ようこそ、朝露に千歳を願う教室へ 作:じぇみに先生
【綾小路視点】
学校という閉鎖空間において、平穏な日常を維持するためには、周囲の人間観察が必要不可欠だ。
特に、自分の『視界に入らない死角』に位置する人間にこそ、気を配る必要がある。
オレのすぐ後ろの席に座る女子生徒──露草千歳。
先ほど、寮のエレベーター前で繰り広げられた彼女との奇妙なやり取りを、オレは脳内で反芻していた。
茶柱がオレを呼び出した理由について、しどろもどろになりながら彼女が口にした言い訳。
『茶柱先生って怖いから、綾小路くんが何か悪いことでもして怒られたのかなって、ちょっと、心配になっちゃって……』
露草という人間を観察する限り、彼女は極端に臆病で、周囲の不穏な空気に人一倍敏感なタイプだ。
彼女のあの行動は、オレを純粋に心配したというよりは、「学校側やオレの周囲に何かトラブルが起きて、自分の平穏な学校生活が脅かされるのではないか」と怯え、おずおずと情報を探ろうとした自己防衛行動。
そう解釈すれば、今のところ彼女のキャラクターとしてのスペックの範囲内で十分に説明がつく。
オレの中の判断において、彼女に対する評価の大部分は「臆病な一般生徒の自己防衛」として処理して問題ない。
人一倍過敏で臆病な気質の女子高生が、自らの平穏を守るために必死に立ち回っている──そういう性格の人間なのだと定義づけてしまえば、わざわざそれ以上の疑いを抱く必要性はどこにもなかった。
だが、その合理的な計算の隅に、どうしても割り切れないわずかなノイズが残るのもまた事実だった。
入学式の日からだ。オレの後ろの席に座る彼女から、まるでこちらの輪郭や本質をじっと見定めようとするような、かすかな視線の気配をずっと感じていた。
ただの臆病な一般生徒が向けるものにしては、その探るような視線は、オレの予測の網をほんの数ミリだけ掠めていく。
理由の判然としないバグを、そのまま放置して先へ進むのはオレの好むところではない。
正体が分からないのであれば、やるべきことは一つだ。手元に置き、その違和感がどこに起因するものなのかを直接観察すればいい。
だからこそ、昨晩、オレは彼女に声をかけた。
『よければ露草も、これからオレたちのやることに付き合ってくれないか』
もし彼女がただの臆病な一般生徒なら、オレたちの近くに巻き込んでしまえば、その不安も解消されて無害な存在のままでいてくれる。
逆に、もし彼女の勘の良さに何か別の意図があるのだとしたら──すぐ後ろの席という、最も観察しやすい距離に彼女を固定し、オレの行動範囲内に囲い込んでおくのが一番処理しやすい。
どちらに転んでも、オレにとっては都合がいい。声をかけた理由は、ただそれだけの打算に基づくものだった。
【千歳視点】
自室のベッドに入っても、エレベーター前での綾小路くんの、あの温度のない瞳が脳裏に焼き付いて離れなかった。
『これからオレたちのやることに付き合ってくれないか』
去り際に告げられたその言葉が、まるで逃げ道を塞ぐ鎖のように、重く私にのしかかる。
巻き込まれたくない。あの底知れない怪物のような男の近くになんて、一秒だって居たくない。だけど、もしここで明確に拒絶して距離を置いたら、彼はどう思うだろう。あの怪物の影を感じながら、「これ、やっぱり関わらないとダメなのかな……」と深夜に一人で悩み続け、結局ほとんど眠れないまま朝を迎えてしまった。
「あ、おはよう、綾小路くん……」
教室に入り、自分の席に座る際、寝不足のせいでひどくか細い声が出てしまった。
前の席に座る綾小路くんは、いつも通り覇気のない凡人の仮面を被ったまま、ふっと振り返る。
「あぁ。おはよう、露草」
彼はいつも通りの、抑揚のない声で普通に挨拶を返してきた。
私の声の震えや寝不足のクマすらも、彼にとっては「いつもの気の弱そうな、怯えた露草千歳」の範疇なのだろう。そのあまりのフラットさが、逆に私の胃をきりきりと痛ませた。
事態が大きく動いたのは、その日のお昼休みだった。
堀北さん一人の力では、赤点組の須藤くんたちを集めて勉強会を開くことは不可能だった。そのため、堀北さんはクラスのアイドルである櫛田桔梗さんに協力を要請すべく、彼女をお昼に誘ったのだ。
私は自分の席から、そのやり取りをおずおずと見守っていた。しかし、運悪く、堀北さんの前に立っていた櫛田さんとふっと目が合ってしまった。
「何か用かな、露草さん?」
櫛田さんは、いつもの完璧な天使の笑顔を浮かべていた。だけど、その目の奥には、獲物を逃がさないような、冷徹で鋭い圧が確かに孕まれていた。
ホワイトルームで嫌というほど叩き込まれた「人間の悪意や警戒」のシグナルが、私の脳内で警報を鳴らす。
「い、いや、別に……なんでもない、よ」
慌てて引き下がろうとした、その時だった。
前の席から、死神のような声が鼓膜に滑り込んできた。
「よかったら、露草も一緒に昼飯食わないか?昨日の件も聞いておきたい」
「何よ、昨日の件って」
即座に眉をひそめて不審がる堀北さんに、綾小路くんは淡々と続ける。
「お前と別れた後、オレたちがやろうとしてることに露草も誘ったんだ」
昨夜、エレベーター前で彼にかけられたあの言葉が、鮮烈にフラッシュバックする。
まさかこんなクラスメイトたちの前で、急に外堀を埋められるように話を振られるなんて思ってもみなかった。
このグループへの参加か不参加かをまだ決めあぐねていた私は、あまりにも急な展開に頭が追いつかず、完全に思考がフリーズしてしまった。
(どうしよう……。まだ、どうするかちゃんと決めてないのに……っ)
これ以上沈黙してその場を凍らせるわけにはいかない。まだ覚悟が決まらないまま、私はひとまず目の前の流れに合わせる形を取ることにした。あらかじめ脳内で組み立てておいた「一般の女子生徒」としての擬態を必死に表層に引っ張り出し、おずおずとした笑顔を作って、声を絞り出す。
「私も……その、堀北さんや櫛田さんと、一度お昼一緒してみたかったから、すごく嬉しいな」
いかにもクラスの女子の輪に入りたがっていた、無害な建前のセリフ。それを聞いた櫛田さんは嬉そうに微笑み、されるがままに学校随一の人気を誇るカフェ『パレット』へと同行する羽目になってしまった。
カフェ『パレット』の、大きなガラス窓に面したテーブル席。
陽光がたっぷりと差し込むお洒落で開放的な空間のはずなのに、ガラスの向こうの景色を見つめる私の心は、どこか冷えていた。
ここでは、櫛田さんを新たにAクラスを目指すグループに引き入れるかどうかについての話し合いが行われた。
「私、みんなと一緒にAクラスを目指す活動の仲間に入れてほしいの」
真っ直ぐにそう願い出る櫛田さんに対し、堀北さんは少しの間を置いてから、静かに頷いた。
「分かったわ。今回の勉強会がうまくいったら正式に協力を要請するわ」
これまでの堀北さんは、あまり人と深く関わることは少なかった。だけど、櫛田さんに対してだけは、どこか特別に思うところがあるように私には感じられる。それでも、こうしてグループへの参加を認めたのは、やはり櫛田さんの圧倒的なコミュニケーション能力の高さを買ったのだろう。
そうして櫛田さんとの交渉をひとまず終えると、堀北さんは微塵も視線を緩めないまま、今度は私の方へとその鋭い瞳を向けた。
「──それで、露草さん。あなたはどうなのかしら。綾小路くんに誘われたから付いてきたのでしょうけれど、あなたが私たちの活動に参加するメリットが、私には見出せないのだけれど」
値踏みするような、切り捨てるようなトーン。
確かに、ただでさえ足手まといの多いDクラスで、さらに大人しくて目立たない私を巻き込む理由など、堀北さんにはないはずだ。
私がどう答えるべきか一瞬迷った、その時だった。
隣に座る綾小路くんが、感情の起伏のない声で淡々と口を開いた。
「露草をグループに入れるメリットならある。堀北,、お前一人の高圧的な態度じゃ須藤たちは心を閉ざす一方だ。櫛田が表の潤滑油だとしたら、露草のように自己主張が少なくて当たりの柔らかい存在は、男子たちの警戒心を解く裏の緩衝材として役に立つ。……お前が苦手な部分を埋めるピースとしては悪くないはずだ」
綾小路くんのその言葉は、一見すると私の性質をポジティブに評価してくれているように聞こえる。だけど、その目の奥は一切笑っていなかった。彼はただ、私を自分の手の届く範囲──最も観察しやすい距離に縛り付けるためのもっともらしい理屈を、堀北さんに提示しているだけだ。
ここで拒絶すれば、彼に「なぜそこまで拒む?」と決定的な不審を抱かせることになる。
私は心臓の動悸を必死に抑えながら、あらかじめ脳内で組み立てておいた「一般の女子生徒」としての擬態をすぐさま表層に引っ張り出した。
わざと少し肩をすくめ、おずおずとした仕草で、おねだりするように堀北さんの顔を窺う。
「私、要領も悪いし頭も良くないから、二人の活動の役に立てるかは分からないけど……もし、私でもできることが何か一つでもあるなら、みんなのお手伝いがしたい、な……」
徹底して脅威になり得ない、ただのクラスの女子としての控えめなポジションの提示。自分の意思や野心なんてどこにもない、流されやすいだけの女の子のフリ。
「そう。綾小路くんがそこまで言うなら、ひとまずは指示に従ってもらうわよ。構わないかしら」
「うん……っ、私、がんばるね」
私の擬態を見て、堀北さんはフッとわずかに視線の温度を下げた。どうやら、私に対する警戒の優先度を一段落としてくれたらしい。
横では、櫛田さんが「よかったぁ、露草さんも一緒で心強いよ!」と、相変わらず非の打ち所がない聖母のような笑顔で私の手をそっと握ってきた。その手の温もりとは対照的な、彼女の瞳の奥にある絶対的な一線を感じながら、私はただ、愛想笑いを浮かべて頷き返すことしかできなかった。
その後、肝心の須藤くんたちの説得は教室で行われることになった。
お昼休み後半、私たちは赤点組の男子たちを呼び止めたが、須藤くんはプライドからなかなか首を縦に振ろうとしない。
「堀北に従うってのが、納得いかねーんだよ」
いよいよ不機嫌になった須藤くんが、教室から出ていこうと背を向けた、その時だった。
静観していた綾小路くんが、感情のない声でポツリと言った。
「櫛田、もし、オレが次のテストで50点とったらデートしてくれ」
その言葉に真っ先に食いついたのは、横で見ていた池くんと山内くんだった。
「は!? 何言ってんだ綾小路! 俺とデートしてくれ!51点とるし!」
「いやいや俺だ!俺とデートを!52点取って見せるから!」
男子たちのあまりの単純さに、櫛田さんは少し困ったように眉を下げ、迷いつつも手を合わせた。
「じゃあ……こうしない? テストで一番点数の良かった人と、その、デートするってことでいいなら……」
「「うおおおおおおおおお!!」」
池くんと山内くんの歓喜の叫びが教室に響き渡る。二人は血眼になって、ドアの前にいた須藤くんの肩を激しく揺さぶった。
「おい須藤! お前も出ろよ! デートできるチャンスだぞ!?」
「チッ……、しょうがねぇな。そこまで言うなら、オレが一番点数取ってデートしてやるよ」
最初はあれほど頑なだった須藤くんも、結局はその波に乗る形で参加を承諾した。
こうして、最悪の決裂を迎えていたはずの赤点組は、信じられないほどの熱量で再結成されることとなったのだ。
赤点組再結成から数日後のお昼休み。
「今日のお昼はどうするんだ、堀北」
綾小路くんの問いかけに、堀北さんが「そうね──」と顎に手を当てた。そこへ櫛田さんが「一緒にお昼食べよ?」と駆け寄ってくる。
すると、堀北さんは櫛田さんから視線を外し、私の席へとまっすぐ歩いてきた。
「露草さん。あなた前に、私とともにお昼を食べたいと言っていたわね」
「えっ……?」
「行きましょう。ちょうど、あなたに聞きたいこともあったのよ」
有無を言わさない強硬な態度で、私は堀北さんに連れ出されてしまった。
食堂の片隅で、堀北さんと並んでお昼を食べる。
私のメニューは、無料のポイントだけで食べられる、食堂で一番不人気かつ最安値の山菜定食。そこに、自分の部屋で作ってきた小さなおかずのタッパーを添えていた。
お箸を動かしながら、私はなぜ彼女が櫛田さんの誘いを断ってまで、私をわざわざ連れ出したのかを冷ややかに分析していた。
(……あぁ、なるほど。堀北さんは櫛田さんが苦手?なんだろうなぁ)
パレットでのぎこちないやり取りや、先ほど櫛田さんから向けられたあの目の奥の鋭い圧。堀北さんは、あの完璧な優等生の仮面を被った櫛田さんと二人きりになるのを避けるため、私を「都合のいい壁」として利用したのだ。
すると、私の手元をじっと見つめていた堀北さんが、ふと怪訝そうに声をかけてきた。
「……露草さん。あなた、いつもおかずだけ作っているの?」
「えっ……? あ、うん。その、お料理の練習も兼ねて、お惣菜だけ少し……。でも、お弁当を全部作るのって大変だし、この山菜定食と一緒に食べるとちょうどよくて……っ」
堀北さんは「変わったこだわりね」とだけ言って、特にそれ以上深く追及してくることはなかった。どこか居心地の悪さを隠すように、すぐに淡々と自身の新方針へと話題を切り替える。
「私は前の失敗を踏まえ、勉強のやり方を変えることにしたわ。放課後に彼らを拘束しても効率が悪い。普段の授業と休み時間の隙間を使って、彼らの頭に無理やり叩き込む。……ただ、それだけでは圧倒的に時間が足りないの」
さらに堀北さんは、自分の人望のなさを自覚しているようで、少しだけ声音を落とす。
「それに、私一人の言葉では、あの男子たちはまたすぐに反発するでしょうね」
だからこそ、大人しくて扱いやすそうな私をサポーターとして配置し、潤滑油にしようという腹積もりなのだろう。
彼女の意図をすべて理解した上で、私は「気づいていないフリ」をして、従順なクラスメイトのトーンで答えた。
「う、ううん……そんなことないと思うな。堀北さんって、みんなのことを考えててすごいなって思う。私は頭も良くないし、みんなの足を引っ張っちゃうかもしれないけど、堀北さんのお手伝いが少しでもできるなら、がんばる、から……!」
この「自分の脅威になり得ない、都合よく利用できる大人しい生徒」の演技を見て、堀北さんはフッと満足げに視線を戻した。
「そう。ならいいわ。さっそく昼休みの残り20分、図書室へ行くわよ」
そう言って、空いた食器の乗ったトレーを持ち、スマートに立ち上がる堀北さんの後ろを、「あ、待って、堀北さん……っ」と慌ててついていく。
(──これでいい。堀北さんの中の私の評価は『大人しくて使い勝手のいい駒』で固定されたはず)
図書室へ到着してすぐに周囲を見回した。椎名さんがいないことに安堵して須藤くんたちがいる席へ。
静寂のなか、勉強会が始まる。
「ここ、どういう意味だ? さっぱり分かんねぇんだけど」
テキストを睨みつけ、イライラした様子で髪を掻きむしる池くんに、私はおずおずと声をかけた。
「そこは……ね、この公式を、こっちの数字に当てはめてみると、ほら、少し分かりやすくなる、かも……?」
私のような出来損ないの教え方でも、池くんにとっては新鮮だったらしい。
「うおっ!? すげぇ、千歳ちゃん、教えるの超うめぇじゃん!」
池くんが目を輝かせて声を上げた。
「そ、そんなことないよ……! たまたま、私がわかる場所だったから……っ」
慌てて手を振って謙遜する。だけど、池くんや山内くんは、いつの間にか私のことを親しげに「千歳ちゃん」と下の名前で呼ぶようになっていた。こんな落ちこぼれの私を、彼らはあたたかく迎え入れてくれる。
そんな私たちのやり取りに、少し遅れてやってきた綾小路くんと櫛田さんが合流する。
「遅いわよ、早くして」
堀北さんが冷たく言い放ち、その後も、遅れてきた綾小路くんをグチグチと責めていた。
しかし、その身内の険悪な空気をぶち壊すように、不躾な足音が近づいてきた。
「おいおい、何やってんのかと思えば、Dクラスの落ちこぼれどもが群れて勉強ごっこか?」
現れたのは、Cクラスの山脇くんたちだった。彼らは私たちの机を取り囲み、粘着質な笑みを浮かべて私のノートを覗き込みながら執拗に煽ってくる。
「おい、無視すんなよ。……もしかして、次のテストの範囲すらもろくに分かってないのか? これだから不良品はよぉ」
山脇くんの口から放たれた、その言葉。
『不良品』
それを聞き、こわばっていた全身の力が抜けていく感覚を覚える。
恐怖でも、怒りでもない。それは、ひどく歪んだ感覚。安心感。
あの部屋の過酷な競争から脱落し、間引きされた、価値のない出来損ない。
私が人間のフリをして、何も背負わずにこの学校で息をしていいのだと、改めて許されたような気がした。
「──てめぇ、今なんつった」
だが、私の中に生じた暗い沈黙は、須藤くんの怒号によって吹き飛ばされた。
山脇くんの言葉に怒りが頂点に達した須藤くんが、椅子を蹴り飛ばし、山脇くんの胸ぐらに激しく掴みかかったのだ。
「ひっ……!」
図書館の空気が一瞬で凍りつく。ここで須藤くんが暴力を振るえば、ペナルティでDクラスは完全に終わる。
一触即発。誰もが動けなくなったその窮地に、驚くほど弾んだ、よく通る声が割って入った。
「はい、ストップストップ」
声の主は、Bクラスの一ノ瀬帆波さんだった。
彼女の圧倒的な華やかさと、他人を惹きつける善意のオーラ。そして理路整然とした毅然たる仲裁によって、山脇くんたちは舌打ちを残して撤退していった。
彼女はそのまま、キレよく颯爽と去っていった。
一ノ瀬さんの眩しすぎる光の塊のような後ろ姿を、私はただ、自分の影の中から羨望と劣等感を抱いて見つめることしかできなかった。
その後、私たちは山脇くんの言葉が事実かどうかを確かめるため、急ぎ茶柱先生の元へと向かった。
告げられたのは、山脇くんの言葉通り「テスト範囲が変更された」という、Dクラスにとって絶望的な事実だった。
放課後。テスト範囲変更の衝撃に、誰もが一度は気を落としかけた。
だけど、校舎の出口で、須藤くんが拳を強く握りしめた。
「クソッ……ふざけやがって担任のヤツ、それにCクラスも! 範囲が変わったくらいで、俺たちが諦めると思うなよ!」
「そうだよ! 櫛田ちゃんとのデートのためにも、俺たち本腰入れてテストに挑んでやるって!」
池くんや山内くんもそれに続く。
過酷な現実を突きつけられたはずなのに、今のDクラスには、不思議なほど前向きで、泥臭い熱量が満ち満ちていた。
「千歳ちゃんも、一緒に頑張ろうな!」
池くんが、満面の笑みで私の肩をぽんと叩いた。
「──うん。そうだね。みんなで頑張ろう」
私は、いかにもクラスメイトの言葉に胸を打たれたような、優しい笑みを浮かべて頷いた。
(頑張ろう、か……)
だけど、私の心は、その温かい空気から完全に乖離していた。
必死に前を向こうとする彼らの姿を、私はどこか、ガラスの向こうの他人事のように静かに眺めている。
彼らはどんなに不器用でも、ここから這い上がろうとする『本物の人間』だ。その泥臭い熱量が、ひたむきな輝きが、今の私にはどうしようもないくらいに眩しくて、胸が苦しくなる。
私はただ、その眩しさに目を細めながら、人間のフリをして彼らの熱に寄生しているだけの『不良品』。
交わることのない境界線が、私と彼らとの間にはっきりと横たわっていた。