TYPE-X99 建御名方 ― 約束を継ぐ者 ― 作:自己読み
設計室の灯りだけが、夜更けの開発棟に残っていた。
時計の針は午前零時を回っている。
廊下を歩く人影はなく、窓の外では夜間滑走路の誘導灯が規則正しく瞬いていた。
製図台には、何枚もの図面が重ねられている。
脚部フレーム。
跳躍ユニット。
肩関節。
駆動系。
昨日まで白紙だった図面は、いつの間にか一本の戦術機として輪郭を持ち始めていた。
林雪華は製図台へコーヒーを二つ置いた。
「休憩しませんか。」
武田は返事をしない。
鉛筆を走らせる音だけが続く。
林は苦笑した。
「その癖、直らないんですね。」
ようやく武田が顔を上げる。
「癖ですか。」
「集中すると時間を忘れる。」
「あなた、昨日の昼からほとんど席を立っていません。」
武田は腕時計を見た。
「……本当だ。」
「気付きませんでした。」
「でしょうね。」
林は椅子へ腰を下ろした。
しばらく二人は黙ってコーヒーを飲む。
設計室には静かな時間が流れていた。
壁には、世界各国の戦術機の写真が貼られている。
その中でも、一枚だけ武田の視線が止まる写真があった。
傷だらけの吹雪。
あの日、格納庫で撮影された一枚だった。
林もその視線に気付く。
「忘れられませんか。」
武田は小さく笑う。
「忘れるつもりもありません。」
「忘れたら、この機体を作る意味がなくなる。」
林は写真を見つめた。
「その人は。」
武田は少しだけ考えてから答えた。
「幼なじみです。」
「一番の親友でした。」
それだけだった。
武田は詳しく語らない。
林も、それ以上は聞かなかった。
技術者には分かる。
図面には、その人の生き方が現れる。
この戦術機が、人を守るために描かれていることくらい、もう十分伝わっていた。
沈黙を破ったのは林だった。
「そういえば。」
「まだ名前がありませんね。」
武田は製図台の右上を見る。
そこには、
TYPE-X99
とだけ書かれていた。
「型式だけでは、少し寂しいですね。」
武田は椅子にもたれ、天井を見上げた。
「名前か……。」
林は机の上の資料をめくる。
「私は、名前は大事だと思っています。」
「機械にも、開発者の願いが宿りますから。」
武田はゆっくり頷いた。
「願い、か。」
しばらく考え込む。
設計室には時計の秒針だけが響いていた。
やがて武田は立ち上がり、本棚へ向かった。
古びた一冊の本を取り出す。
神話集だった。
林が首を傾げる。
「日本神話ですか。」
武田はページをめくる。
「子どもの頃、父がよく読んでくれました。」
何ページかめくり、一か所で手を止める。
そこに書かれていた名を、静かに読み上げた。
「建御名方。」
林は初めて聞く名前だった。
「どういう意味ですか。」
武田は本を閉じる。
「意味はいくつもあります。」
「武神として語られることもあります。」
「でも。」
武田は窓の外を見た。
夜明け前の空が、わずかに青くなり始めている。
「私が、この名前を選びたい理由は別です。」
林は黙って聞いていた。
「戦うための神じゃない。」
「守るために立つ者。」
「力を誇る者じゃない。」
「仲間のために、その力を使う者。」
武田は製図台へ戻る。
TYPE-X99の文字の下へ、ゆっくりと鉛筆を走らせた。
建御名方
その四文字を書き終えると、不思議なくらい自然に思えた。
林はその文字を見つめ、小さく微笑む。
「いい名前ですね。」
武田は照れくさそうに笑う。
「そう思いますか。」
「ええ。」
「強そうだからではありません。」
林は文字を指でなぞる。
「優しい名前です。」
武田は何も言わなかった。
その言葉が、自分の願いそのものだったからだ。
その時、設計室の窓から朝日が差し込んだ。
柔らかな光が製図台を照らす。
TYPE-X99。
建御名方。
まだ完成には遠い。
まだ誰も知らない。
それでも、この世界に一機だけの戦術機は、その朝、初めて名前を授かった。