朱乃先輩とのデート当日、待ち合わせ場所へ着いた俺は、そこに立っている女性が本当にいつもの朱乃先輩なのか、思わず少しの間見つめてしまった。
普段はまとめている長い黒髪を今日はそのまま下ろしていて、服装も当然ながら制服ではない。
いつも以上に大人っぽく見える一方で、学校で《お姉さま》と呼ばれている時の近寄りがたさは薄れていて、むしろ同じ高校生なのだと改めて思えるくらい年相応にも見えた。
「あまり見つめられると、さすがの私でも恥ずかしいですわ」
「あっ、す、すみません! その、いつもと雰囲気が違ったから……」
「ふふっ、冗談です。でも、そうやって素直に見てくださるのは嬉しいですわ。それと、今日は一誠と呼んでもいい?」
「もちろんです!」
「では、一誠」
「はい!」
名前を呼ばれただけなのに心臓が跳ね上がり、今日一日この調子で本当に最後まで保つのだろうかと早くも不安になってきた。
ただ、実際にデートが始まってみると、最初から最後までからかわれ続けたわけではなかった。
水族館を見て回り、いくつか店を覗き、途中で食事をする。俺が何気なく服装を褒めれば、朱乃先輩は普段より少しだけ照れたように目を細めてくれるし、展示を見ながら普通に笑ったりもする。
だからこそ油断してしまうのだが、こちらが気を抜いた頃になると突然耳元で際どいことを囁いてきて、俺が慌てれば満足そうに笑う。
やっぱり朱乃先輩は朱乃先輩だった。
そんな時間を過ごしているうちに、俺たちの後ろから妙な気配がついてきていることにも気づいた。
店先のガラスへさりげなく視線を向けると、どう見ても周囲から浮いている格好をしたリアス部長たちの姿が映っている。
「部長たち、あれで隠れてるつもりなんでしょうか」
「本人たちはかなり真剣ですわよ。特にリアスは、こちらを見失わないよう随分頑張っていますもの。リアスらしくて可愛いでしょう?」
「それ本人には言わない方がいいですよ。俺まで巻き込まれますから」
何度か店を移動してどうにか尾行組を撒くことには成功したのだが、安心した直後に少し道を間違えてしまい、気づいた時には周囲へ並んでいる建物がどう見ても普通の宿泊施設ではない場所へ入り込んでいた。
「あら、一誠。せっかく二人きりになれたことですし、このままどこかへ入ってみます?」
「朱乃先輩!? ここがどういう場所か分かって言ってますよね!?」
「もちろんですわ。私は本気かもしれませんのに」
「余計に困ります!」
俺の反応を見て朱乃先輩が楽しそうに笑った、その時だった。
「ほっほっほ。若いのう」
突然横から聞こえた老人の声に振り向くと、そこには片目を閉じた老人と銀髪の女性、そして長身で体格のいい男が立っていた。
俺にとっては全員初対面だった。
けれど、その男の姿を目にした瞬間、それまで笑っていた朱乃先輩の表情が綺麗に消えた。
「……父様」
呼ばれた男も、朱乃先輩の姿を認めた途端に足を止めた。
「朱乃」
低く生真面目なその声を聞いたのが、俺とバラキエルさんとの最初のまともな対面だった。
◇
それから数時間後、俺たちは兵藤家最上階のVIP区画へ集められていた。
ホテル街で出会った老人の正体は、アースガルズの前主神オーディン。銀髪の女性はその付き人兼護衛のロスヴァイセさん。そして、もう一人が朱乃先輩の実父であり、グリゴリの副総督を務めるバラキエルさんだった。
「今回、オーディン様は日本神話側との会談を行うため来日されています。ミカエル様とサーゼクス様が仲介を担当され、アザゼル――現在は特別顧問でしたね。失礼しました」
「癖だろ。気にすんな」
会談の日程から警護体制、三大勢力との連絡まで淀みなく説明するロスヴァイセさんを見ていると、オーディン本人よりこの人の方が今回の予定を把握しているのではないかという気さえしてくる。
「ただし、アースガルズ内部には他神話との積極的な交流を快く思わない者も存在します。そのため一部予定を変更し、オーディン様には当初より早く日本へ入っていただきました」
「古い連中は頭が固くていかん。少し外へ目を向けただけで、すぐに北欧の伝統がどうこうと言い出しおる」
「お爺さんも十分古いんじゃ……」
思わず漏れた声へ、ロスヴァイセさんの視線が即座に飛んでくる。
「ほっほっほ、構わん構わん。事実、わしは古い神じゃからな。だが、長く生きたからといって昔と同じ場所へ立ち続けねばならん理由もあるまい。時代が動けば人も他の神々も変わる。ならば神とて多少は歩かねば、いずれ時代そのものに置いていかれるというものよ」
その一瞬だけは、ホテル街で女性を眺めていた老人とはまるで別人に見えた。
やっぱり、ただの好色爺さんではないらしい。
「それに、日本には美しい娘も多いからのう。長旅をした甲斐も――」
「オーディン様。せめて公式の用事で来日している間くらいは自重してください」
「まだ最後まで言っておらんぞ」
「これまで何度同じ流れを経験したと思っているのですか。続きまで予想できます」
一段低くなったロスヴァイセさんの声で、さっき感じた威厳は綺麗に吹き飛んだ。
「それと、今回の警護についてもう一点説明しておきます」
ロスヴァイセさんが視線を向けた部屋の一角には、四人の女性が並んでいた。
最初に目についたのは全員の頭にある狐の耳だったが、その次には自然と装備へ視線が吸い寄せられた。
服装にはどこか制服めいた雰囲気が残っているものの、その上へ装着している装具や携行している武器はどう見ても本物で、普通の護衛ではないことだけは一目で分かる。
「北欧側の超常事案即応部隊――SRT《Supernatural Response Taskforce》から派遣されたFOX小隊です。今回、オーディン様の特殊警護を担当しています」
ロスヴァイセさんの説明を受け、まず黒髪の女性が一歩前へ出た。
「小隊長の七度ユキノです。警備上、皆さんへお願いすることもあると思いますが、その際はご協力をお願いします」
その隣では、桃色の髪をした女性がユキノさんより柔らかな笑みを浮かべている。
「副隊長の吉野ニコです。しばらくご一緒することになると思いますので、どうぞよろしくお願いしますね」
三人目の女性は、傍らに置かれた大きな盾のせいもあって、短く会釈しただけでも妙な迫力があった。
「高倉クルミ。何かあった時は私が前に出るから、避難する時は勝手に飛び出さないで」
そして最後の一人は、本人より先に、携えている巨大な銃の方が目へ入ってくる。
「天神山オトギ。狙撃担当でーす。堅苦しいの苦手なんで、普通によろしくね」
「SRT……」
それまで黙っていたアザゼル先生が、その名前だけを小さく呟いた。
「知ってるんですか?」
「名前だけだな。北欧に、表へほとんど情報を出さない特殊部隊があるって噂は聞いたことがある。実在するのか偽情報なのか、半信半疑だったくらいだ」
そう答えながらも、先生の目は四人の装備や立ち位置まで一通り観察していた。
「……ただまあ、見れば分かる。噂以上にガチだな。少なくとも、肩書きだけ立派な見せ物用の部隊じゃねえ」
「詳細については私からもお話しできませんが、任務を遂行する能力については私が保証します」
「なら十分だ。必要になった時、必要な分だけ教えてくれればいい」
◇
オーディンたちが滞在するようになってからは、客室の準備や食事、警備、会談関係の連絡まで仕事が一気に増え、家の中にもそれまでとはまるで違う慌ただしさが生まれていた。
そんな状況へ、誰よりも自然に入り込んだのがミライだった。
「オーディン様、お茶をお持ちしました」
「おお、すまんのう。よく気のつく娘じゃ。もしもう少しわしが若ければ――」
「オーディン様」
「今回は半分も言っておらんぞ」
「十分です」
二人のやり取りへ特に反応することもなく、ミライはそのまま次のカップをロスヴァイセさんの前へ置く。
「ありがとうございます。ただ、ミライさん。先ほどからほとんど休まず動いていませんか? 休息も仕事のうちですよ」
「……はい。気をつけます」
「身体が動くから問題ない、という判断だけはしない方がいい」
短く言い添えたバラキエルさんの言葉には、どこか訓練教官から注意されているような重みがあった。
それでもミライは仕事をやめるわけではなく、次にFOX小隊の方へ回っていく。
「クルミさんのお飲み物はこちらです」
「ありがと。……ほんとに慣れてるね。家事を手伝ってるっていうより、本職みたい」
「以前、メイドの仕事をかなり細かく教えていただきましたので」
「オトギさん、そのケースはこのままでよろしいですか?」
「それは絶対そのままでお願いしまーす。動かすと私も困るし、たぶん床も困るから」
「床もですか?」
「重いんだよ、この子」
「でしたら触らないようにします」
狐耳の特殊部隊が完全武装で座っている横を、ミライが何の違和感もなくメイドとして歩き回っている。改めて眺めてみると、相当変な光景だった。
「ミライ。なんかもう、本当にメイドになったな」
「グレイフィアさんからかなり教えていただきましたので。それと、一誠さん。使い終わったカップをお願いします」
「はい」
反射的に差し出した後、自分でも少しおかしくなってしまった。
「……俺、完全に言うこと聞いてるな」
「ご協力ありがとうございます」
ミライの口元がほんの少しだけ緩み、たったそれだけの変化でも、今の俺には少し安心できた。
◇
少し後、廊下へ出た俺は、角の向こうから聞こえてきた小さな声に足を止めた。
「……まだです。もう少しだけ……」
聞こえてきたのは間違いなくギャスパーの声で、足を進めると床板が僅かに鳴った瞬間に、向こうの声がぴたりと止まった。角を曲がった先には、案の定ギャスパーが壁際に立っている。
「ギャスパー?」
「ひゃあっ!?」
「何してたんだ?」
「ひ、独り言です!」
「そうか?」
「はい!」
妙に勢いのいい返事だったが、本人はこれ以上聞かれたくなさそうだった。
「まあいいけど、困ってることがあるなら誰かに相談しろよ?」
「だ、大丈夫です!」
ギャスパーは俺の横をすり抜け、少し早足で部屋へ戻っていった。
最近、妙に挙動不審なことが増えた気はする。
ただ、元々そういうところがある奴でもあるし、本人が大丈夫だと言っているなら、今は無理に聞かなくてもいいだろう。
◇
朱乃先輩とバラキエルさんの関係は、オーディンが滞在するようになったからといって、簡単に元へ戻るようなものではなかった。
ある時、廊下を歩いていた俺は、偶然二人が話している場面へ居合わせてしまった。
「朱乃。少しだけ、話をさせてくれないか」
「申し訳ありませんが、私にはお話しすることはありません。今さら、何をお話しになるのですか。あの日の事情を説明して、仕方がなかったと仰るのでしょうか」
「そういうつもりではない」
朱乃先輩は怒鳴っているわけでも、感情的に責め立てているわけでもなかった。ただ、普段なら絶やすことのない柔らかな笑みはどこにもなく、その静かな声の方がむしろ強い拒絶を感じさせる。
「私は、あの日のことを――」
「……どうして、あの時いらっしゃらなかったのですか」
バラキエルさんの言葉を遮るように、朱乃先輩が問いかけた。
「母が死んだ時、私はずっと待っていました。怖くて、何が起きているのかも分からなくて、それでも父様が来てくださると信じていたんです。きっと助けに来てくださると、子供だった私は最後までそう思っていました」
バラキエルさんは何も返さなかった。
「でも、来てくださらなかった」
「朱乃……」
「父様が母を殺したわけではないことくらい、知っています。それが父様の望んだ結果ではなかったことも、母を失ったのが私だけではなかったことも、本当は分かっているんです」
そこで朱乃先輩の声が一度途切れ、長く堪えていたものが少しだけ表情へ現れた。
「それでも私は、あの時来てくださらなかった父様を、どうしても許せなかったんです。誰かを恨んでいなければ、母を失ったことをどう受け止めればいいのか分からなかったから」
バラキエルさんは、自分がその場にいなかった理由を説明しようとはしなかった。
事情を話すことも、自分も妻を失ったのだと言うこともできたはずだ。それでも、それが朱乃先輩の本当に求めているものにはならないと分かっているのだろう。
「……すまない。何を言っても、あの日の私がそこにいなかった事実は変わらないし、お前と朱璃を守れなかったことも変わらない。それでも、いつかお前が私と話してもいいと思える日が来るなら、その時は聞かせてほしい。今すぐ許してほしいとは言わない」
その時、朱乃先輩が俺の存在に気づいた。
「一誠君」
「す、すみません。盗み聞きするつもりじゃなかったんですけど……入るに入れなくなって」
朱乃先輩は少しだけ目を伏せてから俺の方へ歩いてくると、そのまま腕へ身体を寄せた。
「今の私には、一誠君がいますから」
真正面から見るバラキエルさんは体格もよく正直かなり怖かったが、少なくともその視線に俺への敵意はなかった。
「……君が兵藤一誠か。朱乃が君を頼るのなら……頼む。少なくとも今の私より、君の方がこの子の近くにいられるようだからな」
「……分かりました」
バラキエルさんは僅かに頷き、それ以上何も言わずに背を向けた。
《神の雷》と呼ばれる堕天使の幹部であり、正面から俺と殴り合えるほど強いとも聞いている。それでも、その時の背中だけは、そんな肩書きとは関係のない一人の父親に見えた。
◇
それから数日は、大きな事件もなく過ぎた。
冥界では『乳龍帝おっぱいドラゴン』のイベントまで開かれ、俺自身が子供たちと握手することになった。
最初は何の罰ゲームなのかと思っていたものの、目を輝かせながら「乳龍帝だ!」「本物だ!」と喜ばれると、さすがに悪い気はしない。
「人気者じゃねえか」
「誰のせいでこうなったと思ってるんですか!」
「でも子供は喜んでただろ? なら結果オーライじゃねえか」
「先生、その言葉で全部済ませようとしてません?」
そんな調子で笑っていた先生も、英雄派の話になるとすぐに顔つきを変えた。
「お前らが立てた仮説、多分かなり当たってるぞ」
「やっぱり、あいつらは神器を成長させるために戦わせてるんですか?」
「ああ。ただし正確には、『成長するかどうか試している』に近いだろうな。神器ってのは固定された機械じゃない。持ち主の精神状態や経験によって性質そのものが変化することがあるし、《禁手》なんかはその代表例だ」
先生はそこで一度言葉を切り、先日の戦闘記録を表示した端末へ視線を落とした。
「だったら死線を意図的に作って持ち主を追い込み、強い相手へぶつける。限界を越えたところで変化が起きた奴だけ回収する。お前らが見た転移も、その確認が取れたからだと考えれば筋は通る。趣味は最悪だがな」
「でも、それって……」
アーシアが嫌そうに眉を寄せる。
「人を使ってやることじゃないでしょう」
「ああ。研究方法として筋が通ることと、やっていいことかどうかは別だ。研究ってのは、何を知るかだけじゃなくて、それを何のために使うかまで含めて考えなきゃならん」
「先生が言うと、ちょっとだけ説得力が……」
「欠けるだろ? 思いついたら試したくなる性格なのは、自分が一番よく分かってる」
「だったら直してくださいよ!」
「自覚してるから直るとは限らん」
結局そういうところはいつもの先生だったが、少しすると再び教師らしい顔へ戻った。
「まあ、お前らが自分たちで相手の狙いまで推測できるようになったのは悪くない。戦える奴が頭まで使えるようになれば、それだけ選べる手段も増える」
こういう時だけは、本当にちゃんとした教師に見える。
◇
地下訓練場では、俺と木場が向かい合っていた。
「行くぞ、木場!」
「いつでも!」
『Boost!』
禁手へ入った俺が真正面から一気に加速すると、木場はまともに受け止めようとはせず、まず足元へ氷を走らせて踏み込みを崩し、その瞬間を狙って雷を纏った聖魔剣を振り抜いてきた。
「うおっ!?」
翼を動かして身体を横へずらし、どうにか刃を避ける。
速度そのものなら木場の方が上だが、だったら逃げる場所を減らせばいい。
再び距離を詰めた俺は翼を腕のように展開し、木場の両腕を左右から押さえ込んだ。
「取った!」
「どうかな!」
木場が笑った直後、足元から一本の刃が伸びる。俺の攻撃も届くが、木場の刃も同時にこちらへ届く位置だった。
「そこまでです!」
ギャスパーの声が飛び、俺たちはほとんど同時に動きを止めた。
「悪くない。ただ兵藤、お前の加速は入る前の動きが分かりやすい。進む方向を身体で教えてるようなもんだから、動きを読むのが上手い相手には直線的な突進は狙われるぞ。木場は自分が相手より速いことを前提に動きすぎだ。逃げ切れなかった瞬間に終わる戦い方は、格上相手じゃ危ない」
見ていたアザゼル先生が、二人分の駄目出しをまとめて口にする。
「それから兵藤、《覇龍》は禁止だ。あれ以外の方法で、お前の赤龍帝がどこまで伸びるかを考えろ」
「分かってます。小猫ちゃんにも同じこと言われましたし、もう使わないって約束しました」
「お前の『分かってる』は信用ならねえんだよな」
「先生まで同じこと言わないでください!」
「私が正しいので」
少し離れた場所から、小猫ちゃんが淡々と口を挟む。
「味方がいねぇ!」
そんなやり取りを聞いていたニコさんが、少し笑いながら声を掛けてきた。
「近接戦だけで見るなら、かなり強いと思いますよ。ただ、私たちから見ると少し気になるところもありますね」
「相手を倒そうとしすぎ」
隣のクルミさんがあっさりと続ける。
「戦ってるんだから、倒すんじゃないのか?」
「倒す必要があるならね。でも、止めればいい時に倒そうとしたり、逃げればいい時に勝とうとしたりすると、それだけで本来の目的を失敗することもある」
「なるほどな。悪魔の模擬戦は勝敗を決めるために戦うことが多いが、お前らは任務を達成するために必要だから戦うわけか」
アザゼル先生が興味深そうに顎へ手を当てた。
「力が強い奴ほど、目の前の相手を倒せば問題が解決すると思いやすい。兵藤、木場、こういう考え方も覚えとけ」
そうして、せっかくだからニコさんとクルミさんに俺たちの近接戦も少し見てもらおうという話になった。ちょうどその時、訓練場の入口から聞き慣れた声がした。
「お疲れ様です」
タオルと飲み物を乗せたトレーを持って、ミライが入ってくる。
「あ、ミライさん。よかったら、少し参加してみませんか? 以前戦闘経験があると聞いていましたので、私たちも少し動きを見てみたいですし」
「私もですか?」
ミライはすぐには返事をせず、俺たちとクルミさんたちを一度見た。
「……分かりました。少しだけでしたら、お願いします」
◇
しばらくして戻ってきたミライが手にしていたものを見て、クルミさんが一瞬だけ首を傾げた。
「……モップ?」
「はい。これが一番慣れていますので。グレイフィアさんからいただいたもので、戦闘用としても扱えるよう作られています。以前、十日ほど戦闘の基礎も教えていただいて、受け身や足運び、徒手空拳と、このモップを使った戦い方を教わりました」
「グレイフィアって、ルシファーの《女王》の? それなら一から教える必要はなさそうだね」
「では、まず普段通りに動いてもらいましょうか。クルミちゃん、お願いできます?」
「分かった。最初は条件なし。私を相手に、普段やってる通りに動いてみて」
「お願いします」
二人が構えた直後、先に踏み込んだクルミさんは、俺なら反射的に一歩引きたくなるほど近い距離へ一気に身体を入れてきたが、ミライは下がらずに上半身を僅かにずらしながらモップの柄で腕の軌道を外へ流した。
その勢いを残したまま柄を返して足元を狙い、クルミさんが足を引いたところへさらに間合いを詰めて掌底を繰り出す。
クルミさんはそれを難なく受け止めて腕を取ったが、ミライも力任せに引き抜こうとはせず、身体の向きを変えながら脇へ潜り込んで拘束から抜けた。
「ちゃんと習ってるね。掴まれた時にも腕力で引っ張らないし、受け身もできてる。でも、最後はいらない」
「何がでしょう?」
「拘束を抜いた後に、そのまま私の体勢を崩し切ろうとしたでしょ? 倒すのが目的なら、それでいい。でも別の目的なら、その一手に使った時間が無駄になる」
そこでニコさんが訓練場の端にある扉を指差した。
「では、条件を変えてみましょう。ミライさん、今度の目的はあの扉まで行くことです。クルミちゃんはそれを邪魔します。クルミちゃんに勝っても、扉へ着けなければ失敗です」
「……分かりました」
二回目では、クルミさんの腕を流した後も掌底へは繋げず、そのまま横へ身体を動かして脇を抜けようとした。
「そこ」
肩を掴まれて引き戻され、ミライはすぐに拘束を外したものの、その間に扉との間へ入り直されてしまう。
「今の方がいい。ただ、まだ私を見すぎ。私の動きに全部付き合ってるから、私が一歩動くだけでミライさんの進路まで変わってる。自分がどこへ行きたいかも忘れないで」
「……つまり、クルミさんへ合わせすぎているんですね」
「そういうこと。相手を見るのは必要だけど、相手に自分の目的まで決めさせないで」
三回目になると、ミライの方からモップを低く走らせ、クルミさんが足を引いたところで、前へ踏み込むように見せながら途中で身体の向きを変えた。
そのまま横を抜け、扉まであと少しというところまで進んだ時だった。
「はい、そこまで」
別方向から聞こえたニコさんの声にミライが足を止めると、扉の前にはいつの間にかニコさん本人が立っていた。
「……ニコさんも入るんですか? 聞いていませんでした」
「はい。言っていません」
ニコさんは柔らかく笑ったまま続ける。
「実戦でも、条件が全部最初に説明されるとは限りません。最初に聞いたことだけを前提にしていると、状況が一つ変わっただけで止まってしまいますから」
ミライはしばらく二人を交互に見たあと、少し考えるように視線を下げた。
「……難しいですね」
そう言ってほんの少しだけ笑ったミライの表情は、ここ数日で見た中では一番自然なものだった。
◇
そこからは、クルミさんが身体の使い方を修正し、ニコさんがその動作を何のために選んだのか確認する形で、ミライの近接戦の技術を少しずつ組み直していった。
「そこ、綺麗に投げようとしなくていい。通りたいだけなら必要な分だけ身体をずらせば十分。あと、身体が強いからって力で止めすぎ。相手がもっと強かった時、その癖が残ってると困るよ」
「それはグレイフィアさんにも何度も言われました」
「だったら、今日もう一回言われたって覚えといて」
「今の外し方自体は悪くありません。ただ、抜けた瞬間に一度止まりましたよね。拘束を外してから次を考えるのではなく、どこへ行くために外すのかを、掴まれた時点で決めておくんです」
「……なるほど。そうすれば、外す動きそのものを移動へ繋げられるんですね」
教わっているのは新しい技ではなく、グレイフィアさんから習った受け身や足運び、徒手空拳やモップ術を、これまでとは違う目的へ使うための組み直しだった。
「覚えるの早いね。ただ、変えたことで元より不安定になってるところもあるから、そこはちゃんと繰り返した方がいい」
「はい」
その返事には、さっきまで家事をしていた時より少しだけ力があった。
その頃、訓練場の端ではギャスパーが一人で小型標的を使った練習を続けていた。
休憩へ入ると自分のバッグを抱えて人の少ない場所へ移動したが、それ自体はギャスパーなら珍しくもない。
ただ、近くを通りかかったオトギさんが一瞬だけ足を止め、天井付近へ視線を上げた。
「……ん? いや、なんでもない。何か動いた気がしただけ」
そのすぐ下では、ギャスパーがなぜか妙に姿勢よく座っていた。
「ギャスパー?」
「は、はいっ!」
「いや、呼んだだけ」
「そ、そうですか!」
◇
訓練が終わる頃には俺も木場もかなり疲れていて、ミライもさすがに少し息を上げていた。
「ありがとうございました」
モップを抱えたミライが、クルミさんとニコさんへ頭を下げる。
「基礎はかなりしっかりしていますから、グレイフィアさんから習ったものを無理に捨てる必要はありませんよ。今持っている技術を状況に合わせて使えるようにした方が、ミライさんには合っていると思います」
「まだ倒せそうになると、そっちへ意識を持っていかれてるけどね。でも、一日で全部直るものでもないし、今日は考え方が分かっただけで十分」
「はい。気をつけます」
ミライはモップを壁へ立て掛けると、いつもの癖のように床へ置かれた使用済みのタオルを拾い始める。
「ミライ、また片付けるのか? 今日は結構動いただろ」
「ですが、持ってきたのは私ですので」
「持ってきた奴が片付けまで全部やらなきゃいけない決まりはないだろ。木場、手伝うよな?」
「もちろん。これくらいならすぐ終わるよ」
ミライは一度俺と木場を見比べてから、少し迷うような間を置いた。
「……では、半分お願いしてもいいですか?」
「最初からそう言えよ」
「ありがとうございます」
ほんの少しだけ、また表情が柔らかくなる。
何度止められても、そのたびに次はどうすればいいのかを考えながら試していた時のミライは、少し前までの彼女に近かったような気がした。
向こうではオトギさんとクルミさんが装備の置き方について言い合い、ニコさんが笑いながら二人の間へ入っている。
少し離れたところではユキノさんが三人を見ながら小さく息を吐いていて、任務中とは違う、ごく普通の仲間同士らしい空気が流れていた。
そのさらに奥では、ギャスパーが誰にも見られていないと思ったのか、自分のバッグをほんの少しだけ開けていた。
中を確認して困ったように眉を寄せ、何か言いたそうに口を動かしたものの、周囲を一度確認すると、結局そのまま静かに蓋を閉じる。
ギャスパーが何かを隠していることくらいは俺にも分かる。それでも、本当に困っているならきっと相談してくるだろうし、俺だって誰にも話せないことの一つや二つはあるのだから、今は本人が話す気になるまで待ってもいいはずだ。
全部が元通りになったわけじゃない。俺の寿命も、朱乃先輩とバラキエルさんのことも、そしてミライのことも、何一つ片付いたわけではなかった。
それでも今は、こうして誰かと馬鹿な話をし、訓練をして、明日の予定を考えることができている。
だから今くらいは、それでいいのかもしれない。
こんな時間が、もう少しくらい続けばいい。
その時の俺は、本当にそれくらいのことしか考えていなかった。
今後、本作で特に見てみたい仮面ライダー要素は?
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歴代ライダー本人の登場
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歴代ライダーとの共闘
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歴代ライダーとの対決
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ライドウォッチ
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アーマータイム
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ミライ独自のライダー形態
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他キャラの仮面ライダー化
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ライダー由来の武器・アイテム
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ライダーマシン
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怪人・敵組織
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歴代ライダーの能力再現
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歴代ライダーの必殺技
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原作ライダーの名場面オマージュ
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仮面ライダー側の世界観・設定
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昭和ライダー要素
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平成一期ライダー要素
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平成二期ライダー要素
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令和ライダー要素
-
劇場版・Vシネマなどの要素
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その他(感想欄で教えてください)