止まった針は時の終わりに未来を見る   作:ドレットノータス

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第34刻 古き悪魔たち

 リアス先輩たちがグレモリー家の領地を見て回る予定を終えたあと、私たちは再び列車へ乗り込み、現在の魔王様たちが治めている領域へ向かっていた。目的地は、魔王領にある都市ルシファード。冥界の中でもかなり離れた場所にあるらしく、列車はただ線路の上を走り続けるのではなく、途中で何度か進行方向いっぱいに展開された巨大な魔方陣へ飛び込み、その光を抜けるたび、それまでとはまったく違う景色の中へ出た。

 

「今のが長距離移動用の魔方陣ですか?」

 

「そうだよ。冥界は広いからね。あれを使わないと、もっと時間がかかる」

 

 向かいに座っていた祐斗が、窓の外へ軽く目を向けながら教えてくれる。

 

「これでも三時間くらいかかるんだよな。最初聞いた時は、冥界ってそんな広いのかって俺も思ったぜ」

 

 一誠はそう言いながら、長時間の移動に少し疲れたのか、座席へ深くもたれかかっていた。

 

「私も、ここまで広いとは思っていませんでした」

 

 人間界なら、列車で三時間も移動すればかなり遠くまで行ける。それなのに、この世界では空間そのものを跳び越えるような魔方陣を何度も使ったうえで、それでも同じくらいの時間が必要になる。改めて考えると、私が今いる場所は、地上とはまったく違う広さを持つ世界なのだと実感した。

 

 アザゼル先生も同じ列車に乗っていたけれど、目的そのものはリアス先輩たちとは別らしく、移動中も時折手元の資料へ視線を落としている。

 

 しばらくして、そのアザゼル先生が何かを思い出したように顔を上げた。

 

「そういやミライ。向こうに着いたら、お前はちょっと俺に付き合え」

 

「私ですか?」

 

「ああ」

 

「何をするんです?」

 

「それは着いてから話す」

 

「今では駄目なんですか?」

 

「別に駄目じゃねえけど、説明すると長くなる」

 

 どこかで聞いたような答えだった。

 

「……私がそれを言うと、リアス先輩に怒られるんですけど」

 

「俺はいいんだよ」

 

「どういう理屈ですか」

 

 横から一誠の笑い声が聞こえたものの、アザゼル先生はそれ以上説明するつもりもないらしく、そのまま資料へ目を戻してしまった。

 

     *

 

 三時間ほど列車に揺られ、ようやくルシファードへ到着した。かつて旧魔王ルシファーがいたとされ、冥界の旧首都でもあったと聞いていたので、私はもっと古い建物ばかりが並ぶ場所を想像していたのだけれど、実際に駅へ降り立ってみると、その印象はかなり違った。

 

「……かなり近代的ですね」

 

 人間界と同じようにホームがあり、案内板があり、細かな意匠こそ違っているものの、自動販売機らしきものまで置かれている。駅の外に見える建物も高く、グレモリー領とはまた違った意味で、こちらはこちらで普通の都市として発展しているらしい。

 

「俺も最初そう思った!」

 

 一誠がすぐにこちらへ食いついてくる。

 

「冥界って聞いたら、もっとこう、岩とか炎とかばっかりの場所を想像するだろ?」

 

「そこまでは思っていませんでした」

 

「なんでだよ」

 

「生活している人がいるんですから、街くらいはあると思っていました」

 

「じゃあ今の『近代的ですね』って何だったんだよ」

 

「思っていた以上に人間界と似ていた、という意味です」

 

「ああ、なるほど」

 

 一誠が納得したところで、突然、ホームの向こう側から大きな声が飛んできた。

 

「リアス姫さま!」

 

 一誠と一緒に振り返ると、駅にいた悪魔たちの視線が一斉にこちらへ、正確にはリアス先輩へ集まっている。一人が声を上げたことをきっかけにして、別の場所からも「リアスさま!」や「リアス姫さま!」という歓声が上がり始め、女性だけではなく男性の姿まで混じっていた。リアス先輩は少し困ったような笑みを浮かべながらも、慣れているのか、声をかけてくる人たちへ軽く手を振って応えている。

 

「……かなり人気なんですね」

 

「リアスは魔王ルシファーさまの妹ですもの。それに、グレモリー家の次期当主でもありますから、冥界では憧れている方も多いんですのよ」

 

 朱乃先輩が楽しそうに教えてくれた。

 

「そうなんですね」

 

 普段は同じ部室でお茶を飲んだり、一誠に呆れたりしている姿を見ているから忘れそうになるけれど、リアス先輩は冥界へ来れば、そこにいるだけでこれだけ多くの人から注目される立場にいる。

 

「ヒィィィ……!」

 

 一誠の後ろから、小さな悲鳴が聞こえた。見ると、ギャスパーくんがほとんど一誠の背中へ隠れるようにして、人の多さに耐えている。

 

「人が……人がいっぱいいますぅ……!」

 

「まだ駅だぞ、ギャスパー」

 

「もう無理ですぅ!」

 

「これからもっと偉い悪魔が集まるところに行くんだけど……」

 

「言わないでくださいぃぃ!」

 

 一誠とギャスパーくんのやり取りを横目に、リアス先輩は周囲へ視線を巡らせた。

 

「これ以上騒ぎになる前に移動しましょう」

 

 グレモリー家から同行していた護衛の人たちに案内され、そのまま私たちは地下鉄へ向かった。

 

     *

 

 地下鉄へ乗り換え、さらに少し移動したところで、都市の中でも特に大きな建物の地下にあるホームへ到着した。今日の若手悪魔たちの集まりは、この建物で行われるらしい。

 

 護衛として同行していた黒服の人たちはエレベーターの前まで来ると足を止め、ここから先には同行しないようだった。同じ場所で、アザゼル先生も足を止める。

 

「じゃあ俺はここから別だ。ミライ、お前もこっちな」

 

「やっぱり私もですか」

 

「ああ」

 

 一誠が不思議そうにこちらを見る。

 

「お前、若手悪魔の集まりに来たんじゃなかったのか?」

 

「私もそうだと思っていました」

 

「そもそもお前、若手悪魔じゃねえだろ」

 

 アザゼル先生に言われてみれば、その通りだった。

 

「それはそうですね」

 

 リアス先輩も、この場で初めて聞いたらしく、少し警戒するような視線をアザゼル先生へ向ける。

 

「アザゼル。ミライに何をさせるつもり?」

 

「何もさせねえよ。ちょっと会わせたい奴がいるだけだ」

 

「誰に?」

 

「会えば分かる」

 

 その返答に、リアス先輩の眉が僅かに動いた。

 

「その言い方、不安になるのだけれど」

 

「変な奴じゃねえから安心しろ」

 

「あなたがそれを言うと、余計に不安になるわ」

 

「信用ねえなあ」

 

「日頃の行いですわね」

 

 朱乃先輩が笑いながら止めを刺した。

 

 リアス先輩は小さく息を吐いたあと、今度は私へ向き直る。

 

「ミライ、用事が終わったら合流しなさい」

 

「はい」

 

「何かあったら連絡して」

 

「分かりました」

 

 一誠も軽く片手を上げた。

 

「じゃあ、また後でな」

 

「はい。また後で」

 

 そこで皆と別れ、リアス先輩たちはエレベーターへ乗り込んでいった。扉が閉じてから、私もアザゼル先生について別の通路へ向かう。

 

「それで、会わせたい人というのは?」

 

「覚えてるか? 和平会談の後にお前が話してた女」

 

「会談の後……?」

 

「フェニックスの婚約パーティーにいた奴だよ。お前の知ってる女と同じ顔をしてたって話してただろ」

 

 そこまで聞けば、すぐに思い当たる。

 

「……火宮チナツさん」

 

「そう、それだ」

 

 忘れてはいない。ライザー先輩とリアス先輩の婚約パーティーで、自分の記憶にある火宮チナツとまったく同じ姿をした女性を見た。その時は声をかけることもできず、ただサーゼクス様と自然に会話している姿から、かなり高い立場にいる人なのだろうと思っただけだった。

 

「あの人が、私に会いたがっているんですか?」

 

「そういうことだ」

 

「どうしてでしょう」

 

「逆の立場で考えてみろ。自分の知らないところで、自分の名前も姿も知ってる人間が突然出てきたんだぞ」

 

「……それは気になりますね」

 

「だろ?」

 

 私が彼女を不思議に思っているのと同じように、向こうから見ても私は十分におかしな存在なのだ。

 

 廊下の先へ進むと、一人の女性が立っていた。眼鏡をかけ、赤を基調とした服装を身につけ、傍らには大きな鞄を携えている。その頭上には、私の記憶にあるものと同じヘイローが、ごく当たり前のもののように浮かんでいた。

 

 女性もこちらへ顔を向ける。

 

「天童ミライさんですね。お待ちしていました」

 

「はい」

 

 少し迷ってから、彼女の名前を口にする。

 

「……火宮チナツさん、と呼んでもいいですか?」

 

 その言葉に、彼女の視線が僅かに変わった。

 

「本当に、その名前をご存じなのですね」

 

「少なくとも、私の知っている人と同じなら」

 

「その辺りも含めて、私たちもお話ししたかったんです」

 

 チナツさんはそう答えると、アザゼル先生へ視線を向けた。

 

「ご案内、ありがとうございました」

 

「んじゃ、俺はここまでだ」

 

「先生は一緒ではないんですね」

 

「俺には別の用がある。それに、俺抜きの方が話しやすいだろ」

 

 そう言い残し、アザゼル先生はそのまま廊下の向こうへ去っていった。

 

「……自由な人ですね」

 

「否定はしません」

 

 チナツさんも特に庇おうとはしなかった。

 

「では、こちらへどうぞ。皆さん、すでにお待ちです」

 

 チナツさんが扉を開く。その向こうを見た瞬間、私は足を止めた。

 

 部屋の中には三人がいて、誰も仕事をしている様子はなく、私が来るのを待っていたらしい。中央には白に近い髪と特徴的な角を持つ小柄な少女が座り、その少し横には青い髪の女性、さらに反対側には銀色の髪と褐色の肌を持つ少女がいる。そして三人の頭上には、それぞれ見覚えのあるヘイローが浮かんでいた。そこへ、隣にいるチナツさんを加えれば四人になる。

 

「……風紀委員会」

 

 考えるより先に言葉が漏れた。

 

 三人は、私が思っていたよりもずっと落ち着いた反応を見せた。イオリさんは僅かに眉を上げたものの、大声を上げたりはせず、改めて私を見る。

 

「……そこまで知ってるのか」

 

 アコさんも一瞬だけ目を細め、それから何かを確認するように私を見た。

 

「チナツだけではなく、組織名までご存じなのですね」

 

 ヒナさんは椅子へ座ったまま、ほんの少しだけ目を細める。

 

「……本当に知ってるんだ」

 

 声は静かだった。驚いていないわけではないのだろうけれど、未知の人間が一人現れたくらいで動揺するような人たちでもないらしい。

 

「まずは座ってください」

 

 チナツさんに勧められ、用意されていた席へ腰を下ろす。目の前には飲み物まで用意されていた。

 

「お待たせしてしまいましたか?」

 

「いいえ。予定していた時間からほとんどずれていません」

 

 アコさんが答える。

 

「こういう場合、早く来すぎても相手を急かすことになりますから」

 

「アコ行政官は、その辺りに細かいんです」

 

 チナツさんが淡々と付け加えた。

 

「必要な配慮です」

 

「別に悪いとは言ってないだろ、アコちゃん」

 

 イオリさんが横から言う。

 

「あなたには聞いていません」

 

「ほら、それだよ」

 

 二人とも言葉そのものは少し強いけれど、声を荒らげるわけでもなく、ずっと繰り返してきたやり取りなのだと分かる程度の軽さだった。

 

 ヒナさんはそんな二人を一度だけ見てから、私へ視線を戻す。

 

「気にしなくていいから」

 

「はい」

 

「ヒナ委員長まで、そのような言い方をしないでください」

 

「いつものことだから」

 

「委員長」

 

 アコさんが少しだけ困った顔をした。

 

 そのやり取りを見ていると、少しだけ緊張が解けた。知っている。姿だけではなく、こういう距離感にも覚えがある。

 

「……やっぱり似ています」

 

「私たちが?」

 

 ヒナさんが聞く。

 

「はい。私の知っている皆さんに」

 

 イオリさんが腕を組む。

 

「それを言われると、こっちは少し落ち着かないんだけどな」

 

「すみません」

 

「いや、謝ることじゃない。逆の立場なら私も気になる」

 

 言葉はぶっきらぼうなのに、返しそのものは思っていたよりずっと落ち着いていた。それも少し意外だった。私の記憶にあるイオリさんなら、もっと早く食ってかかっていたかもしれない。けれど、目の前にいる人はイオリさんであると同時に、それとは別の長い時間を生きた人でもある。

 

「それで」

 

 ヒナさんが静かに口を開く。

 

「あなたも、私たちに聞きたいことがあるんだよね」

 

「はい」

 

「私たちも同じだから、順番に話せばいいと思う」

 

 それだけだった。問い詰めるでもなく、こちらを試すでもない。お互いに分からないものを持っているのなら、話して確認すればいいという、ごく単純な考え方らしい。

 

 私は少し迷ったあと、最初に気になっていたことを尋ねた。

 

「皆さんは……私が知っている皆さん本人なんでしょうか」

 

 短い沈黙があった。答えたのはヒナさんだった。

 

「私は違う」

 

「違う?」

 

「空崎ヒナとして生まれたわけじゃないから」

 

 ヒナさんは、まるで昔住んでいた場所を話すような調子で続ける。

 

「元の名前は、ゼクラム・バアル」

 

「……すみません。どなたでしょうか」

 

 その名前には聞き覚えがなかった。アコさんが僅かに目を瞬く。

 

「ゼクラム・バアルをご存じないのですか?」

 

「はい」

 

「初代バアルです」

 

「…………初代?」

 

 バアルという家の名前なら、冥界へ来てから何度か耳にしている。その最初の当主。それが、目の前にいるこの人なのだという。

 

「そのままの意味」

 

 ヒナさんは特に誇るでもなく頷く。

 

「私が、そのゼクラム本人」

 

 改めて目の前の少女を見る。どう見ても、私の記憶にある空崎ヒナだった。

 

「では、ゼクラム・バアルという人が、途中からヒナさんになったということですか?」

 

「言い方は少し変だけど、それが近いと思う」

 

「最初から、この姿だったわけではないんですね」

 

「うん」

 

 少し考えるように目を伏せてから、ヒナさんは続けた。

 

「最初に変わったのは、見た目じゃなかったから」

 

「考え方や、性格ですか?」

 

「それもある。知らないはずのことを知っていたり、昔なら気にしなかったことが気になるようになったり、そういうものが少しずつ増えていった」

 

「姿まで変わったのは、ずっと後のことです」

 

 チナツさんが必要な部分だけを補った。ヒナさんはそれに頷くだけで、詳しく自分の歴史を語ろうとはしない。

 

「でも、途中で別の人になったわけではない」

 

「はい」

 

「昔の私も、今の私も私だから」

 

 その答えには、迷いがなかった。長い時間をかけて変わったとしても、自分が自分であることには何も問題がないらしい。

 

 それなら、と自然に視線がチナツさんへ向く。

 

「あの婚約パーティーにいたチナツさんも、同じような?」

 

「私の場合は、ヒナ委員長とは少し違います」

 

「違うんですか?」

 

「はい」

 

 チナツさんは、ごく普通のことを伝えるように答えた。

 

「私は、初代フェニックスでした」

 

 今度は、理解するまで少し時間がかかった。

 

「……初代フェニックス?」

 

「そうです」

 

 あの婚約パーティーで、彼女があまりにも自然にその場へいた理由がようやく分かった。

 

「では、あの時いたのは本当に……」

 

「私です」

 

 ここまで聞いて、もう一つ疑問が浮かぶ。

 

「チナツさんも、ヒナさんのようにずっと昔から生きているんですか?」

 

「いいえ」

 

 答えはすぐに返ってきた。

 

「私は一度死んでいます」

 

「…………はい?」

 

 思わず聞き返した。チナツさんは何もおかしなことを言っていないような顔をしている。

 

「今はご覧の通り生きていますが、ヒナ委員長のように、当時から現在まで途切れず生き続けていたわけではありません」

 

「ということは……」

 

 アコさんとイオリさんを見る。今度はアコさんが静かに頷いた。

 

「私たち三人は同じです。途中に空白があります」

 

 それ以上、誰も説明を続けようとはしなかった。どうやって戻ったのか。どれくらいの時間が空いていたのか。その辺りは後で聞けばいいのだろう。それよりも、一度人生を終えたことを、この三人があまりにも普通に話すことの方が、今の私には不思議だった。

 

     *

 

 それから少しの間、話題は私の記憶へ移った。私が彼女たちの名前や所属を知っていること。ゲヘナ学園という場所を知っていること。四人がそこで風紀委員会として活動していたこと。どこまで知っていて、どこから知らないのかを、互いに少しずつ確認していく。

 

 アコさんは細かいところまで確認しようとするけれど、以前の案内役のように一方的に説明するわけではなく、私の答えを聞いてから一つずつ整理していった。イオリさんは気になったところをそのまま聞くけれど、こちらが答えに困れば、それ以上無理に追及しない。チナツさんは話がすれ違いそうになると間に入り、ヒナさんは必要なところだけを短く確認していた。

 

 私の記憶にある四人と、確かによく似ている。でも、完全に同じでもない。全員が、どこか落ち着いていた。長い時間を生きたからなのか、一度人生を終えているからなのか、それとも単にこの世界で過ごした時間がそうさせたのかは分からない。ただ、四人とも、自分たちが何者なのかについて焦っている様子はなかった。分からないものは分からないまま、それでも何百年、何千年という時間を生きてきた人たちなのだ。

 

 その会話の途中で、アコさんがふと私の頭上へ視線を向けた。

 

「そういえば、天童さんにもヘイローがあると伺っています」

 

「ありますよ」

 

 そう答えると、イオリさんも私の頭上を確認した。

 

「……無いけど」

 

「今は出していませんから」

 

 それまで落ち着いていたイオリさんの眉が、少しだけ動いた。

 

「出してない?」

 

「はい」

 

 チナツさんも改めて私の頭上を見る。

 

「ミライさん。ヘイローをご自分の意思で消している、ということでしょうか」

 

「そうです」

 

 今度はアコさんも黙った。ヒナさんだけは私をしばらく見てから、一言だけ尋ねる。

 

「出せる?」

 

「はい」

 

 私は意識を切り替えた。頭上に青紫色の光が集まり、普段は表へ出していないヘイローが形を作る。

 

 四人とも、驚いたからといって声を上げたりはしなかった。ただ、それまでとは明らかに違う目で私の頭上を見ている。

 

「……本当に出るんだな」

 

 イオリさんが小さく呟いた。

 

「見た限りでは、ヘイローそのものに見えます」

 

 チナツさんが慎重に言う。

 

「でも、私たちとは違う」

 

 ヒナさんが続けた。

 

 四人の頭上を見る。部屋へ入った時から、ずっとそこにある。誰も意識して出した様子はなく、むしろ存在していることを気にしてさえいない。

 

「皆さんは、消さないんですか?」

 

「消さないというより」

 

 ヒナさんが少しだけ考える。

 

「そういうものじゃないから」

 

「私たちにとって、ヘイローは必要に応じて出したり消したりするものではありません」

 

 チナツさんが言葉を補った。

 

「そこにあるのが普通なんです」

 

「……そうだったんですね」

 

 私は今まで、自分の方を基準に考えていた。必要な時に出す。必要がなければ消している。それが普通だと思っていたけれど、少なくとも目の前の四人にとっては、まったく違うらしい。

 

「では、私のヘイローは神話外装とは別なんでしょうか」

 

「分からない」

 

 ヒナさんはすぐに答えた。

 

「似てる部分はある。でも、同じだと決めるには違う部分もある」

 

「今ある情報だけで結論を出す必要はないでしょう」

 

 チナツさんも続ける。

 

「比較できる相手ができたことで、違いが一つ分かった。それだけでも十分な情報です」

 

 アコさんの言葉に、私は少しだけ納得した。

 

 ヘイローを消す。イオリさんが、その瞬間をじっと見ていた。

 

「……やっぱり変な感じだな」

 

「すみません」

 

「だから、何で謝るんだよ」

 

「何となくです」

 

「そこは謝るところじゃないだろ」

 

 言われてみれば、その通りだった。

 

 ヒナさんがこちらを見る。

 

「自分のこと、まだよく分からないんだよね」

 

「はい」

 

「なら、今の情報だけで決めない方がいいと思う」

 

 それは慰めるための言葉ではなく、分からないことを勝手に分かったことにしないという、ただそれだけの判断なのだと思う。

 

「そうですね」

 

 私も頷いた。

 

     *

 

 結局、そのあともしばらく話を続けた。

 

 アコさんは初代アスタロト。イオリさんは初代パイモン。チナツさんは先ほど聞いた通り、初代フェニックス。三人は一度死亡しており、ヒナさんとは違って、最初の人生から現在までの間にはかなり長い空白があるらしい。だから彼女たちは、冥界の歴史をすべて見てきたわけではない。むしろ現代の制度については、自分たちが戻ってきてから改めて学んだものも少なくないという。

 

 その一方で、彼女たちが最初に生きていた時代について話す時だけは、少し感覚がおかしくなった。私にとっては、歴史の最初の方に出てくるような出来事なのに、彼女たちにとっては自分が実際に生きていた頃の話だからだ。

 

 話の途中で、アコさんが何でもないことのように、

 

「その制度が整えられたのは、私が最初に死んだ後のことですので」

 

 と言った時には、思わず反応が一拍遅れた。アコさんにとっては単なる時系列の説明にすぎないのだろう。でも、普通なら歴史書の中でしか使わないような時間の区切りを、この人たちは自分の人生を基準に話している。

 

 ヒナさんに至っては、その空白すらない。自分が最初にゼクラム・バアルとして生きていた時代から、現在までを途切れず知っている。本人にとっては、どれだけ遠い昔でも「昔のこと」でしかないらしい。

 

 《神話外装》という呼び方についても、四人が昔から使っていたものではなかった。ヒナさんが変化し始めた頃には、そんな言葉そのものが存在しておらず、後世になってアザゼル先生たちのような研究者が、似た現象をまとめて扱うためにつけた呼び名にすぎないという。

 

 キヴォトスの記憶も、完全なものではない。名前。場所。誰かと一緒にいた感覚。戦い方。何かを好きだったことや、嫌っていたこと。そうしたものが断片として残っていても、一人の生徒として過ごした時間を最初から最後まで覚えているわけではないらしい。

 

 それでも、四人がこうして一緒にいることを不自然には感じないという。そこだけは、私にも少し分かる気がした。

 

 目の前で話している四人は、私の知っている風紀委員会とは違う歴史を持っている。それでも、どうしてか確かに風紀委員会だった。

 

     *

 

「今日は、このくらいにしておきましょう」

 

 チナツさんがそう言った頃には、最初に部屋へ入った時よりかなり時間が経っていた。

 

「長くお引き止めしてしまいましたね」

 

「いえ。私も聞きたいことがたくさんありましたから」

 

「こちらも同じです」

 

 アコさんが答える。

 

「今後、あなたの記憶についてもう少し詳しく――」

 

「アコ」

 

 ヒナさんが静かに名前を呼ぶ。

 

「はい、ヒナ委員長」

 

「今日は終わり」

 

「……承知しました」

 

 少し残念そうではあったけれど、アコさんは素直に引いた。イオリさんが横から僅かに笑う。

 

「珍しく素直だな、アコちゃん」

 

「私はいつでも必要な判断には従っています」

 

「自信満々な時ほど信用できないんだけどな」

 

「イオリ?」

 

 二人とも声を荒らげることはない。長い付き合いの中で何度も繰り返してきたようなやり取りだった。

 

 ヒナさんはそんな二人を見てから、私へ視線を戻す。

 

「また何か分かったら話す」

 

「はい」

 

「あなたの方でも、何か分かったら教えて」

 

「分かりました」

 

 私は席を立った。

 

 場所は冥界で、ここはゲヘナ学園ではない。四人がこの世界で歩いてきた時間は、私の知っている彼女たちとは比べものにならないほど長い。それでも。

 

「……やっぱり、風紀委員会ですね」

 

 思わず口にすると、イオリさんが少しだけ呆れた顔をする。

 

「さっきからそれ、どういう意味なんだ?」

 

「褒めています」

 

「本当か?」

 

「たぶん」

 

「たぶんって何だよ」

 

 今度は、私も少しだけ笑った。

 

     *

 

 部屋を出るところまで、チナツさんが送ってくれた。

 

「今日はありがとうございました」

 

「こちらこそ」

 

 私は一度だけ足を止める。

 

「チナツさん」

 

「はい」

 

「婚約パーティーの時から、ずっと気になっていました」

 

「そうだったんですね」

 

「まさか初代フェニックスだとは思いませんでしたけど」

 

「普通は思わないでしょう」

 

「ですよね」

 

 少しだけ間が空く。

 

「今度は、もう少し普通の話もしてみたいです」

 

 私がそう言うと、チナツさんの表情が僅かに和らいだ。

 

「それなら、今回よりは気楽に話せそうですね」

 

「はい」

 

「では、また」

 

「また」

 

 扉が静かに閉じた。

 

 リアス先輩たちとの合流場所へ戻りながら、今日聞いたことを改めて考える。神話外装について分かったことは増えた。でも、それで私自身のことが分かったわけではない。むしろ、ヘイローという一番分かりやすく似ている部分にさえ、明確な違いがあることが分かった。

 

 分からないことが増えたようにも見える。けれど、何が同じで何が違うのかを一つずつ確認できたのなら、それも前進なのだと思う。

 

     *

 

 リアス先輩たちと再び合流した頃には、向こうの集まりもすでに終わっていた。私がいない間に何があったのかはまだ知らなかったけれど、その場で一つ、新しく決まったことだけは聞かされた。

 

「ソーナたちとレーティングゲームをすることになったわ」

 

 リアス先輩の言葉に、私は少し目を瞬く。

 

「ソーナ先輩とですか?」

 

「ええ」

 

「いつです?」

 

「八月二十日よ」

 

 その日付を聞いた瞬間、ほんの僅かに意識が引っかかった。八月二十日は、私が人間界でデンライナーの修理を終え、時計店を出発した日でもある。私にとってはすでに一度そこまで過ごした日なのに、今いる時間の流れでは、これから訪れる未来の日として予定を告げられている。理屈では分かっていたことだけれど、こうして具体的な予定として同じ日付を聞くと、やはり少しだけ妙な感覚があった。

 

「……八月二十日」

 

「何か予定がある?」

 

「いえ」

 

 私は首を振る。

 

「大丈夫です」

 

 リアス先輩は、それ以上は聞かなかった。

 

 すると一誠が、何かを思い出したようにこちらを見る。

 

「そういや、お前は結局どこ行ってたんだ?」

 

「風紀委員会です」

 

「……何?」

 

「風紀委員会です」

 

「いや、聞こえなかったんじゃねえよ!」

 

 一誠がすぐに声を上げた。

 

「冥界にも風紀委員会なんてあんのかよ?」

 

「あります」

 

「ここ学校じゃねえだろ?」

 

「私に言われても困ります」

 

「お前、今その人たちと話してきたんだよな!?」

 

「はい」

 

「だったら由来くらい聞いてこいよ!」

 

「そこまでは気が回りませんでした」

 

「一番気になるところだろ!」

 

 一誠の声を聞きながら、私は先ほどまでいた部屋の方へ一度だけ視線を向ける。

 

 名前の由来までは知らなくても、一つだけ分かったことがある。姿だけでも、名前だけでもない。この世界で長い時間を生き、私の記憶とはまったく違う歴史を持っているのに、それでもあの四人には、確かに私の知っている彼女たちと重なるものがあった。

 

 だから、少なくともこれだけは間違っていないのだと思う。

 

 あの四人は、この世界でも確かに――風紀委員会だった。

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