息を吸うだけで胸の奥が痛んだ。
脚は鉛でも詰め込まれたように重く、聖魔剣を握る両腕もさっきから震え続けている。何度も一誠君の攻撃を逸らし、受け流し、剣を叩き込んできた反動で、指先の感覚さえ少しずつ鈍くなっていた。
それでも、ここまで一誠君の攻撃を一度もまともには受けていない。
なら、まだ動ける。
「……まだだ」
一誠君の右爪が振るわれる。
僕は身体を左へ滑らせてそれを避け、そのまま続けて伸びてきた左腕の下へ潜り込んだ。懐へ入りながら脇腹へ聖魔剣を叩き込み、一誠君がこちらへ振り向くより先に次の動きを読む。
身体が回るなら、次に来るのは尾だ。
予想どおり横薙ぎに迫ってきた尾を、地面を蹴って跳び越える。
けれど、一誠君ももう僕の動きには慣れている。空中へ逃げた瞬間、大きく開かれた翼が逃げ場を塞ぐように迫ってきた。
「っ!」
空中で身体を無理やり捻り、翼の先端が服を掠めるほどの距離でかわす。
着地すると同時に前へ踏み込み、もう一度聖魔剣を叩き込んだ。
止まる暇はなかった。
今までは僕が避けた先に誰かがいて、僕が作った隙を誰かが拾ってくれていた。でも、もう後ろから魔力が飛んでくることも、横から巨大な砲身が差し込まれることもない。
避けるのも、隙を作るのも、その隙へ攻撃を入れるのも、全部自分一人でやるしかなかった。
それでも、一誠君の真正面から退くわけにはいかなかった。
着地した時には、もう一誠君が正面まで迫っていた。
「っ!」
反射的に顔を逸らした直後、巨大な爪が頬のすぐ横を通り抜ける。完全には避け切れず、鋭い痛みとともに皮膚が浅く裂け、温かい血が頬を伝った。
でも、直撃じゃない。
「まだいける……!」
足を止めずに一誠君の肩へ聖魔剣を叩き込み、そのまま横へ走る。
「こっちだ!」
狙いどおり、一誠君がすぐに僕を追ってきた。
それでいい。
僕を追ってくれるなら、その分だけ部長たちから離れられる。倒れているみんなのところへ戻らせないことが、今の僕にできる一番大事なことだった。
一誠君から逃げ続けながらも、ただ背中を向けることはしない。爪を振った直後、翼を動かす前、尾を振り抜いたあと――反撃できるほんの僅かな瞬間だけ身体を返し、聖魔剣を叩き込んではまた距離を取る。
どれだけ当てても、鎧には傷らしい傷一つ増えない。
それでも衝撃まで完全に無視できるわけではなく、肩へ当てれば身体が僅かに傾き、脇腹へ入れれば一歩だけ進路がずれる。その小さな変化を積み重ねながら、僕は一誠君の向きを少しずつ仲間たちのいる場所とは反対側へ誘導していった。
まだ動かせる。
なら、まだ止められる。
そう自分へ言い聞かせながら戦い続けていたけれど、その考えとは反対に、一誠君の攻撃は少しずつ僕の身体へ近づいてきていた。
一誠君が速くなったわけじゃない。
遅くなっているのは、僕の方だ。
最初なら余裕を持って頭を下げられたはずの爪が頬を掠め、さっきまでは十分な高さで跳び越えられていた尾にも、今では靴の裏が触れそうになる。着地した直後に次の動きへ移るまでの時間も少しずつ長くなり、聖魔剣を振る腕の速さまで落ち始めていた。
このまま同じことを続けても、長くは保たない。
次かもしれない。
その次かもしれない。
どちらにしても、一度でも一誠君の攻撃をまともに受ければ、今の僕が立ち続けられるとは思えなかった。
「……どうする」
一誠君の爪を紙一重でかわしながら、必死に方法を探す。
その時、不意に頭へ浮かんだものがあった。
フリードと戦った、あの時。
たった一度だけ、自分の身体に起きた異常。
周囲のすべてが突然遅くなり、落ちていく瓦礫も、相手の動きも、まるで止まりかけているように見えた。逆に自分だけは、何が起きているのか理解する暇さえないほどの速度で動くことができた。
あの感覚を、もう一度使えれば。
「……あの時の力」
口に出した瞬間だった。
身体の奥から、ぞっとするほど強い拒絶感が込み上げてきた。
「っ……」
痛みでもなければ、何かに止められたわけでもない。ただ、考えた瞬間に全身がそれを拒むような感覚だけがはっきりとある。
使わない方がいい。
理由は分からない。
そもそも、あの時に何が起きたのかさえ僕は知らない。自分の力なのか、聖魔剣に関係するものなのか、それともまったく別の何かなのか、それすら分かっていない。
なのに、もう一度あれを使おうと考えただけで、身体のどこかが強く警告している。
使えばまずい。
その予感だけは、説明できないほど鮮明だった。
僕はもう一度、一誠君を見る。
赤い鎧に包まれた巨体は、少しも衰えた様子を見せずこちらへ向かってくる。
そして、そのさらに後ろには、部長をはじめ、ここまで一緒に一誠君を止め続けてきたみんなが倒れていた。
あの力を使うことへの嫌な予感は消えない。
けれど、このまま何もしなければどうなるのかも、もう分かっていた。
「……でも」
身体の奥から湧き上がる拒絶感がどれだけ強くても、他に一誠君を止める方法が思いつかない。
「他に、方法がない」
震え始めた指へ力を込め、両手の聖魔剣を握り直す。
怖くないわけじゃなかった。正体すら分からない力で、身体自身が使うなと警告しているものを、今から意図的に引き出そうとしている。それが何を引き起こすのかも、使ったあとに自分がどうなるのかも分からない。
それでも、何もできないままここで倒れる方がずっと嫌だった。
「もう一度だけ……!」
世界のすべてが遅くなった、あの瞬間。
相手の動きも、自分の動きも理解できないまま、ただ身体だけが異常な速度で動いていた感覚を必死に探り、それを今の自分へ無理やり重ね合わせる。
その瞬間、世界が変わった。
外の世界では、まだ一秒も経っていないはずだった。それなのに、僕にはもっとずっと長く感じられた。
一誠君の爪が、ゆっくりと動いている。
さっきまで全力で身体を動かし、紙一重で避け続けていたはずの攻撃が、今は振り始めから僕へ届くまでの軌道すべてをはっきり追うことができた。空中を舞っている細かな土埃さえ、ほとんど止まっているように見える。
成功した。
あの時と同じだ。
そう理解したのと、まったく同時だった。
「ぐっ……!」
左腕へ、突然赤い光が走った。
手首の辺りから浮かび上がった光は皮膚の表面を走るのではなく、まるで血管そのものをなぞるように腕の内側を這い上がってくる。手首から肘へ、肘から肩へと伸び、そのまま首筋へ向かって侵食するように広がっていった。
最初は熱いのだと思った。
けれど、すぐに違うと分かる。
熱いなんてものじゃない。
痛い。
「っ……!」
身体の中へ焼けた金属を直接流し込まれ、それが血管を通って全身へ広がっていくような激痛だった。左腕を切り離したくなるほどの痛みが絶え間なく襲ってくるのに、この異常な速度だけは消えない。
やっぱり、使うべきじゃなかった。
さっき感じた嫌な予感は正しかった。
何なのかは分からない。それでも、これは僕の身体が無理なく扱えるものではない。
けれど――だからといって、今さら止めるつもりもなかった。
「止めない……!」
痛みに構わず地面を蹴る。
一秒目
一誠君の右爪が僕のいた場所へ届くより早く、その右側へ回り込んで聖魔剣を胴へ叩き込んだ。
一誠君の身体が衝撃で僅かに左へずれる。
けれど、その動きが始まった時には、僕はもう反対側へ回っていた。
肩へ一撃。
そのまま背後へ抜け、翼の付け根へもう一撃を加える。さらに脚、脇腹へと間を置かず聖魔剣を叩き込み、一誠君がようやくこちらへ振り向こうと身体を動かした頃には、僕はすでに正面へ戻っていた。
胸へ一撃。
やはり傷はつかない。
どれだけ速く、どれだけ多く聖魔剣を叩き込んでも、あの赤い鎧には刃の跡一つ残らなかった。
でも、それでいい。
斬れなくても、一撃を入れるたびに一誠君の身体は僅かに動いている。
肩を叩けば向きがずれ、脇腹へ当てれば身体が横へ流れる。なら、今は鎧を破る必要なんてない。
僕は一誠君を傷つけることではなく、どちらへ押すかだけを考える。
一誠君が倒れているみんなの方へ身体を向けようとするたびに、その反対側へ回り込んで聖魔剣を叩き込み、強引に進路を変える。振り向けばまた逆側へ移り、次の一撃でさらに外へ押し出していく。
身体の中を焼くような痛みは消えない。
それでも、この速さが続いている限り、一誠君をみんなから遠ざけることはできる。
なら、それで十分だった。
二秒目
「ぐ……ぁっ……!」
左腕から伸びていた赤い光がついに胸へ達した瞬間、そこから一気に腹部へ広がり、さらに枝分かれするように両脚まで駆け抜けた。
一秒前とは比較にならない激痛が全身を襲う。息を吸うだけでも胸の内側を直接焼かれているようで、ほんの少し呼吸を乱しただけなのに肺まで引き裂かれそうだった。
それでも、加速は解かない。
一誠君へ叩き込んだ聖魔剣から手を離し、その場へ捨てる。
今の速度では、振り抜いた剣を握ったまま次の位置へ運び、もう一度構え直す時間さえ惜しい。だったら、その場で捨てて新しく作った方が速い。
そう判断した瞬間には、もう次の聖魔剣が手の中に生まれていた。
一誠君の側面へ回り込み、その剣を肩へ叩き込む。振り抜いた直後に手放し、反対側へ移動しながら新しい一本を作り、今度は脇腹へ打ちつける。
それも捨てる。
また作る。
僕を捉えようと一誠君が足を踏み出した瞬間、その着地点へ意識を向け、地面から何本もの聖魔剣を一斉に突き出した。
当然、一誠君の鎧を貫くことはできない。
けれど、足元へ突然現れた剣に進路を塞がれ、その脚がほんの一瞬だけ止まった。
それだけあれば十分だった。
「はぁっ!」
正面へ飛び込み、両手に作り出した二本の聖魔剣を同時に一誠君の胸へ叩き込む。
重なった衝撃で巨体が後方へ押され始めるより早く、僕はすでに右側へ回り込んでいた。
肩へ一撃を加えてさらに向きをずらし、今度は左側へ抜けてもう一撃。振り返ろうとする一誠君の兜の視界へ聖魔剣を投げつけ、それを避けるように兜が僅かに逸れた一瞬に、反対側で新しい剣を作り終えている。
一誠君がこちらを向く頃には、もうそこにはいない。
次の位置から斬りつけ、動いた方向とは反対側へ回り込み、また剣を叩き込む。
何本作ったのかなんて、とっくに数えていなかった。
振り抜いた剣はその場で捨て、新しく作る。足を止めたいなら地面から何本も突き出し、向きを変えたいなら反対側から叩き込む。
斬ることそのものに意味はなくても、一撃ごとに一誠君の身体は確かに動く。
だったら、今の僕に使えるものを全部使えばいい。
聖魔剣を作る力も、ここまで身につけてきた剣技も、この異常な速度も。
身体の中を走る赤い光がどれだけ痛みを増しても、それすら無視して使い切るつもりで、一誠君の周囲を走り続けた。
三秒目
「っ……!」
赤い光が首筋を越え、ついに頬まで這い上がってきた。
もう、どこが一番痛いのかなんて分からない。腕も脚も、胸も背中も、身体の内側という内側を焼かれているようで、動くたびに全身へ激痛が走る。
それでも、足は止めなかった。
「まだ……!」
一誠君の右側へ回り込み、聖魔剣を叩きつけて身体を左へ押す。一誠君がその衝撃に流された時には、僕はすでに進行方向へ先回りし、今度は左側から斬りつけて反対へ押し返していた。
身体が傾いた瞬間には背後へ回り込み、両手へ新しい聖魔剣を作り出す。その二本を同時に背中へ叩き込み、一誠君の巨体を前へ押し出した。
一誠君が僅かによろめく。
けれど、その正面にはもう僕がいる。
「はぁっ!」
下から二本の聖魔剣を振り上げる。
鎧を斬ることはできなくても、重なった衝撃によって一誠君の踵がほんの僅かに地面から浮いた。
その足元へ何本もの聖魔剣を一斉に突き出し、踏ん張り直そうとした瞬間の体勢を崩す。そこへさらに横から一撃を加えて押し返した。
一誠君がこちらへ振り向こうとした頃には、僕はもう反対側へ移っていた。
一撃を入れ、身体が動けばその先へ先回りしてもう一撃。使い終わった剣はその場で捨て、移動しながら次を作り、一誠君が立て直す前にまた叩き込む。
そうして走り続けるうちに、ふと気づいた。
今、僕が一人でやろうとしていることは、ほんの少し前までみんなでやっていたことだった。
僕が一誠君の正面へ入り、攻撃を引きつける。
僕が抜けた場所にはゼノヴィアが入り、デュランダルで一誠君を押し返してくれた。
その背後から小猫ちゃんが仙術で姿勢を崩し、次に来る攻撃を僕たちへ教えてくれた。
朱乃さんは雷で一誠君の進路を塞ぎ、僕たちが動ける場所だけを残してくれた。
ギャスパー君は一誠君の動きを止め、崩れかけた戦線を立て直すための一瞬を作ってくれた。
部長は全員の動きを見ながら指示を飛ばし、それぞれの攻撃を一つの流れへ繋げていた。
そしてミライさんは、どうしても避け切れない攻撃だけを横から受け流し、最後には自分が倒れるまで部長を守った。
それまで全員でやっていたことを、今はこの異常な速さを使って無理やり一人で繋いでいる。
たった三秒だけでもいい。
みんなが作っていた戦線を、今度は僕一人で途切れさせない。
「まだだ!」
新しい聖魔剣を作り、一誠君へ叩き込む。
巨体が一歩分押される。
その一歩が終わるより先に横へ回り、もう一撃を加える。
さらに次。
その次。
作れるだけ作って、動けるだけ動いて、今の僕が出せる攻撃をすべて一誠君へぶつけていく。
鎧へ傷を残せなくても構わない。
一誠君を倒す必要だってない。
ただ一歩。
もう一歩だけでも、倒れているみんなから遠ざける。
そのためだけに、痛みで感覚の薄れ始めた両手へ最後の聖魔剣を作り出した。
「これで――!」
二本ではない。
残っている力を一つへ集めるように、一本の聖魔剣を両手で握り締める。
腕はとっくに悲鳴を上げ、赤い光は頬からさらに広がって、もうほとんど全身を覆おうとしていた。剣を構えるだけで身体の内側を引き裂かれるような痛みが走る。
それでも、止まらない。
地面を蹴り、この三秒で出せる最後の力をすべて一撃へ乗せる。
「これで――離れてくれッ!」
振り抜いた聖魔剣を、一誠君の胸へ真正面から叩き込んだ。
次の瞬間、腹の底まで響くような轟音が戦場へ広がった。
鎧を斬った感触はない。それでも、残っていた力をすべて乗せた一撃は一誠君の巨体を大きく後方へ弾き飛ばし、地面へ落ちたあともさらに何度か後ろへ押し流していく。
やっぱり傷はついていなかった。
けれど、この三秒間で何度も何度も剣を叩き込み、少しずつ押し続けた中では、間違いなく一番大きな距離を作ることができた。
そして、僕があの異常な速さを維持できたのも、そこまでだった。
「――っ」
三秒が終わった瞬間、ほとんど止まっているように見えていた世界が一気に元の速度を取り戻す。
空中を漂っていた土埃が動き始め、吹き飛ばされた一誠君の身体も本来の速さで地面を滑っていく。けれど、それを確認するより先に、腕から胸、腹、両脚へと広がっていた赤い光が、ついに全身を回り切った。
「が、ぁぁぁ……ッ!」
今まで別々の場所を焼いていた痛みが、一瞬で全身から襲いかかってきた。
身体の内側をまとめて焼かれたような激痛に呼吸さえ止まり、次の瞬間には両脚から完全に力が抜ける。握っていた聖魔剣も指で支えられなくなり、乾いた音を立てて地面へ落ちるのとほとんど同時に、僕自身も膝をついた。
「まだ……」
一誠君はまだ倒れていない。
あれだけ攻撃を重ねても鎧には傷一つなく、今作った距離だって、立ち上がればすぐに詰められてしまう。
だから、ここで止まるわけにはいかなかった。
震える両手を地面へつき、どうにか身体を持ち上げようとする。
「まだ……一誠君を……」
腕へ力を込めると、胸がほんの僅かに地面から離れた。
立たなければならない。
せめて、もう一度だけ一誠君の前へ立たなければならない。
そう思ってさらに力を入れたけれど、次の瞬間には両腕が支えを失ったように崩れ、そのまま身体ごと前へ倒れ込んだ。
「っ……」
もう一度動こうとしても、指先さえまともに言うことを聞かない。
一誠君の爪も、尾も、翼も、最後まで一度だってまともには受けなかった。頬を掠めた程度で、僕自身は一誠君の攻撃によって倒されたわけではない。
それなのに、たった三秒だけ無理やり引き出したあの速さによって、身体の方が完全に限界を迎えていた。
動けと命令しているのに、腕も脚も応えてくれない。
もう、指一本さえ思うようには動かせなかった。
この戦場を埋め尽くしていた聖魔剣の衝突音も、朱乃さんの雷も、部長の滅びの魔力が弾ける音も、もうどこからも聞こえてこない。耳に届くのは、自分自身の荒い呼吸と、ときおり離れた場所で瓦礫が崩れる乾いた音くらいだった。
僕は地面へ倒れたまま、どうにか視線だけを前へ向ける。
少し離れた場所で、最後の一撃によって吹き飛ばした一誠君の身体が動いた。
「……やっぱり……」
ゆっくりと身体を起こし、そのまま立ち上がる。
鎧には、傷らしい傷が見当たらない。
あれだけ斬った。
数えることさえ途中でやめるほど聖魔剣を作り、今の自分にできることを本当に全部ぶつけた。最後には身体が動かなくなるところまであの速さを使って、それでも一誠君を少しでも遠ざけようと攻撃し続けた。
それなのに、赤い鎧には何も残っていなかった。
一誠君がこちらへ歩き始める。
一歩、また一歩と距離が縮まっていくのに、僕の身体はまるで動かなかった。逃げることはもちろん、せめてもう一本だけ剣を作れないかと指先へ力を込めてみても、何も起こらない。
「……動いてよ……」
自分の身体へ向けて絞り出した声にも、返ってくるものはなかった。
一誠君はさらに近づき、やがて巨大な赤い身体が僕のすぐ傍で止まる。
兜の奥にある赤い眼が僕を見下ろし、ゆっくりと右腕が持ち上がった。
避けられない。
そう理解した、その時だった。
「一誠ッ!!」
戦場全体へ響くほどの大声が飛んだ。
一誠君の頭が、その声へ弾かれたように横を向く。
持ち上げられていた腕が止まり、僕へ向けられていた兜の眼が離れていく。
ゆっくりと相手を確認したわけではなかった。新しい獲物の気配を察知した獣が反射的に振り向いたような、あまりにも鋭い動きだった。
一誠君の注意が、僕から完全に外れた。
「……ミライさん……?」
身体は動かない。それでも、どうにか視線だけを声のした方へ向ける。
そこには、さっき一誠君の突進を真正面から受け止めて粉々に砕けた携帯砲の残骸が散らばっていた。そして、その少し先で、一度は確かに動かなくなったはずのミライさんが地面へ手をついている。
何より目を引いたのは、頭の上だった。
完全に消えたはずの青紫色の輪が、今は消え入りそうな光を繰り返しながら、弱々しく明滅している。
一度だけ光る。
けれど見えているのは、輪郭の半分ほどしかない。
もう一度光った時には、途切れていた部分にも僅かな光が生まれていた。それでもすぐには繋がらず、消えかけては戻り、また途切れる。それを何度か繰り返しながら、少しずつ輪の形を取り戻していく。
その下で、ミライさんが地面を押した。
「っ……」
腕はひどく震えていた。
一度は自分の身体を支え切れず、そのまま地面へ落ちかける。それでも倒れ切る前にもう一度手をつき、今度は片膝を立てた。
一誠君も、完全にミライさんへ身体を向けていた。
そして、止まってはいなかった。
地面へ爪を食い込ませるように一歩を踏み出し、そのままミライさんへ向かって歩き始める。
ミライさんも、それを見ながらさらに地面を押した。
急ぐような動きではない。それでも、迫ってくる一誠君に間に合わせるように、まず片足を前へ出し、そこへ体重を預ける。続いてもう片方の脚にも力を入れ、何度もふらつきながら、それでも少しずつ身体を持ち上げていく。
ついさっきまで僕のすぐ傍に立ち、こちらを見下ろしていた赤い巨体が、今はもう僕のことなど見ていない。視線の先にいるのは、ミライさんだけだった。
それを確認したミライさんも、一誠君から目を逸らさない。
苦しそうに息をしながら、それでも最後まで身体を起こし切る。
そして、何も持っていなかった手元へ光が集まり始めた。
「……あれは……」
光が輪郭を作る。
最初に現れたのは大きな箱型の外形で、そこへ細かな部分が次々と組み上がっていく。
さっき確かに粉々へ砕け散ったはずの、あの巨大な携帯砲。
一誠君との距離は、もうほとんど残っていない。
それでも携帯砲は、もう一度ミライさんの手の中で形を取り戻していた。
僕にはもう何もできない。
部長も立てない。
朱乃さんも、小猫ちゃんも、ギャスパー君も、ゼノヴィアも同じだ。
ここまで一誠君を止めるために戦った全員が一度は地面へ倒れ、僕自身も指一本まともに動かすことができない。
もう誰も、一誠君の前へ出られないはずだった。
それなのに。
一度は頭上の輪さえ完全に消え、確かに倒れたはずのミライさんだけが、再び携帯砲を握り締める。
そしてもう一度、一誠君の前に立った。
ブルアカで一番好きなメインストーリーは? 2026/9/4現在、公開されている範囲でお答えください。
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Vol.1 対策委員会編 1&2章
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Vol.1 対策委員会編 3章
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Vol.2 時計じかけの花のパヴァーヌ編
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Vol.3 エデン条約編 1&2章
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Vol.3 エデン条約編 3&4章
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Vol.4 カルバノグの兎編
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Final. あまねく奇跡の始発点 1&2章
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Final. あまねく奇跡の始発点 3&4章
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Vol.5 百花繚乱編
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Vol.6 過ぎ去りし刻のオラトリオ編
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Vol.EX デカグラマトン編
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第2部 Vol.EX ロア追跡編
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第2部 Vol.1 炎と影編
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第2部 Vol.2 オデュッセイア編
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メインストーリーをほとんど知らない
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ブルアカ未プレイ