あの朝、道に迷っていた金髪のシスターともう一度顔を合わせたのは、それから数日後の放課後だった。
その日、私は店を開けるまで少し時間があったため、駅前のゲームセンターへ立ち寄っていた。仕入れは済んでおり、急ぎの修理も入っていない。こういう日は、たまにここで時間を潰すことがある。
別に遊んでいないと言うつもりはない。実際に遊んでいるのだから、そこを否定すると余計に話がややこしくなる。
目の前の画面では、小さな自機が大量の弾幕の隙間を縫うように飛んでいた。敵弾の軌道を見ながら位置を調整し、通り過ぎた瞬間にアイテムを回収する。三面中盤まではノーミスで進めたので、あとは残機とスコアを見ながら攻め方を変えればいい。
普段いる時計店とは正反対と言っていいほど、ゲームセンターの中は騒がしい。人の話し声や電子音、筐体から流れる音楽が狭い空間で混ざり合い、色とりどりの光が絶えず瞬いている。
それでも、私はこういう場所が嫌いではなかった。
ゲームには規則があり、失敗にも成功にも理由がある。一見すると無秩序に見える弾の列にも一定の法則があり、それを理解できれば次へ進める。
分からないものを理解し、その結果として先へ進めるものは、私にとって扱いやすい。
最後の弾幕を抜けるとボスが爆発し、リザルト画面へ切り替わった。ハイスコアは更新したものの、一位には二千七百点届いていない。
「……惜しいですね」
三面の回収方法を少し変えれば届くだろう。
もう一度試そうと硬貨を取り出したところで、背後から聞き慣れた声がした。
「……ミライ?」
振り返ると、少し驚いた顔をした一誠が立っており、その隣には数日前の朝に彼とぶつかっていた金髪のシスターも一緒にいた。
「兵藤一誠」
「いや、そのフルネームで呼ぶの何なんだよ。っていうか、おまえ何してんの?」
「見て分かりませんか。ゲームをしています」
「それは分かるけどさ。おまえがゲーセン来るタイプだと思ってなかったんだよ」
「失礼ですね。私にも趣味くらいありますし、ゲームは好きですよ」
「時計以外に?」
「なぜそこで確認するんですか」
一誠は珍しいものでも見つけたように、私と筐体を交互に眺めた。
「だって普段のおまえ、家でも時計いじって本読んでるイメージしかねえもん」
「ずいぶん勝手な生活像ですね。私だって娯楽くらい理解しています」
「その言い方がもう遊び慣れてなさそうなんだよなぁ」
「では、『ゲーム超楽しい』とでも言えば満足ですか」
「それはそれで怖い」
「注文の多い人ですね」
一誠へ言い返している途中で、その隣にいた少女と目が合った。
淡い緑色の瞳が一度大きくなり、すぐに何かを思い出したように表情が明るくなる。
「あの……先日の朝、一誠さんの近くにいらっしゃった方でしょうか?」
「はい。直接お話しするのは初めてですね」
「やっぱりそうだったんですね」
少女は安心したように微笑むと、丁寧に頭を下げた。
「アーシア・アルジェントと申します。今はこの町の教会でお世話になっています」
「天童ミライです。駒王学園の二年生で、近くの時計店で働いています」
「ミライさん、ですね。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
彼女は私の名前を覚えるように、もう一度口にした。
数分話しただけで人柄までは分からない。それでも、一誠から天野夕麻という少女の話を聞いた時に感じたような、不自然なほど整った印象は今のところなかった。
アーシアさんは、私の後ろにある筐体へ興味深そうに視線を向けた。
「先ほどから見ていたのですが、ミライさんはこのゲームがお得意なのですか?」
「得意と言えるほどではありません。まだ一位を取れていませんから」
「でも、たくさんの光を全部避けていて、まるで踊っているみたいでした」
「敵の弾には規則性があります。全部を見る必要はありませんし、自分の周りにあるものだけ見ていれば、思っているより避けられます」
「怖くても、ちゃんと見るんですね」
「はい。見ないまま想像している方が、実際より怖くなることもありますから」
「……なんだか、ゲーム以外にも使えそうな言葉ですね」
「私はゲームの話をしていただけですが」
アーシアさんは、それでも嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見た瞬間、「聖母の微笑」という表現が妙に似合うように思えた。誰かを動かすためでも、相手に許してもらうためでもなく、ただ嬉しいから笑っているのだと分かる顔だった。
「……ミライさん?」
「何でしょう」
「いえ、じっと見られていたので」
「すみません。少し考え事をしていました」
アーシアさんはそれだけで納得したらしく、また筐体へ視線を戻した。
そこへ一誠が割り込んでくる。
「なあミライ。これ、アーシアでもできるか?」
「できますが、初心者にはおすすめしません。最初ならレースゲームか、簡単なリズムゲームの方がいいでしょう」
「車を運転するゲームもあるんですか?」
「あります。実際の車ほど難しくありませんから、一誠でもできますよ」
「なんで俺が難易度の基準なんだよ!」
結局、アーシアさんが選んだのはレースゲームだった。
一誠の説明を聞きながら恐る恐るハンドルを握ったものの、ゲームが始まるとすぐに車はコース脇へ突っ込んだ。
「わっ、速いです!」
「アーシア、右! 右だって!」
「右ですね!」
「切りすぎ! 戻して!」
「あっ……!」
車が壁へ激突する。
「大丈夫です。まだ走っています!」
「ゲームだからな! 現実ならたぶん大丈夫じゃねえから!」
「一誠さん、また曲がり角です!」
「今度はブレーキ使ってくれ!」
「こちらが止まる方でした!」
「今思い出したのかよ!」
順位は下位のままで、コースアウトも何度もしていたが、アーシアさんは失敗するたび楽しそうに笑っていた。
隣の一誠も順位などほとんど気にしていない。
記録を伸ばすだけがゲームの楽しみ方ではないことくらい分かっている。それでも、二人を見ていると、自分とはずいぶん違う遊び方だと思った。
レースゲームを終えると、今度はクレーンゲームへ向かった。
「アーシア、欲しいのあるか?」
「えっと……あの子が可愛いです」
「よし、任せろ!」
「待ってください」
一誠が硬貨を入れる前に止める。
「なんだよ」
「この台はアームが弱いので、正面から持ち上げても落ちます。少しずつ出口へ寄せた方がいいでしょう」
「まだ何もしてねえのに分かるのか?」
「先ほど他の人が動かしているのを見ました」
「おまえ、ゲーセンでも時計直してる時みたいだな……」
「機械を見る時に顔を使い分けた覚えはありません」
「そういう意味じゃねえよ」
アーシアさんが不安そうに景品を見る。
「では、取るのは難しいのでしょうか?」
「取れます。一度だけやってみます」
「いいのですか?」
「一誠が何度も失敗するより安く済みます」
「俺が失敗する前提じゃねえか!」
硬貨を入れ、景品の重心と爪の位置を確認する。中央を持ち上げるのではなく、奥側を押して身体を回転させれば出口へ寄せられる。
狙った位置へアームを下ろすと、ぬいぐるみは横へ転がり、そのまま取り出し口へ落ちた。
「わあ……すごいです、ミライさん!」
「位置取りの問題です」
「いや、今の絶対それだけじゃねえだろ」
「観察しただけですよ」
景品を取り出し、アーシアさんへ差し出す。
「どうぞ」
「私にくださるのですか?」
「アーシアさんが欲しいと言ったものですから」
「ありがとうございます。大切にします。宝物にしますね」
「……そこまで大げさなものではありませんよ」
「でも、ミライさんが取ってくださったものですから。私には特別です」
そう言って大切そうにぬいぐるみを抱く姿を見ていると、どう返せばいいのか少し困った。
こういう、まっすぐな感謝を受け取るのはあまり得意ではない。機械なら壊れた場所を探せるが、人の気持ちには正しい返し方を示す説明書もない。
「……落とさないようにしてください」
「はい。絶対に落としません」
「そこまで強く抱える必要はありませんよ」
「あっ、壊れてしまいますか?」
「ぬいぐるみなので、そこまで簡単には壊れません」
「ミライ、おまえちょっと意地悪しただろ」
「していません」
一誠の抗議を無視すると、アーシアさんが小さく笑った。
◇
ゲームセンターを出る頃には、夕方の日差しも少し柔らかくなっていた。
「このあと、公園でも寄ってかねえ? 少し休んでから帰ろうぜ」
一誠の提案に、アーシアさんはぬいぐるみから顔を上げた。
「はい。とても楽しかったのですが、少しだけ目が回っています」
「レースゲームで身体まで曲げてたからな」
「一誠さんも一緒に曲がっていましたよ?」
「俺はいいんだよ!」
「何がいいのか分かりませんね」
一誠はこちらへ顔を向ける。
「ミライも来る?」
「私は店が……」
腕時計を見ると、開店まではまだ少し余裕があった。
「ミライさんも、ご一緒できませんか? もう少しお話ししてみたいです」
「……少しだけなら」
「ありがとうございます!」
「なんで俺が誘った時は断ろうとしたんだよ」
「日頃の行いではないでしょうか」
「納得いかねえ!」
三人で向かったのは、駅前から少し離れた公園だった。夕方になると人も減り、遊具の向こうにある噴水の水音がよく聞こえる。
空いていたベンチへ座ると、一誠が自動販売機から三本の飲み物を買って戻ってきた。
「ほい、アーシア。ミライはお茶でいいよな」
「はい」
「ずいぶん迷いなく選びましたね」
「おまえ、炭酸あんまり飲まないだろ。甘いやつもたまにしか選ばないし」
「……よく覚えていますね」
「そりゃ覚えてるだろ。何年一緒にいると思ってんだよ」
そのやり取りを見ていたアーシアさんが、楽しそうに笑った。
「一誠さんとミライさんは、本当に仲が良いのですね」
「まあ、昔からの友達だからな。店にもよく行ってるし」
「腐れ縁という方が近いと思います」
「素直に友達って言えよ!」
「友達であることは否定していません」
「そこまで言うなら最初からそう言ってくれ!」
アーシアさんはしばらく笑っていたが、やがて膝の上のぬいぐるみへ視線を落とした。
「私は……そういうふうに話せる方が、今までいなかったので。少し羨ましいです」
一誠の表情が変わった。
「友達、いなかったのか?」
「はい。教会にはたくさんの方がいましたけれど、同じ年頃の方と遊んだり、こうして何でもないことを話したりすることは、ほとんどありませんでした」
「……そうだったのか」
「すみません。せっかく楽しかったのに、暗い話をしてしまって」
「謝ることじゃねえよ。嫌じゃなかったら、もう少し聞かせてくれないか? 俺たちでよければ聞くから」
少し迷った後、アーシアさんは小さく頷いた。
「私は、小さい頃に両親を亡くして、それから教会で育てていただきました。その頃から、人の傷を癒やすことができたんです」
「傷を癒やす?」
思わず聞き返すと、アーシアさんは少し迷いながら説明を続けた。
「普通の治療とは少し違うものです。怪我をした方に触れると、傷を軽くすることができました。教会では大切な力だと言っていただいて、私はずっと傷ついた方を治していたんです」
「自分だけそんなことができると分かった時、怖くはなかったんですか?」
「最初は怖かったです。でも、治した方が笑ってくださると嬉しくて、『ありがとう』と言っていただけると、自分もここにいていいのだと思えました」
アーシアさんは、抱えていたぬいぐるみの頭をそっと撫でた。
「だから、困っている方を助けることが自分の役目だと思っていました。けれど、ある日、教会の前で一人の男の方が倒れていたんです」
「怪我してたのか?」
「はい。とても苦しそうでした。私はその方が誰なのかも、助けてはいけない相手だということも知らなかったので、いつものように治療しました」
そこで声が少し小さくなる。
「あとになって、その方を助けてはいけなかったのだと知らされました。私が治療したことそのものが間違いだと言われて、最後には教会から出ていくように言われたんです」
「そんな理由で?」
一誠の声に怒りが混じった。
「でも、教会には教会の決まりがありますから……本当はいけないことだったのかもしれません」
「アーシアさんは、その人を助けたことを後悔していますか?」
私が尋ねると、彼女は少し考えてから首を横へ振った。
「分かりません。追い出された時は悲しかったですし、怖かったです。でも、もしあの日に戻って、同じように目の前で苦しんでいたら、私はまた助けると思います」
アーシアさんは自分の手を見つめながら続ける。
「苦しそうにしている人を見たら、放っておけません。自分に助けられるのなら助けたいと思ってしまうんです。それは……やっぱり、いけないことなのでしょうか」
教会の事情を知らない私に、規則まで含めて何が正しかったのかを判断することはできない。それでも、目の前で苦しんでいた人を助けたことまで悪いとは思えなかった。
答えようとしたところで、一誠が先に口を開いた。
「いけなくなんかねえよ」
アーシアさんが顔を上げる。
「助けちゃいけない相手だったとか、教会にどんな決まりがあったとか、俺には分かんねえし、知ったふうなことも言えない。でも、おまえは目の前で苦しんでる奴を、自分に助けられるから助けたんだろ?」
「……はい」
「だったら、少なくとも俺は、それが悪いことだとは思わねえよ」
「一誠さん……」
一誠は少し照れ臭そうに鼻の下を擦った。
「それに、友達がいなかったって話も、もう過去形でいいんじゃねえか?」
「え?」
「俺がいるだろ。今日一緒に遊んで、こうして話してんだから、もう友達でいいじゃん」
「……私が、一誠さんの友達でいいのですか?」
「なんで許可が必要なんだよ。俺がいいって言ってんだからいいんだよ。アーシアが嫌なら別だけど」
「嫌ではありません!」
思ったより大きな声が出たことに、アーシアさん自身が驚いていた。
一誠は一瞬目を丸くしてから笑う。
「じゃあ決まりな」
「……はい。一誠さんは、私の友達です」
目に涙を浮かべながら、それでも本当に嬉しそうに笑っている。
普段の一誠は騒がしく、欲望にも素直で、計画性があるとは言い難い。それでも誰かが本当に困っている時、この男は不思議なくらい迷わない。
それは昔から変わらないところだった。
アーシアさんの笑顔を見ていると、ゲームセンターで思い浮かべた「聖母の微笑」という表現がもう一度頭をよぎったが、今度は少し違って見えた。
誰かを癒やす人の笑顔ではなく、初めて友達ができたことを喜んでいる、普通の少女の顔だった。
やがてアーシアさんが私へ向き直る。
「あの、ミライさんも……よろしければ、私とお友達になっていただけませんか?」
断られるかもしれないと不安そうにしている。
「……異議はありません」
「そこは普通に『友達になろう』って言ってやれよ!」
一誠がすぐに口を挟んだ。
「意味は同じでしょう」
「全然違う!」
「では言い直します。アーシアさんがよければ、私も友達になりたいと思います」
「ミライさん……ありがとうございます。私、とても嬉しいです」
「……はい。私も嬉しいです」
「最初からそう言えばいいんだよ」
「一誠は少し黙っていてください」
「なんで俺だけ扱い違うんだよ!」
アーシアさんは目元を拭いながら、楽しそうに笑った。
◇
その後もしばらく、私たちはベンチに座ったまま他愛のない話を続けた。
穏やかな空気が変わったのは、アーシアさんが何気なく公園の奥へ目を向けた時だった。
先ほどまでの笑みが消え、ぬいぐるみを抱える腕へ力が入る。一誠も同じ方向を見たまま動きを止めたので、何かあったのだとすぐに分かった。
二人の視線を追うと、少し離れた場所に一人の若い女が立っている。
黒を基調とした服装よりも先に目へ入ったのは、その背中に広がる黒い翼だった。飾りには見えず、羽根の一枚一枚が風を受けて僅かに揺れている。
「……あれは、何ですか」
無意識に右手へ力が入り、その奥が僅かに熱を持ったような気がした。
女は私たちを見ながら、知人へ声をかけるような軽い調子で口を開く。
「ずいぶん楽しそうね、アーシア」
その声を聞いた瞬間、アーシアさんの身体が小さく震えた。
「レイナーレ様……」
私には聞き覚えのない名前だったが、隣にいる一誠はさらに大きな反応を見せた。顔から血の気が引き、目の前の女を信じられないものを見るように見つめている。
「……夕麻、ちゃん」
その名前を聞いた瞬間、数日前に一誠から聞いた話が繋がった。
天野夕麻は、一誠へ突然告白し、何日も嬉しそうに話させていた少女だ。デートの後には連絡先も記録も消え、松田君たちの記憶からまで存在が抜け落ちていたうえ、一誠が公園で刺されて死んだという記憶にも関わっている。
私は彼女の顔も声も知らなかったが、一誠本人が目の前の女を見て、その名前を呼んだ。
「一誠。……間違いないんですか」
「俺が間違えるわけねえよ。あの顔も、声も……夕麻ちゃんだ。でも、なんでそんな翼が……」
周囲から記憶を消したのが誰なのか、一誠の覚えている死が本当に起きたことなのか、なぜ彼女が黒い翼を持っているのかまでは分からない。
ただ、一誠がここ数日抱えていた出来事に、この女が深く関わっている可能性は高かった。
私はゆっくりと立ち上がる。
「……あなたが、天野夕麻さんですか」
女はそこで初めてこちらへ視線を向け、面白いものでも見つけたように目を細めた。
「へえ。あなたが――」
そこで言葉を切り、一誠へ視線を戻す。
「ずいぶん可愛いお友達を増やしたのね、イッセー君」
一誠の肩が強張った。
少なくとも、この女は一誠のことを知っている。そして一誠も、彼女を天野夕麻として知っている。
今は、それだけ分かれば十分だった。
私は黒い翼を広げた女から、目を離さなかった。