聖女の仕事が無給で無休だったので【返品】しました ~召喚特典は世界救済ではなく、理不尽を送り主に叩き返す返品スキルでした~   作:kuratn

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43. 精算完了のご報告

 精算の朝から三日置いて、私たちは北へ発った。

 

 休業の札は、もう手慣れたものである。『臨時休業(配達ノ帰リ待チ)』。マルタさんが弁当を持たせ、セラフィナ様が今朝の一番窯を包んでくれた。北の詰所の前を通ると、詰所長さんが門まで走り出てきて、深々と頭を下げる。上げた顔が、良い顔だった。数の合う毎日は、人の顔色まで変えるらしい。

 

 北の荒野への道は、初めて通るのに、懐かしい匂いがした。雨上がりの土の匂いである。四十年、瘴気の底に沈んでいた大地が、初めての晴れの下で、湯気のように匂いを立てていた。枯れ色の原の、轍のあとに、気の早い緑がぽつぽつと覗いている。ヴェルン様は時々立ち止まり、しゃがんで、その緑を長いこと眺めた。歩幅が、壁の上で見るより、ずっと若い。荷物は、小さな包みがひとつきりだった。四十年住んだ人の荷物ではない。もっとも、あの荒野のどこに、持ち歩きたい思い出があっただろう。

 

 丘の上に、小さな墓標があった。

 

 石を積んだだけの、けれど四十年、崩れなかった墓である。名前は、彫られていない。名を彫れば暴かれる時代が、長すぎたのだ。それでも弟は、間違えずにここへ帰ってくる。名前より確かな宛先というものが、世の中にはある。丘からは、晴れた荒野が地平まで見渡せた。眺めのいちばん良い場所を、弟は四十年前に選んだのだ。着いてみれば、先客の跡があった。石の埃が払われ、白い花が一輪、供えてある。花には、木札が結んであった。荘重な、見事な筆で、一言。

 

『安ラカニ』

 

 ヴェルン様は木札を長いこと見て、それから、何も言わずに元へ戻した。誰の筆かは、二人とも知っている。言わないだけである。

 

「姉さん。……精算、完了した」

 

 報告は、それだけだった。四十年に、それだけである。あとは風の音と、遠くで鳥が一声。私は包みを開き、焼き菓子を取り出した。半分に割って、片方を墓前に、片方をヴェルン様に。

 

「……半分こ、か」

 

「そういう方だったと、伺いましたので」

 

 ヴェルン様は、笑った、のだと思う。初めて見る顔だったので、確信はない。焼き菓子を齧り、長いこと黙って、それから言った。

 

「うまいな」

 

「お代はいただきません。……ご供養ですので」

 

 風が、丘の草を撫でて通る。四十年ぶんの報告にしては静かすぎる時間が、静かなまま、ゆっくり流れていった。たぶん、これでいいのだ。積もる話というものは、生きている者同士の贅沢である。

 

 帰り道、ヴェルン様は旅に出ると言った。仕事は、もうない。四十年、ここしか見てこなかったから、世界の他の場所を見て回るのだそうだ。行き先を伺うと、しばらく考えて、「南」とだけ返ってきた。理由は「暖かいらしい」。四十年、北にいた人の旅程は、それで十分なのだと思う。

 

「そういえば――今朝、髭に白いものが交じっていた」

 

「それは」

 

「ああ。……歳を取れるらしい。これから」

 

 四十年止まっていた時計が、動き出したのである。私は領収書を一枚切って、お渡しした。件名、魔王案件。報酬、規定の上限、金貨五枚、受領済み。備考欄には、うちの決まり文句を書いておく。『またのご利用を、お待ちしております』。

 

「……次は、旅の土産を届けに来よう」

 

 黒衣が、初めて朗らかに笑った。

 

       ◇

 

 王都に戻ると、制度の作り直しが、音を立てて進んでいた。

 

 聖女制度は、廃止。代わりの新しい聖務は、有償、任意、複数人の輪番制。理不尽は溜めずに、記録し、名を呼び、返す。継続受付の五百九十七件は、新しい聖務局とうちの店の、共同窓口になった。発注書は殿下の筆で、直しなしの三件目である。記録係の筆頭には、書記さんが座った。読める字も読めない字も書き写してきた人の、天職だと思う。

 

 初代の聖務長官には――満場一致で、菓子職人見習いが選ばれた。

 

「週三日よ? 窯の火は、落とさないんだから」

 

 兼業条項は、契約書の第一条である。赤は、私が入れてある。就任の署名の日、あの子は契約書を三度、自分で読み直してから名前を書いた。読み上げてもらわなくても、自分で読む。……もう、大丈夫である。

 

 大神官位の返上も、官報に載った。査問の沙汰を待たずの、自ら差し出した返上だという。続報によれば、元大神官は毎朝、大聖堂の床を拭いている。誰に命じられたのでもなく、無給で。……本人が選んだ無償は、押し付けとは呼ばない。呼ばないが、複雑ではある。

 

 神殿の掲示板には、新しい貼り紙が出た。『聖務員募集。有償。週休二日。夜業ナシ』。夕方には若い人の列ができたそうだ。無給の貼り紙には、誰も並ばなかったのに。世界は、書式ひとつで変わるのである。おばあちゃんは長椅子で号外を扇に使いながら、「それで、魔王さんは独り身のまま旅に出たのかい」と真顔で言った。守備範囲の話は、もう、しないであげてほしい。

 

 店に戻ると、卓の上で、あの光の書式が一枚、静かに待っていた。行灯の火が、光の紙の上で、所在なげに揺れている。

 

 原状回復。実行期限、次の満月。

 

 窓の外で、月が、もう半分より膨らんでいる――。

 

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