止まった針は時の終わりに未来を見る   作:ドレットノータス

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第15刻 断罪と家族

雨が、街を濡らしていた。

 

 木場祐斗は、傘も差さずに歩いていた。学校を休んだ理由を、誰にも話していない。

 

 路地の先に、その男はいた。白い法衣。腰に剣を提げた神父。フリード・セルゼン。

 

 その手にあるものを見た瞬間、木場の中で何かが弾けた。布に包まれていても分かる。あの形状。あの気配。

 

 ――エクスカリバー。

 

「よぉ、失敗作くん。奇遇じゃねえか」

 

 フリードが嗤う。木場は答えなかった。答える代わりに、地面へ手を伸ばす。魔力が収束し、一振りの剣が形を取った。

 

 白い部屋。薬品の臭い。次々に倒れていく子供たち。

 

 忘れたことなど、一度もない。

 

 剣戟が、雨音を切り裂いた。

 

 木場の剣は速い。対するフリードの動きは、正道の剣術とはほど遠かった。構えも足運びも崩れている。それでも、実戦の中で磨かれた勘と、相手の命を奪うことへの躊躇のなさがあった。定石から外れた一撃が、木場の剣をすり抜ける。狂気に任せているように見えて、その実、フリードは戦い慣れていた。

 

「いいねぇ、その目。憎しみに濁った目ってのは、見てて飽きねえよ!」

 

 フリードが聖剣を振るう。木場は魔剣で受け流し、そのまま懐へ踏み込んだ。鋭い斬撃が、フリードの頬を掠める。血が流れても、フリードは笑ったままだった。

 

 木場は追撃する。だが、普段ならば見落とさないはずの隙を一つ、感情に任せて踏み越えた。聖剣の切っ先が、木場の制服を裂く。二人の間に、僅かな距離が生まれた。

 

 決着がつく前に、フリードの懐で何かが鳴った。

 

「あー、あー。……ちっ、間の悪い」

 

 取り出した通信機から聞こえる声に、フリードが露骨に顔を歪める。

 

「残念だけど、上からお呼びがかかっちまったんでね」

 

 聖剣を肩へ担ぎ、後ろへ跳ぶ。

 

「また遊ぼうぜ、失敗作くん」

 

「待て!」

 

 木場は追った。しかし、路地の角を曲がった時には、フリードの姿も気配も消えていた。

 

 雨の中、木場は立ち尽くす。握った拳の中に、消えない熱だけが残っていた。

 

 

 放課後の部室に、木場くんの姿がなかった。

 

「木場、今日休みなのか?」

 

 一誠が聞いた。

 

「ええ。学校にも、私にも連絡はないわ」

 

 リアス先輩の声には、隠しきれない懸念があった。

 

 一誠は、前日のアルバムでの木場くんの様子を思い出しているようだった。私も同じだった。写真の中の剣を見つめていた、あの顔。忘れたかったものを、不意に目の前へ突きつけられたような表情。

 

 単なる体調不良ではない。誰もが、それを分かっていた。

 

 

 しばらく続いた沈黙の後、リアス先輩が静かに切り出した。

 

「祐斗は、教会が行った聖剣計画の生き残りよ」

 

 部屋の空気が、一段沈んだ。

 

 リアス先輩は、必要な部分だけを短く語った。

 

 教会の聖剣計画。人工的に、エクスカリバーへ適合できる人間を生み出すための実験。多くの子供たちが集められ、訓練と実験を受けさせられた。しかし、誰一人として聖剣へ適合できなかった。計画の主導者は、失敗を隠すために被験者たちを処分した。木場くんだけが、瀕死の状態で逃げ延びた。

 

 復讐だけを胸に抱いていた彼を、リアス先輩が悪魔へ転生させた。

 

「そんな計画……私は、聞いたことがありません」

 

 アーシアさんの声が震えていた。

 

「教会の中でも、秘匿されていた計画なのでしょうね」

 

 リアス先輩はそれだけ言うと、僅かに目を伏せた。

 

「私は、あの子に復讐だけのために二度目の命を使ってほしくない」

 

 それは、戦力としての木場くんを惜しむ言葉ではなかった。過去に縛られたままではなく、いつか自分のために生きてほしい。部長としての、あるいはそれ以上の願いだった。

 

 私は何も言わなかった。言葉にできるほど、簡単な話ではなかった。

 

 

 その時、部室の扉が静かに叩かれた。

 

「失礼するわ」

 

 入ってきたのは、支取会長と椿さんだった。朱乃さんは二人が来ることを知っていたらしく、驚いた様子を見せなかった。

 

 支取会長は部屋の中を一度見渡してから、リアス先輩へ視線を向けた。

 

「リアス。この後、少し時間をもらえるかしら」

 

「今ここでは話せないこと?」

 

「ええ」

 

 支取会長は、それ以上の説明をしなかった。

 

「あなたと朱乃だけで来てほしいわ。場所は、私の家で」

 

 リアス先輩は、支取会長の表情を見つめた。普段どおり冷静ではあったけれど、ただの私的な誘いではないことは、私にも分かった。

 

「分かったわ。後で伺う」

 

「待っているわ」

 

 支取会長と椿さんは、用件の内容には一切触れないまま、部室を後にした。

 

 

 放課後、私は一誠とアーシアさんと一緒に学園を出た。

 

 一誠の家は、私の家へ帰る途中にある。そのため、帰る方向が同じ日は、こうして途中まで一緒になることが多かった。

 

「……何だ、この気配」

 

「怖い、です……」

 

 二人が感じている悪寒を、私は共有できなかった。私は悪魔ではない。けれど、二人の反応だけで、家の中に普通ではない何かがあることは分かった。

 

「母さん……!」

 

 一誠が玄関へ駆け込む。

 

 しかし、家の中から聞こえてきたのは、悲鳴でも争う音でもなかった。一誠のお母さんと、誰かが楽しそうに話す声だった。

 

 居間には、二人の来客がいた。

 

 一人は、金髪を二つに結んだ、活発そうな少女。もう一人は、青みがかった短い髪と、鍛え上げられた身体を持つ少女。

 

「久しぶり、一誠くん!」

 

 金髪の少女が、一誠へ満面の笑みを向けた。

 

「……誰だ、お前?」

 

「イリナだよ! 紫藤イリナ!」

 

「イリナって……男じゃなかったのか!?」

 

 私は昨日見た写真の少年と、目の前の少女の顔を見比べた。確かに、同じ顔だった。幼い頃は、少年のような髪型と服装をしていたのだろう。一誠が男の子だと思い込んでいたのも、無理はない。

 

「失礼だなぁ! 昔から女の子だよ!」

 

「嘘だろ!?」

 

「嘘じゃないよ!」

 

 イリナさんは、一誠にも、一誠のお母さんにも、変わらず人懐こく接していた。

 

 もう一人――ゼノヴィアさんは、礼儀正しく振る舞いながらも、一誠とアーシアさんを警戒していた。そして私へは、所属の分からない存在を測るような視線を向けていた。

 

 その目が、アーシアさんの上で一瞬だけ止まる。何かに気づいたように、私には見えた。ただ、一誠のお母さんの前では何も口にしなかった。

 

 そこへ、玄関の扉が勢いよく開いた。

 

「一誠! アーシア!」

 

 リアス先輩が、珍しく息を切らせて立っていた。

 

 二人の姿を認めると、迷うことなく駆け寄り、そのまま強く抱きしめる。

 

「無事でよかった……」

 

「部長、苦しいっす」

 

「少しくらい我慢しなさい」

 

「リアスお姉さま……」

 

 普段は冷静なリアス先輩が、これほど焦っていた。そのことに、私は少し驚いた。

 

 イリナさんとゼノヴィアさんは、翌日の会談について確認すると、兵藤家を後にした。イリナさんは最後まで笑顔だった。ゼノヴィアさんは、帰り際にも一度だけ、アーシアさんへ視線を向けていた。

 

 

 翌日の放課後。

 

 部室には、多くの顔が揃っていた。

 

 リアス先輩、朱乃さん、一誠、アーシアさん、小猫さん、木場くん、そして私。向かい側には、紫藤イリナさんとゼノヴィアさんが座っている。

 

 木場くんは、会談が始まる少し前に部室へ現れた。リアス先輩が、昨日どこにいたのか尋ねても、

 

「少し、調べたいことがありました」

 

 としか答えなかった。嘘ではない。けれど、すべてを話しているわけでもない。少なくとも、私にはそう見えた。

 

 今も木場くんは、普段より無口だった。イリナさんとゼノヴィアさんが持つ、布に包まれた聖剣から目を離さない。

 

 彼が見ているのは、二人ではなかった。布に包まれた、その剣だった。

 

 

 ゼノヴィアさんが、用件を切り出した。

 

「我々の目的は、奪われた聖剣の回収だ。君たち悪魔と争うために来たわけではない」

 

 教会が保管していたエクスカリバーのうち、三本が堕天使に奪われた。堕天使たちは、その聖剣を駒王町周辺へ持ち込んでいる可能性が高いという。

 

「我々は三本を奪還する。困難であれば、その場で破壊するつもりだ」

 

 ゼノヴィアさんは、リアス先輩と支取会長を順に見た。

 

「そのため、君たちには介入しないでもらいたい」

 

「私たちが、堕天使へ協力しているとでも?」

 

 リアス先輩の声が低くなる。

 

「その可能性を確認するための会談でもある」

 

「ずいぶんな物言いね」

 

「悪魔にとって、聖剣は忌むべき存在だ。本部は、君たちが堕天使と裏で通じている可能性も捨てていない」

 

 ゼノヴィアさんは表情を変えない。

 

「もし通じているのなら、本部からは必要に応じて消滅させても構わないと言われている」

 

 リアス先輩は、不快感を隠さなかった。けれど、感情のままに言葉を返すことはしなかった。

 

「私たちは堕天使と協力していない。奪われた聖剣についても、今初めて聞いたわ。少なくとも現時点で、私たちがあなたたちの作戦へ介入する理由はないわ」

 

「それが確認できれば十分だ」

 

 会談は、ひとまず問題なく終わるはずだった。

 

 

 イリナさんとゼノヴィアさんが席を立とうとした時だった。

 

 ゼノヴィアさんの目が、アーシアさんへ向いた。

 

「そういえば、君には確認しておきたいことがある」

 

 アーシアさんの身体が強張る。

 

「君が、魔女として教会を追放された元聖女か」

 

 部屋の空気が凍った。

 

 一誠が声を上げようとする。

 

「お前――」

 

 その腕を、小猫さんが一度だけ押さえた。一誠が小猫さんを見る。けれど、小猫さんの視線はアーシアさんへ向いていた。

 

 アーシアさん自身が、答えようとしている。

 

 私も、反論の言葉が喉元まで出かかった。それでも、声には出さなかった。

 

 アーシアさんは逃げようとしているのではない。自分の言葉を探している。ならば、私が先に答えるべきではない。

 

「悪魔となった今も、君は神を信じているのか?」

 

 ゼノヴィアさんが問うた。

 

「捨てきれないだけです」

 

 アーシアさんの声は震えていた。それでも、逃げてはいなかった。

 

「ずっと、信じてきたのですから」

 

 その答えを、私は弱さだとは思わなかった。信じてきた時間そのものを、今さら嘘にすることはできない。それは、アーシアさんの誠実さだった。

 

 私自身の中にも、似たものがある。流し込まれた記憶。誰かの物語への憧れ。最初の由来がどこにあったとしても、今、私がそれを大切に思っている気持ちまで偽物になるわけではない。

 

「ならば、私たちに斬られるといい」

 

 ゼノヴィアさんの声に、嘲りはなかった。それが、余計に恐ろしかった。

 

「君が罪深い悪魔となっていたとしても、神は救いの手を差し伸べてくださるはずだ」

 

 迷いなく、彼女は続ける。

 

「せめて、私の手で断罪してやろう」

 

 リアス先輩の周囲に、赤黒い魔力が滲んだ。朱乃さんの笑みからも、いつもの柔らかさが消えている。

 

「ゼノヴィア。それ以上、私の眷属を侮辱するなら――」

 

 その言葉を遮るように、一誠が立ち上がった。

 

 彼女は本気だった。本気で、アーシアさんを斬ることが救済になると信じている。

 

 理解できなかった。アーシアさんを傷つけることを、どうして救いと呼べるのですか。

 

 胸の奥で、何かが焼けるように熱くなった。

 

 隣を見る。

 

 一誠の拳が、震えていた。

 

 言ってください。

 

 私は、心の中で願った。

 

 今、一誠が言わなければならないことを。

 

 

「今、アーシアを魔女って言ったな」

 

 一誠の声は荒かった。

 

「ふざけんなよ」

 

「一誠さん……」

 

「自分たちで勝手に聖女に祭り上げて、都合が悪くなったら魔女扱いかよ!」

 

 整った理屈ではなかった。けれど、そこにある熱だけは、誰の目にも明らかだった。

 

「アーシアはな、ずっと一人だったんだぞ!」

 

 一誠が拳を握る。

 

「誰かを助けたくて、悪魔まで治して、それで全部失ったんだ!」

 

「一誠さん、私……」

 

「何が信仰だ! 何が神様だ!」

 

 一誠は、アーシアさんを庇うように前へ出た。

 

「アーシアの優しさも分からない奴らなんて、みんな馬鹿野郎だ!」

 

 論理的に整っていないことは、私にも分かった。けれど、今アーシアさんが必要としているのは、教義の正しさではない。自分のために、理屈抜きで怒ってくれる人だった。

 

「君は、彼女の何だ?」

 

 ゼノヴィアさんが尋ねる。

 

「家族だ」

 

 一誠は、迷いなく答えた。

 

「友達で、仲間だ」

 

 アーシアさんが顔を上げる。

 

「アーシアは、俺たちの大事な家族だ!」

 

 一誠は、ゼノヴィアさんを真っ直ぐに見た。

 

「お前たちがアーシアに手を出すなら、俺はお前たち全員を敵に回しても戦う!」

 

 私は、口には出さなかった。

 

 よく言いました。

 

 心の中だけで、そう告げた。

 

 一誠の後ろ姿が、少しだけ勇者のように見えた。

 

 

「ゼノヴィア。そこまで言わなくても……」

 

 イリナさんが、控えめに割って入った。

 

「イリナ、君も教会の戦士だろう」

 

「そうだけど……」

 

 イリナさんは何かを言おうとして、結局、口を閉ざした。任務と、目の前にいるアーシアさんとの間で、答えを決めきれずにいるように見えた。

 

「言葉だけなら、誰にでも言える」

 

 ゼノヴィアさんが一誠を見る。

 

「それほど彼女を守ると言うのなら、その覚悟を示してみるか?」

 

 一誠は即座に答えた。

 

「上等だ」

 

「待ちなさい、一誠」

 

 リアス先輩が制止する。

 

 だが、その声に重なるように、別の人物が立ち上がった。

 

「彼一人に背負わせるつもりはありません」

 

 木場くんの声は静かだった。けれど、普段の穏やかさは抜け落ちている。

 

「聖剣を持つ者の相手なら、僕がします」

 

 木場くんの目は、ゼノヴィアさんではなく、その手にある聖剣へ向けられていた。アーシアさんを守るためだけに立ち上がったのではない。少なくとも、私にはそう見えた。

 

 一誠は、アーシアさんのために立った。

 

 木場くんは、今も自分を縛る過去へ向かって立っている。

 

 同じ場所に立っていても、向いている先が違っていた。

 

「いいだろう」

 

 ゼノヴィアさんが、布へ包まれていた聖剣へ手をかける。

 

「君の魔剣が、どこまで聖剣に通じるか見せてもらう」

 

「なら、私は一誠くんの相手をするよ!」

 

 イリナさんが、妙に明るい声を上げた。

 

「何でそんなに楽しそうなんだよ!?」

 

「幼馴染との真剣勝負なんて、なかなかできないじゃない!」

 

 浮かれているように見える。それでも、遊びではなかった。教会の戦士としての本気が、その笑顔の奥にあった。

 

 

 リアス先輩は、しばらく一誠と木場くんを見つめていた。

 

 本来なら、認めるべきではない。それでも、このまま感情だけを残して別れれば、二人が自分の目の届かない場所で戦う可能性がある。

 

「分かったわ。ただし、私の管理下で行いなさい」

 

「殺傷は禁止。勝敗は降参、あるいは戦闘続行が不可能になった時点で決するわ」

 

「異論はない」

 

 ゼノヴィアさんが答えた。

 

「私も大丈夫だよ」

 

「俺もだ」

 

「僕も構いません」

 

 こうして、非公式の手合わせが決まった。

 

 

 場所を、旧校舎裏へ移した。周囲には、リアス先輩が結界を張っている。

 

 木場くんの手に、魔剣が形を取った。その正面で、ゼノヴィアさんが布を解き、露わになった聖剣を構える。二人の間には、殺気に近い緊張が張り詰めていた。

 

 少し離れた場所では、イリナさんが細身の聖剣を手にしている。向かい合う一誠は、左腕へ赤い籠手を出現させた。こちらの空気は、木場くんたちに比べれば軽い。それでも、一誠の目には、アーシアさんのために勝つという決意があった。

 

 私は手合わせには参加しない。これは、一誠と木場くんが、自分の意思で立った戦いだ。それでも、何も言わずに見送るつもりはなかった。

 

「一誠」

 

 彼が振り返る。

 

「勝ってください」

 

「おう。任せろ」

 

「アーシアさんの前で格好をつけたのです。負けた場合は、相応に恥ずかしいですよ」

 

「応援してるのか、プレッシャーかけてるのか、どっちだ!?」

 

「両方です」

 

 一誠は少し笑って、再び前を向いた。

 

 木場くんが魔剣を構える。ゼノヴィアさんが、聖剣の切っ先を向ける。その隣では、イリナさんが楽しそうに剣を構え、一誠が赤い籠手を掲げていた。

 

 二つの手合わせ。

 

 けれど、そこに流れる空気は、まるで違っていた。

 

 一誠は、もう振り返らなかった。ただ、先ほどの言葉に応えるように、赤い籠手を強く握り締めた。

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