TYPE-X99 建御名方 ― 約束を継ぐ者 ― 作:自己読み
朝の食堂は、いつもより静かだった。
雨は上がっていたが、窓の外にはまだ低い雲が残っている。湿った風が校庭を撫で、遠くの山並みを薄く霞ませていた。
朝倉は珍しく、朝食の箸が進んでいなかった。
「どうした。」
武田が声を掛ける。
「いや……。」
朝倉は味噌汁の椀を見つめたまま言う。
「今日は何か、嫌な感じがする。」
真壁が短く返した。
「勘か。」
「そう。」
朝倉は頷く。
「俺の勘は当たる。」
「この前、今日の昼はカツだって言って外しただろ。」
武田が言うと、結城が小さく笑った。
朝倉は少しだけ表情を戻す。
「あれは食堂側が悪い。」
「違う。」
真壁の一言で、武田たちも笑った。
九条だけは静かに湯呑みを置き、窓の外を見ていた。
「今日は、実戦課程に入るかもしれない。」
その言葉に、空気が変わった。
武田は箸を止める。
「実戦課程……。」
九条は頷く。
「機動、跳躍、雨天、夜間。」
「基礎は一通り終えた。」
「次に来るのは、おそらく敵だ。」
誰もすぐには返事をしなかった。
敵。
その一文字が、食堂の空気を重くした。
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シミュレーター棟へ向かう道は、いつもと同じだった。
だが、今日は誰も冗談を言わない。
格納庫の横を通ると、白い武御雷が整然と並んでいた。
武田は一瞬だけ足を止める。
あの機体へ近づくために、ここまで訓練してきた。
立つこと。
歩くこと。
止まること。
刀を構えること。
跳ぶこと。
仲間と動くこと。
そのすべてが、何のためだったのか。
今日、それを知るのかもしれない。
シミュレーター室へ入ると、板垣が待っていた。
大型モニターには、まだ何も映っていない。
板垣は学生たちが整列するのを待ち、短く告げた。
「本日より、実戦戦術シミュレーターを使用する。」
室内の温度が下がったように感じた。
「これまでの課程は、機体を動かす訓練だった。」
板垣は学生たちを見渡す。
「今日からは、敵を相手にする。」
朝倉の喉が小さく鳴った。
結城は拳を握る。
真壁は表情を変えない。
九条はまっすぐ前を見ていた。
板垣が端末を操作する。
モニターに映像が現れた。
荒れた大地。
崩れた市街地。
そして。
異形の群れ。
誰かが息を呑んだ。
BETA。
教本では何度も見た。
映像資料でも見た。
だが、訓練用の立体映像として目の前に現れたそれは、紙の上の知識とはまるで違っていた。
気持ち悪い。
恐ろしい。
そういう言葉では足りない。
こちらを人間として見ていない。
ただ前へ進み、壊し、食い潰すためだけに存在しているもの。
武田は無意識に奥歯を噛み締めた。
「戦車級。」
板垣の声が響く。
小型のBETAが画面に拡大される。
「数で押す。」
「動きは速い。」
「足元へ入り込まれれば、機体を崩される。」
次に、さらに巨大な個体が表示された。
「突撃級。」
「正面装甲は厚い。」
「正面から止めようとするな。」
そして、長い腕を持つ異形。
「要撃級。」
「接近戦で最も遭遇しやすい。」
「腕部の一撃を受ければ、訓練機なら即時戦闘不能だ。」
朝倉が小さく呟く。
「こんなのを……。」
板垣の視線が動く。
「朝倉。」
「はい。」
「声に出せ。」
朝倉は一度唇を結び、正面を向いた。
「こんなのを、斬るんですか。」
板垣はすぐには答えなかった。
沈黙の後、静かに言う。
「違う。」
学生たちは顔を上げる。
「斬るのではない。」
「止める。」
富田の言葉が、武田の中で蘇る。
刀は護るためにある。
敵を斬るためではない。
護るために抜く。
板垣は続けた。
「敵を倒すことに酔う者は、最初に死ぬ。」
「敵を見過ぎる者も死ぬ。」
「守るものを見失う者も死ぬ。」
室内は静まり返っていた。
「今日の課目は、撃破ではない。」
「生存だ。」
その言葉に、武田は眉を動かした。
「生存……。」
「そうだ。」
板垣は短く答える。
「第三班。」
五人が姿勢を正す。
「お前たちは、制限時間五分を生き残れ。」
朝倉が目を見開く。
「撃破ではなく、ですか。」
「そうだ。」
「五分間、生き残れ。」
それだけだった。
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搭乗準備が始まった。
武田は七番コックピットへ向かう。
手すりを握る手が少し汗ばんでいた。
何度も座った席。
何度も起動したシステム。
それなのに、今日は違う。
コックピットへ座ると、胸の奥が重くなる。
《実戦戦術シミュレーター起動》
《交戦記録データ読込》
《BETA行動パターン反映》
無機質な音声が続く。
武田はゆっくり操縦桿を握った。
九条の声が通信に入る。
「第三班、応答。」
「武田、異常なし。」
「朝倉、異常なし。」
「真壁、異常なし。」
「結城、異常ありません。」
九条は一拍置いて言った。
「目的は生存だ。」
「敵を深追いするな。」
「班を崩すな。」
「了解。」
武田は息を整える。
大丈夫だ。
今までやってきた。
歩いた。
止まった。
跳んだ。
退いた。
雨でも、夜でも、五人で越えてきた。
なら、今回も。
そう自分に言い聞かせた。
だが、モニターの向こうに広がる荒野を見た瞬間、その言葉は少しだけ揺らいだ。
遠くで、赤い反応が動いた。
一つではない。
十。
二十。
もっと多い。
結城の声が震える。
「前方、複数反応。」
真壁が続ける。
「距離、八百。」
朝倉が低く言う。
「来るぞ。」
九条の声は落ち着いていた。
「第三班、後退しながら迎撃体勢。」
「目的は五分生存。」
「繰り返す。」
「生き残る。」
武田は長刀へ手を掛ける。
背中に冷たいものが走った。
これは訓練だ。
死なない。
そう分かっている。
それでも。
画面の向こうから迫ってくる群れは、確かに武田の心へ恐怖を押し込んできた。
板垣の声が最後に響く。
「開始。」
《模擬BETA戦、開始》
荒野の向こうで、BETAの群れが動き出した。