その猫は毛並良く、人に飼われているのが傍目からも伺えるようだった。
しかし、普通の猫とは違う。
器用に尻尾を折り曲げて蝋印された封筒を携えていた。
そう訓練されたのだろうか。
そのような猫が町のアチコチで見られるような事はない。
金持ちの御屋敷の中になら、いるのかもしれないが、町中の道を堂々と歩いている姿は、庶民を恐れない飼い主に通じるものがあるように見えた。
猫は歩く。
何処へ向かっているのか、そこまで気にする者は誰もいない。
ポルギュスカ帝国の現状は、それどころではないからだ。
◇◇◇◇◇
「貴様、理由も明かさずに拒否する気ではないだろうな? 」
ミリルシアは、一段、低い声でそう告げる。
まるで検問所の職員を脅すかのように。
ポルギュスカ帝国に入る検問所で、足止めされて既に半日が過ぎていた。
のらりくらり、上司の裁定が下りないと通す事が出来ないと、ミリルシアに何度も同じ説明を繰り返す職員の男。
横目に国境を行き来する人達の姿を見ながら、ミリルシアの不満は募っていく。
"ブチ壊して通ってもいいのですよ"
考えが読めなくても分かる、きっと彼女はそう思っているはずだ。
いつも仮面のように動じないミリルシアの作り笑顔が、苛ついて歪みはじめている。
「ミリル…… 」
ーーードバーンッ!
声を掛けるのが一瞬遅かった。
突然、大きな闇の腕が生えて、検問所の建物を半分吹き飛ばした。
ミリルシアの堪忍袋の緒が切れたのだ。ガラガラ、バキバキと音をたて、屋根を掴んでは毟り放り投げる黒い腕。
「貴様ー!魔王軍かー! 」
武装した警備の者が集まってきた。
俺達の周りを取り囲もうと、遠巻きにした。
「魔族はみな、魔王軍とでも言うのなら、そんな短慮な者に検問させる国の程度が知れると言うものですね…… 」
"ねぇ" と振り返り同意を求めるような視線を向けられたが、悪いがうなずけない。
ここで暴れて国に入れる筈がないだろうから。
救いがあるとすれば、未だ物損だけで、誰にも傷を負わせていないと言う事か。
けれど、それもすぐになくなりそうではある。
「うるさい! 魔族の言葉など、どうせ嘘に決まっている! 魔王軍は捕まえて処刑してやる! 」
ミリルシア以上に冷静さをかいてかいる検問所の警備の者達。
既に抜剣している者もいる。
片や、ミリルシアはスルスルと闇の腕を影に戻した。
「何かお前たちは、大きな勘違いをしているようですね…… そもそも検問所などと、言う面倒臭い施設など、壊して更地にして通る事もできたのですよ? それをお前たちの決まりだか、何だかしらない戯言に付き合ってあげたら、どれだけ待たせれば気が済むのです? 残りも壊して更地にされないと、分からないのですか? 」
「うるさい! この魔族め! 」
聞く耳は持たないと、剣を振り上げて、迫って来る警備の者たち。
しかし、それは叶わなかった。
今にも襲ってきそうな顔のまま、こちらを睨むだけで、近づいて来ず、足踏みしているように見えた。
これが、結界か。
ミリルシアから手解きを受けているがまだ、一度も出来ないでいる結界が張られているようだ。
「捕まえて処刑とは、また物騒な事を言うものですね…… しかし、それは強き者が弱き者に言う言葉であって、お前たちは何を勘違いしてるのか、自分でも分からないのですか? 処分されるのはどちらか、分からない愚か者にあいにく、教えを説くほど暇ではありません……」
ダメだ。
ここは通れない。
ミリルシアは余裕の笑みを浮かべて足踏みしてる男達を眺めているが、これでは、行くも逃げるも出来なくなってしまうのではないか。
「引き返しましょう……」
フェリオは背後から俺にそう言う。
チェルニアと、その背中に隠れるラーラ、ミシェネもこちらを見て頷いている。
誰もミリルシアには言おうとはしない。言っても睨まれるだけだと分かっているのだ。
「戻れるなら、戻りましょう 」
「そう致しますか? 」
今さら、引き下がれるとは思わないが、ミリルシアの認識は、違うらしい。
「ほら、これを修理の足しにしなさい」
懐から金貨を取り出すと、四方の壁のなくなった取り調べ室のテーブルの上にガチャリと置いた。
10枚近い金貨だ。
結界で近づけない男たちの罵詈雑言には見向きもせず、アッサリと、その場を離れる事が出来た。
結界とは、遠隔でも、効果が持続するようだ。
荷馬車に乗って少し離れると、矢が数本、飛んできた。
結界の効果が切れて、警備の男達が放ったのだろう。
国境の町へは戻れない。
道が一方通行だからだ。
帝国へ向かう道はあっても、帝国から来る者は入れては貰えない。
それは別の町で行われている。
国を出る町と、国に入る町は別々に分けられていた。
なぜ、そんな仕組みなのかは知らないけれど、引き返す、若しくは追い返される者が居るとは想定してないらしい。
荷馬車は、道から逸れて草原の只中を進んでいく。
チェルニアからの提案があった。
北側に近いほど魔王軍との軋轢が色濃いだろうから、もっと、南の町からなら、受け入れられるかも知れないだろうと。