止まった針は時の終わりに未来を見る   作:ドレットノータス

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第44刻 いつもの一日、その裏で

 放課後、オカルト研究部の部室へ入ると、いつもより少しだけ空気が重かった。

 リアス先輩をはじめ、朱乃先輩、裕斗、小猫さん、アーシアさん、ゼノヴィア、ギャスパー君まで、すでに全員が揃っている。アザゼル先生も壁際に立っていて、その中央では一誠が珍しく真面目な顔をしていた。

 

「全員揃ったわね。一誠、話してちょうだい」

 

「はい、部長」

 

 リアス先輩に促され、一誠が小さく頷く。

 

「昨日、ヴァーリと美猴に会った」

 

「ヴァーリに?」

 

 思わず聞き返すと、一誠はこちらへ顔を向けた。

 

「ああ。でも今回は戦いに来たんじゃない。あいつ、俺たちに警告しに来たんだ」

 

「警告……ですか?」

 

「ディオドラについてだよ」

 

 その名前を聞いた瞬間、数日前、この部屋で見た映像が頭に浮かんだ。

 若手悪魔のレーティングゲーム。そこで見たディオドラ・アスタロトは確かに強かったけれど、サイラオーグさんとは違い、その強さがどこか本人に馴染んでいないように感じられた。

 そのうえ、映像について話していた直後に本人が現れ、アーシアさんを自分の《僧侶》と交換してほしいと言い出したのだから、私の中で彼への印象が良くなるはずもない。

 

「ヴァーリが言うには、ディオドラの最近の強くなり方はおかしいらしい。だから、今度のゲームでは気をつけろってさ」

 

「……あのヴァーリが、わざわざ?」

 

 裕斗の問いに、一誠も困ったように頭を掻いた。

 

「俺もそこが引っかかってる。あいつが何を考えてるのかなんて分からねぇけど、美猴まで連れてわざわざ言いに来たんだ。無視するのも気持ち悪いだろ?」

 

「そうね」

 

 リアス先輩は腕を組み、少し考えてから頷いた。

 

「ヴァーリの言葉をそのまま信用することはできないわ。でも、私たち自身もディオドラの急激な成長には違和感を覚えていた。警戒しておくべきでしょうね」

 

「まあ、そういうことだ」

 

 アザゼル先生も、いつもの軽い調子で話へ加わった。

 

「今のところ、何かやったって証拠があるわけじゃねぇ。だから必要以上に疑っても仕方ないが、用心する分には損はないさ」

 

 先生の口調が普段と変わらなかったこともあり、私もそれ以上深く考えることはなかった。

 ただ、あの映像を見た時に感じた違和感が、単なる気のせいではなかったのかもしれない。

 そのことだけは、少し気になった。

 

「さて」

 

 リアス先輩が軽く手を叩く。

 

 張り詰めかけていた部室の空気を切り替えるような音だった。

 

「ディオドラについては、ゲーム当日に十分警戒しましょう。それより今日は、このあと予定があるの」

 

「予定?」

 

 一誠が首を傾げる。

 リアス先輩は、少しだけ楽しそうに笑った。

 

「突然で悪いけれど、取材が入っているわ。冥界のテレビ番組に私たちが出るの。――若手悪魔特集で出演よ」

 

「…………」

 

 一瞬だけ、部室が静まり返った。

 次の瞬間。

 

「テレビ番組ィィィィィッッ!?」

 

 一誠の声が部屋中に響いた。

 

「えっ、テレビですか!?」

 

 アーシアさんまで驚いている。

 

「私たちも出るのか?」

 

「もちろんよ、ゼノヴィア。ギャスパーもね」

 

「ぼ、僕もですか!?」

 

 ギャスパー君の顔色が一瞬で悪くなる。

 

「落ち着いてくださいませ、ギャスパー君」

 

 朱乃先輩が楽しそうに笑う一方、小猫さんはいつも通りの無表情だった。

 

「……一誠先輩が変なことを言わないか心配です」

 

「なんで俺だけ名指しなんだよ!?」

 

「普段の行いです」

 

「ひどくねぇ!?」

 

 ついさっきまでディオドラについて話していたとは思えない騒ぎだった。

 けれど、私としてはこちらの方が、いつもの部室らしくて落ち着く。

 

「ミライも一緒に来る?」

 

 リアス先輩に聞かれ、私は首を横に振った。

 

「ありがとうございます。でも今日は、店の仕入れに行かなければならないので」

 

「今日行くのか?」

 

 一誠がこちらを見る。

 

「はい。注文していた部品が揃ったと連絡をもらっていますし、ほかにも補充したいものがありますから」

 

「でも、そこ結構遠いんじゃなかったか?」

 

「バイクなら、買い付けの時間を含めても五時間くらいで帰ってこられます」

 

「五時間って十分遠いだろ……」

 

「以前はもっと時間が掛かっていましたよ」

 

 お爺さんと一緒に仕入れへ行っていた頃は、朝から出て一日がかりになることも珍しくなかった。それを考えれば、スターゲイザーを手に入れてからは随分と楽になったものだ。

 

「それじゃあ、気をつけて行ってきてね」

 

「リアス先輩たちも。取材、頑張ってください」

 

 そう返すと、一誠が途端にげんなりした顔になる。

 

「もう緊張してきた……」

 

「さっきまでゲームの心配をしていた人とは思えませんね」

 

「テレビは別だろ!」

 

 そのやり取りを聞いて、アーシアさんが楽しそうに笑った。

 少し前までディオドラのことで浮かべていた緊張した表情ではなく、いつもの柔らかな笑顔だった。

 

     ◇

 

 学校を出たあと、一度時計店へ戻った。

 店の奥にある机には、昨夜のうちにまとめておいた仕入れの一覧が置いてある。

 

 天童時計店では、修理に必要な部品を何でも常に揃えているわけではない。一般的な消耗品ならともかく、高級な機械式時計になると、同じように見える部品でも特定の機種やムーブメントにしか使えないものが少なくなかった。

 

 自動巻き機構に使われる摩耗部品、香箱や主ゼンマイ、巻真、リューズ、チューブ、風防、パッキン。

 形が似ているからといって、別のものを代わりに入れればいいというものではない。

 特に、定期的にメンテナンスへ持ち込まれる時計については、交換する可能性の高い部品をある程度手元に置いておいた方がいい。

 

「切替車が二つ……こちらは三つ。香箱は一つで足りますね」

 

 在庫棚と一覧を見比べながら、一つずつ確認していく。

 今日は部品の補充だけではなく、店頭へ並べる時計も何本か見ておきたい。組み時計に使えそうなケースや文字盤も、良いものが入っていれば仕入れておくつもりだった。

 それから、中古や古い時計も少しくらいは見たい。

 もちろん、必要なものだけを見るつもりだ。

 ……たぶん。

 

 仕入れ用の鞄を準備して外へ出ると、店の前には白い車体のスターゲイザーが停まっている。

 

「よろしくお願いします」

 

 誰に言うでもなく呟いてから跨がり、エンジンを始動した。

 今日は戦いに行くわけではない。

 ただ、時計店の仕入れに行くだけだ。

 私は、このくらいの使い方の方が好きだった。

 

     ◇

 

 駒王町を離れてしばらく走り、街中を抜けたところで高速道路へ入る。

 もちろん、公道なのだから普通に走る。

 スターゲイザーが本来どれほどの速度を出せるのかを考えれば、随分と大人しい使い方なのかもしれない。それでも急ぐ理由はないので、周囲の流れに合わせながら目的地を目指した。

 

 夏休みに免許を取る前は、まさかこうして自分のバイクで仕入れへ向かうことになるとは思っていなかった。

 お爺さんと一緒に仕入れへ出ていた頃の私は、その隣を歩きながら話を聞いていることの方が多かった。

 

 何をどのくらい仕入れるのか。どの店には何があるのか。どの部品は在庫しておいた方がいいのか。中古の時計を見る時には、まずどこを確認するのか。

 あの頃はただ聞いていたことを、今は全部、自分で考えている。

 店を継いでからそれなりに時間が経っているのに、ふとした時にそのことを不思議に感じることがあった。

 

     ◇

 

 目的地へ着いた頃には、学校を出てから二時間ほど経っていた。

 何度も来たことのある店だ。

 時計材料だけでなく、完成品、中古時計、工具、古い部品まで幅広く扱っていて、天童時計店よりもずっと広い。店の奥には、客からは見えない倉庫もある。

 扉を開けると、カウンターの奥にいた男性がこちらへ顔を向けた。

 

「いらっしゃ――お、源さんとこの二代目じゃないか」

 

「こんにちは」

 

「今日は一人か。……って、今さらか」

 

「もう何度も一人で来ていますよ」

 

「分かってるよ。どうも源さんと一緒に来てた頃の印象が抜けなくてな」

 

 そう言って笑うこの人も、私が小さい頃から知っている。

 昔は来るたびに『源さんとこの子』と呼ばれていた。それが店を継いでから、いつの間にか『二代目』へ変わった。

 

「注文していたもの、届いていますか?」

 

「ああ。まとめてあるぞ」

 

 カウンターの上に、小さな箱がいくつか並べられる。

 一つずつ開けて中を確認した。

 自動巻き機構用の部品に、香箱、巻真、専用形状のパッキン。単体で見ればどれも小さなものばかりだけれど、必要になった時に代わりが利かない。

 

「こちらは三つお願いしていたと思うのですが」

 

「ああ、それな。一つだけ入荷が遅れてる。来週には来るはずだ」

 

「分かりました。では今日は二つだけいただきます」

 

「それと、この型はそろそろ製造終了になるらしいぞ」

 

「……本当ですか?」

 

「ああ。在庫がなくなったら、次はいつ手に入るか分からん」

 

 私は小箱に書かれた番号を確認しながら、天童時計店に残っている在庫を思い出した。

 この部品を使う時計は、うちへ持ち込まれることも珍しくない。今すぐ大量に必要になるものではないけれど、供給が終わったあとに同じ時計の修理を頼まれれば、部品を探すところから始めなければならなくなる。

 

「まだ確保できるなら、追加で二つお願いします」

 

「さっきより増えたな」

 

「これは別です。無くなってからでは遅いので」

 

「相変わらず堅実だな、二代目」

 

「使わない部品を抱えすぎても困りますけど、手に入らなくなってから困るものは別です」

 

「その辺も源さんそっくりだ」

 

 そう言われると、少しだけ返事に困る。

 必要だからといって、何でも大量に持てばいいわけではない。長い間使わないものを買い込めば、それだけ店のお金が棚の中で眠ることになる。

 かといって少なすぎれば、修理を頼まれた時に客を待たせる。

 昔はお爺さんが決めていたことを、今は私が決めていた。

 

「ほかも見ていっていいですか?」

 

「もちろん。そのために来たんだろ?」

 

 注文した部品を受け取るだけなら、配送してもらうこともできる。わざわざここまで来たのは、それ以外のものを自分の目で確かめたかったからでもあった。

 まず向かったのは、店頭販売用の時計が並ぶ棚だった。

 新品を大量に仕入れるつもりはない。

 天童時計店は、たくさんの時計を並べて売る店ではないからだ。それでも、普段使いしやすく、値段も極端に高くないものを何本か置いておけば、店頭で時計を探している人にも勧められる。

 

 一つを手に取り、文字盤を見る。

 見やすい。ケースもしっかりしていて、日常的に使うには悪くない。

 

「それ、最近よく出てるぞ」

 

「そうなんですか?」

 

「学生とか若い会社員がよく買っていくな」

 

「では、二本お願いします」

 

「二本だけ?」

 

「売れてから補充すれば十分です。店に無ければ取り寄せもできますから」

 

「商売っ気があるんだか無いんだか」

 

「売れ残って何年も置く方が困ります」

 

 別の棚から、少し小ぶりな時計も一本選ぶ。

 新品を必要な数だけ決めると、次は中古時計の棚へ移った。

 こちらは、どうしても時間が掛かる。

 外装の傷だけなら、それほど気にしない。軽い傷なら整備である程度きれいにできるし、古い時計であれば無理に消さず、そのまま残した方がいい場合もある。

 大切なのは、中がどうなっているかだった。

 

「これはいつ入ったものですか?」

 

「昨日だな。動くには動くが、整備は必要だ」

 

「裏蓋を開けても?」

 

「どうぞ」

 

 工具を借りて中を見る。

 油は古く、多少の汚れもある。ただ、部品そのものに致命的な損傷は見当たらなかった。

 

「……洗浄して、消耗しているところを交換してから精度を見れば大丈夫そうですね」

 

「買うか?」

 

「おいくらですか?」

 

「そこはちゃんと聞くんだな」

 

「当たり前です」

 

 直せるからといって、何でも買えばいいわけではない。

 提示された金額を聞き、必要になりそうな部品代と整備に掛かる時間、そのあと店頭へ並べた場合の価格まで頭の中で考える。

 

「……それならお願いします」

 

「毎度」

 

 次に目についた一本は、外から見る限りかなり状態が良かった。

 ケースにも目立つ傷はなく、文字盤もきれいだ。

 けれど、中を確認すると私は首を横に振った。

 

「これはやめておきます」

 

「外はかなりきれいだぞ?」

 

「中が思ったより傷んでいます。直せなくはありませんけど、交換したい部品が多すぎます」

 

「なるほどな」

 

「この値段で仕入れて修理までしたら、うちで売るには高くなりすぎます」

 

「本当にその歳でそこまで考えるんだな」

 

「店主ですから」

 

 そう答えると、店員さんが少しだけ笑った。

 中古の棚を見終え、さらに奥に並ぶ古い時計へ移る。

 こちらには、何十年も前の機械式時計やヴィンテージ品が並んでいた。

 

「これ、文字盤がかなり焼けていますね」

 

「気になるか?」

 

「いいえ」

 

 少し角度を変えて眺める。

 新品の頃とは、きっとまるで違う色になっている。

 けれど、その変化まで消してしまえば、この時計が長い時間を過ごしてきた痕跡までなくなってしまう。

 

「むしろ、これはこのままの方がいいと思います」

 

「きれいにしないのか?」

 

「中はきちんと直します。でも、外まで全部新品みたいにする必要はありませんから」

 

 古い時計は、ただきれいにすればいいというものでもない。

 直すことと、作り直すことは違う。

 それも、お爺さんから何度も教わったことだった。

 状態と値段を確かめ、その時計も一本仕入れることにした。

 

 次に向かったのは、ケースや文字盤、針、ベルトなどが並ぶ場所だった。

 ここからは、少し危ない。

 本来なら必要なものだけ補充すればいいのだけれど、棚を見ていると別の使い道を考えてしまう。

 

「……」

 

 小ぶりなケースが目に留まった。

 無駄な装飾がなく、形も悪くない。

 その少し先には、よく合いそうな文字盤がある。

 手に取って並べてみる。

 

「また何か組むのか?」

 

「……まだ決めていません」

 

「その顔で?」

 

「どんな顔ですか」

 

「もう完成形まで考えてる顔」

 

「そこまでは考えていませんよ」

 

 そう答えながら、近くにある針まで手に取る。

 

「その色だと少し重くないか?」

 

「私もそう思います。こちらの方が見やすいですね」

 

「もう完全に組む気じゃねぇか」

 

「部品を確認しているだけです」

 

「はいはい」

 

 結局、ケースと文字盤、それに針まで一式増えた。

 商売だけを考えるなら、完成品をそのまま仕入れた方が安くて早いことくらい、私にも分かっている。

 それでも、自分で一つずつ選んで組み上げるのは楽しかった。

 一通り見終え、今度こそ帰ろうとしたところで――店の隅に置かれた箱が目に入った。

 

「……」

 

 足が止まる。

 

「見るだけにしとけよ、二代目」

 

「まだ何も言っていません」

 

「その箱見つけると毎回止まるじゃねぇか」

 

「見るだけです」

 

「源さんもそう言ってたな」

 

「…………」

 

 中古品の棚よりさらに奥。

 まともな商品として並べられない時計が、箱の中へ雑多に入れられている。

 動かない腕時計。文字盤の焼けた古い時計。針の外れているもの。ケースだけ残っているもの。部品が欠けているものまであった。

 しゃがみ込み、そのうちの一本を手に取る。

 裏側を見て、軽く状態を確かめる。

 

「……これは、たぶん直せますね」

 

「おい」

 

「まだ買うとは言っていません」

 

 次の一本も確認する。

 

「こちらは……厳しいですね」

 

「じゃあ戻すか?」

 

「でも、この中の部品はいくつか使えそうです」

 

「部品取りで買う気じゃねぇか」

 

「まだ見ています」

 

「言い方だけ変えても同じだろ」

 

 さらにもう一本。

 完全に止まっているけれど、外から見た印象ほど中は悪くなさそうだった。

 

「これもお願いします」

 

「三本目だぞ」

 

「……三本でしたか?」

 

「自覚なしかよ」

 

 手元を見る。

 確かに三本あった。

 今日必要だったのかと聞かれると、少し困る。仕入れ表には一つも書いていない。

 それでも、直せそうな時計をそのまま箱へ戻すのは少し気になった。

 

「源さんも昔、同じだったな」

 

「お爺さんも?」

 

「『見るだけだ』ってしゃがみ込んで、帰る時には荷物が増えてた」

 

「…………」

 

「似たんだな」

 

「血は繋がってませんよ」

 

「そういう意味じゃねぇよ」

 

 思わず店員さんを見る。

 相手は何でもないことのように笑いながら、私が選んだ時計をまとめ始めていた。

 

「まあ、二代目が直すなら、こいつらも運がいいだろ」

 

「全部を直せるわけではありませんよ」

 

「分かってるよ」

 

「直せるものだけです」

 

「それも源さんがよく言ってた」

 

 今度は、私も少しだけ笑った。

 

     ◇

 

 時計材料商を出て、仕入れた荷物をスターゲイザーへ積み込む。

 部品の小箱は動かないようにまとめ、時計も一つずつ傷がつかないように収める。最後に固定具を確認し、そろそろ帰ろうとスターゲイザーへ跨がりかけたところで、一つ思い出した。

 

「……そういえば」

 

 時計店の作業机の下に、もう一つ部品箱がある。

 入っているのは、時計修理ではほとんど使わない物ばかりだ。

 ヒューズ、コンデンサ、スイッチ、配線材。

 近所の人たちが時計以外のものを持ち込んできた時に使うことがあり、何日か前に確認した時には、そのうちいくつかが残り少なくなっていた。

 すぐに必要になるとは限らない。

 けれど、ここまで来る機会もそう多くない。

 

「……ついでに寄っておきましょうか」

 

 私はスターゲイザーへ跨がり、今度は駒王町とは少し違う方向へ走り出した。

 

     ◇

 

 二十分ほど走ったところに、その店はあった。

 先ほどまでいた時計材料商とは、まるで雰囲気が違う。

 店内には抵抗器やコンデンサ、各種ヒューズ、スイッチ、配線材、端子などが種類ごとに細かく並び、奥には小型モーターやファン、トランス、それに電気工作用の工具まで置かれている。

 ここには、お爺さんの頃からの特別な付き合いがあるわけではない。

 普通の客として入る店だ。

 

「いらっしゃいませ」

 

「こんにちは」

 

 入口に積まれている小さな買い物かごを一つ取り、棚を順番に見ていく。

 まずはヒューズ。

 天童時計店に残っている種類と数はだいたい覚えているので、減っている規格だけを選んでかごへ入れる。

 次に温度ヒューズ。

 

「……こちらも補充しておいた方がいいですね」

 

 扇風機などの小型家電が動かなくなった時、モーターそのものが完全に壊れているとは限らない。過熱を防ぐための温度ヒューズが切れている場合もある。

 もちろん、新しいものへ交換すればそれで終わりというわけではない。

 なぜ切れたのか。

 モーターが異常に発熱していないか。軸が固くなって余計な負荷が掛かっていないか。配線や別の部品に原因がないか。

 そこを確かめなければ、交換したところでまた同じことになる。

 使うことの多い規格を何本か選び、かごへ入れた。

 

 続いてコンデンサ。

 容量を確認しながら、よく使うものを何種類か選ぶ。そのあともスイッチ、配線、熱収縮チューブ、端子と、在庫が減っているものを少量ずつ補充していった。

 小型モーターの棚まで来たところで、一つ手に取る。

 

「……これは」

 

 一度は棚へ戻そうとした。

 けれど、店の奥に置いたままになっている古い玩具を思い出す。

 近所の子が持ってきたもので、モーターの回転がかなり弱っていた。分解して掃除をしても改善しなければ交換しようと思っていたものだ。

 

「…………」

 

 結局、それもかごへ入れた。

 一通り揃えたところでレジへ向かう。

 店員さんが商品を一つずつ確認していき、途中で少し不思議そうにこちらを見た。

 

「何か修理されるんですか?」

 

「はい。主に時計を」

 

「……時計?」

 

 当然の反応だった。

 今日買っているもののほとんどは、時計修理とはあまり関係がない。

 

「時計店をやっているんです。でも、たまに近所の方が家電や玩具を持ってくるので」

 

「家電修理もやってるんですか?」

 

「いえ、正式にはやっていません」

 

 そこだけは少し訂正する。

 

「直せそうなものを頼まれた時だけです」

 

「へえ。器用なんですね」

 

「お爺さんが昔からそうしていたので、そのままですね」

 

 そう答えたところで、昔の店内を少し思い出した。

 

『源さん、これ動かなくなったんだけど見てくれないか?』

 

『うちは時計屋なんだけどな』

 

 そう言いながら、お爺さんは結局受け取っていた。

 次の日には作業机の上に扇風機やラジオが分解されて置かれ、その横から私が覗き込んでいたこともある。

 今では、同じようなものが私の作業机へ置かれている。

 

「ありがとうございました」

 

 会計を済ませ、紙袋を受け取る。

 スターゲイザーへ戻ると、すでに時計材料商で買った荷物が積まれていた。その横へ、新しい袋を収める。

 

 時計修理用の純正部品。

 店頭販売用の時計。

 中古とヴィンテージ。

 組み時計用の部品。

 仕入れる予定のなかったジャンク時計が三本。

 それに、扇風機やラジオや玩具を直すための電子部品。

 

「……少し買いすぎましたかね」

 

 仕入れに出た時より、かなり荷物が増えている。

 それでも一応、全部使い道はある。

 たぶん。

 荷物が動かないことをもう一度確認してから、私は今度こそスターゲイザーを駒王町へ向けた。

 

     ◇

 

 帰り道も、何も起こらなかった。

 スターゲイザーを走らせながら考えていたのは、今日買った物のことばかりだった。

 製造終了になるという部品は、もう少し確保しておいた方がいいかもしれない。

 中古で仕入れた一本は、一度すべて分解して洗浄してから精度を確認したい。ヴィンテージの方は、文字盤へ余計な手を入れないようにする。

 組み時計は、あのケースなら先ほど選んだ文字盤で問題ないと思う。ベルトだけは、店に戻ってから在庫を見て決めればいい。

 ジャンクの三本も、そのうち一本は思っていたより状態が良さそうだった。

 電子部品の方は、近所の子から預かっている玩具を先に見た方がいいだろう。

 

 そんなことを考えているうちに、店へ戻ってからの作業順まで頭の中で組み立て始めていた。

 時計店へ着いた頃には、学校を出てから五時間近く経っていた。

 

「ただいま」

 

 返事はない。

 いつものことだった。

 店内の明かりをつけ、仕入れた荷物を一つずつ運び込んでいく。

 時計用の部品は、種類と数量をもう一度確認してから専用の棚へ。電子部品は、作業机の下にある別のケースへ収める。

 販売用の時計は明日改めて検品することにした。中古やヴィンテージも同じだ。

 

今日のところは、片付けるだけ。

そう決めていた。

 

「……」

 

 最後に残った紙袋から、ジャンクで買った一本が見えた。

 少しだけ。

 本当に、少しだけ中を確認するだけならいいだろう。

 作業机へ座り、裏蓋を開ける。

 

「……やっぱり」

 

 止まっていた原因らしい場所が見つかった。

 工具へ手を伸ばしかけて、壁の時計を見る。

 

「今日は、片付けるだけにするつもりだったのですが……」

 

 当然、誰も答えない。

 少し迷ったあと、私は結局一本の工具を手に取った。

 

     ◇

 

 同じ頃。

 冥界では、一つの部屋が外界から完全に隔離されていた。

 室内にいるのは、サーゼクス・ルシファーただ一人。

 扉は閉ざされ、通常の魔法による探知だけではなく、内部で行われる通信そのものを外部から察知されないための措置まで施されている。

 

 サーゼクスは周囲に誰もいないことを確認すると、普段使っているものとは異なる魔法陣を展開した。

 淡い光が、静かな室内を照らす。

 しばらくして通信が繋がった。

 相手の姿は映らない。

 それでもサーゼクスは姿勢を正し、普段よりも明らかに丁寧な声音で口を開いた。

 

「お久しぶりです」

 

 短い沈黙があった。

 

「突然ご連絡したことをお許しください」

 

 通信の向こうから何か返事があったのか、サーゼクスは小さく頷く。

 

「何も起こらなければ、それで構いません。私たちの考えすぎで終わるなら、それが一番です」

 

 そこで一度言葉を切ると、先ほどまでの穏やかな表情がわずかに引き締まった。

 

「ですが、万が一の場合に備えて――少々、お力をお借りしたいことがございます」

 

ブルアカで一番好きなメインストーリーは? 2026/9/4現在、公開されている範囲でお答えください。

  • Vol.1 対策委員会編 1&2章
  • Vol.1 対策委員会編 3章
  • Vol.2 時計じかけの花のパヴァーヌ編 
  • Vol.3 エデン条約編 1&2章
  • Vol.3 エデン条約編 3&4章
  • Vol.4 カルバノグの兎編
  • Final. あまねく奇跡の始発点 1&2章
  • Final. あまねく奇跡の始発点 3&4章
  • Vol.5 百花繚乱編
  • Vol.6 過ぎ去りし刻のオラトリオ編
  • Vol.EX デカグラマトン編
  • 第2部 Vol.EX ロア追跡編
  • 第2部 Vol.1 炎と影編
  • 第2部 Vol.2 オデュッセイア編
  • メインストーリーをほとんど知らない
  • ブルアカ未プレイ
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