LCLとかいう液体が鼻の中まで満たされてきた頃、俺はようやく諦めた。
諦めたというか、もう諦める以外に選択肢がなかった。
(……どうせ死ぬなら、せめて楽に死なせてくれ)
エリス様にそう祈りながら、俺は操縦桿を握りしめた。プラグスーツの股のあたりがじっとり濡れていたが、それはLCLのせいだということにしておく。絶対にそういうことにしておく。
ズドン、という衝撃とともに、視界が一気に開けた。
「うわああああっ!?」
射出された。俺ごと初号機が空に向かってぶち上げられた。外の景色が猛スピードで流れて、次の瞬間には眩しい光の中に叩き出されて——気づいたら、俺は街の真ん中に立っていた。
いや、立っていたのは俺じゃない。初号機だ。
(でかい……)
周囲のビルが、腰くらいの高さしかない。自分の体が十五メートル以上あるという感覚は壮大というか気分の良さがある。というか俺はシミュレーションなんかしてないけどこのまま乗っていけるのか?
目を向ける。
俺の正面に、それはいた。
「…………」
人型ではあった。なんとなく人型ではあったが、顔の部分に目のような穴が四つあって、腹の真ん中にクリスタルみたいなものが光っていて、サイズは初号機とほぼ同じで、そしてなにより——
見るからにヤバかった。
「し、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!神様!!アクア様!!エリス様!! 誰でもいいから助けて!!」
俺は叫んだ。操縦桿を握ったまま、とにかく叫んだ。
外部スピーカーがオンになっていたことに、この時の俺は気づいていなかった。
「シ、シンジくん!?」
モニターに知らない女の人の顔が映った。紫の髪の、なんか美人な人が目を丸くしていた。後でミサトと教えてもらうことになるが、この時の俺には全部どうでもよかった。
「逃げていいですか!? 逃げますね!!」
「だ、ダメよ! 迎え撃って!男の子でしょ!」
「前時代的なこと言ってんじゃねぇよ!なんで!? なんで俺が!? やばいんですけど!?見るからにやばいんですけど!?!」
「シンジくんしかいないの!」
「いやいやいやいや!」
使徒?がこちらに向かって歩いてきた。地面が揺れる。ビルのガラスが割れる。なんか光線みたいなのを撃ってきて、初号機の腕に直撃した。
「ぎゃあっ!! 痛い!? なんで痛いの!? シンクロ率とかいうやつ!? 聞いてないんですけど!!」
恐慌状態というやつだった。とにかく後ろに下がって、後ろに下がって、この化け物から一センチでも遠ざかろうと操縦桿を引いた。後退する。もっと後退する。
(逃げろ逃げろ逃げろ! 何なんだこの世界は!? なんで普通に街を化け物がうろついてるんだ!!)
ビルに脚が引っかかったのは、その時だった。
「あっ」
初号機の脚が、なにかに——廃ビルの残骸か何かに——引っかかった。
「つ、転ぶっ!!」
止まれなかった。後退の勢いそのままに、初号機はゆっくりと、しかし確実に前のめりに倒れ込んでいった。
視界が傾く。地面が近づく。そして、目の前には——
ドスン。
音がした。ものすごく、鈍い音が。
「……………………へ?」
静かになった。
使徒が、動かなかった。
俺は転倒した初号機の視点から、ゆっくりと状況を確認した。
倒れた初号機の右腕が、前に伸びていた。その手には、いつの間にか引き抜いていたらしいプログナイフが握られていた。そのナイフは——
使徒の腹の真ん中にある、クリスタルに。
ズブリと、根本まで刺さっていた。
(…………へ?)
もう一度思った。
サキエルは光った。光って、爆発した。衝撃波が来て、初号機が転がって、俺は「ぎゃあ」と叫んで、それでも——気づいたら、使徒は跡形もなく消えていた。
街に、沈黙が戻った。
「…………なんで?」
沈黙の中で手を前に出し合掌する。
エリス様、この世界でも俺の【幸運値】は健在のようですね。
---
「信じられない……」
モニターの向こうで、紫の髪の女——葛城ミサトが口元を手で覆っていた。
「リツコ、見た? 今の」
「見てたわ」
眼鏡をかけた金髪の女——赤木リツコが、データの画面を睨みながら言った。
「転倒による力学エネルギーで、使徒の死角への潜り込み……それだけじゃない。プログナイフのコア一点突破。あんな軌道、通常の操縦桿操じゃ出せない」
「つまり……」
「偶然というには数学的には否定するべき数値になるわ」
リツコはそう断言した。
「後退しながら敵の足元を把握して、重心移動のベクトルを計算して、ナイフの角度を……シンジくん、あなた、初号機に乗ったことがないはずでしょう?」
モニターの中で、初号機がのっそりと起き上がりながら「は? は? は?」と同じ言葉を繰り返していた。
「天才だわ」とミサトが呟いた。
「人類の希望かもしれない」
そんな声がどこから響いた。
---
コックピットの中で、俺はひとりで混乱していた。
勝った。勝ってしまった。
転んだだけなのに。ただ恐怖で足がもつれて転んだだけなのに、使徒が死んだ。
(……俺の【幸運】、過去1まともに働いた気がする)
走馬灯のように、カラスに食われたコロッケが脳裏をよぎった。あの頃から俺の幸運はこういう方向性だった。本人には一ミリも嬉しくない、でも結果だけ見たら大成功、というやつ。
「シンジくん! 大丈夫!? すごいよ! やったじゃない!」
ミサトの声が弾んでいた。
「……やった、ってか……」
「初出撃で使徒を撃破なんて、前代未聞よ! どんな訓練をしてきたの!?」
「してません」
「え?」
「訓練、してないです。今日初めてです、なんか色々」
沈黙。
「……謙遜しなくていいのよ?」
謙遜じゃないんですよ。
俺は操縦桿に突っ伏した。疲れた。心が疲れた。肉体的にはほぼ何もしていないのに、精神的にボロ雑巾みたいになっていた。
(英雄とか、いらないんだけどな……)
魔王を倒した時もそうだった。あの時も俺は死んで、それでも英雄扱いされて、そして気づいたら次の面倒ごとに巻き込まれていた。
(また同じパターンじゃないか)
俺は天井を仰いだ。
(ちゃんとした転生させてくれよ、エリス様……ハーレム確定の無双異世界とか、そういうやつ……)
外では、NERVのスタッフたちが「天才だ」とか「人類の希望」とかを大真面目に話し合っていた。
俺の話をしているとは、到底思えなかった。
というかまずい。
かなりまずい。
この流れは何回も見てきた。
「違うんです!本当にただ!!転んだだけなんです!!」
なぜかマイクが入っておらず、
俺の切実なる叫びは無常にもエントリープラグ内のみに響き渡った。
---
「終わったな」
「...ああ」
「これからだ」