止まった針は時の終わりに未来を見る   作:ドレットノータス

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第45刻 仕組まれたゲーム

 その日の部室には、いつもとは少し違う落ち着かなさがあった。

 誰かが騒いでいるわけでも、逆に妙な静けさに包まれているわけでもない。ただ、これからディオドラ・アスタロトとのレーティングゲームを控えているのだと思えば、普段とまったく同じ空気でいられるはずもなかった。

 リアス先輩は最後の確認を行い、朱乃先輩や裕斗、ゼノヴィアたちも、それぞれ出発の準備を整えている。

 

 私は今回のゲームには参加しない。

 そもそもリアス先輩の眷属ではないのだから当然なのだけれど、今日はサーゼクスさんから観戦に招かれていて、あとで皆とは別の場所へ移動することになっている。

 服装も、いつもの駒王学園の制服のままだ。

 前回のようにメイドとして仕事をするわけではないので、冥界へ行くからといって着替える必要もない。

 そんな部室の中で、一番落ち着かない様子を見せていたのは一誠だった。

 

「アーシア、大丈夫か?」

 

「はい。大丈夫ですよ、一誠さん」

 

「本当か? 無理してねぇか?」

 

「本当に大丈夫です」

 

 アーシアさんは、少し困ったように笑っている。

 これで何度目なのだろう。

 少なくとも、私が部室へ来てからだけでも、同じようなやり取りを二度は見ていた。

 

「一誠、さっきからそればかりですね」

 

「だってよ……」

 

 一誠は私を見ると、言いにくそうに頭を掻いた。

 

「あいつ、アーシアにあんなこと言ってきた奴だぞ。これからそいつとゲームするって思ったら、そりゃ気になるだろ」

 

「気持ちは分かりますけど」

 

 数日前、ディオドラはこの部室へ突然現れ、アーシアさんを自分の《僧侶》と交換してほしいと言った。

 それだけではなく、結婚したいとまで口にしていた。

 アーシアさん自身がはっきりと拒絶し、最後には頬を叩いてまで自分の意思を示したけれど、それでも一誠が心配になるのは無理もない。

 

「一誠さん」

 

 今度はアーシアさんの方から、少しだけ強い声で名前を呼んだ。

 一誠が振り向く。

 

「私、本当に大丈夫です」

 

「アーシア……」

 

「ディオドラさんには、もうちゃんとお断りしました。それに……」

 

 そこで一度言葉を切ると、アーシアさんは部室にいる私たちを見回した。

 

「私は、ここにいたいんです」

 

 その声には、迷いがなかった。

 

「部長さんと、一誠さんと、皆さんと一緒にいたいって、自分で決めましたから」

 

「……そっか」

 

 一誠はしばらくアーシアさんを見ていたけれど、やがて少しだけ肩の力を抜いた。

 

「じゃあ、さっさと勝って帰ってこようぜ」

 

「はい!」

 

 アーシアさんが笑う。

 数日前、ディオドラさんを前にしていた時とは違う笑顔だった。

 もちろん、緊張していないわけではないのだろう。それでも今の彼女は、自分がどこにいたいのかを迷ってはいなかった。

 

「アーシア、頑張ってね」

 

 近くにいたイリナさんも声を掛ける。

 

「ありがとうございます、イリナさん」

 

 アーシアさんが答えると、イリナさんは今度は一誠へ視線を向けた。

 

「イッセーも、ちゃんとアーシアを守るんだよ?」

 

「言われなくても分かってるって!」

 

「本当に?」

 

「本当だよ!」

 

「ならいいけど」

 

「信用ねぇなぁ!」

 

 そんな二人のやり取りを見ていると、これから危険な相手とのゲームへ向かうというより、いつもの部室の延長にいるような気さえしてくる。

 やがて出発の時間が近づき、リアス先輩が全員を集めた。

 

「そろそろ時間ね。みんな、準備はいい?」

 

 その問いに、それぞれが頷く。

 私は少し離れたところから、その様子を見守っていた。

 すると、アーシアさんがこちらへ歩いてくる。

 

「ミライさん」

 

「はい?」

 

「行ってきます」

 

 笑顔だった。

 だから私も、何も特別なことは考えずに答えた。

 

「はい。頑張ってください。応援しています」

 

「ありがとうございます」

 

 それだけだった。

 特別な言葉なんて必要ないと思っていた。

 数時間もすればまた会える。ゲームが終われば、皆でいつものように帰ってくる。

 私はそう思っていたからだ。

 

「アーシア」

 

 一誠が手を差し出した。

 アーシアさんは少し驚いたように、その手と一誠の顔を交互に見る。

 

「向こうに着いても離すなよ。念のためだ」

 

「……はい」

 

 嬉しそうに頷いて、アーシアさんは一誠の手を握った。

 それを確認したリアス先輩が、転移用の魔法陣を展開する。

 床いっぱいに広がった赤い光が、一誠たちの姿を包み込んでいった。

 

「じゃあな、ミライ!」

 

「はい。またあとで」

 

 アーシアさんも、空いている方の手を小さく振る。

 私も手を振り返した。

 そして次の瞬間には、リアス先輩たちの姿は部室から消えていた。

 

     ◇

 

 私もほどなくして、別の転移魔法陣を使って冥界へ移動した。

 到着したのは、以前にも一度入ったことのあるような豪華な観戦室だった。もっとも、今日はメイドとして来ているわけではない。

 

「来たね、ミライちゃん」

 

「サーゼクスさん。今日はお招きいただき、ありがとうございます」

 

「そんなに堅くならなくても大丈夫だよ。今日は仕事ではないんだから、普通に観戦してくれればいい」

 

「はい」

 

 室内にいたのは、サーゼクスさんとアザゼル先生。

 そして、もう一人。

 長い白髭を蓄え、片目を隠した老人が椅子に腰掛けていた。

 見覚えはない。

 けれど、ただの老人ではないことくらいは、説明されなくても分かった。

 

「ああ、そうか。二人は初対面だったね」

 

 サーゼクスさんが、今になって思い出したように言う。

 

「ミライちゃん。こちらは北欧神話の主神、オーディン様だ」

 

「……オーディン?」

 

 名前くらいなら、もちろん知っている。

 北欧神話の最高神。

 知識を求めるためなら、自らの片目すら代価として差し出した神。

 

「そしてオーディン様。こちらが天童ミライちゃんだ」

 

「天童ミライです。初めまして」

 

 軽く頭を下げてから、顔を上げる。

 その瞬間だった。

 

「…………」

 

 オーディン様と目が合った。

 残された片目が、ほんの僅かに見開かれる。

 それまで浮かべていた飄々とした表情も、一瞬だけ消えたように見えた。

 

「……?」

 

 何だろう。

 私が首を傾げるより早く、オーディン様はいつもの調子を取り戻した。

 

「ほっほっほ! なるほどなるほど! サーゼクス、お主もなかなか隅に置けんではないか! こんな可愛らしい娘まで呼んでおるとは!」

 

「誤解を招く言い方はやめてください、オーディン様」

 

「何を言う。年寄りのちょっとした冗談じゃろう」

 

 サーゼクスさんが呆れたような顔をし、その隣でアザゼル先生が面白そうに笑っている。

 私はもう一度だけ、オーディン様へ視線を向けた。

 先ほどの一瞬が何だったのかは分からない。

 ただ、今の様子を見る限り、特に気にする必要はないのだろう。

 用意された席へ座り、正面に映し出された映像へ視線を向ける。

 そこには、転移を終えたリアス先輩たちの姿が映っていた。

 

「始まりますね」

 

「ああ」

 

 アザゼル先生が答える。

 私は映像の中にアーシアさんを探した。

 すぐに見つかった。

 一誠のすぐ近くにいて、二人の距離も離れていない。

 それを見て、少しだけ安心する。

 あとは、試合が始まるだけ。

 そう思っていた。

 けれど――いつまで待っても、何も始まらなかった。

 

「……?」

 

 開始を告げる声がない。

 実況も聞こえてこない。

 画面の中では、リアス先輩たちも何かがおかしいことに気づき始めていた。

 その直後、神殿の周囲に一つ、また一つと人影が現れる。

 一人や二人ではない。

 数える間にも、その数は増えていった。

 

「……多くないですか?」

 

 ディオドラの眷属が何人なのかは知っている。

 少なくとも、今画面に映っている者たちの数が、それを遥かに超えていることくらいは分かった。

 横を見る。

 サーゼクスさんの表情が変わっていた。

 アザゼル先生も、先ほどまでの軽い雰囲気を消している。

 オーディン様も同じだった。

 

「サーゼクスさん?」

 

 映像の中では、リアス先輩たちが一斉に構えを取っている。

 現れた者たちが友好的でないことは、誰の目にも明らかだった。

 

「これは……ゲームですよね?」

 

 答えたのは、サーゼクスさんだった。

 

「違う」

 

 短い言葉だった。

 それだけで、背中を冷たいものが走った。

 

「これは襲撃だ」

 

 その言葉が終わるのと、画面の中で爆発が起きるのはほとんど同時だった。

 

「――ッ!」

 

 大量の魔力弾が、リアス先輩たちへ降り注ぐ。

 朱乃先輩が雷撃で迎撃し、裕斗とゼノヴィアが前へ出る。小猫さんも構え、一誠はアーシアさんを庇うように立っていた。

 敵の数が多い。

 一度攻撃を防いでも、間を置かずに次の攻撃が飛んでくる。

 爆発が続き、巻き上がった煙が映像を覆った。

 

「一誠……」

 

 画面から目を離せない。

 煙の向こうに、一誠の姿が見える。

 アーシアさんも、そのすぐ後ろにいる。

 そう思っていた。

 

『アーシア!?』

 

 突然、一誠の叫びが響いた。

 

「……え?」

 

 煙が晴れる。

 一誠が振り返っていた。

 けれど、その視線の先に――アーシアさんはいない。

 

「アーシアさん……?」

 

 気づけば、私は椅子から立ち上がっていた。

 どこへ行ったのだろう。

 ついさっきまで、一誠のすぐ後ろにいたのに。

 映像が切り替わり、今度は上空を映し出す。

 

『一誠さん!』

 

「――!」

 

 アーシアさんの声だった。

 空中に、ディオドラがいる。

 その腕には、アーシアさんが抱えられていた。

 

『アーシアァッ!』

 

 一誠が飛び出そうとする。

 しかし、その前へ大量の敵が立ちはだかった。

 アーシアさんも必死に一誠へ手を伸ばしている。

 それでも、二人の距離が縮まることはない。

 ディオドラは何かを告げると、神殿の奥を示した。

 そしてそのまま、アーシアさんを抱えて姿を消した。

 

「…………」

 

 気づいた時には、私は完全に席を離れていた。

 

「私も行きます」

 

「ミライちゃん」

 

 サーゼクスさんがこちらを見る。

 

「もうゲームではありませんよね?」

 

「……そうだね」

 

「なら、私が外から見ている理由もありません」

 

 アーシアさんが連れていかれた。

 一誠たちも襲われている。

 それだけで十分だった。

 

「私も行きます」

 

 もう一度、はっきりと言う。

 

「待て、ミライ」

 

 今度はアザゼル先生に止められた。

 

「でも――」

 

「行くなとは言ってねぇよ」

 

「……え?」

 

 先生はすでに別の魔法陣を展開し、何かを確認していた。

 サーゼクスさんも同じだった。

 二人の口から次々と指示が飛び、私には分からない場所や名前が続けて出てくる。

 それを見ていて、ようやく一つの違和感に気づいた。

 対応が、あまりにも早い。

 

「……まさか」

 

 思わず声が漏れた。

 

「サーゼクスさんたちは、こうなることを知っていたんですか?」

 

 一瞬だけ、サーゼクスさんと目が合った。

 

「説明はあとでする」

 

「でも――」

 

「必ず説明する。ただ、今は」

 

 そこでアザゼル先生がこちらを見る。

 

「アーシアを助ける方が先だろ?」

 

「……はい」

 

 納得したわけではない。

 聞きたいことはいくつもある。

 けれど、それを今ここで問い続けるべきではないことも分かっていた。

 アザゼル先生がオーディン様へ顔を向ける。

 

「爺さん」

 

「分かっておる」

 

「現場へ行くなら、ミライも連れていってくれ」

 

 オーディン様は一度だけ私を見る。

 初対面した時のような妙な反応はなかった。

 

「娘」

 

「はい」

 

「危険じゃぞ」

 

「分かっています」

 

「そうか」

 

 それ以上、オーディン様は何も聞かなかった。

 

「では行くぞ」

 

「お願いします」

 

 足元へ光が広がる。

 次の瞬間、転移特有の感覚とともに、視界が白く染まった。

 

     ◇

 

 次に見えたのは、先ほどまで画面越しに見ていた神殿だった。

 けれど、周囲の状況を確かめる暇すらない。

 

「――ッ!」

 

 目の前を魔力弾が横切った。

 反射的に身を低くする。

 周囲には、旧魔王派と思われる悪魔たちが大勢いる。

 少し離れたところには、リアス先輩たちの姿も見えた。

 

「なんだこの爺さん!?」

 

 一誠の驚いた声が聞こえる。

 

「どうしてここに――」

 

 そこまで言ったところで、一誠の視線がこちらへ向いた。

 

「……って、ミライ!?」

 

「一誠!」

 

 答えながら前へ出る。

 敵の一人が、こちらへ手を向けた。

 考えるより早く右手を伸ばす。

 光が集まり、一つの形を作り上げていく。

 完成すると同時に盾として構え、その直後、正面から魔力弾が叩きつけられた。

 

「くっ……!」

 

 重い衝撃が盾を通して腕まで伝わってくる。

 それでも、防げる。

 足を踏ん張って攻撃を受け切り、その勢いのままアストラノヴァを大きく振るった。

 敵が数人まとめて吹き飛ぶ。

 できた隙を使って、私はリアス先輩たちのところまで一気に走った。

 

「ミライ、どうしてここにいるの!?」

 

「サーゼクスさんたちと観戦していました。オーディン様に連れてきてもらったんです」

 

 その説明を聞いた一誠が、すぐに口を開く。

 

「アーシアが……!」

 

「はい」

 

 一誠が言い終えるより先に頷いた。

 

「見ていました。連れていかれるところも」

 

「……」

 

 一誠の拳が強く握られる。

 

「絶対に助ける」

 

「はい」

 

 迷う理由なんてなかった。

 

「もちろんです」

 

 その時だった。

 

「ほれ」

 

 オーディン様が、朱乃先輩のすぐ近くへ寄っていく。

 何をするのだろうと思った、次の瞬間。

 

「きゃっ」

 

「…………」

 

 朱乃先輩のスカートが僅かに持ち上がった。

 

「……オーディン様」

 

「なんじゃ?」

 

「今、何をしているんですか?」

 

「緊張をほぐしてやろうと思ってな!」

 

「今ですか?」

 

「今だからこそじゃ!」

 

「…………」

 

 初対面してから、まだそれほど時間は経っていない。

 けれど、この人がどういう人なのかは、少しだけ分かった気がした。

 

「じ、爺さん! 何してんだよ!」

 

 一誠も思わず声を上げる。

 

「うるさいぞ、赤龍帝! こういう時だからこそ余裕が必要なんじゃ!」

 

「限度ってもんがあるだろ!」

 

 ほんの一瞬だけ、一誠の怒りの向きが別のところへ逸れた。

 けれど、その空気も長くは続かなかった。

 

「みんな」

 

 リアス先輩が前へ出る。

 その一言で、全員の視線が集まった。

 リアス先輩の表情に、もう笑みはない。

 

「ゲームは中止よ。今はそんなことをしている場合ではないわ」

 

 誰も異論を挟まなかった。

 

「アーシアはディオドラに連れていかれた。そして、敵はこの神殿の奥にいる」

 

 一誠が神殿を見る。

 裕斗も、ゼノヴィアも、小猫さんも、朱乃先輩も、ギャスパー君も。

 私も同じ方向へ視線を向けた。

 

「行くわよ」

 

 リアス先輩が告げる。

 

「アーシアを取り戻すわ」

 

「はい!」

 

 真っ先に答えたのは一誠だった。

 私は手の中のアストラノヴァを握り直す。

 少し前まで、アーシアさんは笑っていた。

『行ってきます』

 そう言った彼女に、私は何の迷いもなく答えた。

『頑張ってください』

 数時間後には、また会えると思っていたからだ。

 ゲームが終われば、いつものように帰ってくる。

 だから私は、何も疑わずに見送った。

 だったら今度は、ちゃんと言わなければならない。

 ――おかえりなさい、と。

 

 そのためにも。

 アーシアさんは、必ず連れて帰る。

 




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  • Vol.1 対策委員会編 3章
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  • Vol.3 エデン条約編 1&2章
  • Vol.3 エデン条約編 3&4章
  • Vol.4 カルバノグの兎編
  • Final. あまねく奇跡の始発点 1&2章
  • Final. あまねく奇跡の始発点 3&4章
  • Vol.5 百花繚乱編
  • Vol.6 過ぎ去りし刻のオラトリオ編
  • Vol.EX デカグラマトン編
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  • 第2部 Vol.2 オデュッセイア編
  • メインストーリーをほとんど知らない
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