それは、戦車道の練習が終わったすぐ後のことだった。
昨日、覚悟を決めたみほは寝る前にあきつ宛てのメールを送った。内容としてはとてもシンプルで、戦車道の練習終わりに話があるので戦車のメンテナンスを待っていて欲しいと言うことだ。
あきつも、男ではあるが、歴とした西住流の人間だ。戦車に対しては、決して手を抜く事がない。だから、メンテナンスを始めれば、1輌終わるまでいくら話しかけても返答がない。
しかも、次の車輛へのメンテナンスの移行もスムーズで、話しかけようにもタイミングが掴めないほどだ。
そんなことだから、メールで時間を作って貰ったわけだが、正直失敗した、とみほは思う。
多分、それはみほだけでなく話をしようと提案した優花里も後悔していた。
「こんな風でどうぜよ?」
「おー、いい感じいい感じ」
「陣幕も貼り終わったぞ」
「旗印はこれでいいのか?」
「………頼んだのは俺だけど、君ら偉く本格的だな」
「当然!」
何やら具足を着込んだあきつがカバさんチームの面々と何かをやっている。
まるでこれから戦でもやるかの様に、みるみる出来上がっていく本陣。陣幕や旗には西住と書かれている。
「完成だ!」
それは見事な本陣。
歴女集団のカバさんチーム渾身の出来と言ってもいい。心なしかやり切った様に顔を煌めかせている。
「ありがとう。今度お礼に何か奢るよ」
「何、我々も楽しかった」
「こういう誘いなら大歓迎ぜよ」
カバさんチームとわかれたあきつはドカリ、と本陣の真ん中にある椅子へと座り、ポカンとしているあんこうチームに向かって叫ぶ。
「みほーーーー!!!お兄ちゃんはばっちこいだぞ!!!」
寧ろ、こっちがばっちこいじゃなくなった。あの嫌でも目立つ空間に一秒も痛くない。
ガレージから残っていたウサギさんチームも不思議そうな目であきつを見ている。
「何あれ?」
「あそこにいるの、昨日の変態さんじゃない?」
「西住隊長のこと呼んでるね」
「やっぱりお兄さんなんだよ!」
「兄妹同士の禁断の愛………!」
そろそろ、兄には自重を覚えて貰いたい。
みほの母である西住しほは、戦車道の振興の為によく月刊戦車道のグラビアを飾っている。
もう一度言おう。四十過ぎの母親が若者が読む雑誌で露出の高い服を着ているのだ。娘からしたら辛いことこの上ない。最近なんて抱き枕を作ったとか。
嫌な記憶に蓋をして、みほはゆっくりと本陣に歩を進める。
一歩、また一歩と進むにつれて動悸が激しくなっていく。
あきつの元へと辿り着けば、ゆっくりと立ち上がり、まず一言、みほへと告げる。
「兄ちゃんは、みほのこと怒ってないし、嫌ってもいない」
いきなりの発言にみほはぼけっとその場に立ち止まる。
「………本当に、怒ってないの?」
「怒ってない」
あきつがみほを優しく抱きしめる。
具足で少し痛いのはご愛嬌だ。
「大丈夫。みほは何も間違ってない」
「お兄ちゃん………」
「まぁ、それとは別に西住の人間として、黒森峰の整備士としてなら山ほど愚痴りたいことはあるけどな」
「お兄ちゃん………」
何故、そこで余計なことを言ってしまうのか。
いや、そういえば昔から兄がこんな人間だったことを思い出す。
「ま、それはそれだな。俺ももう黒森峰じゃないし。せっかく大洗に来たわけだし、今日はあんこう鍋でも食って兄妹愛を深めようぜ」
それと、この何とも言えない言い回し。
正直、みほの中のあきつに対する恐怖はまだ完全に無くなったわけじゃない。
それでも、少しだけ、あきつが怖くなくなった。そんな気がする。
みほは自分を見守ってくれていたチームの面々を振り返る。何やら、落ち込んだ沙織を華と麻子が慰めている。優花里に至っては何やら涙ぐんでカメラのシャッターを押している。
「友達も一緒にな」
みほの頭を撫でたあきつが本陣の裏に回る。
何をしているのか、と覗いてみれば、そこにはあきつのⅣ号戦車D型があった。その中からは物音が聞こえる。
しばらくして、あきつが戦車から顔を出すと、その手には鍋が乗っかっている。
「第一段として、あんこう鍋をしよう」
そう言うと、あきつは戦車から飛び降りて、本陣に戻ってくる。
さらに、戦車と本陣を何回か、往復すれば、あっという間に鍋の支度が出来上がる。
いったい、戦車のどこにそんなに収納できる隙間があるというのか。気にならずにはいられない。
「………どうしたんだ?」
「何でもないよ、お兄ちゃん」
「そっか。じゃあ、友達呼んでやんな」
みほは、あきつに促されるまま、あんこうチームの面々を呼べば、いの一番に沙織がみほの肩をがっちりと掴む。
「みぽりん!違うよね!?さっきのハグは恋人同士のそれじゃなくて兄妹同士の挨拶的なあれだよね!?」
「こ、恋人!?」
顔が熱くなる。
何て素敵な………いや、違う。何て見当違いな勘違いだろうか。
みほがすぐにそれを否定すれば、沙織も落ち着きを取り戻す。
「だから言っただろう」
「沙織さんってば周りに恋人ができるや否やいつもこれなんですから」
「だ、だって〜………」
こっちは一旦放っておこう。
一方で、あきつの方もまた、騒々しい。
「は、初めまして!じ、自分は秋山優花里といいます!かの有名な西住あきつ殿とお会いできて光栄の至りであります!」
「う、うん………。そんなに俺、有名なんだ?」
「もちろんですとも!あきつ殿が直した戦車はどれもとても好評で!月刊戦車道では何度も特集されていますよね!?」
「ま、まぁ………」
確かに、何度も記者があきつの下を訪れている。最初の頃はあきつも面倒くさくて適当に答えていたが、西住家からちゃんと答える様にお叱りを受けた。
それ以降は、体裁よく答えてはいるものの、やっぱりあきつにとっては鬱陶しい事この上ないため、取材については全部忘れることにしている。
「ファンです!サイン下さい!」
「さ、サイン?」
優花里からサインペンと色紙を受け取るあきつ。
さて、これは困ったことになった、とあきつは鍋を作りながら考える。
サインであるならば、まほやしほのマネージャー紛いでついて行った時に、二人が書いているのならば何度か見た事があるが、自分がせがまれるのは初めてだった。
サインなんて書いた事がない。
「………ちなみに、なんて書いたらいい?」
「秋山殿へ、と!名義はあきつ丸よりでお願いします!」
「おい、待てや」
優花里の言葉にあきつは待ったを掛ける。
不思議そうな顔であきつを見る優花里を見て、あきつも一度冷静になって問いただす。
「俺は西住あきつであってあきつ丸じゃないよ?」
「でも、タンカスロンで何度も飛び入り参加してましたよね?」
タンカスロン。強襲戦車競技。日本戦車道連盟非公認で非公式の戦車競技。
使用する戦車は十トン以下である、というルール以外は何をしようが許されるアングラな競技だ。
顔を優花里から逸らすあきつ。
「そんなアングラな競技に参加した事ないし、あきつ丸についても知らないよ。てか、あきつ丸て戦車じゃなくて艦じゃなかった?」
日本陸軍が建造した揚陸艦だったと記憶している。
非公認と言えど、戦車競技で艦の名前を名乗るとは随分、捻くれた性格の人物らしい。
「まぁ、いいや。希望は聞けないけどサインくらいなら書いてやるよ」
「それでも大丈夫です!ありがとうございます!」
『西住あきつ 秋山殿へ』と書いて渡せば、涙を流しながら何度も頭を下げてくる。
その様子を遠巻きに眺めていたみほも、あきつが用意した席にゆっくりと座ってあきつにも座る様に促した。
「お兄ちゃん、お鍋煮えてるよ?」
「おっと、いけね」
慌てて鍋へと戻り、あきつは鍋を掻き混ぜ始める。
辺りにいい匂いが漂ってきた。
「美味しそうな匂いですね。お腹が空いてきました」
「華はいつもお腹空いてるじゃん」
次に席に座ったのは、華と沙織。
「ありがとうございます、あきつ丸殿!一生の宝にします!」
「それはいいが、鞄にしまっておけ。汁が飛ぶぞ」
さらに優花里と麻子も席につき、ようやくあきつは五つの木製の器に鍋をよそい始める。
一時間ほどの団欒と食事の後、最後の見回りに来た風紀委員の園みどり子に見つかってその場はお開きになるのだった。