止まった針は時の終わりに未来を見る   作:ドレットノータス

34 / 63
マコイロてえてえ


冥界合宿のヘルキャット
第31刻 少し遅れて


 夏休みに入って最初に目にした異常は、悪魔でも、堕天使でも、時間を止める神器でもなかった。

兵藤家だった。

 

「……ここ、ですよね」

 

 手元の住所を確認する。間違っていない。門柱に取り付けられた表札にも、しっかりと『兵藤』と書かれている。

それでも私は、もう一度だけ目の前の建物を見上げた。

 ついこの間までここに建っていたのは、ごく普通の二階建ての一軒家だったはずだ。少なくとも、私が以前訪れた時にはそうだった。

 ところが今、目の前にあるのはどう見ても一軒家と呼んでいい大きさではない。横にも広いが、上にも高い。窓の数を追っていけば、少なくとも六階はある。門から玄関までにも妙な距離があり、建物だけを見ればちょっとしたホテルか何かにしか見えなかった。

 

「……建て替えって、一晩で終わるものなんでしょうか」

 

「俺に聞くな!」

 

 門の向こうから声が飛んできた。見ると、一誠がこちらへ走ってくる。

 

「俺だって朝起きてびっくりしたんだよ! 昨日まで普通の家だったんだからな!」

 

「やっぱり昨日までは普通だったんですね」

 

「そこ疑ってたのかよ!」

 

 少しだけ。悪魔と関わるようになってから、私の中で『普通』の基準はかなり怪しくなっている。とはいえ、さすがに一晩で六階建ての家が出現するのは普通ではないと思う。

 

「地下も三階あるらしいぞ」

 

「増えてるじゃないですか」

 

「俺に言うなって!」

 

 一誠は頭を抱えた。

 

 事情を聞けば、一誠のご両親には、リアス先輩のお父様が建築関係の仕事をしていて、モデルハウスとして家を改築した――という説明になっているらしい。

本当に建築関係の仕事をしているのかは知らない。たぶん、少なくとも今回の改築を説明するための話なのだと思う。

何しろ、リアス先輩の家は悪魔の名門だ。

地上六階、地下三階の建物が一晩で完成している時点で、人間界の建築会社の仕事として考える方が無理があった。

 私は玄関へ向かいながら、改めて巨大な建物を見上げた。

 

「一誠のご両親が納得しているなら、もうそれでいい気もしてきました」

 

「俺もそう思う」

 

 少なくとも、私が考えても元の家には戻らない。なので、考えるのをやめた。

 

     *

 

 一誠の部屋も、以前とは比較にならないほど広くなっていた。というより、部屋というよりちょっとしたリビングに近い。

 そこにオカルト研究部の皆さんが集まっていた。夏休みということもあって、皆さん普段よりも随分と気楽な格好をしている。リアス先輩を中心に、朱乃さん、祐斗、小猫さん、アーシアさん、ゼノヴィア、ギャスパーくん。そして私と一誠。

 全員が揃ったところで、リアス先輩が口を開いた。

 

「せっかくの夏休みだけど、今年は少し長く冥界へ行くことになるわ」

 

 一誠たちにとっても初耳だったらしく、何人かが顔を上げる。

 

「私の実家――グレモリー領へ帰省するの。もちろん、眷属のみんなも一緒よ」

 

 そこから説明された予定は、私が思っていたより本格的なものだった。グレモリー家への帰省。リアス先輩のご両親への正式な挨拶。冥界で開かれる若手悪魔たちの集まり。そして、その後には今後のレーティングゲームなども見据えた修行。戻ってくるのは夏休みの終盤になるらしい。アザゼル先生も冥界へ向かい、途中までは一緒だという。

 

「ミライも来る?」

 

 リアス先輩がこちらを見る。

 

「眷属ではないから強制するつもりはないけれど、せっかく正式な部員になったんだもの。グレモリー領を見ておくのも悪くないと思うわ」

 

「行きたいです」

 

 それ自体には迷わなかった。冥界を自分の目で見てみたい。何より、皆さんが長期間向こうにいるのなら、私だけ人間界に残り続ける理由もない。

 ただ、一つ問題があった。

 

「ただ……皆さんより少し遅れて行ってもいいでしょうか」

 

「遅れて?」

 

「はい。夏休みに入る前から予定をいくつか入れてしまっていて」

 

 指折り数える。

 

「時計の出張修理が何件かあります。それと、お店の仕事もありますし……普通自動二輪免許の教習も予約しています」

 

「普通自動二輪?」

 

 一誠が反応した。

 

「はい。バイクの免許です」

 

「……待て」

 

 声が低くなった。何かを思い出した顔をしている。

 

「どうしました?」

 

「お前、聖剣の時に普通にバイク乗ってたよな?」

 

 ああ。その話ですか。

 

「乗りましたね」

 

「あれ、免許は?」

 

「持っていませんでした」

 

「やっぱり無免許だったのかよ!」

 

 一誠が立ち上がった。隣では小猫さんもこちらを見ている。

 

「あの時、私も言いました」

 

「はい」

 

「無免許運転です、と」

 

「覚えています」

 

「覚えてて走っていったのかよ!?」

 

「捜索を優先しましたので」

 

「だからその理屈が通らねえって、あの時も言っただろ!」

 

 そうだっただろうか。確かに背後から何か叫ばれていた記憶はある。

 

「ですから、今度はちゃんと取得しておこうと思いまして」

 

「反省の方向が妙に実務的なんだよ!」

 

 でも、免許を取得すれば次からは問題ない。少なくとも免許に関しては。

 ゼノヴィアが不思議そうに首を傾げた。

 

「ミライは二輪車に詳しいのか?」

 

「いいえ。ほとんど何も知りません」

 

「……では、あの時どうやって運転したんだ?」

 

 一誠まで妙な顔をする。

 

「ライドベンダーに触れた時、動かし方が分かったんです」

 

「それだけ?」

 

「それだけです」

 

「怖ぇよ……」

 

 なぜか一誠が引いていた。私としても、どこから知識が来たのか分かっていないので、その反応を完全に否定はできない。

 

「まあ、事情は分かったわ」

 

 リアス先輩が笑いながら話を戻した。

 

「なら、無理に私たちと同じ日に来なくてもいいわよ。予定を全部済ませてからいらっしゃい」

 

「ありがとうございます」

 

「人間界での用事が終わったら電話して。いつでもこちらから迎えを寄越すから」

 

「分かりました。その時はお願いします」

 

 これで問題はなくなった。私は人間界で予定を済ませる。終わったらリアス先輩に連絡する。グレモリー家から迎えを出してもらい、冥界へ向かう。少し遅れて合流するだけだ。

 その時の私は、本当にそう考えていた。

 

     *

 

 数日後。一誠たちが冥界へ向かう日、私は最寄りの駅まで見送りに来ていた。

 

「ミライさん、本当に後から来てくださるんですよね?」

 

 アーシアさんが少し心配そうにこちらを見る。

 

「はい。予定を済ませたら、リアス先輩に連絡します」

 

「約束ですよ?」

 

「約束です」

 

 そう答えると、ようやくアーシアさんが笑った。

 

「先に向こうで待ってるからな」

 

 一誠が荷物を持ち直しながら言う。

 

「遅れてきたら、冥界案内してやるよ」

 

「一誠が案内される側でしょう」

 

 祐斗が笑う。

 

「うっせえな! 着いたら覚えればいいんだよ!」

 

「一誠が迷子にならないことを祈っておきます」

 

「お前まで!?」

 

 いつもの調子だった。だから私も、特別な別れだとは思わなかった。

 

「じゃあね、ミライ」

 

 リアス先輩が最後に振り返る。

 

「急がなくていいわ。用事が終わったら連絡をちょうだい」

 

「はい。行ってらっしゃい」

 

 皆さんを見送る。人混みの中へ姿が消えるまで立ってから、私は駅を出た。

 今日からしばらく、皆さんはいない。そう考えると少しだけ静かになるような気がした。

 

 ――もっとも。

 

「おせえぞミライ! 昼飯どうすんだ!」

 

 時計店へ戻った途端、モモタロスの声が飛んできたので、その考えはすぐに訂正することになった。静かになる予定は、どうやらなかった。

 

     *

 

 教習所で最初に分かったのは、私はバイクに乗れるわけではなかった、ということだった。

 

「はい。まず車体起こしてみようか」

 

「はい」

 

 横に停められた教習車を見る。聖剣の時に使ったライドベンダーとは違う。当然だ。普通のバイクなのだから。

 問題は、触れても何も分からないことだった。ライドベンダーに触れた時には、スロットルをどう扱えばいいか、どこを操作すれば走るのか、まるで最初から知っていたように理解できた。今回は何もない。

 クラッチ。ブレーキ。ギア。それぞれの役割から説明を受け、本当に一から覚えていく。少し新鮮だった。

 時計なら蓋を開ければ、ある程度は構造を追える。けれどバイクは、構造を理解しただけで乗れるものではなかった。

 

「じゃあ発進してみよう」

 

「分かりました」

 

 言われた通りに操作する。少し進んで。

 エンジンが止まった。

 

「……止まりました」

 

「最初はそんなもんだから」

 

 教官は笑っていた。私は止まった車体を見下ろす。聖剣の時には、こんなことはなかった。あの時は、本当にライドベンダーが必要なことを教えてくれていたのだろう。

 逆に言えば。私はあの時、バイクを運転できていたのではない。ライドベンダーを動かせていただけだった。そこには、思っていた以上の違いがあった。

 

     *

 

 夏の日々は、思ったより早く過ぎていった。

 午前中に教習所へ行き、午後は時計店。出張依頼が入っていれば工具箱を持って外へ出る。夜になれば、地下に置かれたデンライナーの細かな補修を進める。

 中枢機関そのものは、もう以前の段階で修復を終えていた。時間を走るための根幹部分も、動力系も問題ない。残っているのは、細かな配線や一部の補助設備、壊れた内装、接触の悪いパネル類。それから、走らせる前に確認しておきたい細部だった。

 本気で取り組めば、数日もかからず終わる。だから急いではいなかった。時計の仕事を放り出す理由もなければ、予約していた教習を後回しにする理由もない。

 

「それ、先に全部終わらせちまえばいいんじゃねえの?」

 

 地下で作業していると、モモタロスがそう言ったことがある。

 

「仕事がありますので」

 

「ちょっとくらい後でもいいだろ」

 

「よくありません」

 

「真面目か!」

 

「時計屋ですから」

 

「時計屋ってそういう意味か?」

 

 たぶん違う。

 

     *

 

 出張修理の依頼先は、町の外れにある古い一軒家だった。

 

「こちらなんです」

 

 依頼人に案内され、居間の隅に置かれた時計を見上げる。私よりずっと背が高い、大きな古時計だった。木製のケースには細かな傷があり、色もところどころ薄くなっている。新品のような綺麗さはない。けれど、雑に扱われてきた時計ではないことはすぐに分かった。

 

「家族の形見なんです」

 

 依頼人がそう言った。

 

「ずっと動いていたんですが、少し前から遅れるようになって……とうとう止まってしまって」

 

「分かりました。中を見てもいいですか?」

 

「お願いします」

 

 前面を開ける。振り子。重錘。歯車。長い時間を働いてきた機械の内部には、それだけの痕跡が残っていた。古い油。汚れ。摩耗。少しだけ歪んだ箇所もある。でも、駄目になっているわけではない。

 

「直りますか?」

 

 後ろから、不安そうな声が聞こえた。私はもう一度内部を確認した。

 

「はい」

 

 工具箱を開く。

 

「まだ直せます」

 

 部品を外す。一つずつ状態を確かめる。使えるものは使う。直せるものは直す。交換しなければならない部分だけを交換する。

 全部を新しくしてしまえば、それは確かに綺麗になるのかもしれない。でも、この時計を別の時計にするために呼ばれたわけではない。今までこの家で時を刻んできたものを、もう一度動かすために来た。

 そうして作業を続けた。しばらくして、止まっていた振り子が再び一定の幅で動き始める。

 

 カチ。カチ。

 

 静かな部屋の中に、規則正しい音が戻ってきた。

 

「……動いた」

 

 後ろで小さな声がした。私は時刻のずれを確認しながら、最後の調整をする。

 

「しばらく様子を見てください。もし大きく遅れたり、また止まったりしたら連絡をお願いします」

 

「ありがとうございます。本当に……」

 

 何度も頭を下げられた。私は工具を片付けながら、もう一度だけ時計を見る。

 古い。傷もある。新品より性能がいいわけでもない。それでも、ここにあることに意味がある。そういうものを直せるのは、少し嬉しかった。

 

     *

 

 教習も少しずつ進んだ。最初の頃は操作するだけで精一杯だったが、慣れてくると別の難しさが見えてくる。特に低速だった。

 

「下見すぎ。もっと先」

 

 一本橋の途中で教官から声が飛ぶ。私は視線を上げる。

 

「手元じゃなくて、進みたい方を見る」

 

「はい」

 

 言われた通り前を見る。車体が少し安定した。

 機械を操作するなら、細かい部分を見る。それは私にとって当たり前だった。でもバイクでは、自分自身もその機械と一緒に動いている。手だけでは足りない。身体も、視線も、重心も使う。

 面倒だと思うより先に、面白いと思った。聖剣の夜には知る余裕もなかった感覚だった。

 

     *

 

「受かった?」

 

「受かりました」

 

 時計店に戻ってそう答えると、リュウタロスが真っ先に寄ってきた。

 

「じゃあバイク乗れるの?」

 

「乗れますよ」

 

「どこ?」

 

「何がですか?」

 

「バイク」

 

「持ってません」

 

「え?」

 

 リュウタロスが首を傾げる。その後ろで、モモタロスが露骨に顔をしかめた。

 

「お前、免許だけ取ったのかよ!」

 

「はい」

 

「なんでだよ!」

 

「免許を持っていなければ、バイクを買っても乗れませんから」

 

「先にバイク決めるとかあるだろ!」

 

「今のところ欲しい車種も分かりません」

 

「本当に何も知らねえじゃねえか!」

 

 それは最初から言っている。

 ウラタロスが横から口を挟んだ。

 

「まあまあ。これから探せばいいんじゃない? ミライちゃんに似合うのをさ」

 

「僕も乗る!」

 

「二人乗りできるものなら考えます」

 

「やった!」

 

「まだ買うとも言っていません」

 

 相変わらず騒がしかった。そんな会話をしながら夕食を食べて、翌朝になればまた店を開ける。暑い日はアイスを買った。近所の夏祭りを覗いた日もあった。リュウタロスが屋台ではしゃぎすぎて、私は何度か謝ることになった。

 教習所へ行って。時計を直して。店番をして。時々地下へ降りて、デンライナーを触る。そんなふうに、私の夏休みは過ぎていった。

 

     *

 

 八月二十日。

 夏休みに入る前に予定していたことは、ほとんど終わっていた。二輪免許は取った。頼まれていた出張修理も終わった。店の仕事にも大きな予定は残っていない。そしてデンライナーも、あと少しだった。

 

「……今日中に終わりますね」

 

 地下で作業箇所を確認する。残っている項目は多くない。ここまで来れば、先延ばしにする理由もなかった。

 工具を広げる。配線を一本ずつ確認し、交換していたパネルを戻す。接触の悪かった端子を調整する。車内設備を順番に動かし、不具合がないことを確かめる。

 最後に残っていた箇所へ手を入れた頃には、思っていたより時間が経っていた。

 

「ミライー、まだー?」

 

 どこかからリュウタロスの声がする。

 

「もう少しです」

 

「さっきもそれ言ってたぞ!」

 

「今度は本当にもう少しです」

 

「信用ならねえ!」

 

 モモタロスの声まで混ざる。私は返事をせず、最後の確認を続けた。

 中枢機関。正常。

 走行系。正常。

 時間移動系。正常。

 車内設備。問題なし。

 補助系統。問題なし。

 一つずつ確認して、チェックを入れる。最後の一項目。そこにも印をつけた。

 私はしばらく紙を見つめた。もう残っていない。

 工具を置き、立ち上がる。いつの間にか、モモタロスたちも近くまで来ていた。

 

「……終わったのか?」

 

 モモタロスが聞く。

 

 私は車内を見渡す。最初に見た時には、あちこちが壊れ、まともに走ることもできなかった列車。今は違う。灯りは点いている。機器は動いている。必要なら、いつでも走り出せる。

私は小さく頷いた。

 

「はい」

 

工具箱の蓋を閉じる。

 

「ゴウカ、イスルギ、レッコウ、イカヅチ――」

 

もう一度、直し終えた車両を見渡す。

 

「デンライナーの修理、これで全部終わりました。」

 

 




ミライの設定画です。 AI注意






【挿絵表示】


推しのゲヘナ生を教えてください 推しが選択肢にいない場合は、感想欄で教えてください!

  • 空崎ヒナ
  • 天雨アコ
  • 銀鏡イオリ
  • 火宮チナツ
  • 陸八魔アル
  • 浅黄ムツキ
  • 鬼方カヨコ
  • 伊草ハルカ
  • 黒舘ハルナ
  • 鰐渕アカリ
  • 愛清フウカ
  • 棗イロハ
  • 丹花イブキ
  • 羽沼マコト
  • 京極サツキ
  • 元宮チアキ
  • 鬼怒川カスミ
  • 氷室セナ
  • 夜桜キララ
  • 旗見エリカ
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。