TYPE-X99 建御名方 ― 約束を継ぐ者 ―   作:自己読み

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プロローグ 約束

雨だった。

 

春の終わりとは思えないほど冷たい雨が、格納庫の屋根を絶え間なく叩いていた。

 

その音だけが、広い格納庫に響いている。

 

工具を打つ音もない。

 

整備兵たちの怒鳴り声もない。

 

何百機もの戦術機を送り出し、迎え入れてきたこの場所が、今日だけは息を潜めていた。

 

やがて、格納庫の巨大な搬入口がゆっくりと開く。

 

湿った風が吹き込み、床に溜まった雨水を揺らした。

 

大型牽引車が、一機の戦術機を載せて姿を現す。

 

誰も迎えに走らない。

 

誰も「帰還機だ」と叫ばない。

 

整備兵たちは自然と手を止め、その機体を見つめていた。

 

帝国軍制式戦術機《吹雪》。

 

その面影は、ほとんど残っていなかった。

 

右腕は肩から失われ、左脚は応急固定具で辛うじて形を保っている。

 

胸部装甲は何度も抉られ、焼け焦げた塗装の隙間から鈍く金属が覗いていた。

 

それでも、左肩だけは不思議なほど綺麗だった。

 

そこには、小さな桜の部隊章が描かれている。

 

誰かが静かに帽子を脱いだ。

 

それを見た隣の整備兵も帽子を胸に抱く。

 

一人、また一人。

 

やがて格納庫にいた全員が、何も言わず帽子を取っていた。

 

命令ではない。

 

そうしなければならない理由もない。

 

ただ、この機体の主を知っていた。

 

それだけだった。

 

牽引車が止まる。

 

エンジンが切られる。

 

雨音だけが残る。

 

格納庫の奥から、一人の男がゆっくりと歩いてきた。

 

軍服ではない。

 

油の染みた作業着。

 

年齢は三十代半ば。

 

歩みは静かだったが、その姿を見つけた整備兵たちは道を開けた。

 

男は誰にも目を向けず、真っ直ぐ吹雪の前まで歩く。

 

そして、長い時間をかけて機体を見上げた。

 

傷だらけの装甲。

 

折れた跳躍ユニット。

 

潰れたコックピット周辺。

 

戦術機を知る者なら、それだけで戦闘の激しさが分かる。

 

男は右手を伸ばした。

 

冷え切った装甲に、そっと触れる。

 

指先に伝わる感触は、ただの鉄だった。

 

それでも彼は、まるで誰かの肩へ触れるように優しく撫でた。

 

「……帰ってきたか。」

 

その声は、雨音よりも静かだった。

 

返事はない。

 

あるはずもない。

 

その時だった。

 

格納庫の入口で、小さく靴音が止まる。

 

若い衛士が立っていた。

 

左腕を三角巾で吊り、制服は泥と煤で黒く汚れている。

 

敬礼しようと右手を上げるが、途中で一瞬ためらった。

 

その手は震えていた。

 

「……失礼します。」

 

男は振り返る。

 

若い衛士は姿勢を正した。

 

「隊長の……隊長の機体を、お返しに来ました。」

 

その言葉に、格納庫の空気がわずかに揺れた。

 

男は何も答えない。

 

若い衛士も続けない。

 

二人の間を、雨音だけが流れていく。

 

やがて男が口を開いた。

 

「最後まで。」

 

短い言葉だった。

 

若い衛士はうなずく。

 

「はい。」

 

「最後まで、自分たちを逃がしてくれました。」

 

目を閉じる。

 

脳裏には、数時間前の光景が焼き付いていた。

 

燃え上がる市街地。

 

崩れ落ちる高架橋。

 

迫り来るBETAの群れ。

 

そして、誰よりも前で剣を振るう一機の吹雪。

 

『行け!』

 

通信越しに響いた声。

 

『民間人を連れて帰れ!』

 

それが最後だった。

 

若い衛士は拳を握る。

 

「自分は……。」

 

声が詰まる。

 

「一緒に残るって言ったんです。」

 

「でも隊長は笑って……。」

 

男は静かに聞いていた。

 

若い衛士は、涙をこらえるように顔を上げる。

 

「『隊長ってのは、一番最後に帰るもんだ。』」

 

「あの人は、そう言いました。」

 

格納庫にいた誰もが動かなかった。

 

誰も視線を逸らさない。

 

その言葉は、その場にいる全員へ向けられたもののように聞こえた。

 

若い衛士は深く息を吸う。

 

「最後に……。」

 

「伝言を預かっています。」

 

男はゆっくりとうなずいた。

 

「聞こう。」

 

若い衛士は敬礼した。

 

その姿勢のまま、言葉を口にする。

 

「『恒一に伝えてくれ。』」

 

男の表情が、ほんのわずかに揺れる。

 

「『衛士が、生きて帰れる戦術機を作ってくれ。』」

 

それだけだった。

 

たった一言。

 

その一言だけが、静かな格納庫に落ちた。

 

男は何も言わない。

 

吹雪の装甲へ置いた手を、ゆっくりと握りしめた。

 

雨は、まだ降り続いていた。

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