TYPE-X99 建御名方 ― 約束を継ぐ者 ― 作:自己読み
帝都・京都の春は、静かだった。
山の端に残る雪は薄くなり、朝の光を受けた賀茂川の水面が白く揺れている。古い町並みを抜ける風には、冷たさの中に少しだけ花の匂いが混じっていた。
坂道を上る路線車の中は、いつもよりも人が少なかった。
乗っているのは、真新しい制服に身を包んだ若者ばかりだった。
誰も大きな声では話さない。
窓の外を見る者。
膝の上の鞄を握る者。
目を閉じている者。
その中で、武田迅は古びた革鞄を膝に置き、じっとその取っ手を見つめていた。
新品ではない。
角は擦れ、金具には細かな傷がある。
母は、新しいものを買おうと言った。
けれど迅は、これでいいと答えた。
父が使っていた鞄だった。
中には着替えと教本、少しばかりの私物。そして、母が握らせてくれた小さな弁当が入っている。
「帝国斯衛軍・衛士養成学校前です。」
車内放送が流れた。
迅は顔を上げた。
扉が開く。
春の空気が車内へ流れ込んでくる。
一人、また一人と新入生たちが降りていく。
迅も鞄を肩に掛け、地面へ足を下ろした。
目の前に、石造りの門があった。
門柱には、力強い文字が刻まれている。
帝国斯衛軍・衛士養成学校
その先には、長い桜並木が続いていた。
満開の桜が風に揺れ、花びらが石畳へ静かに落ちていく。さらに奥には赤煉瓦造りの校舎。その背後には、ひときわ大きな格納庫の屋根が見えた。
迅はしばらく動けなかった。
「……ここか。」
小さく呟く。
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
幼い頃から目指してきた場所だった。
「おい。」
横から声がした。
振り向くと、大きな荷物を両手に抱えた少年が立っていた。髪は少し跳ね、制服もどこか落ち着かない。けれど笑顔だけは妙に明るかった。
「お前も新入生だよな?」
「ああ。」
「固まってたからさ。迷子かと思った。」
「見とれてただけだ。」
少年は門を見上げた。
「分かる。俺もさっき固まった。」
そう言って笑う。
「神谷隼人。整備科。」
迅は少し意外そうに見る。
「整備科?」
「そう。乗る方じゃなくて、直す方。」
神谷は胸を張った。
「小さい頃から機械いじりばっかりしてたんだ。戦術機なんて、最高だろ。」
迅は格納庫の方を見る。
「俺は武田迅。衛士科。」
「衛士科か。」
神谷は荷物を抱え直し、右手を差し出した。
「じゃあ、いつか俺が整備した機体に乗るかもな。」
迅はその手を握った。
「その時は頼む。」
「任せろ。」
神谷は笑った。
その時、校門の奥から鋭いラッパの音が響いた。
続いて、教官の声が飛ぶ。
「新入生、整列!」
周囲の空気が変わった。
さっきまで家族と話していた者も、緊張した顔で校内へ走り出す。
神谷が肩をすくめる。
「始まったな。」
「ああ。」
二人は門をくぐった。
桜並木の下を走る。
花びらが制服の肩に落ちたが、払う余裕はなかった。
校庭には、すでに多くの新入生が集まり始めている。
衛士科。
整備科。
列は分かれていた。
「じゃあ、また後で!」
神谷が手を振る。
「また。」
迅も短く返し、衛士科の列へ入った。
前を向く。
胸が鳴っている。
不安もある。
期待もある。
けれど、もう引き返したいとは思わなかった。
ここから始まるのだ。
衛士になるための二年間が。
校庭の向こうでは、重く閉ざされた格納庫のシャッターが朝日に照らされていた。
その中に何があるのか、迅はまだ知らない。
ただ、いつかあの扉の向こうへ立つ日が来る。
そう思うだけで、自然と背筋が伸びた。
春風が吹く。
桜が舞う。
武田迅の蒼き日々は、その校門の先で静かに始まった。