止まった針は時の終わりに未来を見る   作:ドレットノータス

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第39刻 宴の終わり

 魔王主催のパーティーと聞いて、私はもう少し堅苦しいものを想像していた。

 入場するたびに家名や爵位が読み上げられ、偉い人たちが難しい話をしながら、目の前に並んだ料理にはほとんど手をつけない。そんな光景を勝手に想像していたのだけれど、実際に始まってみれば、少なくとも私が考えていたほど息苦しい場所ではなかった。

 

 グレモリー領の森に建つ大きなホテル。その最上階に設けられた会場には大勢の悪魔たちが集まり、あちらこちらで挨拶や談笑が交わされている。

 もちろん、集まっている人たちの身分を考えれば、普通の宴会などとは到底呼べないのだろう。

 それでも、美味しそうな料理を前に楽しそうにしている人もいれば、久しぶりに会った知人らしい相手と話し込んでいる人もいる。格式はあっても、それだけの場所ではないらしい。

 そして私は、その人たちの間をトレイを持って歩いていた。

 

「ミライさん。こちらを七番卓へお願いします」

 

「はい」

 

 グレイフィアさんから料理を受け取り、指定されたテーブルへ向かう。

 今日は、この十日間とは違う。

 戦闘指南を受けている時のグレイフィアさんは、私のことを「ミライ」と呼んでいた。

 けれど、今は「ミライさん」。

 魔王サーゼクス・ルシファーの《女王》ではなく、グレモリー家に仕えるメイドとしてこの会場を取り仕切っているのだろう。

 

 そして私も、今日は戦闘訓練を受ける側ではなく、メイドの仕事を教わる側だった。

 冥界へ来てから続けてきたメイド修行の実地訓練。

 最初にそう説明された時には、随分と大きな実地訓練だと思ったけれど、いざ始まってみれば、やることそのものは本邸で教わってきたことと変わらない。

 飲み物が少なくなっている席があれば、呼ばれる前に次を用意する。

 料理を運んでいる別の使用人が近づいてくれば、お互いの進路を塞がないように動く。

 空いた皿を下げる時には、目の前の会話を邪魔しないタイミングを選ぶ。

 

 最初の頃は、一つの仕事を終えるたびに次は何をすればいいのかと周囲を探していた。

 けれど今なら、目の前の仕事をしながら、その次に必要になりそうなことを少しだけ考えられる。

 もちろん、グレイフィアさんのように会場全体を把握しているとは、とても言えないけれど。

 

「失礼いたします」

 

 飲み物を置き、代わりに空いたグラスを回収する。

 そのまま次の場所へ向かおうとしたところで、少し離れた場所に見覚えのある顔が集まっていることに気づいた。

 一誠たちだった。

 豪華な料理を前にした一誠は、見ているこちらにも分かるくらい楽しそうにしている。

 近くにはアーシアさんやゼノヴィア、裕斗、朱乃先輩たちもいる。ギャスパー君と小猫さんの姿も確認できた。

 リアス先輩は、さすがというべきなのか、近くを通る悪魔たちから次々と声をかけられていた。

 

「……楽しそう」

 

 思わず小さく呟いた。

 一誠なら料理の感想だけでいくらでも話せそうだ。

 少し気にはなったけれど、私は仕事中なので、わざわざ話しかけに行くわけにもいかない。そのまま次の卓へ向かい、頼まれていた仕事へ戻った。

 その時には、まだ何もおかしなことはなかった。

 

     ◇

 

 異変に気づいたのは、それからしばらく経ってからだった。

 最初に変わったのは、会場にいる客たちではない。

 ホテルの使用人や、警備を担当している悪魔たちだった。

 先ほどまで決められた位置に立っていた警備担当の一人が足早に会場を出ていき、少し遅れて別の者も廊下の奥へ向かっていく。声を荒らげる者はいないし、客たちの会話もまだ続いている。

 それでも、パーティーが始まってから保たれていた人の流れに、明らかな乱れが生じていた。

 新しい飲み物をトレイへ乗せながら、私はそちらへ視線を向ける。

 何かあったのだろうか。

 

「ミライ」

 

 すぐ近くから声をかけられ、私は振り返った。

 グレイフィアさんが立っている。

 

「はい」

 

 その呼び方だけで、少し身体が引き締まった。

 先ほどまでの「ミライさん」ではない。

 表情も口調も大きく変わっているわけではないのに、それだけで今までとは違うことが分かる。

 

「給仕は一度中断してください」

 

「何かあったんですか?」

 

「まだ詳細は確認中です。ただ、ホテルの外で異常が発生しています」

 

 グレイフィアさんはそう答えると、会場の一角へ視線を向けた。

 

「ミライは、リアス様の眷属の皆様と合流なさい。状況が判明するまで、単独で行動しないように」

 

「分かりました」

 

 持っていたトレイを近くの使用人へ預け、指示された場所へ向かう。

 そこには、朱乃先輩、裕斗、アーシアさん、ゼノヴィア、ギャスパー君が集まっていた。

 

「ミライさん」

 

 最初にこちらへ気づいたアーシアさんが、少し安心したような顔をする。

 

「アーシアさん。何か聞いてますか?」

 

「いえ……私たちも、まだ何も」

 

 アーシアさんは不安そうに首を横へ振った。

 裕斗も周囲の様子を確認しながら答える。

 

「ホテルの警備が突然慌ただしくなったくらいだね。何かが起きているのは間違いないと思うけど、僕たちにもまだ詳しい説明は来ていないんだ」

 

「そうですわね」

 

 朱乃先輩からも、普段の柔らかな笑みが消えている。

 そこで私は、改めて集まっている顔を見た。

 朱乃先輩

 裕斗

 アーシアさん

 ゼノヴィア

 ギャスパー君

 

「……一誠は?」

 

 返事がなかった。

 それだけで、胸の奥に嫌な感覚が生まれる。

 

「リアス先輩と、小猫さんもいませんよね」

 

「はい……」

 

 アーシアさんが小さく頷いた。

 

「少し前まではイッセーさんもいらっしゃったんです。でも、気づいた時には……」

 

「部長もいらっしゃいません」

 

 裕斗が続ける。

 

「小猫ちゃんもですわ」

 

 朱乃先輩の言葉を聞き、小猫さんの名前を頭の中で繰り返した時、少し前にリアス先輩のお母さんから聞いた話が脳裏をよぎった。

 二匹の姉妹猫。

 姉のこと。

 そして、小猫さんが抱えてきたもの。

 

 けれど、今この場に小猫さんがいないことと、あの話に何か関係があるのかは分からない。

 勝手に結びつけることはできない。

 それでも、何も気にせずにはいられなかった。

 

「……何かあったんでしょうか」

 

「まだ分かりませんわ」

 

 朱乃先輩が静かに答える。

 その時、窓際にいた警備担当の何人かが、一斉に森の方角へ視線を向けた。

 朱乃先輩もそれに気づいたらしく、同じ方向を見る。

 私たちも、その視線を追った。

 ホテルの外には広大な森が広がっている。

 最初は何がおかしいのか分からなかった。

 

 木々はそこにある。

 景色が消えているわけでもない。

 けれど、森の一角だけが、周囲とは明らかに違って見えた。

 

「……結界ですわね」

 

 朱乃先輩の表情が険しくなる。

 

「それも、かなり大掛かりなものみたいだ」

 

 裕斗も目を細めながら森を見つめていた。

 

「結界……」

 

 私には細かな術式までは分からない。

 それでも、あの場所だけが周囲から切り離されているということだけは何となく感じ取れた。

 

「隔離するためのものなのか?」

 

 ゼノヴィアが尋ねる。

 

「おそらくは。少なくとも、普通の防御結界とは少し違いますわ」

 

 あの中に誰がいるのか。

 三人が消えたことを考えれば、嫌でも同じ可能性を考えてしまう。

 

「イッセーさん……」

 

 アーシアさんが胸元で両手を握った。

 

「私たちも向かった方がいいんじゃないか?」

 

 ゼノヴィアがそう言ったものの、朱乃先輩はすぐには頷かなかった。

 

「気持ちは分かりますけれど、まだ何が起きているのかも分かりません。すでにホテル側も動いていますし、私たちまで勝手に飛び込んでしまえば、かえって状況を悪くする可能性がありますわ」

 

「……そうだな」

 

 ゼノヴィアも不満そうではあったものの、それ以上は動こうとしなかった。

 私も同じだった。

 グレイフィアさんから、皆と合流して単独行動をしないようにと言われている。

 何より、中で何が起きているのかすら分からない。

 だから今は、待つしかなかった。

 少なくとも――次の瞬間までは。

 

     ◇

 

 森の一角から、突然赤い光が膨れ上がった。

 

「――っ!」

 

 思わず目を細める。

 ただ光った、というのとは少し違う。

 巨大な何かが内側から一気に弾け、それまで押さえ込まれていた力が爆発するように、赤いオーラが森の中から広がっていった。

 隔離するための結界が存在しているにもかかわらず、それ越しでも分かるほど強烈だった。

 それまでまだ事情を知らず談笑していた会場の悪魔たちも、さすがに異変へ気づき、窓の外へ視線を向け始める。

 

「これは……」

 

 裕斗が息を呑んだ。

 私にも、あれが普通ではないことくらいは分かる。

 そして、まったく知らない力のようにも思えなかった。

 

「……イッセーさん」

 

 アーシアさんが小さく呟いた。

 

「一誠?」

 

 思わず聞き返す。

 

「分かりません。でも、あれ……イッセーさんの力に似ているような気がします」

 

「僕もそう思う」

 

 裕斗も同意する。

 

「一誠くんの《赤龍帝の籠手》から感じる力に近いですわ。ただ……これまでとは、かなり違いますけれど」

 

 朱乃先輩の言葉を聞きながら、私はもう一度森へ目を向けた。

 

「あれが、一誠……?」

 

 和平会談の時、一誠が赤い鎧を纏った姿は一度見ている。

 けれど、あの時はアザゼルが用意した補助アイテムがあり、それに加えて一誠自身の怒りが引き金になっていたはずだ。

 今、森の中で何が起きているのかは分からない。

 ただ、少なくとも以前とは何かが違う。

 それだけは、遠くから見ていても感じられた。

 

     ◇

 

 赤いオーラが現れてから、ホテル側の動きは一気に慌ただしくなった。

 警備を担当していた悪魔たちが次々と外へ向かい、ほどなくして会場にも正式な情報が伝えられる。

 

 《禍の団》の関係者が現れた。

 そのため、魔王主催のパーティーは急遽中止。

 それまで楽しげだった会場の空気は完全に消え、客たちも使用人たちの案内に従って移動を始める。

 幸い、ホテルそのものが襲撃されたわけではないため、悲鳴が飛び交うような大混乱にはならなかった。

 それでも、これだけの人数が予定外に一斉に帰ろうとすれば、当然あちこちで人の流れが滞る。

 

「ミライ」

 

 再びグレイフィアさんに呼ばれた。

 

「はい」

 

「ここからは、リアス様の眷属の皆様と共に会場内の対応を手伝ってください。外へ出る必要はありません」

 

「分かりました」

 

 私は一人でメイド側へ戻るのではなく、朱乃先輩たちと一緒に動くことになった。

 移動する客たちの通路を確保し、荷物を運ぶ必要があれば手伝う。アーシアさんとギャスパー君は不安そうな客への対応へ回り、裕斗とゼノヴィアは人の流れを妨げているものを動かしていく。

 

 朱乃先輩はホテル側の使用人たちと話しながら、どこに人手が足りていないのかを確認していた。

 私も、その指示を待つだけではなく、自分で周囲を見る。

 

 初めてメイド仕事を教わった時、グレイフィアさんから言われたことを思い出した。

 相手を見ること。

 必要とされてから動くのではなく、その前に気づくこと。

 あの時は、飲み物を補充したり、食器を下げたりするために教えられた言葉だった。

 けれど、今やっていることも根本は同じらしい。

 

 出口付近へ人が集中しそうなら、その前に別の通路へ案内する。

 不安そうに辺りを見回している人がいれば、こちらから声をかける。

 誰か一人が慌てれば、それを見た周囲まで不安になる。

 だから、自分まで慌てない。

 今、目の前で必要なことを一つずつ片づけていく。

 そうして動いている間も、頭の片隅から一誠たちのことが消えることはなかった。

 

     ◇

 

 三人が無事に保護されたという知らせが届いたのは、それから少し経ってからだった。

 

「……よかった」

 

 アーシアさんの安堵した声とほとんど同時に、私も息を吐いた。

 騒ぎを察知した悪魔たちが現場へ向かい、一誠、リアス先輩、小猫さんを保護したらしい。

 しばらくして、私たちも三人と合流することができた。

 

「一誠」

 

「おう、ミライ」

 

 こちらを見て返事をする一誠は、少なくとも見たところ大きな怪我はしていない。

 それを確認してから、すぐに残りの二人を見る。

 

「リアス先輩、小猫さんは?」

 

「大丈夫よ」

 

 リアス先輩が答える。

 小猫さんもその近くにいた。

 少し疲れているようには見えるものの、自分の足で立っている。

 二人とも黒歌が使った毒の影響を受けたらしいけれど、幸い深刻な状態ではないという。

 その話を聞いて、ようやく胸の奥に残っていた力が抜けた。

 

 そして、そこで初めて何が起きていたのかを簡単に聞くことになった。

 小猫さんを会場の外へ誘い出した人物。

 その正体。

 

「……黒歌」

 

 小猫さんのお姉さん。

 少し前にリアス先輩のお母さんから聞いた、二匹の姉妹猫の話。その中に出てきた姉本人が現れたのだという。

 しかも、今は《禍の団》に所属している。

 あの話を聞いてから、そう時間も経たないうちに本人が現れるとは思っていなかった。

 けれど、私は黒歌本人を見ていない。

 小猫さんとどんな話をしたのかも、一誠たちがどう戦ったのかも見てはいない。

 私が自分の目で見たのは、森の一部を切り離していた結界と、その中から突然広がった赤いオーラだけだ。

 

 そこで、もう一つ気になっていたことを思い出した。

 

「そういえば、一誠」

 

「ん?」

 

「森から赤いオーラが一気に広がったんですけど、あれって一誠ですよね?」

 

「ああ。それなら俺だ」

 

 今度ははっきり答えた。

 

「やっぱり」

 

「完全に禁手になれたんだ」

 

「……完全に?」

 

 思わず聞き返す。

 一誠は頷いた。

 

「前に会談で鎧になった時は、アザゼル先生が作った補助の道具を使ってただろ?」

 

「はい」

 

 あの時のことは覚えている。

 一誠が怒りと共に赤い鎧を纏ったことも、そのためにアザゼルが用意した補助アイテムを使っていたことも。

 

「今回は、あれなしで出せたんだ。ちゃんと自分の力で」

 

「じゃあ、今度こそ本当の《禁手》?」

 

「おう」

 

「……すごいですね」

 

 素直にそう思った。

 私がグレイフィアさんから戦い方を教わっていた十日間、一誠たちもそれぞれ自分の修行を続けていた。

 そして一誠は、その結果として正式に《禁手》へ到達したらしい。

 あの森から溢れ出した赤いオーラを思い出す。

 

 以前、和平会談で見た時も十分すごかった。

 それを今度は、誰かが用意した補助ではなく自分の力だけで使えるようになった。

 そう考えれば、確かに大きな成長なのだと思う。

 

 思うのだけれど。

 

「一誠」

 

「なんだ?」

 

「少し見ない間に、何してるんですか?」

 

「修行してたんだよ! お前だってしてただろ!」

 

「それはそうですけど」

 

 確かに、私も人のことばかり言えない。

 十日前にはグレイフィアさんに転がされ続けていたのに、今では専用のモップまで持っている。

 一誠から見れば、そちらも大概なのかもしれない。

 そんなことを考えながら、私はもう一度、一誠とリアス先輩、それから小猫さんの無事な姿を確認した。

 

 結局、その日の魔王主催パーティーは、《禍の団》の出現によって予定よりずっと早く幕を閉じることになった。

 

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