ようこそ、朝露に千歳を願う教室へ 作:じぇみに先生
三宅くんと別れた後、私は適当に船内を見回しながら時間を潰し、兎グループの話し合いが行われている部屋の前へと向かった。
1回目の話し合いが終わる時間を見計らって待っていると、やがて部屋のドアが開き、生徒たちがぞろぞろと出てきた。その混雑の中に目的の人物を見つけ、私は思わず声を張り上げる。
「伊吹さん!」
「露草。あんた、なんでここにいんの?」
すぐさま駆け寄って声をかけたため、すれ違う他クラスの生徒たちが何事かと私を横目で見ながら通り過ぎていく。
「私、試験もう終わってるから、待ってたの」
「ああ、申グループ……。で、待ってたって何? なんの用?」
「連絡先、まだ聞いてなかったから交換しようと思って」
「はぁ!? あんた、私がやったことなんも聞いてなかったわけ!?」
急な大声に、思わず体がびくっと跳ねた。
「き、聞いた……けど、それは龍園くんの指示だったんでしょ?」
「だれが、あんな奴の命令なんか聞くってのよ」
「えっ? 伊吹さん、自分で考えて行動したの?」
「違う! あいつに言われたから仕方なくやっただけ!」
(……それを普通『命令された』って言うんじゃ……?)
喉まで出かかったツッコミをなんとか飲み込む。伊吹さんは眉間に深々とシワを寄せ、苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てた。
「とにかく、私はアンタを騙したわけ。普通、そんな奴と仲良くしようとしないでしょ」
「じゃあ、ここに来た私は普通じゃないってことで」
私が迷わず携帯端末を取り出すと、伊吹さんは呆れたように大きく息を吐き出した。
「あんたって図太い……」
ブツブツと文句を言いながらも、彼女は端末を操作して連絡先を交換してくれた。その作業の最中、ふと視界の端を誰かが掠めた。部屋から出てきた綾小路くんと一之瀬さんが、共に急いでどこかへ向かっていくのが見えた。何処に行くんだろう……と思いつつも、目の前の伊吹さんに視線を戻す。
「夏休み、いっぱい遊ぼうね」
堀北さんには「暑いから嫌」と、遊びの提案をことごとく断られていたので、こうして付き合ってくれそうな友達が増えるのは素直に嬉しい。
「いっとくけど、鬱陶しいと返事しないから」
「あ、そうだ。夏休みの間、占い師の人が来てるんだって。二人一組じゃないと占ってもらえないらしいから、一緒に行こうよ」
端末内のアプリからアクセスできる校内掲示板では、いまやその占い師の話題で持ちきりだったのだ。すると、それまで不機嫌そうだった伊吹さんの目の色がガラリと変わった。
「占い師……っ。日付が決まったらすぐ知らせて」
「え? でも、なにか予定があったりしたら……」
「全部空いてるから、いつでもいい!」
「っ……!」
ものすごい圧で詰め寄られ、思わず後ずさりしてしまう。若干引きつつも、頷くしかなかった。
用が済んだとばかりに、伊吹さんはさっさとどこかへ立ち去ろうとする。次の試験の時間まで、一緒にお茶でもどうかと誘おうと思ってたんだけど……。
「そういえば。あんたこの前の試験でDクラスのリーダーがだれだったか知ってる?」
龍園くんがリーダー当てに失敗したため、当然伊吹さんも誰が本物のリーダーだったのかは知らないのだ。
「えっと……どこかで座って話さない? お茶でもしながら」
「そしたら教えてくれんの?」
私がこくりと頷くと、伊吹さんは疑う様子もなく素直についてきた。
――そしてその後。
カフェの席につき、注文した飲み物が運ばれてきたタイミングで「実は私もリーダーが誰かは知らないんだよね」と正直に教えたところ、信じられないくらい凄くキレられたのだった。
試験開始から三日目。この日はグループでの話し合い予定がなく、私は客室で堀北さんと二人、まったりとした時間を過ごしていた。試験の緊張感から少しだけ解放され、静かな時間が流れる。
午後二時を過ぎた頃、私の端末に綾小路くんからメッセージが届いた。
『今、どこにいる?』
『部屋で堀北さんと一緒にいるよ』と返すと、すぐに次の文面が送られてきた。
『堀北には言わずに、部屋の前で待っててくれ』
何事だろうと思いながらも、私は本を読んでいた堀北さんに「ちょっと出てくるね」とだけ声をかけ、静かに部屋を抜け出した。
ドアの外で待っていると、間もなく通路の奥から綾小路くんが歩いてきた。
「すまんが、携帯を貸してくれないか?」
「いいけど……何に使うの?」
唐突な頼みごとに首をかしげると、彼は黙って右手を差し出し、手のひらを開いて見せた。そこに載っていたのは、小さなSIMカードだった。
(なるほど……端末を差し替えて、通信やデータが使えるか試すつもりなんだ)
「ロックがかかってる場合もあるから、その場合は茶柱先生に解除できるか聞いてくるつもりだ」
「わかった。……あっ、ちょっと待ってて」
私は手にしていた携帯を開き、画面に『01004651』と手慣れた指つきで暗証番号を入力する。その後端末を操作してから彼に手渡した。
「はい、パスワードは『1000』だから」
「悪いな。……この後は何か予定があるのか?」
「特にないよ。部屋で堀北さんと喋ったり、借りた本を読んでるよ。何か用事?」
「いや、ただ気になっただけだ。じゃあ、借りていく。終わったらすぐ返す」
「うん、いってらっしゃい」
彼が去っていく背中を見送ってから、私は再び部屋へと戻り、ベッドの枠に背を預けて借りていた本の続きを読み始めた。
それから一時間ほど経った、午後三時頃のことだ。
静かな室内に、堀北さんの端末が着信音を鳴らした。画面を確認した堀北さんが、露骨に眉をひそめる。
「……綾小路くんからだわ。『露草に携帯を返しにきたから、部屋の外に出るように伝えてくれ』だって」
「あ、本当? ごめんね、ありがと」
本を閉じて部屋のドアを開けると、そこには言葉通り私の携帯を持った綾小路くんが立っていた。「助かった」とだけ言って端末を返され、私はお礼を言ってお別れした。
部屋に戻り、ベッドの上に腰掛けて端末を操作する。パスワードを元に戻していると、机に向かっていた堀北さんが振り返り、ジトッとした視線を投げかけてきた。
「ねえ……私を伝書鳩代わりに使わないでもらえるかしら?」
「あはは……ごめんね、堀北さん。綾小路くんが直接連絡できなかったみたいで」
呆れ顔の堀北さんに苦笑いで謝りながら、私は画面を閉じ、再び本を開いたのだった。
翌日。
まぶたを開けると、室内に差し込む光はすっかり高くなっていた。
枕元の携帯を引き寄せて時計を見ると、時刻は昼の1時前を示している。体を起こすと、姿見の前で身だしなみを整えている堀北さんの姿が目に入った。午後の集まりに向かう準備をまさに終えようとしているところだったようだ。
「試験最終日だね。がんばってね」
ベッドの上から声をかけると、彼女は鏡越しにちらりとこちらを一度見ただけで、すぐに視線を外した。
「ええ」
そっけない返事。……まあ、彼女の態度は元々いつもこんなものだ。特別珍しいことではないはずだった。
けれど、どこか余計なものを削ぎ落としたような冷たさが、その短い言葉の中に混ざっている気がした。
「いってらっしゃい」
もう一度笑顔を作って声をかけたものの、堀北さんはそれに答えることなく、カバンを手に取ると無言でドアを開け、部屋を出て行ってしまった。パタンと静かに閉まるドアの音だけが室内に響く。
(……最後の最後で、気を張ってるのかな?)
ドアの向こうへと消えた彼女の気配を感じながら、私はぽつりと呟いた。
夜十一時になれば、全グループの試験結果を知らせる通知が一斉に届くことになっている。
その運命の時間を前に、私は一旦トイレを済ませておこうと部屋を出た。用を足して廊下を戻ってくると、ちょうど自分の客室のドアが開き、制服姿の堀北さんが外に出てくるところだった。
「どこ行くの? もうすぐ結果発表だよ?」
「カフェで待ち合わせよ。そこで結果を見るわ」
「綾小路くんと?」
「あと、平田くんと軽井沢さんが来るわ」
「その二人となんて、珍しいね」
意外な組み合わせに首をかしげると、堀北さんは少しだけ表情を硬くした。
「気乗りはしないけれど、Dクラスを引っ張る力を持つ彼らとは、今後のためにも協力関係を築いておく必要があるわ」
「櫛田さんはいないの? ……私は、行かなくていい?」
平田くんや軽井沢さんといったクラスの中心人物とのつなぎ役。本来、そういう役割を果たすために私は彼女の提案に乗って協力関係を築いたのだから、一緒に行くのが当然だと思っていた。
けれど――。
「あなたは……行かない方がいいわ」
堀北さんは私からスッと目線を外しながら、そう短く答えた。
「え……?」
「実は今回の集まりで、龍園くんが来る可能性があるの。彼がまたあなたにちょっかいをかけないとも限らないでしょう?」
捲し立てるような、普段より僅かに早いテンポの口調。
「大丈夫だよ。龍園くんが来たら、気配を消して大人しくしてるから」
「……平田くんや軽井沢さんがいるのよ? その二人の前でこの間のことを蒸し返されたりして、あなたに余計な不信感を抱かれたりしたら困るでしょう?」
(……ああ、そうか)
彼女の意図がはっきりと理解できた。気遣うような言葉を並べてはいるけれど、要するに『来るな』と言っているのだ。
「……そう、だね。確かに余計な面倒はかけたくないかも」
「でしょう? それに、今回は平田くんがいるわ。彼ならあなたや櫛田さんがいなくても、十分につなぎ役をやってくれるはずよ」
「うん。平田くんならうまくやってくれるね。ごめんね、引き止めちゃって。時間、大丈夫?」
「ええ。急いでいけば間に合うわ」
「いってらっしゃい」
私は口元に柔らかい笑顔を作り、軽やかに手を振ってみせた。
「ええ、行ってくるわ」
堀北さんは一度小さく頷くと、そのまま一度も振り返ることなく、早足で廊下の奥へと歩いて行った。
数秒前まで浮かべていた笑顔を、一瞬で消し去る。
遠ざかっていく彼女の背中を、私はただ――どこまでも冷め切った目で見つめ続けていた。角を曲がり、その姿が完全に視界から消えるまで。
千歳と別れた堀北鈴音は、急ぎ足でカフェへと向かっていた。
静まり返った船内の廊下を歩きながら、彼女はポケットから携帯端末を取り出し、メッセージアプリを立ち上げる。画面に表示させたのは、綾小路清隆とのチャット画面だった。
『ちょっと、私を伝書鳩にしないで』
『わるかった』
-8月13日-
『これをみてくれ』
『画像.jpg』
その画像を開いた時の衝撃は、今でも脳裏に焼き付いていた。
千歳『でも、ポイントほんとにいいの?結構な額だけど』
伊吹『あんたDクラスだしあまり持ってないでしょ?まあお礼だし。当然でしょ』
千歳『それじゃあ、ありがたく頂戴します』
千歳『龍園くんにも、お礼を言っておいて』
『なによこれ』
『見ての通りだ』
『信じられない。島では龍園くんの言葉は否定してた』
『パフォーマンスだったのかもな』
無人島試験で龍園が口にした言葉。あの時は千歳の様子からして嘘だと思い込もうとしていたが、目の前に突きつけられた証拠はあまりにも残酷だった。
『あなたどうやって入手したの』
送信後、千歳が綾小路に携帯を貸していたことを思い出した堀北。
『見られるかもしれないのに、あなたに携帯を貸すわけがない』
『消したつもりだったんだろうな。画像の分以外は何も残っていなかった』
綾小路が千歳から携帯を借りていた時間、引き出したというのだ。
『信じないわ』
『どう思うかはお前次第だ』
冷淡な綾小路の返信を最後に、会話は途絶えている。
(あんなもの……何かの見間違いよ。何かの罠かもしれない……)
画面を閉じ、端末を握りしめる手にぎゅっと力がこもる。
信じたくはない。だが、一度芽生えた不信の種は、恐ろしいスピードで堀北の心の中に根を張り始めていた。
先ほど千歳に見せた「龍園に遭遇する危険があるから」という配慮の言葉。あれは純粋な親切心などではなく、千歳をこれ以上核心に近づけさせないための、そして自分自身の動揺を隠すための口実に過ぎなかったのだ。
胸の内に渦巻く冷たい疑念を押し殺すように、堀北はカフェへ向けてさらに足早に歩みを進めた。
試験結果
Cクラスの大勝。申グループは優待者が発見されていた。