ようこそ、朝露に千歳を願う教室へ 作:じぇみに先生
9話
保健室。
(進路は決まった?)
「決まっていません」
(何かやりたいこととかは?)
「ありません」
(成績は良いから、この高校とかどう?)
「そこに行けということですか?」
(決めるのはあなたよ)
「私は決められません。先生が決めてください」
(カウンセリングは受けた?)
「はい」
(どうだった?)
「どうとは、どういう意味ですか?」
(これからも通えそう?)
「先生がそう望むなら」
(高度育成高等学校。ここに行ってみる気はない?)
「……あまり行きたくはないです」
(あなたはもう3年生。新しい場所に先生はついて行ってあげられない)
「……」
(ごめんね)
「どうして謝るんですか?」
(保健室登校。良かれと思ったけど、裏目にでちゃった)
「悪いのは私です。誰かに責任を押し付けた方が楽ですから」
「……オレが?」
「うん……好き、です。入学式の日、学校に向かうバスの中で、初めてあなたを目にした時から。同じクラスで、後ろの席だと知ってすごくうれしかった。本当はもっと話しかけたかったけど、私は自分に自信がなくて、人見知りだし。だから、あなたを見ていることしかできなかった。でも、夜中に自動販売機の前で偶然出会った時、すごくうれしくって、近づけるチャンスだーって思って、いろいろと聞いちゃった。すっごく、勇気を出して。その後、堀北さんのことがあって、それで私に仲間に入らないかって聞かれた時、すっごくうれしかった。本当はすぐにでも参加したかったんだけど、私なんかが役に立てるのかな?って、自信がなくて返事ができなかった。入ろうって思ったのは、次の日のお昼休み、綾小路くんが堀北さんに私を入れる理由を話して、それで決心がついたの。微々たる力だけど、それでも、ちょっとでもみんなの役に立てるのなら、私はいてもいいんだって思えたから」
──どうだろう。
これなら、あなたがどれだけ疑り深い人であっても、ただの「自分に自信がない、恋する普通の女子生徒」の物語として処理せざるを得ないはずだ。
気まずそうに視線を伏せ、目に涙を溜めつつ、赤面を装いながら声を震わせる。
私は続きを紡いでいく。
「茶柱先生との会話のことだけど……あの時は、須藤くんの為に、茶柱先生に退学取り消しをお願いしに行ってたよね?……すごく、カッコよかった。友達のために最後まであがこうとする姿はとても輝いて見えたよ。過去問のこと、初めて聞いたときはすっごく驚いた。だって、櫛田さんが入手したものだとばっかり思ってたから。綾小路くんが動いてたんだね。みんなに共有しようとまで考えられるなんて、すごいよっ。私なら入手しただけで満足しちゃいそう。それをやれる綾小路くんだからこそ、茶柱先生は買っているんじゃないのかな?私も綾小路くんはスゴイ人なんだって思うよ」
私の不可解だった行動を、恋という色で塗りつぶしていく。もうあなたに、違和感の正体は見つけられない。
「そう、か……」
一瞬の沈黙。
心臓の鼓動が、かつてないほどに耳の奥でうるさく響く。これでだめなら潔く腹を切る──それほどの覚悟で、私は彼の次の言葉を待った。
「気持ちはありがたいが……。悪い、女子に初めて告白されたから、どう対応していいのか困っている」
──勝った。
私は内心、深くほっと胸をなでおろした。完璧な回答を引き出せた。あの底知れない男が、ただの普通の男子高校生として、初めての告白に狼狽している。
「あ、ごめんね。別に付き合ってほしいとかじゃなくて……いや、できれば、そうなりたいけど……その、私の気持ちを聞いて欲しかっただけで……綾小路くんは、私のことを何とも思ってないってわかっているから」
「いや、オレのことをそこまで見ていてくれたのは、素直に驚いたし……嬉しくないと言えば嘘になる」
綾小路くんは泳ぐように視線を彷徨わせたあと、数秒の葛藤を見せ、
「だが、すまない。露草の気持ちに、今は答えてやれそうにない」
ふられた。
普通の女の子なら、きっとここで目の前が真っ暗になって、涙を流す場面なのだろう。
なのに、うれしい。
胸の奥から湧き上がってきたのは、悲しみではなく、確かな勝利への高揚感だった。
この『お断り』こそが、彼が私の張り巡らせた恋の欺瞞を完全に信じ込み、ただの無害なクラスメイトとして処理したという最高のアリバイなのだから。
ある週末のケヤキモール。
私の生活は、相変わらず極貧そのものだった。
配布されるはずのポイントをすべて失ったDクラスにおいて、私のような「後ろ盾」のない生徒が生き延びるには、無料の試供品を巡り、数十ポイントのセール品を血眼になって買い漁るしかない。
慎ましく買い物を済ませ、通路を歩いていた時のことだった。
前方に、何やら騒がしい一団が見える。
(あれは……)
集団の中に、見覚えのある顔があった。Cクラスの山脇くんだ。
関わりたくない。そう判断してそそくさとその脇をすり抜けようとした瞬間、集団の別の男──ガラの悪い、しかし名前までは知らない男の口から、聞き捨てならない言葉が漏れた。
「──例の計画ですけど、Dクラスのヤツをハメて……」
Dクラスが、狙われている。
直感が警報を鳴らした。このまま通り過ぎることもできた。けれど、ここで私が「うっかり聞いてしまった無害な生徒」を演じれば、奴らの計画に狂いを生じさせられるかもしれない。
「えっ……」
私はわざとらしく、しかし極めて自然に小さく声を漏らし、思わずといった風に足を止めてみせた。買い物の袋を握る手が、微かに震える。
「あ? おい、山脇。今の女……」
ガラの悪い男が私を睨みつける。山脇くんが私の顔を覗き込み、集団の中心にいる男へ向かって、忌々しげに告げた。
「名前は知りませんが……間違いありません。Dクラスの生徒です」
集団の中心から、一人の男がゆっくりと歩み出てくる。
そいつは名乗りもしなかった。ただ、蛇のような鋭い、そして底知れない濁った瞳で私を見下ろし、じりじりと距離を詰めてくる。凄まじい威圧感。この男が、Cクラスを裏で牛耳る存在──。
「おい。どこまで聞いた?」
低く、地を這うような声。
普通の女子生徒なら、恐怖で失神してもおかしくない圧迫面接。私はその期待に完璧に応えるべく、顔を真っ青に硬直させ、目に涙を溜めて言葉を失ったようにダンマリを決め込んだ。恐怖で声も出ない哀れな犠牲者。そのロールプレイを徹底する。
「あ? 聞いてんだよ。おい」
男がさらに一歩踏み込んだ。
だが、ここは週末で賑わうケヤキモールの中心だ。あまりに露骨な恐喝行為は、当然周囲の買い物の客や生徒たちの注目を集め始める。
「おい、あれ……」「ケンカか?」不穏な囁きが周囲に広がりかけたその時、山脇の隣にいた男が冷や汗を流しながら男の袖を引いた。
「り、龍園さん……ここだとさすがにやばいんじゃ……学校側に通報でもされたら面倒です」
龍園。それがこの男の名か。
男──龍園は、チッと忌々しげに舌を打つと、私の足元に落ちたセールの買い物袋を一瞥し、
「フン……興が削がれた。行くぞ」
それだけ言い残し、一団を率いて悠然と立ち去っていった。
「あ……っ、う……」
奴らの姿が見えなくなると同時に、私はその場にへたり込んだ。もちろん、周囲の同情を買うための、嫌な注目から身を隠しつつ怯える哀れな少女を演じ切るためのポーズだ。
「大丈夫、ですか……?」
通りすがりの女子生徒が、心配そうに駆け寄って声をかけてくる。
「あっ、はい……大丈夫,です……。ありがとうございます……。私、1年Dクラスの露草といいます。なにか、お礼を……」
「お気になさらず。私は1年Aクラスの白石といいます。機会があれば、お話ししましょう」
そういって、白石さんは去っていった。
涙を拭い、私はCクラスの背中を脳裏に思い描いていた。
(龍園、と言ったレベルの男なら、今の私の『不自然な立ち止まり』に、微かな違和感を覚えたはず……)
あれが単なる脅しではなく、具体的な「計画」であるなら、こちらが勘づいたかもしれないという警戒心が、奴らの動きを鈍らせる。
ほんの少しでも、Dクラスへの襲撃を遅らせる牽制になっていればいい。
私は小さく息を吐き出し、立ち上がった。
週明けの昼休み。
私は特別棟の廊下に足を運んでいた。
食堂で昼食をとった後は、ここに来ることが最近のルーティンになりつつある。めったに人が来ず、おまけに監視カメラの数も少ない。人目を気にせず、ただ一人で静かに思考を整理できるこの空間は、私にとって格好の憩いの場だった。
(もっとも、最近は湿度が上がって蒸し暑くなってきているから、夏の間は別の場所を探す必要があるだろうけれど……)
そんな他愛のないことを考えていた時、静まり返った廊下に、穏やかな足音が響いた。
「おや? 確か、露草さん、でしたっけ? こんにちは」
不意にかけられた声に、私は肩を小さく跳ね上がらせてみせる。
「あ……こんにちは」
そこに立っていたのは、Cクラスの椎名ひよりさんだった。
人当たりの良さの裏で、こちらの出方を探ってくるような気配を感じさせられる、あまり頻繁には関わりたくない相手。
「こんなところでどうされました?」
「あ、えっと……一人になりたくて。……そっちは?」
私が恐る恐る尋ね返すと、彼女は胸に抱えた分厚い文庫本を愛おしそうに見つめながら微笑んだ。
「私も、誰にも邪魔されず読書を楽しめる場所を探してまして。図書室で読むのが一番なのですが、あそこは他のおもしろそうな本の誘惑も多くて。こうして長編を読むときなどは、集中するために場所を変えたりしてるんです」
「そう……なんだ。でも、もうすぐ夏で……暑くなってくるから、ここはオススメできないかも」
「そうですか。では、ご忠告通り、ここはやめにしておきますね」
おっとりと小首をかしげる椎名さん。しかし、彼女は会話を切り上げようとはせず、そのまま私の顔をじっと見つめてきた。
「そういえば、先日……ケヤキモールで龍園くんたちに絡まれたとお聞きしました。お怪我などはされていませんか?」
「あ……うん。怖かった……けど、何もされてはいないよ?」
怯える女子生徒の仮面を張り付かせ、私は消え入りそうな声で返す。だが、彼女の次の一言で、脳内に一瞬にして鋭い警戒のシグナルが走った。
「よかったです。……実はあの後、石崎くんが、つい口を滑らせたとお聞きしました。それで露草さん、思わず足を止められたんですよね?」
空気が、微かに張り詰める。
下手な答え方をすれば、一気に警戒の網に引っかかる。私は視線を泳がせ、いかにも動揺したように言葉を詰まらせてみせた。
「うん。……『Dクラス』って言葉が聞こえて、なんだろう?って思って……」
「それ以上は、何も聞いていない、と?」
「き、聞いてないっ……! ホントに、なにもっ……!」
詰め寄られ、完全にパニックに陥った──そんな完璧なリアクションを披露する。私の身体の震えを見て、椎名さんはふっと表情を和らげ、申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさい。怖がらせてしまいましたね。私がCクラスの生徒だから……まるで、何か聞いたんじゃないかと問い質しているみたいでしたね」
彼女はそう言って、視線を窓の外へと移した。
「私は、あのような争いごとには興味はありません。この学校にある本を読み尽くしたり、できることなら、本について語り合える友人を持ちたい。私の興味は、本当にそれだけなんです」
観察する。その横顔から透けて見える感情には、一切の嘘偽りがなかった。彼女の言葉は、紛れもない本心なのだろう。
──ただし。
「……まあ、私もCクラスの生徒ですから。龍園くんに従わなければいけない時も、時にはありますが」
彼女はそれ以上追及することなく、「それでは」と上品に一礼して、その場を去ろうと歩き出す。
その後ろ姿を見つめながら、私は思考を巡らせていた。
このまま彼女を無警戒に帰すわけにはいかない。本を愛する彼女に対して「読書」という共通項を提示すれば、懐に入りやすくなる。それに、もし彼女が私をまだ疑っているのなら、おすすめの本を聞くことで「私はあなたに対して怯えつつも、純粋に親しくなりたがっている無害な生徒」だと誤認させ、カモフラージュをより強固にできるはずだ。
私はいつもの「露草千歳」としての台詞を絞り出すように、声をかけた。
「わ、私も……本は、少し……読む方だから。……だから、今度、おススメ……! 教えて、欲しいなって……」
その言葉に、椎名さんは足を止め、ゆっくりと振り返った。その顔には、先ほどまでの探るような気配は一切なく、ただ純粋な喜びを湛えた満面の笑みが浮かんでいた。
「ええ、是非」
弾んだ声とともに、彼女は特別棟を去っていく。
これでいい。私は「怯える小動物」のまま、彼女の懐に一本の楔を打ち込んだ。そう確信しながら、私は彼女のいなくなった廊下で、静かに息を吐いた。
特別棟から外へと出た椎名ひよりは、初夏の生温かい風に吹かれながら、周囲に誰もいないことを確認する。
そして、制服の懐から取り出した端末の画面に目を落とした。
画面に表示されていたのは、通話状態の文字。
彼女はそれをタップして、通話を切断した。
「ごめんなさい、露草さん」
椎名は静かに端末をポケットに収めると、空を見上げて小さく呟いた。
確かに、彼女は本が好きで、平和を愛する少女だ。それは何一つ偽りのない本心。
けれど同時に、彼女は徹底した利己主義者たちが集うCクラスにおいて、あの龍園翔が一定の信頼を置く存在でもあった。
先ほどの会話。露草千歳は完璧に怯え、何も聞いていないと必死に首を振っていた。普通の人間が見れば、ただの哀れな被害者にしか見えなかっただろう。
だが、椎名ひよりの眼が捉えた違和感は、全く別のものだった。
露草千歳は、怖がっていたのではない。
怯える少女を完璧に演じながら、その視線の端で、呼吸の僅かな乱れで、ひより自身の動揺や目的を冷徹に『観察』していたのだ。
椎名はもう一度、自分が歩いてきた特別棟を振り返り、困ったように微笑んだ。
(露草さんは、私と話をしているのではありません。彼女は……私を『観察』しています)
端末の向こうで二人の会話を聞いていた独裁者が、今頃どんな邪悪な笑みを浮かべているか。
椎名は静かに歩き出し、Dクラスの静寂がまもなく終わりを迎えることを予感していた。