止まった針は時の終わりに未来を見る   作:ドレットノータス

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第20刻 受け継がれる夢

一誠とリアス先輩は、互いの手を握ったまま歩いていた。

 

 上空には、黒い翼を広げたコカビエルがいる。地面と空に展開された巨大な魔法陣は、今も不気味な光を放ち続けていた。地面の奥から響く軋みも、まだ止まっていない。

 

 誰も、二人へ声をかけなかった。

 

 木場くんとゼノヴィアさんは、荒い息を整えながら剣を構えている。小猫さんは、治療を続けるアーシアさんと朱乃さんの前に立っていた。支取会長たちは、壊れかけた結界を維持している。匙くんをはじめとする眷属の皆さんも、すでに限界に近いはずだった。

 

 私はアーシアさんたちのそばに残り、レールガンを上空へ向けた。

 

 ここを離れるわけにはいかない。朱乃さんは重傷を負い、アーシアさんはその治療に集中している。小猫さんも二人を守るために、コカビエルから一度も目を逸らしていなかった。

 

 私の役目は、前へ出る皆さんを追うことではない。治療を続けるアーシアさんと、動けない朱乃さんへ攻撃を届かせないことだった。

 

 数体のカンドロイドを周囲へ飛ばし、上空と校舎側を警戒させる。レールガンは連続して撃てない。だからこそ、引き金を引くべき瞬間を見逃さないよう、コカビエルの翼と両手を追い続けた。

 

---

 

 静まり返った校庭に、ブーステッド・ギアの声だけが響き続けていた。

 

『Boost!』

 

 赤い光が、一誠の左腕から溢れ出す。

 

『Boost!』

 

 光は次第に強くなり、一誠の身体全体を包み始めていた。

 

『Boost!』

 

「……これ以上は、長く保たないです」

 

 一誠が苦しげに息を吐いた。

 

 リアス先輩が足を止め、彼へ向き直る。

 

「一誠」

 

「はい、部長」

 

「お願い」

 

 二人は、力を渡すその瞬間まで手を離さなかった。

 

 一誠が籠手をリアス先輩へ向ける。

 

『Transfer!』

 

 蓄積されていた赤い力が、一気にリアス先輩へ流れ込んだ。膨大な魔力が校庭を満たす。空気が震え、リアス先輩の足元から地面へ亀裂が走った。

 

 赤い力が渡りきると、二人の手が離れた。

 

 私には、悪魔の魔力を正確に測ることはできない。それでも、普段のリアス先輩とは比べものにならないほどの力であることは分かった。

 

「ほう」

 

 コカビエルが、僅かに目を細める。

 

「赤龍帝の力を受ければ、最上級悪魔に迫るところまで届くか」

 

 リアス先輩の腕が震えていた。力を受け取っただけで、身体へ大きな負担がかかっている。魔力を纏った腕や肩には、赤い傷が浮かび始めていた。

 

 それでも、リアス先輩はコカビエルから目を逸らさない。両手の間へ、滅びの魔力が集まっていく。

 

 最初は小さな球体だった。それは瞬く間に大きさを増し、周囲の瓦礫を浮かび上がらせるほどの力へ変わる。

 

「一誠。少し離れて」

 

「嫌です」

 

 一誠は即座に答えた。

 

「部長が倒れたら、俺が支えます」

 

「……そう」

 

 リアス先輩が、ほんの僅かに笑った。

 

「それなら、お願いするわ」

 

 滅びの魔力が放たれる。赤黒い奔流が、夜の校庭を呑み込むように上空へ駆け上がった。

 

 コカビエルは正面へ複数の翼を集める。翼の前に膨大な光が集まり、巨大な防壁を形成した。

 

 二つの力が激突する。轟音と共に、校庭全体が激しく揺れた。

 

 コカビエルは正面の防壁を維持したまま、横へ広げた一本の翼に光を集め始める。

 

 狙いは、力を放っているリアス先輩ではない。その身体を後ろから支え、無防備になっている一誠だった。

 

 私は引き金を引いた。

 

 紫色の光を引きながら飛んだ弾体が、形成途中の光の槍へ衝突する。光の槍は完成する前に砕け、細かな光となって空中へ散った。

 

 コカビエルの視線が、一瞬だけこちらへ向く。

 

「余計なことを」

 

「援護をするのは当然です」

 

 返事をしながら、私は砲身を僅かに下げた。レールガンの発光ラインが弱まり、再充填が始まる。すぐには、次を撃てない。

 

---

 

「くっ……!」

 

 リアス先輩は出力を緩めない。反動によって腕の傷が広がり、血が滲み始める。一誠が後ろから身体を支えても、二人の足元が少しずつ削られていった。

 

「部長!」

 

「まだよ……!」

 

 滅びの魔力がさらに膨れ上がる。光の防壁へ食い込み、コカビエルを僅かに押し戻した。

 

 それでも、破ることはできなかった。

 

 やがてリアス先輩の魔力が途切れる。赤黒い光が消えた後も、コカビエルは上空に浮かんでいた。黒い翼の先端と衣服の一部は焼けている。けれど、それだけだった。

 

「悪くない」

 

 コカビエルが、焼けた翼を広げ直す。

 

「だが、俺を滅ぼすには足りんな」

 

 リアス先輩の膝から力が抜けた。一誠が抱えるようにして、その身体を支える。

 

---

 

「まだですわ」

 

 背後から聞こえた声に、私は振り返った。

 

 朱乃さんが、アーシアさんの制止を振り切るように立ち上がっていた。

 

「朱乃さん、まだ動いてはいけません!」

 

 アーシアさんが、朱乃さんの腕を掴む。応急処置によって出血は抑えられている。けれど、負傷が治ったわけではない。

 

「大丈夫ですわ、アーシアさん」

 

 朱乃さんは、いつものように微笑もうとした。

 

「あと一度だけですもの」

 

「それを大丈夫とは言いません」

 

 私も止めた。

 

 朱乃さんはこちらを見て、少し困ったように笑う。

 

「ミライさんまで、そのようなことを言うのですね」

 

「負傷者へ無理をしないように言うのは、当然です」

 

「ええ。ですが――」

 

 朱乃さんの視線が、リアス先輩へ向く。

 

「リアスが立っているのに、私だけ休んではいられませんわ」

 

 止めても聞かない。その目を見て、そう分かってしまった。

 

 朱乃さんはリアス先輩の隣へ立つ。傷ついた片腕を持ち上げ、残る魔力を集め始めた。

 

 夜空に黒い雲が広がる。雷鳴が響き、幾重もの稲妻が雲の中を走った。

 

「参りますわ」

 

 朱乃さんが腕を振り下ろす。

 

 巨大な雷が、コカビエルへ落ちた。一撃ではない。二本、三本と、間を置かずに雷撃が降り注ぐ。

 

 朱乃さんが雷撃を放つ間も、私はアーシアさんのそばから動かなかった。コカビエル本人へ意識を向けながら、カンドロイドから伝わる周囲の様子も確認する。

 

 校舎側に異常はない。地上から近づいてくる者もいない。問題は、上空だけだった。

 

 レールガンの発光ラインは、まだ半分ほどしか戻っていない。今、こちらへ光の槍を放たれれば撃ち落とせない。私はアーシアさんを庇える位置へ僅かに移動し、いつでも飛び出せるように足へ力を込めた。

 

---

 

 コカビエルは黒い翼を動かし、雷を受け流していった。

 

「その雷……」

 

 コカビエルの視線が、朱乃さんへ向く。雷撃の合間に、その口元が歪んだ。

 

「そうか。貴様、バラキエルの娘だな」

 

 朱乃さんの表情が変わった。普段の穏やかな微笑みが消える。その顔に浮かんだものは、私がこれまで見たことのないほど激しい怒りだった。

 

「その名前を……」

 

 雷雲が大きく膨れ上がる。

 

「私の前で、口にしないでください!」

 

 朱乃さんの怒りに応えるように、無数の雷が落ちる。先ほど以上の威力だった。けれど、狙いは乱れていた。

 

 コカビエルは翼を広げ、迫る雷を次々と弾き飛ばす。

 

「父親から受け継いだ雷を使いながら、その父親を憎むか」

 

 コカビエルは嘲笑する。

 

「随分と都合の良い娘だ」

 

「黙りなさい!」

 

 朱乃さんが、さらに魔力を絞り出そうとする。

 

 しかし、身体が先に限界へ達した。傷口から血が滲み、片膝を地面につく。

 

「朱乃さん!」

 

 アーシアさんが駆け寄り、再び治療の光で包んだ。朱乃さんは悔しげに唇を噛みながら、それ以上は立ち上がれなかった。

 

---

 

「魔王サーゼクスの妹が、赤龍帝の力を借りても俺一人を止められん」

 

 コカビエルは、私たちを見下ろしていた。

 

「その女も、嫌悪する父親の力に縋りながら、俺へ傷一つつけられない」

 

 続いて、木場くんへ視線を向ける。

 

「死者の残した因子と力に縋り、ようやく立っているだけの剣士」

 

 木場くんは何も答えなかった。ただ、聖魔剣を握る手に力を込める。

 

「神へ捧げられた聖剣を、自らの手で砕いた教会の戦士」

 

 ゼノヴィアさんの顔が強張る。

 

「神に仕えながら教会から捨てられ、悪魔に拾われた元聖女」

 

 アーシアさんの肩が震えた。

 

 最後に、コカビエルの視線が一誠へ向いた。

 

「そして、自分では戦わず、女へ力を渡して満足している未熟な赤龍帝」

 

「てめえ……!」

 

 一誠が、リアス先輩の身体を支えながら前へ出ようとする。

 

「駄目よ、一誠!」

 

 リアス先輩が、その腕を掴んだ。

 

「今のあなたが正面から向かっても、殺されるだけだわ!」

 

「でも、あいつは……!」

 

 一誠が悔しげに拳を握る。

 

 その前へ、二つの人影が立った。

 

「イッセーくん」

 

 木場くんだった。

 

「もう一度、力を溜めて」

 

 その隣で、ゼノヴィアさんがデュランダルを構える。

 

「その間は、私たちが時間を稼ぐ」

 

「二人とも、もうボロボロじゃねえか!」

 

「だからこそ、君の力が必要なんだ」

 

 木場くんは振り返らなかった。

 

「今度は、一人で全部を背負うつもりはないよ」

 

 一誠の目が、大きく開かれる。

 

 少し前までの木場くんなら、同じことを言っただろうか。一人で敵を追い、仲間を遠ざけ、すべてを自分だけで終わらせようとしていた木場くん。けれど今は、自分から一誠へ力を求めていた。

 

「……絶対に死ぬなよ」

 

「努力するよ」

 

 一誠が籠手を握り締める。

 

『Boost!』

 

 再び、赤龍帝の力の蓄積が始まった。

 

---

 

 木場くんとゼノヴィアさんが、左右へ分かれた。

 

 先に動いたのは木場くんだった。周囲に展開された聖剣と魔剣が、次々とコカビエルへ飛んでいく。コカビエルは翼を動かし、迫る剣を弾き飛ばした。

 

 レールガンの発光ラインが、再び紫色に満たされる。私は砲身を持ち上げた。

 

 木場くんが飛ばした剣の一本を破壊するため、コカビエルの右側の翼が大きく開く。私は、そこへ照準を合わせた。

 

「木場くん、右側を押さえます!」

 

 引き金を引く。

 

 放たれた弾体を、コカビエルは右の翼で正面から受け止めた。翼を貫くことはできない。それでも、その一枚を僅かな時間だけ、私の方角へ固定することはできた。

 

 木場くんの目的も、最初からコカビエルへ傷を負わせることではない。聖剣と魔剣によって残る翼の動きを一方向へ集め、私の一撃によって反対側を押さえる。

 

 生まれた隙へ、ゼノヴィアさんが踏み込んだ。

 

「はああああっ!」

 

 デュランダルが振り下ろされる。コカビエルは光の槍を形成し、その一撃を正面から受け止めた。聖剣と光の槍が激突し、激しい火花を散らす。

 

「この程度か!」

 

「まだだ!」

 

 木場くんが背後へ回り込み、聖魔剣を振るう。コカビエルは残る翼を動かし、その剣を防いだ。二人の攻撃が、僅かな時間だけコカビエルの動きを封じる。

 

 その瞬間。

 

 校舎の上から、小さな影が落下してきた。

 

 小猫さんだった。

 

 いつの間に移動したのか、私にも分からなかった。コカビエルの真上から、全身の力を乗せた拳を振り下ろす。

 

「浅い!」

 

 コカビエルが叫ぶ。黒い翼が一斉に開かれた。膨大な光力が、衝撃波となって周囲へ放たれる。

 

 木場くん、ゼノヴィアさん、小猫さんの三人が、同時に吹き飛ばされた。

 

 先ほど撃ったばかりのレールガンは、再び発光ラインを失っている。

 

「小猫さん!」

 

 私はレールガンをその場へ置き、アーシアさんたちの前から駆け出した。小猫さんが落ちてくる方向へ回り込み、地面へ叩きつけられる直前に身体を受け止める。

 

 けれど、すべての衝撃を消すことはできなかった。小猫さんの身体から力が抜けている。

 

「小猫さん、聞こえますか?」

 

「……はい」

 

 小さな声が返ってくる。意識はある。呼吸もしている。それを確認して、少しだけ息をついた。

 

「……まだ、戦えます」

 

「戦えていません。今は動かないでください」

 

「でも……」

 

「駄目です」

 

 私は小猫さんを抱え、アーシアさんの近くへ運んだ。アーシアさんは朱乃さんの傷を最低限塞ぐと、すぐに小猫さんへ治療の光を向ける。

 

「重傷ですが、命に関わる傷ではありません」

 

 アーシアさんの言葉に、胸を撫で下ろす。朱乃さんと小猫さん。二人とも戦える状態ではない。それでも、今すぐ命を失う危険だけは避けられた。

 

---

 

 木場くんとゼノヴィアさんも、地面へ叩き落とされていた。それでも二人は、再び立ち上がる。ゼノヴィアさんはデュランダルを杖のようにして身体を支え、木場くんは新たな聖魔剣を作り出した。

 

「何度立ち上がろうと、同じことだ」

 

 コカビエルの手に、巨大な光の槍が生まれる。それが地上へ投げ落とされた。

 

「ゼノヴィア!」

 

「分かっている!」

 

 ゼノヴィアさんが、デュランダルを正面へ構える。木場くんは、その前へ何重もの聖剣と魔剣を展開した。

 

 光の槍が、最初の剣へ衝突する。一本目が砕ける。二本目。三本目。木場くんが作り出した剣が、次々と光に呑まれていく。それでも、彼は新たな剣を生成し続けた。

 

 ゼノヴィアさんも、デュランダルへ全身の力を注いでいる。二人の足が地面を削り、少しずつ押し戻されていく。

 

「ぐっ……!」

 

「まだだ!」

 

 完全に防ぐことはできない。けれど、光の槍の軌道が僅かに逸れた。校庭の端へ着弾し、大きな爆発を起こす。

 

 その土煙の中から、木場くんが飛び出した。空中へ作り出した剣を足場にして、コカビエルへ駆け上がっていく。

 

 コカビエルが翼を振るう。木場くんは一本の剣を盾にして、その一撃を受け止めた。剣が砕ける。それでも、その一瞬で懐へ入る。

 

 残った聖魔剣が横薙ぎに振るわれた。コカビエルの頬に、一本の傷が走る。赤い血が、一筋だけ流れた。

 

「……ほう」

 

 コカビエルは指先で頬を拭った。そこについた血を、興味深そうに眺める。

 

 木場くんは地面へ降り立った。着地と同時に片膝をつく。もう、立っているだけでも苦しいはずだった。それでも剣は手放さない。

 

 コカビエルの視線が、木場くんの聖魔剣へ向けられた。

 

「悪魔の力から生まれた魔剣と、聖剣因子が同じ器に存在している」

 

 コカビエルが、僅かに笑う。

 

「本来なら、あり得ない剣だ」

 

「この剣を生んだのは、僕の仲間たちだ」

 

 木場くんが、息を切らしながら答えた。

 

「そうだろうな。因子を結びつけたのは、貴様らの思いだ」

 

 コカビエルは否定しなかった。

 

「だが、その剣が生まれた理由は、それだけではない」

 

 ゼノヴィアさんが、顔を上げる。

 

「理由……?」

 

 コカビエルは、木場くんがなお立ち上がろうとする姿を見下ろした。

 

「しかし、仕えるべき主を亡くしてまで、よく戦うものだ」

 

 ゼノヴィアさんの表情が固まる。

 

「……何を言っている?」

 

「おっと」

 

 コカビエルが、わざとらしく口元へ手を当てた。

 

「口が滑ったか」

 

 次の瞬間、高い笑い声が校庭へ響いた。

 

「ハハハハハハッ!」

 

 誰も笑ってはいない。コカビエルだけが、心底楽しそうに笑っていた。

 

「そうだな。そうだった」

 

 笑いを残したまま、両腕を広げる。

 

「戦争を起こそうというのに、今さら隠しておく必要などなかったな」

 

 その視線が、私たち全員を見渡した。

 

「先の三つ巴の戦争で――神は死んだのさ」

 

---

 

 誰も、すぐには言葉を返せなかった。地面の奥から続いていた軋みも、結界を維持する魔力の振動も、遠くなったように感じる。

 

「そんな……」

 

 最初に声を絞り出したのは、リアス先輩だった。

 

「そんな話、私は聞いたことがないわ」

 

「当然だ」

 

 コカビエルは笑う。

 

「今の魔王どもも、天界の連中も、この事実を広めるつもりはない。信徒はもちろん、末端の天使や悪魔にさえ知らせていないだろうさ」

 

「嘘だ」

 

 ゼノヴィアさんが、掠れた声を出す。

 

「神が死ぬなど……」

 

「ならば、なぜ隠す必要があると思う?」

 

 コカビエルは、楽しむように問い返した。

 

「あの戦争で、悪魔は当時の魔王全員と、上級悪魔の多くを失った」

 

 リアス先輩の顔が強張る。

 

「天使も堕天使も同じだ。幹部以外の大半を失った」

 

 コカビエルの視線が、再びリアス先輩へ向く。

 

「悪魔の純血種は、今では希少なのだろう?」

 

「……ええ」

 

「だから、人間を悪魔へ転生させて数を補っている」

 

 次に、アーシアさんを見る。

 

「純粋な天使は、神が遺した従来の仕組みでは、もはや以前のように増えることもできない」

 

「でも……」

 

 アーシアさんが、震える声で言った。

 

「神様へのお祈りは、今も届いています。祝福も、癒やしの力も……」

 

「届いているとでも思っていたのか?」

 

 コカビエルが鼻で笑う。

 

「神が作ったシステムそのものは残っている」

 

 上空の魔法陣へ手を向けるように、片腕を広げる。

 

「祈りも、祝福も、悪魔祓いも、残された機構が処理しているにすぎん」

 

「そんな……」

 

「天使も、堕天使も、悪魔もだ」

 

 コカビエルの声が、夜の校庭へ響く。

 

「どの勢力も、人間に頼らなければ存続すらできないほど落ちぶれた」

 

 そして、少しだけ声の調子を変えた。

 

「ミカエルはよくやっているよ」

 

 以前、私のヘイローを見て口にした名前。その言葉に、私は無意識に頭上へ意識を向けた。

 

「神の代わりに天使と人間をまとめ、崩れかけた仕組みを維持しているのだからな」

 

 嘲笑だけではなかった。コカビエルは、ミカエルの働きそのものは認めているようだった。

 

「だが、神が死んだ後の天界には、俺たちにも説明できない変化が起きた」

 

 コカビエルの目が、真っ直ぐに私を捉えた。

 

「生き残った上位天使どもの頭上に、我らが知るものとは異なる光輪が現れた」

 

 私の頭上に浮かぶ紫色のヘイローを指すように、視線が上がる。

 

「光輪だけではない。その姿さえ、かつてとは異なるものへ変わった」

 

 コカビエルの表情から、笑みが薄れる。

 

「それだけではない」

 

 低い声が続く。

 

「先の戦争で死んだはずの奴らまで、同じように異質な光輪を戴き、以前とは違う姿で現れやがった」

 

 死んだはずの上位天使が、再び現れた。その意味を、私はすぐには理解できなかった。

 

「蘇ったというのか……?」

 

 ゼノヴィアさんが呟く。

 

「知るものか」

 

 コカビエルは吐き捨てた。

 

「本当に死者が蘇ったのか。死者の名と力を持つ別の何かなのか。俺にも分からん」

 

 黒い翼が、僅かに揺れる。

 

「神の死が原因なのか、それとも別の何かが引き起こしたのかもな」

 

 そして、はっきりと告げた。

 

「ミカエルをはじめ、変質を受け入れた上位天使どもが何と呼ぼうと、俺はあれを天使の新たな姿などとは認めん」

 

 コカビエルの視線が、再び私へ戻る。

 

「あれは、神が天使へ与えた光輪ではない」

 

 私の手に、自然と力が入った。

 

「そして、貴様だ」

 

 レールガンを構え直す。

 

「天使でもない貴様の頭上に、なぜ奴らと同じ類の光輪が現れる?」

 

「……私にも分かりません」

 

「だろうな」

 

 コカビエルは、それ以上の答えを求めなかった。

 

「貴様のそれが奴らと同じ現象によるものか、まったく別のものなのか。俺にも判断できん」

 

 神が死んでいた。その事実が何を意味するのか、私にはまだ理解しきれない。

 

 けれど、コカビエルの言葉が正しいのなら、ミカエルたちの光輪は、神が作った従来の仕組みだけでは説明できないらしい。そして、私のヘイローもそれと同じものなのか、まったく別のものなのか、まだ誰にも分からない。

 

 私は自分の頭上を見ることはできない。それでも、紫色の光が今もそこにあることだけは感じられた。

 

 この光が現れた時、私は神へ祈ってはいなかった。誰かに力を与えてほしいと願ったわけでもない。ただ、傷ついている皆さんの隣に立ちたいと思った。

 

 その思いに応えるように、この光は現れた。

 

「聖と魔の均衡を司る者がいなくなった」

 

 コカビエルは、木場くんの聖魔剣へ目を向ける。

 

「だから、本来なら混じり合わないはずの力が、同じ器の中に存在できる余地が生まれた」

 

 木場くんの剣を指差す。

 

「あの聖魔剣も、均衡を失った世界が生んだ現象の一つだと、俺は考えている」

 

「……違う」

 

 木場くんが、ゆっくりと剣を握り直した。

 

「この剣を生んだのは、僕の仲間たちだ」

 

「先ほども言っただろう。意味を与えたのは貴様らだ」

 

 コカビエルは、僅かに肩を竦める。

 

「だが、それを許した世界の歪みまで否定することはできん」

 

 木場くんの目が、僅かに揺れた。握っていた聖魔剣が、一瞬だけ下がる。

 

 けれど、木場くんは膝をつかなかった。

 

「……神様が見ていなくても」

 

 小さな声が聞こえた。

 

 その先を、木場くんは口にはしなかった。

 

 それでも、何を続けようとしたのかは分かった。

 

 あの子供たちの声。

 

 僕たちの心は、いつだって――。

 

 木場くんは聖魔剣を構え直し、コカビエルを見上げた。

 

 コカビエルは、そんな木場くんをしばらく見下ろしていた。

 

「神がいなくとも、仲間との繋がりがあれば立てる。そう言いたいのか?」

 

 返事を待つことなく、コカビエルは鼻で笑った。

 

「くだらんな」

 

 先ほどまで浮かんでいた笑みが、ゆっくりと消えていく。

 

「もっとも、神の死も、天界の変質も、俺にはどうでもいい」

 

 その目に、これまでとは異なる光が浮かんだ。

 

 怒り。執着。そして、抑えきれない狂気。

 

「俺が耐え難いのは、神と魔王が死んだ以上、戦争の継続は無意味だと判断されたことだ」

 

 黒い翼が、大きく広がる。

 

「一度振り上げた拳を、何もせずに収めろだと?」

 

 周囲の光力が膨れ上がる。

 

「ふざけるな」

 

 コカビエルの声が低くなる。

 

「あのまま戦いが続いていれば、俺たちが勝てたはずだ!」

 

 光の槍が、無数に生み出される。

 

「それをアザゼルの野郎は、二度目の戦争はないと宣言までしやがった!」

 

 空気が、コカビエルの怒りに震えていた。

 

「ミカエルは、神のいない天界を守るために働いている」

 

 一つ。二つ。さらに多くの光の槍が、上空へ並んでいく。

 

「アザゼルは、残った堕天使を存続させるために戦争を捨てた」

 

 コカビエルはリアス先輩を見る。

 

「今の魔王どもも、滅びかけた悪魔を立て直すことしか考えていない」

 

 最後に、両腕を広げた。

 

「誰も、続きを望まない」

 

 その口元が歪む。

 

「だから、俺がやる」

 

 無数の光の槍が、私たちへ狙いを定めた。

 

「お前たちの首を土産に、俺だけでもあの時の続きをしてやる」

 

 けれど、コカビエルはすぐには光の槍を放たなかった。

 

 神を信じてきた人たちが、その事実を前にどのような顔をするのか。それを眺めることさえ、彼にとっては戦いの一部なのだろう。

 

---

 

 ゼノヴィアさんの手から、力が抜けた。デュランダルの切っ先が地面へ落ちる。

 

「神が……」

 

 膝が崩れた。

 

「神が、死んでいる……?」

 

 神のために生き、神の剣を手に戦ってきたゼノヴィアさん。その根幹を、一言で奪われてしまったようだった。

 

 木場くんが手を伸ばしかける。けれど、ゼノヴィアさんはその手にも気づかなかった。

 

「神様が……?」

 

 アーシアさんの声が、背後から聞こえた。小猫さんを包んでいた治療の光が揺らぐ。

 

「アーシアさん?」

 

 振り返った時には、アーシアさんの身体から力が抜けていた。

 

 私は駆け寄り、倒れる身体を受け止める。

 

「アーシアさん!」

 

 返事はない。強い衝撃によって、意識を失っていた。

 

 私はアーシアさんを静かに横たえる。朱乃さんと小猫さんへの応急処置は、最低限終わっている。すぐに命を失うような状態ではない。

 

 それでも、治療を続ける者はいなくなった。

 

 誰も、すぐには動けなかった。

 

 その沈黙の中で、一人だけ前へ出た。

 

「ふざけるな!」

 

 一誠の声が、静まり返った校庭へ響いた。

 

 コカビエルの視線が、一誠へ向く。

 

「お前の勝手な言い分で、俺たちの町を、仲間たちを消されてたまるか!」

 

「赤龍帝ごときが、俺へ説教するつもりか?」

 

「説教なんかじゃねえ!」

 

 一誠は拳を握り締めた。

 

「お前が戦争をしたいとか、昔の続きをしたいとか、そんなもん俺たちには関係ねえ!」

 

 リアス先輩が、一誠の背中を見る。

 

「それに、それに俺はな――」

 

 一誠が大きく息を吸い込んだ。

 

「ハーレム王になるんだぁぁぁぁっ!」

 

 一瞬だけ、誰もが言葉を失った。

 

「てめえなんかに、俺の計画を邪魔されたら困るんだよ!」

 

 もっと別の言い方があったとは思う。

 

 それでも、一誠らしい言葉だった。

 

 リアス先輩の表情にも、ほんの僅かに笑みが戻る。

 

「くだらん」

 

 コカビエルが、一誠へ光の槍を投げた。

 

「一誠!」

 

 リアス先輩が叫ぶ。

 

 一誠は避けなかった。ブーステッド・ギアが、強い赤色の光を放つ。

 

『Boost!』

 

 一誠が右拳を振るう。光の槍と拳が正面から衝突した。

 

「うおおおおおおっ!」

 

 光の槍に亀裂が走る。次の瞬間、粉々に砕け散った。

 

「何?」

 

 二本目の光の槍が飛ぶ。一誠はそれも拳で砕いた。三本目。腕へ傷を負いながら、それでも前進を止めない。地面を蹴り、コカビエルへ向かって跳躍した。

 

「俺たちを――」

 

 赤い拳が、コカビエルの顔面を捉える。

 

「なめんじゃねえぇぇぇっ!」

 

 コカビエルの身体が、空中で大きく弾かれた。翼の姿勢が崩れる。初めて、一誠の拳が明確に届いた。

 

---

 

「一誠!」

 

 リアス先輩が、傷ついた身体で立ち上がろうとする。

 

 一誠の一撃によって、止まりかけていた全員の意志が再び動き始めた。

 

 木場くんが聖魔剣を構え直す。

 

 ゼノヴィアさんは、まだ膝をついたままだった。神が死んだという言葉を、否定することも受け入れることもできない。それでも、一誠の背中を見た彼女の手が、地面に落ちたデュランダルへ伸びる。

 

「……私には、まだ分からない」

 

 震える指が、柄を握った。

 

「だが、ここで彼らを死なせてよい理由にはならない」

 

 ゼノヴィアさんは、デュランダルを杖にして立ち上がった。

 

 朱乃さんは立ち上がることができなかった。それでも、苦しげな呼吸の合間から、戦おうとする皆さんを見つめている。

 

 私もアーシアさんを安全な位置へ寝かせると、レールガンを拾い上げた。

 

 木場くんの聖剣と魔剣。ゼノヴィアさんのデュランダル。一誠の拳。そして、私のレールガン。

 

 複数の攻撃が、一斉にコカビエルへ迫った。

 

「調子に乗るな!」

 

 黒い翼が大きく開く。光力の奔流が、すべての攻撃を正面から押し返した。

 

 木場くんの剣が、次々と砕ける。ゼノヴィアさんが吹き飛ばされる。私の放った弾体も、光の槍に撃ち落とされた。

 

 一誠が再び殴りかかる。けれど、今度はコカビエルの手に拳を受け止められた。

 

「一度届いた程度で、俺に勝てると思ったか」

 

 一誠の身体が、翼によって地面へ叩き落とされる。

 

「一誠!」

 

 リアス先輩が駆け寄ろうとする。しかし、全力を放った反動で足が動かない。

 

 木場くんがコカビエルへ向かう。聖魔剣が黒い翼へ叩き込まれる。だが、弾き返された。木場くんの身体が、光の爆発に呑まれる。

 

「木場くん!」

 

 地面を何度も転がり、それでも聖魔剣を支えに立ち上がろうとする。

 

 ゼノヴィアさんも、デュランダルを杖にして辛うじて立っていた。

 

 誰も諦めていない。けれど、力の差は埋まらなかった。

 

 レールガンの発光ラインが、不安定に明滅している。再充填が間に合わない。カンドロイドでも、あの敵を止めることはできない。

 

 ヘイローが現れ、武器を手に入れた。それでも、皆さんを完全に守れるほど強くなったわけではなかった。

 

 コカビエルが、上空へ片手を掲げる。これまでよりも巨大な光の槍が形成されていく。

 

「終わりだ」

 

 狙いは、一誠だけではない。リアス先輩も。木場くんも。ゼノヴィアさんも。朱乃さんも、小猫さんも、意識を失ったアーシアさんも。

 

 全員を、一度に消し去るつもりだった。

 

 胸の奥が、強く締めつけられる。

 

 嫌だった。

 

 これ以上、誰かが傷つくのを見るのは。

 

 皆さんが殺されるくらいなら――。

 

 その先で、自分が何をしようとしたのかは分からない。

 

 それでも、私の中に残された歴史のどこかへ、必死に手を伸ばそうとした。

 

 その時だった。

 

 片手の中に、硬い感触が生まれた。

 

「……これは」

 

 開いた掌の上に、一つのライドウォッチがあった。

 

 黒い縁。赤い文字盤。中央に刻まれた、見覚えのある仮面。

 

 ファイズライドウォッチ。

 

 私が意図して呼び出したものではなかった。それなのに、手へ収まった瞬間、何かが伝わってきた。

 

 声は聞こえない。姿も見えない。それでも、あの歴史の中心にいた不愛想な青年が、木場くんを見ているように感じた。

 

 彼がかつて友と呼んだ、もう一人の木場。

 

 同じ人物ではない。代わりでもない。けれど、理不尽に日常を奪われ、憎しみに呑まれかけながら、最後には誰かを守る道を選んだ二人には、どこか重なるものがあった。

 

 ウォッチに宿る歴史が、今度こそ力を差し出そうとしている。理由を説明する声は聞こえなかった。ただ、あの不愛想な人が、木場くんのために何かを引き受けようとしている。そんな感覚だけが伝わってきた。

 

 コカビエルの光の槍が、完成へ近づく。

 

 木場くんが、もう一度立ち上がろうとしていた。聖魔剣を握る腕は震えている。それでも、皆さんの前へ出ようとしている。

 

 考えるより先に、声が出た。

 

「祐斗!」

 

 自分でも驚くほど、大きな声だった。

 

 木場くんが振り返る。

 

 私は、ファイズライドウォッチを投げた。赤い文字盤が夜の校庭を横切り、木場くんの手へ収まる。

 

「これは?」

 

「回して、押してください!」

 

 木場くんが、私を見る。

 

「あとは、それが教えてくれます!」

 

 一瞬だけ、迷うような表情を見せた。それでも、木場くんはそれ以上尋ねなかった。私を信じて、文字盤を回す。上部のボタンを押した。

 

ファイズ

 

 電子音が、校庭へ響く。

 

 その直後、木場くんの手にあったライドウォッチが赤い光へ変わった。光は周囲へ散らなかった。吸い込まれるように、木場くんの身体の内側へ消えていく。

 

 そして、ライドウォッチを握っていたはずの手には、代わりに携帯電話型の端末が収まっていた。

 

 ファイズフォン。

 

 同時に、赤い光が木場くんの腰を巡り、一本のベルトを形作る。

 

 ファイズドライバー。

 

 初めて目にするはずの道具だった。けれど、木場くんの指に迷いはない。ライドウォッチと共に彼の内側へ入った歴史が、操作の仕方を教えているようだった。

 

 5、5、5。

 

 最後に、エンターキーを押す。

 

Standing by

 

 木場くんがファイズフォンを閉じ、右手に構えた。

 

 上空では、コカビエルの巨大な光の槍が輝いている。木場くんの背後には、傷ついた仲間たちがいる。

 

 木場くんは、迷わなかった。

 

変身!

 

 ファイズフォンをドライバーへ差し込み、横へ倒す。

 

 赤い光が、木場くんの身体へ走りかける。しかし、一瞬だけ止まった。何かを確かめるように、ドライバーの中心で明滅する。

 

 本来なら、木場くんを拒むはずの変身機構。

 

 その時、木場くんの内側から、別の赤い光が脈打った。先ほど彼の中へ入った、ファイズの歴史。

 

 木場くんにはない資格を補うように。

 

 拒絶されるはずだった負担を、不器用な誰かが黙って肩代わりするように。

 

 止まりかけていた赤い光が、今度こそ木場くんの全身を駆け巡った。

 

Complete

 

 黒い強化服が身体を覆う。その上へ、銀色の装甲が形成されていく。全身を巡る赤い光の線が、夜の校庭で鮮明に輝いた。

 

 最後に、赤い複眼が点灯する。

 

 木場祐斗は、別の歴史をその身に纏い、コカビエルを見上げた。




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