午前五時。
夜明け前の都心の一角を、数え切れないほどの緊急車両が埋め尽くしていた。本来なら静まり返っているはずの街に、ポンプ車の唸りと隊員たちの声が絶え間なく響いている。
昨夜まで名門ホテルが建っていた場所には、鉄骨とコンクリートが折り重なった瓦礫の山だけが残っていた。押し潰された建材の隙間からは今も炎が噴き出し、消防隊が四方から放水を続けていたが、鎮火の見通しは立っていない。
隣接するビルは外壁が剥がれ落ち、首都高速道路は高架の一部に異常が見つかって通行止めとなった。近くの大使館でも、門扉と塀が倒壊している。
それでも、死者と重傷者は一人も確認されていなかった。現場の誰もが首を傾げる、奇跡のような結果だった。
午前六時。
各局の朝の番組は、予定をすべて差し替えて報道特番に切り替わった。ヘルメット姿の記者が規制線の外から中継し、画面には在りし日の豪奢なロビーと、煙を上げる瓦礫の山が交互に映し出されている。
国際会談の舞台として知られた名門ホテルの消失は、海外の通信社にも次々と打電されていった。一方で、販売店に届いた朝刊の中には、この事故が一行も載っていないものもあった。印刷の締め切りに間に合わなかったのだ。
午前七時半。
首都高を締め出された車が一般道へ溢れ、トラックもバスもタクシーも動けなくなった。現場付近の地下鉄駅は安全確認のため閉鎖され、出勤してきた会社員たちは、規制線の外で自分の職場があるはずの方角を呆然と眺めている。
午前八時。
原因はガス設備の異常とみられる。その一報を受けて、都内のガス会社には朝から問い合わせが殺到していた。うちのガスは大丈夫なのか、すぐに点検に来てほしい。電話は鳴り止まず、窓口はあっという間にパンクした。
当のガス会社は会見で、周辺の供給設備に事故へ結びつく異常は確認されていないと説明した。もっとも、瓦礫の下のホテル内部は調べようがない。疑いだけが、宙に浮いたまま残された。
午前十一時。
『現時点で、テロ行為を示す具体的な情報は確認されておりません』
官房長官の会見でも、質問はこの事故に集中した。外務省は被害を受けた大使館の関係国と連絡を取り続け、被害額については算定の目処すら立たないと伝えられた。
爆発音を聞いた者も、赤い光を見た者もいる。夜空に何かが浮いていたという、信じ難い証言まである。それなのに、あれほど巨大なホテルが崩れ落ちていく様を記録した映像は、一本も見つかっていなかった。
東京中がその謎に揺れている頃、住宅街の一軒家の一室では、一人の少女が、事件の影響がここまで広がっていることなど知る由もなく、深い眠りの底にいた。
○
目が覚めた時には、もう昼を過ぎていた。
傷はアーシアに治してもらったけれど、疲れまでは消えてくれなかったらしい。重い身体をベッドから引き剥がすのに随分と時間をかけてから、私は身支度を整えて兵藤家の地下へ向かった。
大広間には、もう皆が揃っていた。リアス部長たちに、FOX小隊とRABBIT小隊の皆さん、アザゼル先生とオーディン様。昨夜は高天原へ帰ったはずの天照様も、約束どおり戻ってきている。
オーディン様の隣にはロスヴァイセさんが座り、奥の結界の中には、首輪をつけたフェンリルさんと、手錠をかけられたロキの姿があった。
「あら、ミライ。よく眠れた?」
「はい。少し寝すぎてしまいましたけど」
「それだけ疲れていたのよ。……それで、昨日のメイド服の件なのだけれど」
忘れてはくれなかったらしい。ホテルへ潜り込むための変装だったのだと手短に説明すると、聞き耳を立てていた一誠が、余計なところに食いついた。
「待てよ。お前、本当にあの格好でホテル中を走り回ってたのか!?」
「……そうなりますね」
「写真とかないのか!?」
「一誠」
リアス部長の静かな一言で、一誠はぴたりと口を閉じた。もっとも、この話がこれで終わったとは到底思えない。
壁際の大型テレビでは、昼の報道特番が流れていた。
『こちらは本日午前、上空から撮影された事故現場の映像です』
画面いっぱいに、瓦礫の山が映っていた。ところどころから煙が上がり、周りには消防車が何台も並んでいる。映像が引いていくと、封鎖された道路と、外壁の剥がれた周囲のビルまでが見えてきた。
私たちが走り抜けた廊下も、FOX小隊と撃ち合った場所も、脱出のために皆で集まった階も、今はあの瓦礫のどこかに埋まっている。
崩れていく様をこの目で見ていたはずなのに、昼の光の下で見下ろして、ようやく昨夜の出来事の大きさに実感が追いついてきた。
「……本当に、全部なくなってしまったんですね」
「おまけに首都高は通行止め、大使館の塀までやっちまった。表の連中は今頃、大わらわだろうよ」
テレビに目を向けたまま、アザゼル先生が答える。死者も重傷者も出ていないことだけが、せめてもの救いだった。
画面は、近隣住民の証言に切り替わっていた。
『夜中に、雷みたいな音がして……でも外を見ても、何もなかったんです』
『最後にものすごい音がして、窓が揺れて。ホテルの方を見たら、もう煙だらけでした』
「……あの幕、やっぱり隠しきれていなかったんですね」
「終盤はロキも限界だったからな。最後の方は、だいぶ漏れてたらしい」
神域そのものは、ミヤコさんと天照様が砕いた時点で消えている。その後で街を覆っていたのは、オーディン様のルーンでロキに張らせていた幕だ。
ロキが消耗するにつれて幕は薄くなり、気絶した瞬間に消えて、残っていた屋上も落ちた。外の人たちからすれば、妙な音や光を何度か感じた後、いきなり燃え盛る瓦礫の山が現れたことになる。
『建物の崩壊状況からは、通常の設備事故だけでは説明の難しい点もあり――』
スタジオの専門家が、図面を指しながら慎重に言葉を選んでいた。
「……当然でしょう。そもそも、あれは私の術式によって――」
「黙ってろ。それ以上は自白だ」
結界の奥から聞こえた声を、アザゼル先生が最後まで言わせずに遮った。
「……事実を補足しようとしただけなのですが」
東京中が原因を突き止めようとしているのに、張本人は目の前で、専門家の解説に注釈をつけようとしている。テレビの向こうの人たちには、絶対に想像できない光景だろう。
○
「あ、あの……少し、いいでしょうか?」
大広間の隅で、おずおずと手が挙がった。段ボール箱の陰から顔を覗かせたギャスパー君の横には、一台のノートパソコンが置かれている。
「ぼ、僕、今朝からネットで、この事件のことを調べてたんですけど……テレビでやってない話が、いっぱいありまして……」
「いいじゃない。見せてもらいましょう」
リアス部長に促され、ギャスパー君がパソコンを大型テレビへ繋ぐ。報道特番が消え、代わりに見慣れたブラウザの画面が映し出された。
「ま、まずはこれです。『空が割れた』とか、『黒い鳥の群れを見た』とか……」
夜空の一部がぼんやりと明るく、その中央に黒いものが写っている写真だった。6ちゃんねるでは、UFOだの異世界の入口だの、果ては八咫烏が現れたのではないかという書き込みまで並んでいる。
「まあ。よくご存じの方もいらっしゃるのですね」
天照様が、どこか楽しそうに微笑んだ。あれは八咫烏ではなく、砕けた神域が烏になって散っていった光景のはずだ。けれど、空に烏が現れたという部分だけは、確かに間違っていない。
「そ、それと、この写真と、これと、これ……まとめサイトごとに別の写真みたいに紹介されてるんですけど、元は全部、同じ一枚なんです」
明るさを変えたもの、拡大したもの、黒い影を赤い丸で囲んだもの。何十件もの投稿が飛び交っていても、元になった証拠はほんの数枚しかないらしい。
その数枚の中に、私たちが見た本物の光景が混ざっているのだから、何とも言えない気分だった。
「つ、次はこれです」
満月の近くに、小さな人影のようなものが写っていた。その手元から、白い線が一筋伸びている。
『夜空に水着の天使がいたんだが』
『月の兎じゃね?』
『新作アニメの宣伝説』
「……ミヤコさん?」
名前を呼ぶと、ミヤコさんの肩が小さく揺れた。返事はない。いつもの落ち着いた表情のまま、じっと画面を見つめている。
「おい、ミヤコ。これ、あの時のお前だろ」
「……そのようですね」
「それに『月の兎』って何だよ。コードネームまで当てられてんじゃねえか」
「…………」
サキさんの一言で、ミヤコさんの沈黙がさらに深くなった。《玉兎輝夜》となって夜空を駆けたあの姿が、アニメの宣伝扱いされているのだから無理もない。
「いやぁ、世の中どこで見られてるか分かんないもんだねぇ。あ、ギャスパー、その下のも見せてよ」
モエさんに言われて画面を下げると、今度は夜空に浮かぶ大きな機影が現れた。
「おっ、これウチのヘリじゃん!」
太い胴体と大きなメインローターが、暗い空にぼんやりと浮かんでいる。昨夜、私たちをホテルから運び出してくれた機体だ。軍事系の掲示板では、機種の特定を巡って熱心な議論が続いていた。
『これCH-53Eだろ。海兵隊の』
『海自のMH-53Eじゃね?』
『海自のは掃海用だろ。東京で何を掃海すんだよ』
『そもそも、なんで都心にこんな大型機がいるんだ』
『爆発が報道される前から飛んでたらしいぞ』
「おお、型式まで当ててる人がいる。やるじゃん。まあ、所属は全部外れてるけどねぇ」
「……感心している場合ではありません、モエ」
ミヤコさんの声が、少しだけ低くなった。
「そ、それで、このヘリの写真から、別の噂も広がってて……」
ギャスパー君が開いたまとめ記事には、ホテルが当日貸切だったことや、近くに大使館があることが並べられていた。武装した人影がヘリから降下するのを見た、という書き込みまで、一つに繋げられている。
『要人の秘密会談だったんじゃないか』
『軍用ヘリは救出用だった説』
『本当にガス爆発なのか?』
「……おいおい。随分といいところまで当ててるじゃねえか」
「秘密の会談に、救出のための軍用機か。なかなか鋭いのう」
アザゼル先生とオーディン様が、揃って感心している。実際、RABBIT小隊はヘリから降下してホテルへ突入し、要人を救い出した。外れているのは、それを米軍や自衛隊の仕業だと思っている部分だけだ。
「……偶然とはいえ、あまり好ましい状況ではありませんね」
笑うモエさんの隣で、ミヤコさんだけは笑っていなかった。もっとも、そうした考察にも『映画の見すぎ』『陰謀論乙』という返信が殺到している。ここまで正解に近づいても、結局は誰にも信じてもらえないらしい。
「あ、あと……『サンタクロース実在説』っていうのも……」
『サンタが女の子に担がれてた』
『それもうサンタじゃなくて荷物じゃね?』
『プレゼントの方だった説』
「な、何じゃと!? 儂は神々の王じゃぞ! それがなぜ、運ばれるサンタクロースになっとるんじゃ!」
「……担いだのは私だ」
サキさんが、気まずそうに目を逸らした。そういえば脱出の時、オーディン様はサキさんの肩に米俵のように担がれていたのだった。
「でも、オーディン様。サンタクロースには、北欧の伝承が影響しているという説もありますよね」
「……むう。まあ、そういう話もあるにはあるがのう」
否定しきれないのか、オーディン様は何とも複雑そうな顔で髭を撫でた。
「そ、それから、『空飛ぶ美女二人組』……」
女性が女性を抱きかかえて夜空を飛んでいた、という目撃談だった。こちらは写真すら残っておらず、映画の撮影説やワイヤーアクション説が並んでいる。
「まあ♡ これ、
嬉しそうに両手を合わせた天照様は、そのままギャスパー君の方へ身を乗り出した。
「ねえ、ギャスパーちゃん。こちらの方々へ、お返事はできますの? 『本人です♡』と書き込んでみたいのですけれど」
「お待ちください、天照様」
「た、多分……なりすましだと思われちゃいます……。こういうところだと、本当のことを書いても、信じてもらえないので……」
「まあ。本人ですのに」
残念そうに頬へ手を添えた天照様は、すぐに隣のユキノさんへ微笑みかけた。
「でも、構いませんわ。ユキノちゃんがあんなにも頼もしく助けてくださったこと、私はちゃんと覚えておりますもの♡」
「……恐縮です」
無表情のまま答えるユキノさんの後ろで、オトギさんが肩を震わせていた。
○
「え、えっと……次は……」
ギャスパー君の手が、そこで止まった。画面には、満月を背にした黒い影が映っている。蝙蝠の翼を思わせるシルエットは輪郭がほとんど崩れていたけれど、私には、それが何なのかすぐに分かった。
「あれ? ギャスパー、これお前じゃねえか!」
「ひゃっ!? ち、違……いえ、その……!」
「おお、よく撮れてんじゃねえか! ちょっと拡大してみろよ!」
ギャスパー君が画面を閉じるより早く、一誠が身を乗り出して見出しを読み上げてしまった。
『バットナイト、日本上陸か!?』
『東京がゴッタムシティになってて草』
『新作映画の宣伝じゃね?』
「バットナイトじゃねえ! キバだ、キバ! せっかく格好よく決めたってのに、変な名前つけやがって!」
どこからともなく、キバットの抗議が飛んできた。
「でも、これ本当に格好いいな! あの時のお前、すげえ迫力だったもんな!」
「う、うぅ……」
一誠に褒められるたび、ギャスパー君の身体は少しずつ段ボール箱の中へ沈んでいく。
ところが、画面の下に並んだ書き込みを眺めていた私は、そこで妙なことに気づいた。
『だから吸血鬼だって言ってるだろ』
『吸血鬼とか厨二病かよ』
『本物の吸血鬼だって。翼の形見れば分かるだろ』
『ID真っ赤で草』
『必死すぎるwww』
吸血鬼説を唱える誰かが、否定されるたびに反論を書き込んでいる。同じIDの書き込みが延々と続き、その口調は少しずつ激しくなっていた。
「……この人、随分と熱心ですね」
「お、本当だ。めちゃくちゃ書き込んでるじゃねえか」
ふと見ると、ギャスパー君が何かを隠すように、そっと画面から顔を逸らしていた。
「……ギャスパー君?」
「…………」
「もしかして、この書き込み……」
「ち、違うんですぅ! だ、だって、本当に吸血鬼なのに、みんな『嘘乙』とか『厨二乙』とか言うから……! ちょっと説明しようとしただけなんですぅ!」
言い終えるより早く、ギャスパー君は段ボール箱の中へ完全に引っ込んだ。ぱたん、と蓋が閉まる。
「……お前、自分で書き込んでたのかよ」
「だ、だってぇ……本当のことなのに……」
「気持ちは分かるが、余計なことは書くなよ。正体が知れたら面倒だからな」
アザゼル先生の注意に、箱の中から「はいぃ……」と情けない声が返ってきた。
本物の吸血鬼が本当のことを書いているのに、誰にも信じてもらえず、笑われている。世の中というのは、不思議なものだと思う。私は、段ボール箱の前に少しだけ屈んだ。
「ギャスパー君。皆さんが何と言っていても、私たちは知っていますよ。あの時、あなたが本当に頑張ってくれたことを」
「…………」
「ロキを止められたのは、ギャスパー君のおかげでもあるんですから」
少しの間があって、箱の蓋がほんのわずかに持ち上がった。
「……ほ、本当ですか?」
「もちろんです」
「そうだぜ、ギャスパー! あの時のお前、最高だったぞ!」
「ええ。だから今は、胸を張っていなさい」
一誠とリアス部長の言葉に、赤くなった顔が箱の隙間から覗いた。小さな「……は、はい」という返事に、私もようやく息をつく。書き込みの件は、後でリアス部長からしっかり注意されるのだろうけれど。
「そ、それで……今、一番広まってるのが、これです」
表示された写真を見て、私は小さく声を漏らした。夜明け前に、アザゼル先生と見たあの写真だ。満月を背にした夜空に、四角い屋上がぽつんと浮かんでいる。
『#バルス』
『まさか東京で天空の城が見られるとは』
『これもうラピュリアだろwww』
ニコニコ映像には、写真を明るくしたものや、城の輪郭を描き足したもの、予告編風の音楽をつけたものまで投稿されているらしい。もっとも、その元になった一枚だけは本物なのだけれど。
「そ、それで……これとは別に、空から女の子が落ちてきた、っていう書き込みもありまして……」
「……え?」
嫌な予感がしたのと、画面に新しい書き込みが並んだのは、ほとんど同時だった。
『城みたいなやつから女の子が落ちてきた』
『親方の出番じゃんw』
『しかもメイド服だったらしい』
『情報量が多すぎる』
私は、そっと目を逸らした。ホテルから投げ出され、ユキノさんに手首を掴まれて引き上げられた、あの瞬間のことだろうか。
「メイド服の女の子!? おい、ミライ! それ、お前じゃねえのか!?」
「……人違いです」
「いや、昨日お前メイド服だっただろ!」
「……偶然だと思います」
「偶然で済むかよ!?」
クルミさんが堪えきれずに吹き出し、オトギさんは口元を押さえ、モエさんに至っては隠す気すらないらしい。あの場にいた皆さんには、事情を全部知られている。
「ミライさん。素直に認めた方が早いと思いますよ」
「……せめて、ここでは知らないことにしてもらえませんか」
「残念ですが、既に皆さんが知っていますので」
ミヤコさんの言葉は、正論だった。しかも、ネットの遊びはそれで終わりではなかった。浮かぶ城に、落ちてくる少女。そうなると、最後に城ごと落ちる悪役も必要になるらしい。
『城に悪役がいた説』
『最後は城ごと落ちたんだろ』
『じゃあ誰がバルスしたんだよ』
「……少し、よろしいでしょうか」
結界の奥から、妙に落ち着いた声がした。ロキだ。
「その物語の悪役というのは、どのような人物なのです?」
ギャスパー君が箱の中から小声で説明すると、ロキの表情が露骨に曇った。
「空に浮いた城から落ちる悪役、ですか。私をそのような者と一緒にしないでいただきたいのですが」
「いや、最後まで城に残ってたの、お前だろ」
「……あれは、オーディン様が私に幕と屋上を支えさせたからでしょう」
「ほっほっほ。よく働いてくれたではないか」
「褒めているおつもりですか?」
不満そうに眉を寄せたロキは、もう一度画面を見渡して、それから別のことに気づいたらしかった。
「……それにしても、妙ですね。これほど大勢の方々が議論しているのに、私の名前が一度も挙がっていない。事件を引き起こした者として、もう少し正当な評価があってもよいのではありませんか?」
大広間に、奇妙な沈黙が落ちた。この方は、いったい何を言い出したのだろう。
「ほう。つまりお主は、自分が主犯であると認めるわけじゃな?」
「ええ。私が計画を立て、実行に移したという事実は、正しく認識されるべきでしょう」
「うむうむ。ちょうどよい」
「……おい、じいさん。まさか」
何かを察したアザゼル先生の前で、オーディン様は、傍らに置いてあった分厚い書類の束を取り上げた。
○
「各方面から、補償と復旧費用の請求が届き始めておってのう。それらを取りまとめた、現時点での暫定額じゃが――」
オーディン様は一度言葉を切り、ロキの顔を見た。
「八千五百五十億円じゃ」
ロキが黙り、私も黙った。大広間にいた全員が、たぶん同じ顔をしていたと思う。
「……すみません。もう一度お願いできますか?」
「八千五百五十億円じゃ」
「……八十五億五千万円、ではなく?」
「桁を二つ間違えとるぞ」
ロキは、もう一度黙った。「億」の前に四桁の数字が並んだ時点で、私の金銭感覚はとっくに追いつくのを諦めている。
「……それ、全部ロキが払うんですか? ホテル一個で、そこまでいくもんなんですか?」
「ホテル一個では済んでおらんからのう。ホテル本体と周辺の建物だけで、六千六百四十億。これに道路の復旧、大使館への補償、各方面への賠償が加わる」
一誠は「六千六百四十億……」と繰り返したきり、何も言わなくなった。
「……少々、お待ちください。ホテルについては理解できなくもありません。しかし、納得できない項目がいくつかあるのですが」
ようやく我に返ったロキが、手錠のついた両手で書類の一点を指した。
「なぜ、天照様への補償だけで七百億円も計上されているのですか?」
「まあ、ロキ様。私への補償が、お気に召しませんの?」
「いえ。ただ、天照様ご自身が七百億円分の損害を受けたとは、到底思えないのですが」
「……ロキさん」
呼び方が、いつの間にか「さん」付けに変わっていた。
「よその土地へいらして、あれだけ派手になさったのですもの。筋は、きちんと通していただかないと♡」
「ですから、金額について――」
「あまり悲しいことをおっしゃると、私、弟のスサノオに泣きついて、また岩戸に籠もってしまおうかしら……」
部屋の隅の段ボール箱が、なぜか共感するように小さく揺れた。
「そうなったら、うちの若い子たちも黙っておりませんの。スサノオは血の気が多いですし、ヤマトタケルは……ほら、仕事の早い子ですから」
「…………」
「きっと、ロキさんのところへご挨拶に伺うと思いますわ。それでもお話がまとまらなければ、高天原を挙げての全面戦争になるかもしれませんわね。もちろん、私としては穏便に済ませたいのですけれど♡」
穏やかな微笑みのまま、言っていることは何一つ穏やかではなかった。
「……オーディン様?」
「儂に振るでない。この件は、既に天照と話がついておる。日本との出入りに関しては、ロキは破門扱いじゃ。北欧は一切加勢せん」
「破門!?」
「賠償の立て替えと身柄の管理までは面倒を見てやる。じゃが、抗争の面倒まで見る義理はない。……戦なぞ始まったら、いったいいくらかかると思っておる」
破門や抗争の話には眉一つ動かさなかったのに、お金の話になった途端、はっきりと声が震えていた。
「……七百億円ですね。承知いたしました」
「まあ♡ ご理解いただけて何よりですわ」
どう聞いても、その筋の方々の手打ちだった。日本神話の最高神を拗ねさせることだけは、絶対にやめておこう。私は密かに、そう心に誓った。
「……では、この行政対応費というのは? 私が日本の役所に何かを依頼した覚えはありませんが」
「お前がホテルを吹き飛ばしたせいで、表の役所が総出で動いてんだよ。道路は止まる、建物は使えねえ、ガス会社には問い合わせが殺到する。余計な仕事が山ほど増えてんだ」
「少なくとも、ガス会社に責任を転嫁すると決めたのは、あなた方でしょう?」
そこだけは、妙に正しいことを言っている気がした。アザゼル先生も一瞬だけ口を閉じ、それから深々と溜息をついた。
「……ガス会社にも、菓子折りが要るな」
「さて、次は支払い方法じゃ。まず、お主の財産のうち差し押さえられるものを充てる。館に領地、手持ちの神具を合わせて、円にしておよそ七百億。残りは七千八百五十億円じゃな」
「……残り、とは?」
「借金に決まっておるじゃろう。年利三パーセント、年に四百億ずつ返せば、おおむね三十年で完済じゃ」
その間、北欧の管理領域からの無断外出は禁止。魔術の腕を活かして、修復工事でも建築でも、働き口には困らないだろう、とオーディン様は付け加えた。
「……利息まで取るのですか」
「各方面への補償は待ってもらえんからのう。北欧が立て替えた分は、きちんと返してもらう」
オーディン様は終始笑顔だった。対照的に、ロキの顔色は話が進むほど悪くなっていく。不知火カヤの姿でそんな顔をされると、予想外の負債を背負わされた官僚のようにしか見えなかった。実際、そのとおりなのだけれど。
「……ちなみに、総額ではいくらに」
「差し押さえた分も含めれば、一兆二千七百億ほどかのう」
「…………オーディン様。再交渉を希望します」
「却下じゃ」
「まだ条件を提示していないのですが」
「却下じゃ」
「……せめて、利率の見直しくらいは」
「却下じゃ」
今度こそ、ロキは完全に言葉を失った。しばらくして、恨めしそうに顔を上げる。
「……スコルとハティは、出向扱いなのでしょう? なぜあの二匹は出向で済んで、私だけ返済なのです」
「お主が主犯じゃからな」
結界の中で、フェンリルさんが静かに目を閉じていた。
「とにかく、今回の件で北欧の財政は火の車じゃ。無駄を減らし、人の配置も考え直さねばならん」
「……また、予算削減ですか」
オーディン様の隣で、ロスヴァイセさんが小さく肩を落とした。その声には、あまりにも実感がこもっていた。
オーディン様はそれには答えず、懐から取り出した小さな手帳に、何かを書きつけていた。少なくとも、私にはそう見えた。
「さて、報告はこんなところか。ロキとフェンリルの移送、それに各隊の帰還は、じいさんの方で段取りをつけてくれ。写真や書き込みの件は、こっちでも気をつけておく」
「うむ。承知しておる」
「よし。今日はここまでだ。みんな、お疲れさん」
ようやく箱から出てきたギャスパー君がパソコンを片付け、テレビの電源が落とされる。騒がしかった大広間に、少しだけ落ち着いた空気が戻ってきた。
「皆様、少しよろしいかしら?」
立ち上がったのは、天照様だった。先ほどまでの迫力が嘘のように、楽しそうな顔をしている。
「昨夜は、本当にお世話になりましたわ。ですから今夜は、私に皆様へのお礼をさせてくださいな」
「……お礼、ですか?」
首を傾げたミヤコさんへ、天照様はにっこりと微笑んだ。
「ええ。美味しいお肉でも、食べに行きましょう♡」
○
天照様に案内されたのは、都内の落ち着いた一角にある老舗の焼肉店だった。派手な看板はないけれど、手入れの行き届いた暖簾と静かな佇まいを見れば、気軽に入れる店でないことはすぐに分かる。
個室に集まったのは、天照様とオーディン様、アザゼル先生、私、FOX小隊とRABBIT小隊の八人。それに、オーディン様に誘われたロスヴァイセさんを加えた十三人だ。
ホテルでの脱出に関わった面々のための、ささやかな慰労会だった。
「おお……」
運ばれてきた大皿に、クルミさんが小さく声を漏らした。花のように盛りつけられた霜降り肉は、見ているだけで値段が気になってくる。
「……これ、絶対に高いやつですよね」
「お値段のことは気になさらないで。今夜は私からのお礼ですもの。どうぞ、お好きなだけ召し上がってくださいませ♡」
天照様が網の上に肉を並べると、じゅう、と心地よい音とともに香ばしい匂いが広がった。考えてみれば、昨夜からまともな食事を取っていない。その匂いだけで、忘れていた空腹が一気に戻ってきた。
「はい、ユキノちゃん。ちょうどよく焼けましたわ♡」
「……ありがとうございます」
ユキノさんの小皿が空になるたびに、天照様が次の一枚を載せていく。
「ユキノ、すっかり気に入られちゃったね」
「高天原の主神にそこまで好かれるなんて、滅多にないでしょ」
オトギさんとクルミさんにからかわれても、ユキノさんは否定も肯定もせず、静かに肉を口へ運んだ。それから、ほんの少しだけ表情を和らげる。
「……とても、美味しいです」
「まあ♡ それはよかったですわ!」
隣の網では、ニコさんが全員の皿に気を配っていた。
「ミユちゃん、こちらも焼けましたよ。さっきから、遠慮しているみたいだったので」
「えっ……あ、ありがとうございます……」
恐る恐る一口食べたミユさんが、目を丸くして「……お、美味しい……」と呟く。天照様がユキノさんに夢中な分、ニコさんは全員がきちんと食べられているかを見ているらしかった。
「あんたら、結構食べるんだな」
「昨日はあれだけ走り回りましたから。そちらも、遠慮しないでくださいね」
「……ああ。いただく」
ニコさんに笑いかけられて、サキさんは照れたように視線を逸らしながら箸を伸ばした。その向かいでは、モエさんが網から上がる炎を楽しそうに眺めている。
「いやぁ、火力って大事だよねぇ」
「……モエ」
「まだ何も言ってないって!」
「その言い方の時点で、ろくなこと考えてないだろ」
サキさんの釘刺しに、テーブルのあちこちから小さな笑いが起きた。
昨夜、二つの小隊は命懸けの脱出を一緒に乗り越えた。けれど、戦いの最中には、互いのことをゆっくり知る余裕もなかったはずだ。それが今では、同じ網を囲んで他愛もない話をしている。これくらいのご褒美は、あってもいいと思う。
「……ところで、ユキノちゃん? やはり、高天原へいらっしゃるお話、少しだけ考えていただけませんこと?」
「大変ありがたいお申し出ですが、私にはまだ果たすべき任務がありますので」
「あら……」
残念そうに目を伏せた天照様は、次の瞬間には、なぜか嬉しそうに頬を染めていた。
「……任務に忠実なところも、本当に素敵ですわねぇ」
何を答えても、天照様の評価は上がる一方らしい。ユキノさんは返事に困ったように、そっとお茶を口へ運んだ。
○
「今回もよく働いてくれたのう、ロスヴァイセ。今夜くらいは楽しむとよい」
「……ありがとうございます、オーディン様」
オーディン様の隣で、ロスヴァイセさんがグラスを傾けていた。もちろん、私たち学生組はソフトドリンクだ。最初のうちは、ロスヴァイセさんも落ち着いて食事を楽しんでいるように見えた。
様子が変わり始めたのは、二杯目のグラスが空になった頃だった。
「……そういえば、オーディン様。今回の出張の手当は、ちゃんと支給されるんですよね?」
「ふむ。そのあたりは、戻ってから確認せねばならんのう」
「……前回も、そうおっしゃっていたような気がするのですが」
「そうじゃったかのう?」
ロスヴァイセさんは、もう一口グラスを傾けた。
「何かあるたびに、予算がない、予算がないって……。私だって、もう少しお休みが欲しいんです!」
突然大きくなった声に、個室の会話がぴたりと止まった。
「毎日毎日、警護だの書類仕事だの急な呼び出しだの! 休暇の予定を立てても、すぐに仕事が入ってくるんですよ!? お給料だって、仕事の量を考えたら全然高くありませんし!」
「ま、まあ、落ち着くんじゃ」
「落ち着いてます!」
どう見ても、落ち着いてはいなかった。隣のアザゼル先生が、こっそりとグラスを置く。余計なことを言うつもりはないらしい。
「しかも! こんな生活だから、出会いだって全然ないんです! 私だって、いつか素敵な恋人と普通にデートをして、幸せな家庭を築きたいのに……!」
「……大変なんですね」
「そうなんです! 分かってくださいます!?」
ミユさんの小さな同情が、かえって火に油を注いでしまった。オーディン様は途中から、黙って肉を食べることに専念している。
「……オーディン様。ちゃんと聞いていらっしゃいます?」
「もちろんじゃとも」
「では、私がさっき言ったことを覚えていますか?」
「……休みが欲しい、という話じゃったかのう?」
「全部です!」
「……うむ」
神々の王が、とうとう言葉を失った。
それからもしばらく、休日出勤のこと、増えない給料のこと、いつまで経ってもできない恋人のことが、テーブル全体へ向けて語られ続けた。
笑い話のようでいて、普段から真面目に働いている人がここまで言うのだから、余程のことが積み重なっていたのだろう。
「……私だって……もう少し、普通の生活が……」
やがて、その声が少しずつ小さくなっていった。片肘をついた身体が、こくり、と揺れる。
「……ロスヴァイセさん?」
「だ、大丈夫です……私は、まだ……」
それが最後だった。ロスヴァイセさんは両腕を枕にするようにテーブルへ伏せ、そのまま静かになった。顔を覗き込むと、規則正しい寝息が聞こえてくる。
「……寝ちゃいましたね」
「随分と、疲れていたんでしょうね」
ニコさんが苦笑し、天照様が店員さんに水と羽織るものを頼んでくれた。オーディン様は眠るロスヴァイセさんを眺めながら、何も言わずに髭を撫でている。その横顔からは、何を考えているのか読み取れなかった。
神々の大騒動に巻き込まれ、その後始末に付き合い、ようやく落ち着いて食事ができたかと思えば、溜め込んでいた不満を一気に吐き出して眠ってしまった。本当に、忙しい人だ。それでも、今の寝顔は少しだけ穏やかに見えた。
東京中を巻き込んだ長い一日は、こうしてようやく終わろうとしていた。
今後、本作で特に見てみたい仮面ライダー要素は?
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歴代ライダー本人の登場
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歴代ライダーとの共闘
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歴代ライダーとの対決
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ライドウォッチ
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アーマータイム
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ミライ独自のライダー形態
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他キャラの仮面ライダー化
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ライダー由来の武器・アイテム
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ライダーマシン
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怪人・敵組織
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歴代ライダーの能力再現
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歴代ライダーの必殺技
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原作ライダーの名場面オマージュ
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仮面ライダー側の世界観・設定
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昭和ライダー要素
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平成一期ライダー要素
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平成二期ライダー要素
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令和ライダー要素
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劇場版・Vシネマなどの要素
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その他(感想欄で教えてください)