勤めで、私はそれをよく知っている。

 

 やがて、静かな声がした。

 

「――検収の結果を、伺います」

 

「不合格です。同意なき締結、拒否欄の欠落、以上二点。よってこの契約は、契約ではなく――押し付けです」

 

 息を、吸う。朝の空気が、肺の底まで冷たい。宣言の文言は、一言一句、変えない。それがこの仕事の礼儀である。

 

「この召喚は、受け取りません」

 

 ぽん。

 

 これまででいちばん静かな音がして、光の紙の真ん中に、朱の差戻印がゆっくりと灯った。荷札は、ひるがえらない。差出人が、目の前の窓口にいるからである。

 

「……受理いたします。契約は、遡って白紙。原状回復の手続きに入ります」

 

 窓口の人影は、事務的に、恐ろしいことを言った。

 

「お客様を、元の世界へ――お返しいたします」

 

「……へ?」

 

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