ようこそ、朝露に千歳を願う教室へ   作:じぇみに先生

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4巻
23話


『申グループの試験が終了いたしました。申グループの方は以後試験に参加する必要はありません。ほかの生徒の邪魔をしないよう気をつけて行動してください』

 

端末の画面に表示された短い無機質なテキスト。それは、私の船上特別試験が呆気なく終わりを告げたことを意味していた。

 

(……はぁ。やっぱり、こうなっちゃったか……)

 

画面を閉じながら、胸の底から重い溜め息が漏れ出す。

一番危惧していたことが、現実になってしまったのだ。高円寺くんと同じ『申グループ』に振り分けられた時点で、頭の片隅に掠めていた最も嫌な可能性。

 

先の無人島試験でもそうだった。彼は周囲の都合など一切お構いなしに、早々と試験をリタイアしてみせた。

今回も同じように勝手な行動を起こすんじゃないかと思い、無駄だと分かっていながらも試験期間中、私は何度も彼にお願いしてみたのだ。「勝手な行動は控えてね」「適当な人を選んで終わらせたりしないでね」と。

だが、当然のように彼は優雅な笑みを浮かべて鏡を眺めるばかりで、私の言葉など意にも留めてくれなかった。

 

「申グループ……確か、あなたのグループよね?」

 

ベッドの縁に腰掛けていた堀北さんが、自分の端末から視線を上げて私に問いかけてくる。

 

「うん。……ひょっとしたら、高円寺くんが何か動いたのかもしれない」

 

「高円寺くん……彼ならやりかねないわね。 確か、綾小路くんと高円寺くんは同室だったかしら。彼にメッセージを送って、様子を聞いてみるわ」

 

堀北さんは少しだけ眉をひそめ、手慣れた手つきで綾小路くんにメッセージを打ち込み始めた。

 

彼女の横顔をぼんやりと見つめながら、私の中にじわじわと巨大な徒労感が広がっていく。

 

(……何だったんだろう、私のあの努力)

 

無人島試験から3日。突如始まったこの船上での特別試験。

今回の試験ルールを聞かされた時から、私は私なりに必死だった。

複雑なルールを何度も反芻して可能性を模索し、同じグループになった今までほとんど話したこともないクラスメイトにも積極的に話しかけた。探りを入れるだけじゃなく、何か意外な発想や突破口がないかとコミュニケーションを重ね、裏で手札を整えるための準備をそれなりに重ねてきたのだ。

 

けれど――高円寺くんという規格外の存在による、あまりにも気まぐれで身勝手な一手によって、私が積み上げてきたものは一瞬にしてすべて無に帰してしまったのだった。

 

「堀北さん、私……ちょっと星を見てくるね……」

 

これ以上部屋にいても溜め息しか出てこない。私は弱々しい声を絞り出すと、重い足取りでドアへと向かった。

 

「え? ……え、ええ。あまり遅くならないようにするのよ」

 

唐突な言葉に堀北さんは一瞬ぽかんと目を丸くさせたが、力なく肩を落とし、あからさまに意気消沈している私の姿を見て、それ以上追求するのを踏みとどまったようだ。どこか気遣うような、困惑の混ざった視線を背中に感じながら、私は静かに客室のドアを閉めた。

 

重い足取りのまま彷徨い歩き、たどり着いたのは静かな船外のデッキだった。

 

見上げれば、都市の灯りから遠く離れた海の上ならではの、吸い込まれそうな満天の星空が広がっている。潮風が火照った頬に心地よい。

 

だが、雰囲気が良すぎるのも考えものだ。ふとデッキに目をやると、夜の暗がりに紛れて数組の男女が肩を寄せ合っていた。中にはかなり大胆に抱きついているカップルまでいて、思わず目のやり場に困ってしまう。

 

(うわぁ……青春してるなぁ。こっちは試験が潰れてどん底だってのに……)

 

気まずくなって引き返そうとした、その時だった。

少し離れた影から、男女がパッと離れる気配がした。

 

「ご、ごめん。私、その、急に綾小路くんに抱き着いたりして……お休みなさい!」

 

(……は? あ、綾小路……?)

 

聞き覚えのある愛らしい声――櫛田さんの慌てふためいた声に、私は固まった。

足音を響かせてこちらへ駆けてくる気配を感じ、私は咄嗟に手すりへと身を乗り出し、さも「今来ました、ただただ深く星空を鑑賞しています」と言わんばかりの体勢を取った。夜の闇と船の照明の陰のおかげで、パニック状態の櫛田さんは私の存在に気づくこともなく、そのまま走り去っていく。

 

(櫛田さんが? 綾小路くんに抱きついた……?)

 

嵐のような脱出劇を見送り、私はゆっくりと姿勢を戻した。

 

ぽつんと残された影の主――手すりに寄りかかり、去り行く櫛田さんの背中を背後から淡々と見送っている男の元へと、私は足音を殺して静かに忍び寄る。

 

そして、彼の隣に並び立つと、ジトッとした視線をその横顔に向けた。

 

「へー、夜の密会だなんて、モテるんだねー、綾小路くん」

 

「露草か? 密会じゃない。偶然会って、急に抱き着かれたんだ。非常に驚いている」

 

相変わらず抑揚のない声で即答されたが、どこか無機質な彼の言い分に、私は軽く肩をすくめる。

 

「別に隠さなくてもいいんだけど」

 

「隠していない。……それより、中に入らないか? 周囲の視線が痛い……」

 

綾小路くんの視線の先を追うと、暗がりにいたカップルたちがこちらを盗み見ながら、ヒソヒソと話し始めていた。

 

「なになに、修羅場……?」

「浮気現場でも押さえられたんじゃない?」

「うわ、気まず……あいつ、さっき別の子と抱き合ってたよね?」

 

夜のデッキに広がる、勝手な勘違いと容赦のない噂話。これ以上ここに留まっていれば、面倒な誤解がクラス中に広まるのは目に見えている。

 

「……うん、そうだね。余計な噂を立てられる前に退散しようか」

 

周囲からの痛々しい視線から逃れるように船内へと戻ると、静まり返った廊下で綾小路くんが淡々とした口調で切り出してきた。

 

「軽井沢に関する情報が欲しい」

 

軽井沢さんは確か、今回の船上特別試験で綾小路くんと同じグループに配置されていたはずだ。

 

「軽井沢さん? 私も彼女のことはほとんど知らないよ。四月に少し遊んだことはあるけど、それ以来は全然関わっていないし……」

 

首を傾げながら記憶を掘り返してみる。クラスの中心グループにいるギャルの彼女とは、元々そこまで深い接点があるわけではない。

 

そういえば、5月にポイント貸したけど、未だに返ってきてないな……。

 

「無人島試験が終わってすぐ、堀北が軽井沢に食事に誘われてなかったか? てっきり、一緒に行ったと思ってたんだが」

 

「あ、そうだった。行ったよ。まあ……なんていうか、気まずい空気だったね」

 

思い返せば、あの時の空気感はなかなかに独特だった。

堀北さんと軽井沢さんではお互いに会話があまり噛み合わず、結局は私や、軽井沢さんが連れてきた佐藤さんと話すことが多かったのだ。それでも、堀北さんがその誘いに乗って食事をしたのは、彼女なりにクラスに馴染もうと努力している証拠なのだろうけれど。

 

「けど、どうして? 何か気になることでもあったの?」

 

彼がわざわざ特定の個人の名前を出して情報を求めてくること自体が珍しく、思わず探るような視線を向けた。けれど、綾小路くんは表情ひとつ変えずに小さく首を横に振る。

 

「……いや、わからないならいい。ちょっと聞いてみただけだ。それほど、重要なことでもない」

 

相変わらずどこまでも掴みどころのない態度だ。これ以上踏み込ませるつもりがないこともよくわかる。

 

「そっか」

 

私はそれ以上深く追求せず、短く返事をした。

 

「じゃあ、私もう部屋に戻るね。おやすみ」

 

軽く手を振って彼と別れ、私は重い足取りのまま自分の客室へと向かった。

 

 

 

 

 

目が覚めると、時計の針は既にお昼過ぎを指していた。部屋には誰の姿がなく、静まり返っている。

 

制服に着替えて部屋を出た私は、売店へ向かいサンドイッチを一つ受け取った。船内での飲食や各種施設の利用は、すべて無料だ。常に金欠に苦しめられている私たちDクラスにとって、プライベートポイントの値段を気にせず食事を楽しめるというのは、非常に助かる。

 

(さて、どこで食べようかな……)

 

サンドイッチを手にどこで腰を下ろすか周囲を見回していると、他の生徒たちが足早に一方向へ向かって歩いているのが見えた。

 

端末で時刻を確認すると、午後一時まであと十分。……試験が始まる時間だった。

 

あの大騒ぎの波に混ざれないというのは、なんとも言えない複雑な気持ちだ。他のみんなは今から、誰が『優待者』なのか必死に頭を働かせて特定しようとしたり、あるいは自分やクラスメイトの『優待者』を守るためにしのぎを削るのだろう。

 

会場へと急ぐ生徒たちを目で追っていると、ロビーのソファにぽつんと一人で座っている男子生徒が視界に入った。

 

クラスメイトの三宅明人くんだった。私と同じ『申グループ』のメンバーだった一人で、彼もまた、自分たちを置いて会場へと急ぐ生徒たちの背中を、静かに目だけで追っていた。

 

「三宅くん、隣、良い?」

 

手に持ったサンドイッチを示しながら声をかけると、三宅くんは少し驚いたように顔を上げ、すぐに顎で隣のスペースをしゃくった。

 

「ああ。昼、まだ食ってなかったのか」

 

「うん。さっき起きたばっかりで」

 

「のんきだな。ほかのやつらは試験中だっていうのに」

 

「昨日はなかなか寝付けなかったから……」

 

私がサンドイッチのパッケージを破りながら小さく苦笑すると、三宅くんは「そうか」と短く溢し、腕を組んで天を仰いだ。

 

「高円寺の奴。また勝手なことをしやがって……」

 

「こうなると、高円寺くんが優待者を当ててることを祈るしかないね」

 

「どうせ当てずっぽうだろ。試験が嫌になって適当に答えたんだ」

 

「高円寺くんには、いちいち驚かされるね……」

 

溜め息混じりに呟く私に、三宅くんはふっと視線を戻すと、少しだけ表情を和らげた。

 

「驚くで言ったら、今回の露草にも俺は結構驚いたけどな」

 

「私?」

 

(普段の消極的な私と違って、今回はかなり積極的に話しかけに回っていたから、でしょ)

 

「普段は大人しいやつだと思ってたが、試験の説明の後とか、試験中とかもえらい話しかけて来たからな」

 

「迷惑だった?」

 

「いや、ただ意外だったっつーか、試験に本気で挑んでるみたいで感心した」

 

ぶっきらぼうだが、嘘のない素直な褒め言葉。その言葉が、高円寺くんの身勝手な行動によって無駄になってしまった努力への徒労感を、ほんの少しだけ和らげてくれる。

 

「ありがとう。私、堀北さんの力になれたらいいなって思って、できる限り頑張ろうって思ったんだけど……今回はこんな結果になっちゃったね」

 

「まあ、機会なんていくらでもあるだろ」

 

三宅くんの気負わない言葉に、胸のつかえがすっと降りていくのを感じた。

 

「うん、そうだね」

 

私はサンドイッチをひと口頬張りながら、小さく頷いた。

 

「それにしても、お前って堀北と仲いいよな」

 

三宅くんがふと思い出したように、口を開いた。

 

「仲が良いっていうか……私がしつこく話しかけてるだけだよ」

 

「なんでだ? 入学してすぐの堀北なんて、かなり冷たい態度だったろ。最近でこそクラスを勝たせようと動いてくれてるけど」

 

「うーん……なんていうか、孤立しそうな人は放っておけなくて。そういう性分なんだよね」

 

「そうか」

 

納得したように頷く彼を見つめながら、私はサンドイッチの端をかじり、ふと思ったことをそのまま口にした。

 

「三宅くんも、クラスじゃ割と孤立してるよね」

 

「……お前、ハッキリ言うな」

 

「あ、ご、ごめん……! 気にしてた……?」

 

「いや、好き好んで一人でいるから良いんだけどさ」

 

少し呆れたように苦笑する三宅くんに、私はほっと胸を撫で下ろす。彼の佇まいからは、一人でいることへの変な卑屈さは感じられない。部活に打ち込んでいるからというのもあるのだろうか。

 

「三宅くんって、弓道部だったよね。好きなの? 弓道」

 

「別に。中学の時……先輩の影響で始めてな。なんとなくそのまま続けてるだけだ」

 

「へぇ……。的に狙いを定めて射抜くのって、やっぱり気持ちいい?」

 

「そうだな。当たれば気持ちいいが……狙い通りにいかないことの方が断然多いけどな」

 

遠くを見やるような三宅くんの言葉に、私は静かに目線を落とした。

 

(……私だって、そう)

 

人生も、試験も、自分自身の心さえも。

 

あの部屋を解き放たれて普通になれると期待したことも、今回の試験で誰かの力になろうと足掻いたことも、何一つとして自分の狙い通りになんていかない。彼の手の平の上で転がされ、不格好に的を外してばかりだ。

 

(狙い通りにいかないことばっかりだけど……それでも、弓を引くのをやめられないんだよね)

 

胸の奥に渦巻く冷たい自虐を押し殺し、私はサンドイッチを小さく噛みしめた。

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