9話の後からの分岐。
あくまでifであって、本編とはまったく関係ないので辛いのが苦手な人は読まなくても大丈夫です。
※前半ヒカリ視点、後半怜奈視点。
あのとき、簡単に命なんて捨てたはずだったのに。
怜奈ちゃんが轢かれるぐらいなら俺で良かったって、そう思ったはずだったのに。
「大変申し上げにくいことなのですが……」
やっぱり生きていたくて、怜奈ちゃんと一緒にいたくて。
なんて中途半端で、不格好な願い。
「アイドルを続けることは、恐らくできないでしょう……」
だからこれは、きっと俺に対しての罰なんだろう――。
ベッドの上で目覚めた俺は、自分が奇跡的に一命を取りとめたことを知った。
傍でずっと俺を見ていてくれた怜奈ちゃんが気づき、みんなに知らせて、その後はもうてんやわんやの大騒ぎである。
みんな俺が助かったことを喜んでくれて、俺ももらい泣きをするというような気恥しいことも起こったのだが、実はその時からずっと違和感があった。
なんか、足に力が入らないんだよね。
事故で数日間寝たきりになっていた影響かなとも思ったんだけど、どれだけ経っても感覚がないままで。神妙な顔をした先生が俺の病室にやってきて、俺はようやく違和感の正体を知ることになる。
「下半身不随……」
「やはり身体への影響が大きく……我々も全力を尽くしましたが」
ぼんやりとしていて、まるで他人事のような実感のなさだった。苦しそうな顔をしているお医者さんの先生と、今にも泣きそうなお母さん。眉間に皺を寄せているお父さんに対して、俺は何とも気の抜けた顔をしていたと思う。
「リハビリを重ねていくことで短時間なら歩けるようにはなるかもしれませんが……走ったり、ダンスをしたりなどのアイドルは難しいかと」
「そう、ですか……」
ぽつりと、それだけ口から漏れた。
何を言えばいいのか、よくわからなかった。怜奈ちゃんともうアイドルは一緒にできないらしい。でも、生きてはいるからこれからも怜奈ちゃんと一緒に生きることはできて……でも一緒に踊ることはできない。
悲しめばいいのか、怒ればいいのか、喜べばいいのか。自分の感情がわからなくて、頭の中でグルグルしていた。
「ヒカリッ……! こんな、こんなのって……!!」
あとからそれを聞かされた怜奈ちゃんは、俺の前でボロボロと涙をこぼしていた。
怜奈ちゃんのお爺ちゃんが亡くなった日以来見ていない、心が締め付けられるような泣き方で見ていて辛い。
だから俺は、笑う。
「生きてるだけでも良かったぐらいだったらしいし……そんなに悲しまないで、怜奈ちゃん」
「でもっ! ……でも」
「何もできないわけじゃないんだし! 俺は大丈夫だから!!」
笑いかけると、怜奈ちゃんの顔が歪む。
ただ怜奈ちゃんには笑顔でいてほしいだけなのに、どうも上手くいかない。
ぎゅっと、強く抱きしめられた。
「……ヒカリがアイドル続けられないんだったら、私も辞める」
「え……」
「ヒカリと、ずっと一緒にいるわ」
耳元で言われた言葉は酷く真剣で、とても冗談には聞こえない。
怜奈ちゃんが俺のためにアイドルを辞める? なんで? 怜奈ちゃんは何も悪いことをしていないのに……子供の頃からの夢だったのに。
……また、俺が怜奈ちゃんの邪魔になる?
「ダメだよ」
否定の言葉は、すぐに出た。
「怜奈ちゃんの夢だったんだもん。俺に合わせて捨てないで。怜奈ちゃんならきっと最高で最強のアイドルになれるよ」
「そんなのどうだっていい。ヒカリのほうが大事なんだから」
「それは今だけの気持ちだよ……ずっとがんばってきたの、知ってるから」
抱きしめられた腕から緩やかに抜け出して、怜奈ちゃんと視線を合わせる。黒の瞳が不安げに揺れて俺を見た。
「それに俺、アイドルをやってる怜奈ちゃんが大好きだから。いっぱい輝いている怜奈ちゃんをこれからも見たいな」
「……ヒカリ」
「……ダメ?」
言いよどんだ怜奈ちゃんを、真っすぐ見据える。
……これは、俺のワガママだ。怜奈ちゃんがアイドルを続けるかどうかは本人の気持ち次第。誰かに強制されるようなことではないのだ。
ないのだけれど。
俺がアイドルを続けられないというのなら……せめて怜奈ちゃんには輝き続けてほしい。そう思った。
やっぱり俺って、反省しても結局は自分勝手なのかもしれない。だってその証拠に、怜奈ちゃんは辛そうな顔をしている。
それでも……怜奈ちゃんは頷いた。
「わかったわ。あなたがそう言うなら……アイドルとして、誰よりも輝いてみせる」
「……ありがとう」
そのときの怜奈ちゃんがどんな気持ちだったかはわからない。それでもきっと、これが最善だと思うから。
俺と怜奈ちゃんの道は分かたれた。ただ、怜奈ちゃんの進む道をずっと応援することはできる。
頑張ってね、怜奈ちゃん。俺はいつまでも……怜奈ちゃんだけの味方だから。
目を細めて、怜奈ちゃんのまぶしい姿を見つめ続ける。きっと、それだけが俺にできる贖罪なんだろう。
抱きしめられたときに感じた柑橘系のシャンプーの香りが、嫌に鼻に残った。
凍えるような冬の寒さが少しずつ和らいで、春の陽気を感じさせる頃。俺は今日もお母さんに車椅子を押してもらって散歩をする。
あれから3年。リハビリを続けているが、俺の足は変わらずにポンコツなままだ。調子が良いときは頑張れば少しだけ自分の力で歩けるから、これでも進歩しているほうだとも言える。
アイドルを辞めた俺は大学に進学した。
車椅子で大学に通うのは辛いかとも思ったけど、昨今はバリアフリーの時代である。お父さんもお母さんも配慮が充実している大学を熱心に調べてくれて、俺は無事に候補の中の一つに合格。足が不自由ながらも何とか大学生活を送っている。
「見て、ヒカリ。もう桜も咲き始めてるわ」
「あ……ほんとだ」
「今度みんなで、お花見に行きましょう。怜奈ちゃんがお休みの日に合わせて」
「うん、そうだね」
母さんは、朗らかな笑顔で俺に話しかける。足が不自由になった娘の世話なんて大変だろうに、疲れた様子のひとつすら俺は見たことがない。
その優しさがありがたくて……たまに苦しくなる。
不意に風が俺の頬を撫でた。春が近いとはいえ、まだまだ風は冷たくて、俺は小さく身震いをする。
「あら、寒い? そろそろ帰りましょうか」
「えへへ……ちょっと冷えちゃったかも」
風に乗り、葉っぱが俺の視界を通り過ぎる。冬の頃は枝しかなかった木も、この時期になるとまた青々とした葉っぱを少しずつ生やしていて……時が流れているのを感じさせた。
……俺は、あの頃から前に進めているんだろうか。
「……お母さん、こんな身体でごめんね」
無意識に口に出て、余計なことを言ったと気づく。
ハッと息を呑むような音とともにお母さんの足が止まり、連動して俺の車椅子もピタリとその動きを止めた。
俺の頭に手のひらが触れ、優しく……壊れ物を扱うかのような動きで撫でられる。
「そんなこと言わないでちょうだい……お願いよ」
「……ごめんなさい」
「謝らないで。……愛してるわ、可愛い、私のヒカリ」
もう片方の腕で後ろから抱きすくめられる。
お母さんの声は……少し、震えていた。
また、お母さんを悲しませてしまった。本当に……うまくいかない。
ダメだな。大したことじゃないって言ったんだから、もっと明るくしていないと。
元気元気! 暗くしていたら何事もダメになっちゃうもんだ!
風は冷たいのに、お日様だけは暖かくて。
見上げた空の日差しの眩しさに、俺は人知れず目を小さくした。
「今日も怜奈ちゃん頑張ってるわねぇ」
「ほんとだ! へへ……怜奈ちゃんはやっぱり可愛いなぁ」
「あぁ、流石はヒカリの推しだな」
晩ごはんのとき、いつもどおりにテレビで怜奈ちゃんを見る。
生放送の歌番組に出ている怜奈ちゃんはいつものように高い歌唱力とパフォーマンスで周囲を魅了していた。前世の輝きにも勝るとも劣らないそのひたむきさに、胸が熱くなる。この時間だけは、今でも変わらずに怜奈ちゃんへの好きを再確認できて好きだ。
怜奈ちゃんはこの3年で、押しも押されぬトップアイドルへと登り詰めていた。
テレビを見れば毎日どこかで怜奈ちゃんの姿を見ることができる。もはや若年層で怜奈ちゃんのことを知らない人はいないだろう。そのくらいに怜奈ちゃんはアイドルとしての地位を確固たるものにしていた。
もちろんそれは単純に運が良いからだけではなく、怜奈ちゃん本人の確固たる努力と誠実な人柄のおかげである。
前世では結局、アイドル活動から1年ちょっとで怜奈ちゃんは亡くなってしまった。だからその夢の続きを見ているような気分で、なんだか変な感じである。
その頃よりもさらに洗練された歌とダンスは、ネット上ではアイドルではなくアーティスト枠だと言われている。それなのにトークも軽妙でノリが良く、見た目も100億点満点なのだ。こんなアイドル、他にどこを探してもいないだろう。怜奈ちゃんはやはりみんなの輝く一番星であることは言うまでもない。
あぁ、すごい。ほんとうに……まぶしいや。
「すごいなぁ怜奈ちゃん! あ、ほら見てお母さんお父さん! 今のターンなんて、ほんとはすっごく難しくて俺なんか――」
「ヒカリッ……!? だいじょうぶ!?」
「……え?」
怜奈ちゃんの魅力をこれでもかと二人にプレゼンしていたはずなのに、気づけば俺はお母さんに肩を掴まれていた。
お父さんは目を見開いて、それから悔しそうな表情をして……お母さんは取り出したハンカチで俺の目元を拭う。
それで気づいた。
「あれ……? 俺、なんで……?」
自分が、泣いているんだって。
ポロポロ、ポロポロと俺の目から流れ落ちるのは間違いなく涙だった。
わけがわからないまま涙を流し続ける俺をお母さんは抱き寄せて、涙を拭き続ける。
「ぅえっ……ふ、ひくっ……」
「うぁあぁあ……」
夢の続き……怜奈ちゃんが事故を乗り越えて、みんなに認められるアイドルになる理想の世界。
その夢に、俺はいない。
怜奈ちゃんは一人でダンスを踊り、一人で曲を歌う。ときどきステップを間違えるポンコツな相方はそこにはいない。
一人でトークをこなし、一人でバラエティ番組に出て……一人でアイドルをする。
俺と怜奈ちゃんの『Contarst』は……もう、何処にもないんだ。
それが悲しくて、悲しくて。
良い子ちゃんぶって、何でもないようなフリをしていた俺はただ知らなかっただけだった。
大好きな人が自分から遠ざかる世界がこんなにも苦しいだなんて。
怜奈ちゃんが俺の知らない人と共演して、仲良くなっていく。
怜奈ちゃんが俺が歌ったことのない歌を歌う。
怜奈ちゃんが俺のいない世界で、輝いている。
全部、全部全部嫌だった。自分の気持ちにただ蓋をしていただけだった。
もう、ただのファンと推しじゃなくなっていたのに。怜奈ちゃんと一緒に歩みたかったのに。
でも、もう無理だ。
「怜奈ちゃぁん……っく、ふぇ、あぁあぁぁ……」
「だいじょうぶ、大丈夫だからね、ヒカリ……」
背中を押したのは俺だ。一人でもアイドルを続けてほしいって、自分で怜奈ちゃんに懇願したんだから。
もう俺は舞台を降りた。怜奈ちゃんの隣に立つのは……きっと、俺じゃない。ふさわしい誰かがいつか現れて、その人と怜奈ちゃんは結ばれる。こんな身体の俺に、一緒に立つ資格なんてない。
俺はそれを、ただ応援し続けるだけ。
「おがぁさぁぁん……! おどうさぁああぁん……!!」
「そうよね、辛くないわけないわよね……ごめんね、ごめん、ヒカリ」
「……好きなだけ泣きなさい。お父さんもお母さんも、ずっといるから」
自覚したら、今まで溜め込んできた分まで止まらなくて。
俺は二人に抱きしめられながら泣きじゃくり続けた――。
◆
「お疲れ様でした!」
「お疲れ様、もう最近は言うことないわね」
今日予定していた仕事が終わり、マネージャーと言葉を交わす。あの頃はオーバーワークをして体調を崩していた私だけど、流石にもう時効だろう。
自分の限界を見極めて、倒れないように、だけど全力で。今の私のポリシーだ。
「すっかり立派になっちゃって……流石トップアイドル様って感じかしら?」
「まだまだ夢半ばですよ。もっと上を目指しますから」
「はいはい、この後はどうする? 事務所に寄っていく?」
「そのまま送ってください。ヒカリと会いたいんで」
「オッケー」
冗談めかしたマネージャーの瞳には、見間違えでなければ私への信頼が見えたと思う。この4年間で積み上げたものであり、これからも大事にしていかなければならないものだ。
マネージャーの車に乗り込み、間もなくエンジンがかかる。
この時間なら……もう家にいるわよね。
窓をぼーっと眺めながら、最愛の人を想う。
「……ヒカリちゃん、最近どう?」
「相変わらず世界一可愛いですよ。アイドルやってなくても、元から可愛いんで」
「それはわかってるけど……もう! そういうことじゃなくて」
「足は変わらないです。ちょっとは良くなってるけど、アイドルをやるにはとても」
「……そう」
二人きりになると、当然話題になるのはヒカリの話。マネージャーがヒカリの近況を聞き、私がそれをいつも通りに応える。冷たいわけじゃない……事実、ヒカリの足はもう動かない。
「ヒカリちゃんに、いつでも事務所に遊びに来ていいって言っておいて。なんなら怜奈ちゃんが今度連れてきてよ」
「伝えておきまーす。まったく、トップアイドル様じゃなかったんですか~?」
「立ってる者はトップアイドルでも使えってのが我が社の社訓なのよ」
マネージャーも、本気でヒカリにアイドルに戻ってきてほしいわけではないのだろう。ヒカリのことを心配していて、話すきっかけが欲しいだけ。
事務所の人たちとは1年ちょっとしか関わっていないのにこれである。やはり私の幼馴染はとんだ人たらしであると言えるだろう。
だから10年以上一緒にいた私がこうなっているのは、仕方のないことなんだ。
「怜奈ちゃん、いらっしゃい! ありがとう、いつも忙しいでしょ?」
「こんにちは! 大丈夫だよ、私がしたいからしてるだけだし!」
今日は早めに仕事が終わったので、まだ夕方にもなっていない。玄関のチャイムを鳴らし、出てきたヒカリのお母さん……フィリアさんと挨拶をする。
ヒカリのお母さんなだけあってフィリアさんは本当に美人で、未だに若々しい見た目を維持しているのだから恐ろしいものである。これで大学生の子持ちの母とは思えない。
「怜奈ちゃん! 今日はもうお仕事終わったの!?」
そんなフィリアさんと話していると、可愛らしい声が私たちの耳に入る。居間のほうから喜色満面の顔でヒカリが姿を現し、私の口角は自然と上がる。
室内用のコンパクトな車椅子に乗っているヒカリは、妊婦さんが着るようなゆったりとした紺のロングワンピースにクリーム色のカーディガンを羽織っていた。くすみなどとは無縁の真っ白な肌は喜びの色で薄く桜色に染まり、宝石のような美しい金髪がきらめいている。空色の双眸が、私を映して大きく開かれる。
アイドルであろうがなかろうが、ヒカリがこの世でもっとも可愛いのは言うまでもないことだった。
「ヒカリ! ……えぇ、今日は早かったから遊びにきちゃった」
「……えへへ」
言って、私はヒカリの頭を撫でる。サラサラの髪の毛が私の指の間を通り抜けるこの感覚は、一度体験するともう止められない。ほんのりとした温かさを噛みしめて撫でくり回すと、ヒカリはふにゃりと相好を崩す。
「フィリアさん、これ……真剣に危ないんじゃ? 今のヒカリ、まったく抵抗できないんだし……」
「私がずっとついてるから大丈夫です。怜奈ちゃんは存分にウチの娘の可愛さを堪能していってねぇ?」
あまりの可愛さに思わず苦言を呈すると、白けた目でにべもなく返された。
……まあ、今のヒカリを一人で外出させるなんてことありえないし、だいじょうぶか。
そう納得して、いつも通りにヒカリの身体の間に両腕を差し込んだ。
「……ん」
慣れた様子で、ヒカリは私に身体を預ける。
背中と、両足の裏側。いわゆるお姫様抱っこでヒカリを抱き上げた私は階段を上ってヒカリの部屋へ向かう。後ろからフィリアさんが車椅子を折りたたんで持ってきてくれる。
いくら小柄なヒカリといえども、女の私からすると持ちあげるのは結構きつい。それでも普段から身体を鍛えているし、何よりこの重みが今でもヒカリは生きているということを一番実感できて良い。私はこの役目を誰にも譲る気はない。
「ありがとう、怜奈ちゃん」
「また軽くなったんじゃない? ちゃんと ご飯食べないと」
「た、食べてるよ!」
軽口を叩きあって、私は部屋のクッションの上にヒカリを下ろす。私もその対面に座って、テーブル越しに私たちは向き合った。
動けない今のヒカリは、昔のように私の手を取って走ってはくれない。もうはしゃぎ回って、危なっかしくちょこまかと動き回るその姿は見られないのだ。
そのことに寂しさを覚えないといえばウソになるだろう。だけど、それで一番心を痛めているのはヒカリだから……私は口に出さない。
可愛らしいピンクのクッションの上にちょこんと座るヒカリは、まるで本当のお姫様のようだった。
「今日は何のお仕事だったの!?」
「今日も撮影。最近雑誌に載ることもまた多くなったからさ~」
「えーどこ!? 発売日に買わなきゃ!」
「いちおうまだ情報教えられないからダメ。公開しても良くなったら教えるわよ」
「ぐぬぬ……まあ、仕方ないか」
示し合わせたように私たちは取りとめのない話をする。
仕事のこと。美味しかったごはんのこと。街で見かけた少し面白い光景のこと。
ヒカリとあまり一緒にいられない分を埋めるかのように。お互いがお互いを想い合っていることを再認識し合うための儀式に近いそれは、とても大切なものだった。
仕事をしている最中も、それ以外でも。ヒカリのことが頭から消えたことは一度たりともない。それでも、ヒカリにとってそう見えるかは別の話だ。
だから私は、言葉で、態度で、ヒカリに伝える。仕事との両立はなかなかに忙しいものではあるが、それでヒカリの気が休まるのなら是非もない。
数十分の間雑談に花を咲かせ、私はヒカリの様子を分析する。
……今日は少し、安定している。
これから話す本題を考えると少し躊躇いを覚えるが、言わないことが何よりの悪手だということを私は知っている。だから言わないという選択肢はない。
フィリアさんが持ってきてくれたウーロン茶を一口飲み、息を整える。喉を嚥下する冷たさが私に少しの勇気をくれたような気がした。
「……あのさ、ヒカリ」
「うん? なに?」
「明後日から私、ロケでさ。北海道のほうに泊まりで行くんだ。……だから、2、3日来られない」
「ッ……」
ヒュッ、と息を呑んだような音がした。綺麗な空色の眼の瞳孔が開き、ヒカリはコップを握りしめたまま動きを止める。
冬はもう終わりかけているというのに、嫌に空気が冷えているような気さえする。
ヒカリは口を小さく開いて何かを言いかけ、やめて……また口を開き、閉じる。大きく開いた瞳を今度は下に向け、それからしばらく視点を左右に動かしていた。
数秒ののち、ヒカリはようやく言葉を紡ぐ。
「そっ……か。えへ、へへ……がんばってね」
「毎日、電話するから」
「あはは……忙しいなら無理しなくても、だいじょうぶ」
「私がしたいから。必ず出てね?」
「……うん」
気丈に笑顔を浮かべてはいるけれど、テーブルに置いたままのコップを握っているその手が、微かに震えているのに私は気づいていた。
私が好きなふにゃりとした笑みとは違う……作ったような笑顔。その笑顔が私は苦手で、なるべくなら見たくはなくて。
でも、見て見ぬふりはできない。
「れ、怜奈ちゃんは魅力的だから……また、世界が広がるん、だね」
「ヒカリに輝いている姿を見せたいから」
「もうピッカピカだよ! ……あは、眩しすぎるぐらい」
「帰ってきたら、いっぱい話そうね。お土産、何がいい?」
「…………」
努めて、平静に話しかける。
少しずつヒカリの声から色が失われていって、最後には沈黙が訪れる。
腰を浮き上がらせ、対面ではなくヒカリの隣に行こうとしたとき、か細い声が私の耳朶をうつ。
「……捨てないで」
最初は蚊の鳴いたような、小さな声だった。何も音がしないこの狭い空間で近くにいる私が、辛うじて聞き取れるぐらい。
でも、その小さな綻びが、ヒカリの感情の決壊する音だった。
「怜奈ちゃん、お願い、捨てないで……! 俺、俺、一緒に行きたいのに! あぁ! なんで、なんでぇ……!!」
「捨てないよ。ずーっと、ずっと一緒」
「俺、何でもする、からッ……役立たずだけど、何か、探すからッ! 俺の知らない人と仕事しててもいいから……帰ってきて。捨て、ないで」
「役立たずじゃないよ。ヒカリは、ずっとずっと私の一番だから」
決壊した心は止まらなくて。ボロボロと大粒の涙をこぼすヒカリに、私は私のありのままの心を伝える。今のヒカリに聞こえてなくてもいい。何度でも……何度ヒカリが泣いたって。
そっと華奢な身体を抱き寄せると、縋るように私の首元に自分の頭を擦りつけてくる。マシュマロみたいに柔らかい胸の感覚と、少し熱いぐらいの体温の高さ。その身から香る甘いミルクのような匂いが私の胸を高鳴らせた。
こんな状況でも、私がヒカリのことを愛しているのは変わりがない。
泣きながら言葉を発するヒカリの背中をポンポンと、一定間隔で叩いてあげる。
「ぁ……」
「好き、大好きよヒカリ。愛してる」
段々とヒカリの目に正気が戻ってきていくのを感じながらも、私は言葉を紡ぐのをやめることはない。
なぜなら、正気に戻ることはヒカリにとっては辛いことだから。
「ごめんなさい! 俺、アイドルをやってって言ったの俺なのに……! 何言ってんだ俺、ほんとにバカ……!!」
「だいじょうぶ、ヒカリは悪くないよ。ちょっと不安になっちゃっただけだもんね」
「あぁあごめん、ごめんなさい。ごめんなさい怜奈ちゃん、ごめんなさいッ……!」
壊れた機械のように謝罪の言葉を連呼するヒカリを、もう一度強く抱きしめる。頭を自分の胸の位置に抱えて、左手で撫で続ける。
……心臓の音を聞かせてあげると落ち着くって聞いたことがあるけど、本当なのかしら。
私の胸はヒカリほどは大きくはないけれど、心音を聞かせるのに邪魔になってなければいいな。
「ヒカリが安心するまでずっと言うね。好き、愛してる。アイドルじゃなくても、あなたのことが世界で一番大好き」
ヒカリの体温を直に感じながら、私は心に溢れるヒカリへの好きを伝え続ける。
ヒカリが『こう』なったのは、今に始まった話ではない。
時間というものは時に大きく影響を与えるもので、ヒカリにとってはきっとそれが悪いモノだったのだろう。文字に表すと、ただそれだけのこと。
私がそれを煩わしく思うことはない。どうせ、どうなろうと私はヒカリとともに在り続けるだけなのだから。
時たま、新しく知り合った有象無象どもが賢しらに『アドバイス』を送ってくることもある。
『少しの間、距離を置いたほうがいいのでは?』
『彼女のためにならないよ』
『ずっとそうやってるとあなたがまいっちゃうよ』
私とヒカリの関係を『事故』という『歴史』でしか知らない愚か者は、親身ぶった顔をして妄言をのたまう。唾棄すべき、吐き気を催すような提案。
大して知りもしないくせに。それでヒカリが壊れたらどう責任を取ってくれると言うんだろう。壊れたとしても私がヒカリのそばにいるのは変わらないが、私はヒカリの心を壊したいわけじゃない。
そういえば、ヒカリがアイドルを引退したことを喜んでいたゴミもいた。自分では大した努力もしないくせに、自分より上の者を妬むことだけは一丁前な『自称』アイドル。表の場では媚びへつらい、裏では同じ人への陰口を叩くその醜悪な姿は見るに堪えないものだったな。
知っている限りのそいつのスキャンダルを匿名で週刊誌にリークして潰しておいた。しょせん身から出た錆だし、私とヒカリが情熱をかけたアイドル業界にあんなモドキはいらないから良いことをしたと言えるだろう。
身内以外で私たちのことを真実心配してくれたのは三浦菜緒さんだけだった。……またいつか、ヒカリにも会わせてあげたい。
「……怜奈ちゃん、俺、まだ隣にいていい?」
考えているうちに、ヒカリが今度こそ落ち着きを取り戻していた。上目づかいで私を見るその瞳は、不安げに揺れていて……なんて美しいんだろうと、こんな状況にも関わらずそう思う。
「一緒にいて。私がヒカリを望んでるの。私が、ヒカリと一緒にいたい」
「……ありがとう」
変わらない気持ちをしっかりと声に出すと、涙で腫らした目を細めてヒカリはへにゃりと笑顔を浮かべてくれた。
私の大好きな、その笑顔。
それを見るためだったら、私はなんだって頑張れる。
ヒカリ、ねえ、私の大好きなヒカリ。あなたの幼馴染は、あなたが生きていればそれでいいの。
足が動かなかろうが、一緒にアイドルをやれなかろうが、全部いい。あなたが生きていることが、私の生きる意味だから。
だから、いつかまた……昔のように笑えるその日まで、私は努力するね。ずっとずっとそばにいて、あなたが罪悪感なんて感じる暇を与えないほど私の好きで埋め尽くすから。
それで私に可愛い笑顔を見せてくれれば、私は幸せだから。
……あぁ、それがプレッシャーに感じるなら、笑わなくてもいい。昔のように戻れなくても、もう二度と笑えなくても……私はあなたから離れない。
どんなヒカリでも、私は愛してるから。その傷を、一緒に背負っていくね。二人でおばあちゃんになるまで生きて、一緒に死のう。
覚悟なんて、あの日の病室ですでに決まっている。
私は私の意志でヒカリとずっと一緒にいる。他の誰にも、神様にだってその想いを否定させたりなんてしない。
……ヒカリ、ねえ?
私、あなたと出会えて……本当によかった。
社長、マネージャー…ヒカリのことも、怜奈のことも心配。アイドルではなく、一人の庇護すべき子供として幸せを願っている。
ヒカリの母…一日中我が子がどうやったら元気になるかを考えている。事故の加害者から謝罪と莫大な慰謝料をもらっているが虚無。そんなものはいらないから娘の笑顔を返してほしい。
ヒカリの父…法律が許すなら今すぐにでも事故の加害者を殺してやりたい。
ヒカリ…緩やかに病んでいる。自分がアイドルを続けられないことへの焦燥感、アイドルを続けることを勧めておいてネガティブになっている自分への嫌悪感、怜奈や自分の両親へ負担を強いていることへの罪悪感で日に日にメンタルをやられている。外では笑顔を取り繕うことだけは得意になった。よく、悪夢で目が覚める。
怜奈…メンタルが閾値を超えると急にスイッチが入って覚悟を決める女。ヒカリのために一生を捧げる覚悟をとっくの昔に完了しており、何があってもヒカリから離れることはない。オフの日は必ずヒカリと一緒に過ごす。ヒカリへの害意には著しく敏感で、その場は笑顔で流しても未来永劫許すことはない。アイドルを辞めて一日中ヒカリのそばにいてもいいと思っているが、それをするとヒカリが完全に壊れてしまうことを理解しているのでアイドルを辞めることはない。
最初は死亡ルートも考えてみたんですけど、なんか安直に殺すのも違うかなと思ってこうなりました。楽しんでいただければ幸い。
怜奈ちゃんのヤンデレを期待していた方には申し訳ありませんが、まあこれも一種のヤンデレ……?
次からは普通に本編その後のイチャラブ話書きますぞ!