TYPE-X99 建御名方 ― 約束を継ぐ者 ―   作:自己読み

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第五章 疾風 第47話 静かなる一歩

 

朝から雨が降っていた。

 

細い雨ではない。

 

演習場の土を叩き、校舎の窓を濡らし、遠くの山を白く霞ませるような雨だった。

 

食堂の窓際で、朝倉は外を眺めながら大きく息を吐く。

 

「今日は中止だろ。」

 

武田は味噌汁をすすりながら首を振った。

 

「板垣教官だぞ。」

 

「雨くらいで中止になると思うか?」

 

朝倉は箸を止める。

 

「……思わない。」

 

結城が苦笑した。

 

「むしろ、雨だからやりそうです。」

 

「嫌な説得力だな。」

 

真壁は黙って焼き魚を口へ運んでいた。

 

九条が湯呑みを置く。

 

「雨の日に動けない衛士は、晴れの日しか戦えない。」

 

朝倉は肩を落とした。

 

「はいはい。」

 

「やりますよ。」

 

「最初からそのつもりでいろ。」

 

真壁が短く言う。

 

武田は窓の外を見た。

 

演習場はすでにぬかるみ、水たまりが広がっている。

 

今日の訓練は、楽には終わらない。

 

そう思った。

 

シミュレーター室へ入ると、板垣はすでに待っていた。

 

大型モニターには、雨天を再現した演習区域が映し出されている。

 

視界は悪く、地面は泥濘。

 

崩れかけた斜面や浅い水路が点在していた。

 

板垣が短く告げる。

 

「本日の課目。」

 

「雨天機動。」

 

学生たちは姿勢を正す。

 

「センサーにはノイズが入る。」

 

「足元は滑る。」

 

「視界も悪い。」

 

朝倉が思わずつぶやく。

 

「全部悪いじゃねぇか……。」

 

板垣の視線が向く。

 

朝倉は慌てて口を閉じた。

 

「開始。」

 

それだけだった。

 

《訓練プログラム起動》

 

第三班の五機が前進する。

 

「前進。」

 

九条の号令。

 

「了解。」

 

最初は順調だった。

 

しかし速度を少し上げた瞬間、朝倉の機体が横へ流れる。

 

「うわっ!」

 

右脚が滑り、大きく姿勢を崩した。

 

武田が思わず進路を変えようとする。

 

「動くな。」

 

真壁の声だった。

 

武田の手が止まる。

 

朝倉は姿勢を立て直す。

 

「悪い!」

 

九条が指示を飛ばす。

 

「速度を落とす。」

 

「隊形維持。」

 

五機は慎重に進む。

 

だが慎重になりすぎた。

 

速度が落ち、判断も遅くなる。

 

その時だった。

 

真壁が短く言う。

 

「九条。」

 

「右側、泥が深い。」

 

九条はすぐに周囲を確認した。

 

「中央維持。」

 

「了解。」

 

数秒後。

 

右側の斜面が崩れ、水を含んだ土砂が流れ落ちる。

 

朝倉が息を呑んだ。

 

「危なかった……。」

 

武田も思わず真壁を見る。

 

真壁は前を見たままだった。

 

その後も雨は強くなり、視界はさらに悪くなる。

 

五機は慎重に進んだ。

 

しかし失敗を恐れるあまり、動きが止まり始めた。

 

最後の水路手前で隊形が乱れる。

 

《課目失敗》

 

静かに表示が浮かび上がった。

 

昼休み。

 

第三班は休憩室へ集まっていた。

 

朝倉が悔しそうに言う。

 

「俺が滑ったせいだな。」

 

「違う。」

 

真壁が即座に答えた。

 

「崩れた後、全員止まった。」

 

武田は地図を見る。

 

確かに、雨を怖がるあまり、一歩が遅れていた。

 

九条も静かに頷く。

 

「安全を意識しすぎた。」

 

「結果として動けなくなった。」

 

結城が遠慮がちに言う。

 

「でも、速く動いたら滑ります。」

 

真壁は首を振る。

 

「速くじゃない。」

 

「止まらない。」

 

武田が聞き返す。

 

「止まらない?」

 

「少しずつ動き続ける。」

 

「止まると次の一歩が大きくなる。」

 

九条はしばらく考えた。

 

そして真壁を見た。

 

「午後は、お前が地形の変化を見てくれ。」

 

真壁は少し驚く。

 

「俺は班長じゃない。」

 

「指揮は私が執る。」

 

九条は静かに言った。

 

「だが、お前が気付いたことは、すぐ伝えてくれ。」

 

真壁は小さく頷く。

 

「了解。」

 

午後。

 

雨はさらに強くなっていた。

 

《訓練プログラム起動》

 

同じ演習区域。

 

同じ雨。

 

同じ泥濘。

 

「前進。」

 

九条の号令で五機が動き出す。

 

真壁が周囲を見ながら報告する。

 

「右側、泥が深い。」

 

「中央は行けそうだ。」

 

九条が即座に命じる。

 

「中央維持。」

 

「了解。」

 

朝倉が再び滑りかける。

 

「朝倉。」

 

「力を入れすぎだ。」

 

真壁が短く言う。

 

朝倉は肩の力を抜く。

 

機体は少し流れたが、転倒はしなかった。

 

結城が報告する。

 

「前方、水路。」

 

「水量が増えています。」

 

九条はすぐに判断した。

 

「跳ばない。」

 

「そのまま越える。」

 

「了解。」

 

第三班は歩幅を揃え、水路を越える。

 

泥が跳ねる。

 

機体が揺れる。

 

それでも誰も止まらない。

 

最後の崩落地帯。

 

武田の手に力が入る。

 

「武田。」

 

真壁の声が聞こえた。

 

「焦るな。」

 

武田は自然と肩の力を抜く。

 

「了解。」

 

「前進。」

 

九条の号令。

 

五機は歩みを止めない。

 

そして。

 

《課目達成》

 

表示が浮かび上がった。

 

朝倉が安堵の息を漏らす。

 

「抜けた……。」

 

結城も笑う。

 

「はい。」

 

九条は真壁を見る。

 

「助かった。」

 

真壁は少し照れたように視線を逸らし、短く答えた。

 

「次は、お前たちも気付け。」

 

その一言に、武田は思わず笑みを浮かべた。

 

「努力するよ。」

 

朝倉も笑う。

 

「宿題が増えたな。」

 

訓練終了後。

 

板垣は第三班の前に立つ。

 

「真壁。」

 

「はい。」

 

「なぜ右を避けた。」

 

真壁は少し考えた。

 

「泥の色が違いました。」

 

「水も右へ流れていました。」

 

「危ない気がしました。」

 

板垣は静かに頷く。

 

「悪くない。」

 

そして五人全員を見渡す。

 

「計器は教える。」

 

短く間を置く。

 

「決めるのは、お前たちだ。」

 

それだけ言うと、板垣は教官室へ戻っていった。

 

夜。

 

寮へ戻る廊下には、濡れた靴の跡が続いていた。

 

朝倉が真壁の肩を軽く叩く。

 

「今日、本当に助かった。」

 

真壁は小さく息を吐く。

 

「次は、自分で気付け。」

 

「厳しいな。」

 

朝倉が苦笑すると、武田と結城が吹き出した。

 

九条も小さく笑う。

 

窓の外では、まだ雨が降り続いている。

 

武田は静かにその雨を見つめた。

 

朝と景色は変わらない。

 

変わったのは、自分たちの歩き方だった。

 

止まらず、一歩ずつ進む。

 

その一歩が、今日の第三班をまた少し強くしていた。

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