TYPE-X99 建御名方 ― 約束を継ぐ者 ― 作:自己読み
翌朝。
シミュレーター棟の空気は、昨日よりも重かった。
誰も「今日は走れる」とは言わない。
朝倉でさえ無口だった。
昨日、加速の恐ろしさを全身で味わったからだ。
板垣は学生たちが整列すると、いつものように短く告げた。
「搭乗。」
五人は無言でコックピットへ乗り込む。
《訓練プログラム起動》
演習場には一本の白線が引かれていた。
板垣が説明する。
「今日の課目は一つ。」
「この線で止まれ。」
朝倉が首を傾げる。
「それだけですか。」
「それだけだ。」
「走る必要もない。」
「速さも求めん。」
「止まれ。」
《訓練開始》
最初は朝倉だった。
ゆっくり加速する。
「今だ!」
減速。
しかし早すぎた。
白線の二メートル手前で停止する。
「……。」
朝倉は悔しそうに天井を見上げた。
次は結城。
慎重に速度を上げる。
止まる。
今度は五十センチオーバー。
真壁。
二十センチ不足。
九条。
十七センチオーバー。
どれも合格ではない。
板垣は何も言わない。
ただ記録を付けるだけだった。
「武田。」
「はい。」
武田は深呼吸した。
昨日のことを思い出す。
速く走ろうとして失敗した。
今日は違う。
止まることだけを考える。
ゆっくり加速。
白線が近付く。
(まだだ。)
(もう少し。)
(今。)
減速。
武御雷が静かに速度を落とす。
そして。
白線の手前で止まった。
《誤差 九センチ》
武田は思わず息を吐いた。
「……よし。」
板垣は記録を見つめる。
「武田。」
「はい。」
「なぜ止まれた。」
武田は考える。
昨日なら、
「運が良かったです。」
そう答えていただろう。
だが今は違う。
「速く走ることを考えませんでした。」
「止まることだけを考えました。」
板垣は小さく頷いた。
「そうだ。」
学生たちが武田を見る。
板垣は全員へ向き直る。
「覚えておけ。」
「止まる場所を決めずに走る者は。」
「止まれない。」
誰も声を出さない。
「戦場も同じだ。」
「帰る意思を持たずに戦う者は。」
「帰れない。」
その言葉に、武田は胸を打たれた。
帰る意思。
それは、生きて仲間と共に戻るという覚悟なのだと、武田は静かに受け止めた。
昼休み。
食堂。
朝倉が武田の向かいへ座る。
「九センチか。」
「すげぇな。」
武田は苦笑した。
「たまたまだよ。」
「いいえ。」
後ろから声がした。
振り返ると、一ノ瀬が立っていた。
「たまたまではありません。」
「止まることだけを考えた結果です。」
武田は驚く。
「聞こえてたのか。」
「ええ。」
一ノ瀬は静かに続けた。
「私も最初は止まれませんでした。」
「何度も転びましたし、何度も注意を受けました。」
武田は思わず笑った。
「なんだか安心した。」
一ノ瀬もわずかに口元を緩める。
「安心してはいけません。」
「次は旋回です。」
「もっと難しくなります。」
そう言うと、軽く一礼し、第一班の席へ戻っていった。
午後。
訓練終了後。
板垣は教官室で記録表を見つめていた。
九条。
真壁。
結城。
朝倉。
武田。
一人ひとりの停止誤差が並んでいる。
板垣は武田の欄へ目を止めた。
九センチ。
まだ誤差はある。
だが、昨日まで止まれなかった学生が、自ら止まることを選べるようになった。
それは数字以上の成長だった。
板垣は静かに記録表を閉じる。
「……次だ。」
教官室には、その一言だけが静かに残った。