TYPE-X99 建御名方 ― 約束を継ぐ者 ― 作:自己読み
校庭には、まだ春の冷たさが残っていた。
新入生たちは科ごとに整列し、正面の演壇を見つめている。
誰も大きな声を出さない。
桜の花びらが風に流され、磨かれた靴の先へ静かに落ちた。
迅は背筋を伸ばしたまま、視線だけで周囲を見た。
衛士科の列には、自分と同じ年頃の少年少女が並んでいる。緊張している者もいれば、最初から落ち着いている者もいた。
少し離れた整備科の列には、神谷の姿があった。
大きな荷物はすでに置いたらしく、今は真面目な顔で前を向いている。
その表情がどこかぎこちなくて、迅は少しだけ笑いそうになった。
「前を向け。」
低い声が横から飛んだ。
迅は慌てて姿勢を正す。
列の前を歩いていた教官が、こちらを見ていた。
年齢は四十代後半ほど。
短く刈られた白髪。
鋭い眼差し。
その視線だけで、校庭の空気がさらに引き締まる。
教官はそれ以上何も言わず、演壇の横へ歩いていった。
隣にいた生徒が、小さく息を吐く。
「……怖いな。」
迅は返事をしなかった。
ただ、その教官の背中を目で追った。
やがて、本校舎の扉が開いた。
黒い制服を着た教官たちが並び、その中央を学校長がゆっくりと歩いてくる。
新入生全員が一斉に姿勢を正した。
学校長は演壇へ上がると、しばらく校庭を見渡した。
風が止む。
「諸子。」
声は静かだった。
だが、校庭の端までよく届いた。
「本日より諸子は、帝国斯衛軍・衛士養成学校の学生である。」
誰も動かない。
「この門を潜った日から、諸子の命は諸子一人のものではない。」
迅は無意識に拳を握った。
「帝国を守る者として。」
「民を守る者として。」
「そして、隣に立つ者を守る者として。」
学校長は一拍置いた。
「この二年間を過ごせ。」
短い訓示だった。
けれど、その言葉には重さがあった。
続いて、先ほど迅を注意した教官が一歩前へ出た。
「板垣信方だ。」
名乗っただけで、校庭の空気が変わる。
「衛士科一年の主任教官を務める。」
板垣は新入生たちを一人ずつ見るように、ゆっくりと視線を動かした。
「ここでは、才能だけでは残れん。」
「家柄だけでも残れん。」
「口先だけなら、なおさらだ。」
誰かが小さく息を飲んだ。
板垣は続ける。
「毎日、積み重ねろ。」
「それだけだ。」
そして視線を整備科へ向ける。
「整備科も同じだ。」
「衛士は機体に命を預ける。」
「整備士は、その命を預かる。」
神谷の顔が少しだけ引き締まったのが、遠目にも分かった。
板垣は最後に、もう一度全員を見た。
「二年後。」
「ここに立つ全員が、同じ顔で卒業できるとは思うな。」
校庭が静まり返る。
「だが、残ると決めたなら残れ。」
「折れるな。」
「以上。」
板垣は一礼し、演壇を降りた。
長い拍手はなかった。
歓声もない。
ただ、新入生たちは一斉に敬礼した。
迅も右手を上げる。
指先がわずかに震えていることに気付いた。
怖いのか。
緊張しているのか。
それとも、胸が高鳴っているのか。
自分でも分からなかった。
入校式が終わると、教官たちの号令で各科ごとに移動が始まった。
「衛士科、第一教室へ!」
「整備科、実習棟へ!」
列が分かれる。
神谷が横を通り過ぎる時、ほんの一瞬だけ迅へ目を向けた。
口だけで言う。
「あとでな。」
迅も小さく頷いた。
衛士科の列は、本校舎へ向かって進む。
赤煉瓦の建物は近くで見るとさらに大きかった。古いが、手入れは行き届いている。廊下の床は磨き込まれ、壁には歴代の卒業生たちの写真が並んでいた。
写真の中の衛士たちは、皆まっすぐ前を見ている。
迅は歩きながら、その一枚一枚を横目で追った。
この人たちも、最初はここから始まったのだろうか。
同じ校庭で緊張し、同じ廊下を歩き、同じように教官の声に背筋を伸ばしたのだろうか。
「前を見る。」
前方から板垣の声がした。
迅は慌てて視線を戻す。
隣の生徒が小さく笑った。
迅は少しだけ肩をすくめた。
第一教室に入ると、机の上には名前札が置かれていた。
武田迅。
窓際の席だった。
迅は鞄を置き、椅子へ腰を下ろす。
窓の外には桜並木が見える。
風が吹くたび、花びらが校庭へ舞い落ちていた。
しばらくして、隣の席に一人の少年が座った。
眼鏡を掛け、制服の襟も袖も乱れがない。
少年は机の上の名前札を確認し、教本をきれいに並べる。
その動作に無駄がなかった。
迅は少し迷ってから声を掛けた。
「武田迅。」
少年は顔を上げる。
「九条誠だ。」
短い返事だった。
「よろしく。」
「こちらこそ。」
会話はそこで終わった。
九条はすぐに前を向く。
迅も同じように前を向いた。
まだ何も分からない。
この学校のことも。
隣に座る九条という少年のことも。
朝、校門で出会った神谷のことも。
けれど、今日から始まる二年間の中で、少しずつ知っていくのだろう。
教室の扉が開く。
板垣が入ってきた。
その瞬間、教室中の空気が変わる。
板垣は教壇に立ち、出席簿を開いた。
「これより、最初の点呼を行う。」
迅は背筋を伸ばした。
窓の外で桜が舞う。
春の静けさの中、彼らの新しい日々が少しずつ動き始めていた。