「へー、それじゃああの人、本当にみぽりんのお兄さんなんだ?」
「う、うん。血は繋がってないんだけどね」
変態騒動が起きた日の放課後。
戦車道の練習も終わって、何処か寄り道をしようとなったみほは沙織や華、同じ戦車のチームである秋山優花里と冷泉麻子と共に校門に向かって歩いていた。
憧れていた帰宅中に行う何でもないガールズトーク。話の内容が変態行為に及んでいた兄でなければ、もっと良かったのだが、と思いつつみほは頷く。
「………あんな変態だと、妹としては大変だな」
「前まであんな事するような人じゃなかったんだけどね」
昔はもっと頼り甲斐のある兄だった。ヤンチャだった小学生時代。生傷が絶えず、よくあきつに治療して貰った。
姉のまほと共に泥だらけになって帰ってくれば、母親に叱られる前にお風呂に入れてくれた。今思えば恥ずかしいことではあるが、一緒に入ってボコのおもちゃでお風呂遊びをした。
「どうしましたか、西住殿?」
恥ずかしい思い出に顔を赤くしているみほの顔を優花里が不思議そうに覗き込む。
「な、何でもないよ!」
流石に、小さい頃兄と一緒にお風呂に入っていたなんて、口が裂けても言えない。何ならば、毎日一緒の布団で寝てもいた。今更ながらに思うが、自分もかなりのブラコンであったことを自覚する。
そんなみほの横で沙織は羨ましそうに呟く。
「でも羨ましいよね、みぽりん。血の繋がってないイケメンのお兄さんなんて如何にもラブコメって感じでさ。もしかして一緒にお風呂に入ったりベッドで寝てたり?」
「!?」
「もう、沙織さんったら。いくら恋人ができないからと言って、現実と物語の区別はつけなくてはいけませんよ?」
「さ、流石にそこまで酷くないよ!?」
「あ、あはは………」
もはや笑うしかなかった。
それはそれとして、とみほは考える。
みほは大抵、あきつと一緒だった。もちろん、学校は違うのだから平日は会えないわけだが、休日はよく戦車を乗り回した。
門限が過ぎて一緒に叱られるのはしょっちゅうだったし、良き兄で、尊敬もできたとみほは思う。
─────どうして、あんなになっちゃったんだろう。
だからこそ、あのような変態行為に及ぶとは到底思えない。
「それで、今日は何処に遊びに行く?」
沙織が皆の顔を一瞥する。
「申し訳ありません、沙織さん。私、今日は別の用事が………」
「私も、今日は家に帰る」
「自分も店の手伝いがありますので」
申し訳なさそうに断る華を皮切りに麻子と優花里も声を上げる。
「えー!みぽりんは?」
「私は特に何もないかな」
「じゃあ、一緒に帰ろ!」
みほの手を握った沙織が捨てられた仔犬のような目でみほを見る。
流石に、そんな目をされては、みほは断ることができなかった。
そんなこんなで、校門で他の三人と別れてしばらく他愛ない話をしながら二人は歩いていた。
話の内容は、やれ男子の落とし方だの、やれデート場所はここがいいだの、恋に恋する乙女の沙織らしいものではあったが、以前まで戦車一辺倒な生活をしていたみほからしたらどれも戦車道の絡まない新鮮な、女子高生らしい会話だった。
沙織と話しながら帰路を歩いていると、コンビニが目に入る。『サンクス』というコンビニだ。
そんなコンビニの駐車場に一台の戦車が停まっていた。
「あれ?あれって私たちの戦車じゃない?」
「違うよ。よく見て」
確かに、そこに停まっているのはⅣ号戦車D型、つまりはみほたちあんこうチームが使用している戦車だ。
しかし、目の前のⅣ号戦車D型にはあんこうチームを象徴するあんこうのマークが見当たらない。
つまりは別の戦車なのだ。
「あ、本当だ。じゃあ、誰のだろう?」
誰の戦車なのか、当然の疑問と言える。
しかし、みほにはわかっていた。こんな往来で戦車を乗り回しながらコンビニに来るイカれた人間は一人しか思い浮かばない。
「みぽりん?」
無意識に足がコンビニへと動いた。
店に入って、周囲を見渡す。
────いた。
酒の缶とお菓子の袋をレジに出して、財布を覗き込む兄がそこにいた。今度はちゃんと服を着ている。
「………お兄ちゃん」
みほの小さな呼び掛けに、あきつはぐりん、と首を曲げる。
あきつイヤーは妹の呼び掛けがどれだけ小さくとも聞き逃さないのだ。
「おー、みほ!お前も来てたのか!何か欲しいものあるか?兄ちゃんがなんでも買ってやるぞ!」
あきつが笑顔で手を振りながらみほに近付く。
すると、みほは小さく悲鳴を上げながら一歩、また一歩と後退る。みほが怯えていることに気付いたあきつも、すぐにその手を後ろに隠す。
「みぽりん、どうしたの?」
後からコンビニへと入って来た沙織が様子のおかしいみほに眉を顰める。
身体が小刻みに揺れて、呼吸も変だ。目も、まるで生徒会に戦車道を取れ、と言われた時のように焦点があっていない。
………あってはいないが、その視線が捉えようとしているものは理解できた。
西住あきつ。西住みほの兄。
「……………ッ」
沙織がみほに声を掛けるより先に、この場が耐えられなくなってしまったのか、みほがコンビニから走り去ってしまう。
「みぽりん!」
みほを追いかけようと、沙織がコンビニを飛び出したが、既に何処にもみほの姿がなかった。
呆然と立ち尽くす沙織に、代金を払い終わってコンビニを出たあきつが声を掛ける。
「みほの、お友達だよね?」
「えっと………、はい。武部沙織です」
「ちょっと、いいかな?」
有り体に言えば、イケメンからのお誘い。
普段の沙織であるならば、彼氏ゲットのチャンスとばかりに張り切るところではあるが、今はそんなことができる感じでもない。
しかし、今のみほを追って見つけたところで、話を聞けるような雰囲気でないのも、また確かである。
「………はい」
小さく頷いた沙織は、あきつに誘われるままにⅣ号戦車D型に乗り込んだのだった。
◇
空が赤く染まった夕暮れ時。
海が見える小さな公園の片隅にあるブランコにみほは座っていた。ゆらゆらと揺れるブランコに、小さな頃に兄に背中を押して貰って漕いでいたブランコを思い出す。
楽しい思い出だった。
それが、いつからか兄との関係が悪化していた。尊敬しているのは間違いない。大好きであるのもまた事実。それでも、たった一つのある出来事が、決定的にみほとあきつを引き裂いた。
「何してるんだろ………私」
ぼそっと、真っ赤な空を眺めながらそう呟いた。
あきつはきっとその出来事について気にしてはいない。そういう性格であるのは知っている。これはみほの問題だ。
私が一歩を踏み出せば、なんて思ったことは一度や二度ではない。
でももし、そうでないのなら。あきつがそのことをずっと根に持っているのなら。そう思うと足がすくんだ。
「西住殿?」
呼び声に気付いて、そちらに視線を向ければ、エコバッグいっぱいに食材を入れた秋山優花里が不思議そうにみほを眺めていた。
「優花里さん………」
「どうしたんですか、こんなところで?武部殿と一緒に帰ったのでは?」
「………うん。ちょっと、一人になりたくて。優花里さんはどうして?」
「私はおつかい帰りです」
「そうなんだ………」
様子のおかしいみほを不思議に思って優花里はみほの隣のブランコに腰を落とす。
「何か元気がありませんね?私でよければ相談に乗りますよ!」
優花里はそう言うが、まほは何も語らない。ただ、足元をじっくり見るだけだ。
そして、ゆっくりと顔を上げて、口を開いた。
「私ね、お兄ちゃんに嫌われてるんだ」
「お兄さんにですか?そうは見えませんでしたけど」
実際、優花里が見た西住あきつの印象は、どれだけ爆睡していても妹の呼び声で起きるシスコンだった。
すぐに生徒会に連行されたため、それしか判断材料がないわけだが、それでも優花里はそれに似た人間を知っている。それは彼女自身の父親だ。
西住あきつは優花里の父親と似た雰囲気を感じるのだ。
「黒森峰の中等部の時にね、お兄ちゃんと黒森峰でできた友達の子と戦車の模擬試合をしたの」
「お兄さんとですか?」
戦車は乙女の乗り物である、というのは一般常識であろう。
そんな戦車に男が乗って、しかも、優花里が尊敬するみほと試合をした。試合の結果は、聞くまでもないだろう。みほの圧勝に違いない。
「私、わざと負けたの。あの時は、それが良いと思ったから」
「えぇ!?そ、それで………?」
「試合が終わった後に、お兄ちゃんに叩かれちゃった」
まさかのドメスティックバイオレンス。優花里は言葉が出なかった。
「初めてお兄ちゃんに叩かれて、私お兄ちゃんが怖くなったの」
「………………」
「それからは、お兄ちゃんもいつもの様子で接してくれたんだけど、去年の全国大会、私のせいで十連覇を逃しちゃって………」
全国大会決勝戦。黒森峰女学園とプラウダ高校の試合。みほは副隊長としてフラッグ車を任されていた。
試合は黒森峰の優勢で進んでいた。黒森峰が勝つのはもう時間の問題だったとも言えよう。
奇襲された。運が悪い事に当日は雨で地盤は緩く、川も氾濫していた。
奇襲を受けて、前の戦車が川へと落ちた。すぐに助けなければ危険な場面。みほは迷わず戦車から飛び降りて川に助けに入った。
そのせいで黒森峰女学園は負けてしまった。
そこまでみほが口にして、優花里が勢いよく立ち上がる。
「あの試合の西住殿の行動は間違ってなかったです!誰が何と言おうと、絶対に………絶対にッ!」
日も沈み掛けで、街灯がポツポツと点き始めてきた。
「………明日、お兄さんと改めてお話しましょう。大丈夫です。私も一緒に行きますので。事情を説明すれば武部殿や五十鈴殿、冷泉殿だってきっと一緒に来てくれます」
「………ありがとう、優花里さん」
「──────」
「優花里さん?」
反応がない優花里にみほは眉を顰める。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まっている。
「西住殿に、お礼を言われた……………」
やっと振り絞った優花里は弱々しくそう呟いたのだった。