止まった針は時の終わりに未来を見る   作:ドレットノータス

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第6刻 祈り方も知らない

光が消えた後、部室には時計の音がなかった。

 

 一誠、木場くん、小猫さん。三人の姿が魔法陣の中へ消えてから、私はしばらくその場に立ち尽くしていた。

 

 待っていろ。そう言われたわけではない。けれど、言われなくても分かる。私は行くべきではない。悪魔でもない。教会についての知識もない。さっき出したスーパーノヴァも、まともに撃てないハリボテだった。

 

 戦力として数えるには不確定。足手まといになる可能性が高い。合理的に考えれば、待機が最適解。

 

「……最適解」

 

 口に出した瞬間、腹が立った。

 

 アーシアさんが連れていかれた。一誠は血を流しながら、それでも助けに行った。その状況で、私はここに立って「最適解」などと呟いている。

 

 何が勇者の剣ですか。何が仲間を救う武器ですか。

 

 私は右手を握った。

 

 出ろ。

 

 光が指先に集まる。砂粒にも満たない粒子がほどけ、組み上がり、白い砲身の輪郭を作りかける。だが、それは一瞬で崩れた。黄色いシリンダーも、黒い基部も、形にならない。スーパーノヴァは生まれなかった。

 

「……必要な時に出ない武器など、飾り以下です」

 

 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。

 

 私は部室を出た。

 

 

 廊下を走り、旧校舎を抜ける。外の空気は冷えていた。夜の町に出た瞬間、どこか遠くで光が爆ぜるような気配がした。

 

 レイナーレの光。アーシアさんの癒やしの力。一誠の血に残っていた、堕天使の槍の焼け跡。

 

 私はそれを、匂いではなく、音でもなく、構造として感じていた。分解と構築の感覚が、世界の表面に残った傷を拾い上げる。

 

 辿れる。なら、行く。

 

 正門近くの駐輪場に置いていた、店の配達用自転車に飛び乗った。籠には工具袋が入っている。ドライバー、細いペンチ、替えのネジ、包帯代わりになりそうな布。

 

 戦場に持ち込むには、あまりにも時計屋の荷物だった。それでも、手ぶらよりはましだった。

 

 夜の道を走る。ペダルを踏む足が痛い。息が乱れる。制服の裾が風に煽られる。

 

 考えるな。今は考える時間ではない。考えるのは後でいい。怒るのも後でいい。震えるのも後でいい。

 

 今は、届くことだけを考えろ。

 

 

 廃教会に着いた時、そこはすでに静かな建物ではなかった。

 

 白い光が割れた窓から漏れ、怒号が響いている。中に入ると、壊れた礼拝堂の床に白い法衣の男たちが倒れていた。立っている者もいる。笑っている者もいる。聖職者と呼ぶには、あまりにも目が濁っていた。

 

 その中で、木場くんの剣が光を引いた。

 

「天童さん!?」

 

 彼が私に気づき、驚いた顔をする。

 

「説明は後です。アーシアさんは」

 

「奥だ。だけど――」

 

「奥ですね」

 

 私は走り出そうとした。その前に、小猫さんが別の神父を床へ叩きつける。

 

「行かせた方が早いです」

 

「小猫ちゃん」

 

「止まりません、この人」

 

「正解です」

 

 私は二人の横を抜けた。

 

 奥へ。地下へ続く階段の空気は、ひどく冷たかった。だが、その奥から聞こえてきた声は、熱を持っていた。

 

 一誠の声だった。怒鳴っている。泣いている。誰かの名前を呼んでいる。

 

 間に合え。そう願いながら、私は階段を駆け下りた。

 

 

 だが、願いは届かなかった。

 

 祭壇の奥。一誠がアーシアさんを抱えていた。

 

 白い修道服が、力なく垂れている。彼女の胸元から、あの優しい光はもうほとんど感じられなかった。

 

「アーシア……おい、起きろよ……なあ、アーシア!」

 

 一誠は必死に呼びかけていた。

 

 アーシアさんは、ほんの少しだけ目を開けていた。彼女は一誠を見て、そして私の方にも気づいたように、かすかに微笑んだ。

 

 四刻の公園で見た笑顔。私はそれを、聖母の微笑だと思った。けれど今は違った。

 

 ただの、友達の笑顔だった。

 

「ミライ、さん……」

 

「喋らないでください」

 

 私は膝をついた。

 

「今は、喋らなくていいです。呼吸を――」

 

 言いながら、分かっていた。間に合わない。普通の治療では無理だ。悪魔の治療でも、たぶん届かない。神聖な力はすでに抜き取られている。

 

 それでも、方法はあった。あるはずだった。私の中には、それがある。

 

 オーマジオウ。時を司る魔王。歴史を束ね、時間を支配する王の力。個人の時間を巻き戻す。アーシアさんの時間だけを、死ぬ前まで戻す。

 

 理屈では、できる。できてしまうかもしれない。だから、私は覚悟していた。最悪の場合は使うと。友達が死ぬくらいなら、魔王の力でも何でも使うと。

 

 指先に、黒と金の光が滲んだ。時計盤のような輪が、私の視界の端に浮かぶ。秒針が逆に動く感覚が、胸の奥で開きかける。

 

 今なら、まだ。今なら、もしかしたら。

 

「頼む……」

 

 一誠の声がした。彼はアーシアさんを抱いたまま、震えていた。

 

「神様でも何でもいい……こいつを連れていかないでくれ……こいつ、何も悪いことしてねえんだよ……ただ、友達が欲しかっただけなんだよ……」

 

 その声を聞いた瞬間、私の指が止まった。

 

 使え。使えます。今使わずに、いつ使うのですか。目の前で友達が死んでいる。友達が泣いている。これ以上の最悪がどこにあるというのですか。

 

 そう思うのに、動けなかった。

 

 これは、戻していい時間なのか。

 

 アーシアさんが最後に笑ったことも。一誠が彼女のために泣いていることも。彼女が確かに誰かの友達になったことも。私が針を戻せば、全部、私の判断で上書きされるのではないか。

 

 違う。そんなことを考えている場合ではない。

 

 でも、考えてしまった。

 

 私は、時を戻す魔王になるのが怖かった。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 アーシアさんの声は、ほとんど息だった。

 

「友達に……なってくれて……」

 

 一誠が泣きながら名前を呼ぶ。私は手を伸ばしたまま、何もできなかった。

 

 そして、アーシアさんの微笑みが消えた。

 

 

 時間が止まったように感じた。

 

 けれど、本当に止まったのは私だけだった。世界は進んでいた。一誠は泣いていた。木場くんと小猫さんは奥から戻ってきて、言葉を失っていた。

 

 私は、使えなかった。

 

 使わなかった、ではない。使えなかった。

 

 何が覚悟ですか。何が最悪の場合ですか。

 

 私は、自分が思っていたよりずっと臆病だった。

 

 

 その時、拍手の音がした。

 

 乾いた、場違いな音。

 

「感動的ね」

 

 レイナーレが現れた。その手には、淡い緑の光が宿っている。アーシアさんの力。人を、悪魔でさえ癒やした、あの優しい力。

 

 レイナーレはそれを見せつけるように、自分の指先の小さな傷を癒やしてみせた。

 

「素晴らしい力でしょう? あの子が持っていた時より、ずっと有効に使えるわ」

 

 一誠の肩が震えた。

 

 私は立ち上がった。

 

「その力は」

 

 声が震えた。怒りで。

 

「あなたが笑いながら使っていいものではありません」

 

「あら、まだいたの。撃てないおもちゃのお嬢さん」

 

「その子が、誰かを助けたいと願った手です。あなたが見せびらかす飾りではない!」

 

「綺麗事ね。力は力よ。誰が使おうと、使える者のものになる」

 

 レイナーレはアーシアさんを見下ろすように笑った。

 

「結局、あの子は最後まで役立たずだったわ。友達ごっこに満足して死ぬなんて、本当に――」

 

「黙れ」

 

 一誠の声が、低く落ちた。

 

 私は振り返った。

 

 一誠が、アーシアさんをそっと床へ横たえていた。泣いている。怒っている。それでも、立ち上がろうとしている。

 

「てめえだけは……絶対に許さねえ」

 

 レイナーレの光槍が飛んだ。一誠の両足を貫く。

 

「一誠!」

 

 一誠は倒れた。普通なら、それで終わりだった。

 

 だが、彼は床に手をつき、歯を食いしばり、血を流しながら立ち上がった。

 

 止めるべきだ。足が壊れる。傷が開く。勝てる保証などない。

 

 けれど、私は止められなかった。ここで止めれば、私はこの男が立ち上がる理由まで否定することになる。

 

 一誠の左手が赤く光った。禍々しく、けれど力強い籠手。龍の気配が、狭い祭壇の空気を震わせる。

 

「いい加減に……しろおおおおおっ!」

 

 一誠は踏み込んだ。足は動くはずがない。だが、動いた。

 

 レイナーレが一瞬、驚いたように目を開く。その隙を、一誠は逃さなかった。

 

 拳が、レイナーレの頬を捉えた。黒い翼の女が、教会の床を転がる。

 

 

 その瞬間、奥の空気が揺れた。

 

 赤い髪が、闇の中で燃えるように揺れる。リアス・グレモリー。その後ろに、姫島朱乃さん。木場くんと小猫さんも、こちらへ駆け戻ってきた。

 

「よくやったわ、一誠」

 

 リアス先輩は一誠を見て、それから彼の左手に視線を落とした。

 

「それはただの龍の手じゃない。赤龍帝の籠手。神器の中でも特別な、神滅具の一つよ」

 

 赤龍帝。

 

 その名を聞いた時、私は一誠を見た。この人もまた、自分で選んだわけではない大きな力を抱えている。けれど彼は、それを理由に止まらない。怖くても、痛くても、立ち上がる。

 

 レイナーレは起き上がった。余裕は、もう消えていた。彼女は周囲を見回し、勝てないと判断したのだろう。その姿が揺らいだ。

 

 黒い翼が消える。夜のような衣が、制服に変わる。

 

 天野夕麻。一誠が初めて恋をした少女の姿。

 

「一誠くん……助けて」

 

 甘く、弱々しい声。

 

「私、怖かっただけなの。お願い、信じて……」

 

 一誠の顔が歪んだ。

 

 私は何も言わなかった。彼の初めての思い出を、私が裁く権利はない。それがもう一度彼を殺すための仮面だと分かっていても、決別するのは彼自身でなければならない。

 

 一誠は、長い沈黙の後に言った。

 

「夕麻ちゃんは……俺の中にいたんだと思う」

 

 レイナーレの瞳が揺れた。

 

「でも、お前じゃない。俺を殺して、アーシアを笑ったお前を、俺は許さない」

 

 リアス先輩が一歩前に出る。赤い魔力が、彼女の手に集まった。レイナーレが叫ぶ。

 

 次の瞬間、その声は消えた。

 

 

 静寂が戻る。だが、アーシアさんはまだ動かない。

 

 一誠が、血だらけの足で彼女の方へ這うように近づいた。

 

「アーシア……」

 

 リアス先輩が膝をついた。レイナーレから取り戻した神器の光が、アーシアさんへ戻される。けれど、それだけでは足りない。

 

 リアス先輩は、赤い駒を取り出した。悪魔の駒。

 

「本人の同意は」

 

 そう言いかけて、私は口を閉じた。

 

 問う時間がなかった。選ぶ時間もなかった。死者から同意を取る方法などない。そして何より、私は同意を問う以前に、手を伸ばすことすらできなかった。その私が、彼女の選択を裁けるはずがない。

 

「貴重な治癒能力を持つ子を、このまま失うわけにはいかないもの」

 

 リアス先輩はそう言った。

 

 建前だ、と思った。本当にそれだけが目的なら、もっと早く動けた。一誠がアーシアさんと出会った時点で、手を打つこともできたはずだ。

 

 でも彼女は待った。一誠がどうしたいのかを。アーシアさんが、誰と一緒にいたいのかを。

 

 だから今、これは支配ではない。少なくとも、私にはそう見えた。死なせたくないという、一誠の願いに応えた処置だった。

 

 駒が、アーシアさんの胸に沈んでいく。赤い光が彼女を包む。

 

 私は息を止めて見ていた。

 

 私は、元に戻すことを恐れて動けなかった。リアス・グレモリーは、元には戻らない方法で、それでも彼女を生かそうとした。

 

 過去を巻き戻す救いではない。死の先へ未来を繋ぐ救い。

 

 その違いを、私は忘れてはいけないと思った。

 

 

 翌朝。

 

 部室の扉を開けると、一誠はすでにソファに座っていた。足には包帯。顔色も悪い。けれど、生きている。

 

 リアス先輩と二人で何か話していたらしく、私が入ると一誠は気まずそうに頭をかいた。

 

「おう、ミライ」

 

「おはようございます。説教を開始しても?」

 

「朝一番で!?」

 

「当然です。昨日のあなたは、負傷状態で突撃し、両足を貫かれ、それでも立ち上がりました。評価すべき点と説教すべき点が多すぎます」

 

「褒める気ある?」

 

「あります。二割ほど」

 

「少なっ」

 

 リアス先輩が小さく笑った。

 

「一誠には、兵士の駒を八つ使ったのよ」

 

「八つ?」

 

「普通の兵士一つでは足りなかった。それだけ、彼の中にある力が大きかったということ」

 

 私は一誠を見た。

 

「高コスト物件ですね」

 

「言い方!」

 

「維持管理が大変そうです」

 

「俺、物件扱い!?」

 

 

 その時、奥の扉が開いた。

 

 アーシアさんが、おずおずと姿を見せた。白い修道服ではなく、用意された服を着ている。顔色はまだ弱々しい。けれど、確かにそこに立っていた。

 

「皆さん……おはようございます」

 

 その声を聞いた瞬間、私はようやく息を吐いた。

 

「……おはようございます、アーシアさん」

 

「ミライさん」

 

 アーシアさんは私を見て、柔らかく笑った。昨日消えたと思った笑顔が、そこにあった。

 

「ご心配をおかけしました」

 

「本当にです」

 

「す、すみません」

 

「謝罪は受け取ります。ですが次からは、自分を差し出して解決しようとする前に相談してください」

 

「はい……」

 

「それ俺にも刺さってる?」

 

 一誠が横から言う。

 

「当然です」

 

「やっぱり!?」

 

 小猫さんはいつの間にか菓子を食べていた。木場くんは穏やかに笑っている。朱乃さんはお茶を用意しながら、楽しそうにこちらを見ている。リアス先輩は、アーシアさんを見守るように微笑んでいた。

 

「今日は歓迎会よ。アーシアの、ね」

 

 一誠がぱっと顔を明るくする。

 

「よっしゃ! アーシア歓迎会だ!」

 

「一誠も怪我人なんだから、騒ぎすぎないように」

 

「はい、部長!」

 

 アーシアさんが私を見た。

 

「ミライさんも、こちらへ」

 

 私は一歩、足を止めた。

 

 この輪に入る理由はいくつも考えられなかった。むしろ、距離を置く理由ならいくつもある。私は悪魔ではない。眷属でもない。スーパーノヴァもまともに扱えない。オーマの力を使うこともできなかった。

 

 けれど、入る理由は一つだけあった。

 

 友達に呼ばれた。

 

 だから私は、一歩だけ、その輪の中へ入った。

 

 部室には、やはり時計の音がなかった。

 

 けれど昨日ほど、不安ではなかった。

 

 時間は、止まっていない。

 

 少なくとも今は、進んでいる。

 




ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
これで原作一巻分、アーシア編までの投稿になります。

この作品は、オーマジオウの力を持つオリ主を入れたD×D二次ですが、無双よりも「強すぎる力をどう扱うか」を重視する方向で書いています。

今後もこの方向性で続けるか迷っているので、よければアンケートにご協力ください。

この作品の続きを読みたいですか?

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