オーバーロードに宝石の導きを   作:万歳!

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第2話 ジュエルシード

「さて、ここが過去の世界だとして、どう行動すべきか」

 

 人気のない山中で、モモンガは静かに腕を組んだ。

 

 あの後、しばらくの間、彼は大空を飛び続けていた。頬を打つ風は冷たく、眼下に広がる青々とした森林や街並みは、ユグドラシルにも、荒廃した元の世界にも存在しない、生きた世界そのものだった。

 

 飛行魔法によって自由自在に空を駆ける感覚は、ゲーム時代とはどこか違う。風の流れも、空気の匂いも、重力さえも現実そのものだった。

 

 やがて人目につかない山の中へ降り立つ。

 

 土を踏みしめた瞬間、靴底から伝わる感触に、ここがゲームではないことを改めて実感する。

 

 さすがにこのアンデッドの姿で街を歩く勇気はない。人間がこの姿を見れば、恐怖し、混乱し、最悪の場合は自衛隊が出動してくるかもしれない。

 

 となると、幻術や変身系統の魔法で偽装して街へ繰り出すべきか。それとも、まずは魔法だけで情報を集めるべきか。

 

「俺はユグドラシルのプレイヤーモモンガ。レベルは100だ。レベルがないリアルの世界だ。下手をすれば接触しただけで、大けがをさせる気がする。それに普通の人間たちを振り回すのは何かが違う気がする」

 

 静かな山中に、自分の声だけが響く。アンデッドとなってからというもの、感情はある程度抑制されるようになった。しかし思考力そのものは失われていない。だからこそ、冷静に最悪の事態を想定できる。

 

 自分にとって何気ない動作でも、人間にとっては致命的な結果になる可能性がある。となると、自分はどうすべきだろうか。元の世界へ帰る努力をすべきなのだろうか。

 

 あの灰色の空に覆われた、希望も自然も失われた地獄のような世界へ。もし家族が生きていれば、迷わず帰ろうとしただろう。友達が残っていれば、必死に方法を探したかもしれない。

 

 だが、自分にとって友人と呼べる存在は、ユグドラシルを共に駆け抜けた四十一人だけだった。現実世界では、両親はとうの昔に亡くなっている。

 

 会社には仲間などいない。待っている者は誰もいない。

 

「……なら、帰る必要はないんじゃないか?」

 

 思わず漏れた本音。その言葉を聞く者はいない。例えば、この身体なら火山の火口へ飛び込めるかもしれない。深海の底を歩けるかもしれない。人類がまだ見たことのない秘境を探検できるかもしれない。

 

 未知の世界。

 

 未知の文明。

 

 未知の魔法。

 

 そう考えると、わずかな高揚感が胸に芽生える。だが、その感情はすぐに理性によって押さえ込まれた。

 

「……いや、自分がなぜこうなってしまったのか。それぐらいは知っておく必要があるな。もしかしたら友人たちも自分と同じ状況に陥っている可能性もある」

 

 その可能性を思い浮かべた瞬間、モモンガは弾かれたように行動した。

 

「メッセージ!」

 

 ギルドメンバーの名前を一人ずつ思い浮かべ、魔法を発動する。だが――。返事はない。いや、それどころか魔法が届いたという感覚すらない。

 

 何度試しても結果は同じだった。

 

「メッセージの魔法が変わったのか。友人たちがいないから届かないのか……要検証だな」

 

 独り言のように呟きながら、思考を整理する。こうして言葉に出すことは、ゲーム時代からの癖だった。誰もいないからこそ、自分の考えを声にすることで、頭の中を論理的にまとめられる。

 

 今、自分に必要なのは情報。

 

 そして、この世界が自分の知る過去なのか、それとも全く別の異世界なのかを見極めることだった。

 

「飛行の魔法は使えた。なら、他の魔法も使えるはずだ。となれば顔を隠して……情報を集めるべきか。それとも、魔法で情報を集めるべきか……まずは魔法で情報を集める。その後潜入だな」

 

 結論を出すと、モモンガは遠見の魔法を発動する。視界が一気に広がった。何キロも離れた街並みが、まるで目の前にあるかのように鮮明に映し出される。

 

 人々が歩き、車が道路を走り、子どもたちが公園で遊んでいる。だが、音までは届かない。映像だけでは情報量に限界がある。それでも学校らしき建物、商業施設、道路標識、広告、カレンダーなどを丹念に観察していく。

 

 断片的な情報を一つひとつ繋ぎ合わせる。

 

 その結果、この世界が西暦2000年前後と思われる文明水準であることは、おおよそ判断できた。少なくとも、自分がいた荒廃した未来世界ではない。

 

 さらに注意深く観察を続けるが、人々が魔法を使う様子は一度も見られない。誰もがごく普通の人間として生活している。

 

「少なくとも、命の危険はなさそうだな」

 

 そう結論付ける。もっとも、それは自分に限った話である。むしろ危険なのは、この世界の人々の方かもしれない。自分が絶望のオーラなどを発動させれば……。

 

 問題は、なぜ自分がモモンガの姿のまま、この世界へ来たのか。

 

 ゲームキャラクターの肉体。ゲームの能力。ゲームの魔法。その全てが現実になっている。偶然とは思えない。必ず理由があるはずだ。

 

「とりあえず、なぜ自分がモモンガの姿で転移したのかを探る。帰る手段を探す……一応はこれで行くか」

 

 方針を決めると、完全不可視化を発動する。自分の身体が空気へ溶け込むように消えていく。誰の目にも映らないことを確認すると、そのまま山を下り、街へ向かって歩き始めた。

 

 街は美しかった。

 

 空は青く澄み渡り、木々は鮮やかな緑を揺らし、人々は笑いながら日常を過ごしている。どこを見ても生命に満ちあふれていた。

 

 自分が生きてきた世界とは、何もかもが違う。工場の煤煙も、有毒な雨も、空を覆う灰色の雲もない。子どもたちは笑い、大人たちは未来を信じて歩いている。

 

 その光景を見つめながら、モモンガは静かに思う。

 

(何故……俺たちの世界は、あんな姿になってしまったんだろうな)

 

 誰に向けるでもない疑問は、胸の奥へ静かに沈んでいった。

 

☆ ☆ ☆

 

 そして情報を集め、夜の静寂の中で一日分の情報を整理していた、その時だった。突如、頭の中へ直接響くような声が飛び込んでくる。

 

『聞こえますか! 僕の声が聞こえますか! 聞いてください! お願いです! 僕に少しだけ力を貸してください!』

 

 鼓膜を震わせたわけではない。まるでメッセージに近い系統の魔法。だが、自分の知るユグドラシルのそれとは微妙に違う。もっと不特定多数へ向けて発信されているような、不安定な術式だった。

 

「……これは、誰かが魔法を発動している? 場所は……分かるな」

 

 魔力の流れを追えば、おおよその発信源は把握できる。完全に未知の術式ではあるが、少なくとも魔法であることは間違いない。

 

 さて、動くべきか、動かざるべきか。モモンガは腕を組み、僅か数秒で可能性を洗い出す。罠。偶然。あるいは、この世界に存在する魔法使いとの接触。

 

 得られる利益と危険性を天秤に掛ける。

 

「確か、虎穴に入らずんば虎子を得ず、だったかな? 行くか」

 

 冷徹な計算がある。上手くいけば、自分以外にも魔法を扱う存在と接触できる。この世界がどのような法則で成り立っているのか。魔法は一般的な技術なのか。それとも極一部しか扱えない秘術なのか。

 

 何一つ分からない現状では、一つでも情報を増やす価値は大きい。その判断が、普段なら慎重を重ねるモモンガを動かした。もちろん、無策ではない。

 

 完全不可視化を維持。さらに気配を極限まで殺し、飛行ではなく木々を縫うように移動する。万が一、魔力感知能力を持つ相手だった場合、空中を飛行する方が目立つ危険性があると判断したためだ。

 

 そして目的地へ辿り着く。そこにいたのは、一人の少女だった。年齢は十歳前後。ごく普通の小学生にしか見えない。その隣には、一匹のイタチにもフェレットにも見える小動物。

 

(……どういうことだ?)

 

 少女からは魔力らしき反応。小動物からも反応。どちらが術者なのか判別がつかない。

 

(彼女も魔法を使えるのか? 地球にも魔法があった? なら俺は誰かの魔法でアバターの姿のまま過去に転移させられた?)

 

 仮説が次々と浮かぶ。

 

 しかし、その全てを自ら否定する。

 

(いや、思考が飛躍している。証拠がない。情報不足だ。決め付けるには早すぎる)

 

 情報が少ない時ほど、結論を急ぐべきではない。それはギルドを率いていた頃から変わらない、自身の信条だった。完全不可視化が維持されている以上、見つかる危険性は極めて低い。

 

 だが、本当にそうか?

 

 ユグドラシルには不可視を看破する魔法も、感知能力も数多く存在した。この世界にも同様の能力が存在しない保証はない。最悪の場合、転移で撤退すればいい。

 

 もし、それすら封じられたなら――。

 

(殺せばいい)

 

 その思考が、何の躊躇もなく浮かんだ。

 

(――待て)

 

 モモンガの思考が止まる。

 

(俺は何を考えている?)

 

 自分でも驚くほど自然だった。情報漏洩を防ぐ。危険因子を排除する。そのために殺害する。まるで、それが当然の選択肢であるかのように。

 

(何故、ここですぐに殺すという選択肢がある?)

 

 鈴木悟だった頃なら絶対に浮かばなかった発想だ。アンデッドとなった影響なのか。その答えはまだ分からない。

 

(……いや、それは後で考えよう。今は情報収集が最優先だ)

 

 余計な思考を切り捨てる。視線を少女たちへ戻す。

 

(あのイタチ……いや、小動物の方が魔法を使っているのか?)

 

 その疑問に答えるように、異形の魔物が突如として姿を現した。歪な魔力。生命体というより、魔力が形を持った存在。ユグドラシルのモンスターとも召喚獣とも異なる。

 

(召喚魔法を使えば倒せるか?)

 

 戦力比較を無意識に始める。

 

 敵の能力。

 

 耐久力。

 

 魔力反応。

 

 弱点。

 

 脳内では既に戦闘シミュレーションが始まっていた。しかし、その必要はなかった。少女が手にした杖が光を放つ。眩い魔法陣。

 

 衣装が光に包まれ、一瞬で戦闘用の姿へ変化する。どこか演出めいた変身。だが、その魔力制御は極めて洗練されていた。

 

(ペロロンチーノさんが見れば、大喜びしそうだな)

 

 思わずそんな感想が浮かぶ。昔なら「最高じゃねぇか!」などと騒ぎながら録画でも始めそうだ。そう思うと、自然と口元――もっとも骸骨なので表情は変わらないが――心だけが少しだけ和らぐ。

 

(なら、あの動物はマスコット……いや、補助魔導器のような役割か?)

 

 分析を続けながら戦闘を見守る。少女は魔法を自在に操り、魔物を撃破した。戦闘終了。その一連の流れを見届けたモモンガは静かに結論を出す。

 

(どうやらユグドラシルとは魔法体系そのものが違うようだ)

 

 詠唱はほとんど存在しない。

 

 願う。

 

 イメージする。

 

 その意思に従って魔法が構築される。

 

 まるでプログラムが術者の思考を読み取っているようだった。

 

(奇跡のような魔法体系だな)

 

 ユグドラシルとは全く異なる発展を遂げた魔法文明。その事実だけでも、この世界を調査する価値は十分にある。

 

(しばらく、この完全不可視化を維持したまま彼女たちについて行こう。上手くいけば、更に情報も手に入る)

 

 もちろん、決して姿は見せない。必要以上の接触もしない。観察者に徹する。それが現時点で最も安全かつ効率的な情報収集方法だった。

 

(……ペロロンチーノさんがいたら、『少女の家に忍び込む変態じゃねぇか!』って絶対に叫ぶだろうな)

 

 そんな呆れたような笑い声が耳の奥で聞こえた気がした。もう聞くことのできない、親友の声。

 

(……叫ばれてもいいから、もう一度会いたいな)

 

 その小さな願いだけは、アンデッドとなった今も消えることはなかった。

 

☆ ☆ ☆

 

 モモンガは完全不可視化を維持したまま、高町家の様子を静かに見守っていた。食卓を囲み、笑い合い、何気ない会話を交わす家族。父が娘を気遣い、母が優しく微笑み、兄や姉が自然に会話へ加わる。

 

 そこには特別な出来事など何一つない。ただ、平凡で穏やかな日常が流れているだけだった。だが、その光景はモモンガにとって、どんな秘宝よりも眩しく映った。

 

 なのはたち家族のやり取りを見ていると、胸の奥が僅かに締め付けられる。羨ましい。その感情が、アンデッドとなった今でも完全には消えていないことに、自分自身が少し驚く。

 

(俺も……小さい頃は、こんな時間を過ごしていたのだろうか)

 

 思い出そうとしても記憶は曖昧だった。幼くして両親を亡くした。それ以降は、生きるためだけの日々。学校を卒業し、会社へ入り、ただ働き続ける人生。

 

 温かな食卓など、遠い昔に失われたものだった。だからこそ、この何気ない団欒が、ひどく眩しく見えた。自分にはもう戻れない世界。

 

 それでも、壊したいとは思わない。むしろ、この笑顔だけは守られるべきものなのだと、不思議なほど自然に思えた。やがて、なのはが自室へ戻る。

 

 モモンガは視線を逸らした。一応、着替える間は目を閉じる。

 

(……それくらいの良識は残っているつもりだ)

 

 見ようと思えば見られる。しかし、それをすれば鈴木悟としての最後の一線まで失ってしまう気がした。

 

(許してくれ。勝手に家へ入り込んでいる時点で十分失礼だ。償いは……いずれ必ずする)

 

 誰に聞かせるでもない謝罪を胸の中で呟く。やがて衣擦れの音が止み、気配が落ち着いたのを確認してから、再び目を開いた。

 

 するとユーノとなのはが魔法を用いて会話を始める。

 

 声は外へ漏れていない。メッセージ系統の魔法か、防音結界か。ならば――。モモンガも静かにメッセージの魔法を発動する。

 

 魔力を極限まで抑え、相手の術式へ干渉する。

 

 強引に破るのではない。僅かな隙間へ糸を通すように、術式へ自らの魔力を滑り込ませる。

 

『それで、なのは……あれ?』

 

『どうしたのユーノ君?』

 

『なんだが誰かと繋がった気が……気のせいかな。それでジュエルシードは――』

 

 無事に成功。

 

 会話がはっきりと聞こえてくる。

 

(これなら見つからずに聞き耳を立てられそうだ)

 

 相手は自分の存在に気付く様子もない。

 

 魔法体系が違うからこそ可能だったのか、それとも単純に技量の差か。まだ判断材料は少ない。モモンガは淡々と会話を記憶していく。

 

 そして、ユーノの口から飛び出した言葉に思考が止まった。

 

 ――ジュエルシード。

 

 願いを叶える宝石。

 

(俺が、この世界へ転移したのは……ジュエルシードの力なのか?)

 

 その言葉が頭の中で何度も反響する。手にした者の願いを叶える。もしそれが本当なら。ならば何故、自分の願いは叶っていない?

 

 俺の願いはただ一つ。もう一度、皆と冒険すること。ギルドの仲間たちと笑い合い、馬鹿話をしながらダンジョンを攻略すること。

 

 それだけだった。

 

(それとも……過去へ転移したこと自体が、その願いへ繋がる第一歩なのか?)

 

 可能性はある。しかし、それを肯定するだけの証拠は何一つない。情報が少なすぎる。

 

(……いや、まだジュエルシードが本当に願いを叶えるものなのかも分からない)

 

 伝承。

 

 誇張。

 

 比喩表現。

 

 あるいは制限付きの能力。

 

 何もかもが不明だ。

 

 まずは情報を集める必要がある。

 

 それ次第で、自分の行動方針は大きく変わる。

 

(ジュエルシードが本当に願いを叶えるなら……)

 

 人間に戻る。その選択肢が自然と浮かぶ。骨だけの身体ではない。温もりを感じる身体。食事を味わい、眠り、涙を流せる身体。

 

(……しかし)

 

 その思考を別の疑問が遮る。

 

(俺は今、本当にアンデッドなのか?)

 

 今日だけでも何度か感じた。危険があれば殺せばいい。その考えがあまりにも自然に浮かんでしまう。以前の自分なら決して選ばなかった選択肢。

 

 たっちさんが聞けば、きっと拳骨の一つでも落としてくるだろう。それに対して胸の奥が少しだけ痛む。

 

(精神が完全にアンデッドになってしまう前に……何か対策を考えた方がいいかもしれない)

 

 自分が自分でなくなる。

 

 それだけは避けたい。

 

 ギルドマスターとしてではなく。鈴木悟として。最後に残った人間らしさだけは失いたくなかった。さらにユーノの話は続く。

 

 世界は一つではない。数え切れないほど存在する並行世界。

 

(世界が……いくつもある?)

 

 その情報だけでも価値は計り知れない。

 

 ならば。

 

 どこかには。

 

 どんな願いでも叶えられる世界が存在するかもしれない。

 

 仲間たちがログインし続けている世界。

 

 皆がログアウトした世界。

 

 あるいはナザリックごと転移した世界。

 

 可能性はゼロではなくなった。

 

(……ふふふ)

 

 自然と笑いが込み上げる。骸骨の顔では笑顔にはならない。それでも心だけは確かに笑っていた。

 

(もし人間に戻れないなら……いや、戻れても、いろんな世界を旅するのも悪くないかもな)

 

 知らない文明。

 

 知らない魔法。

 

 知らない種族。

 

 未知を巡る旅。

 

 ゲーム好きだった鈴木悟なら、きっと胸を躍らせたはずだ。そして、その旅路に――。

 

(そこに友人たちがいてくれれば、完璧だったな)

 

 その願いだけは、どれだけ世界が変わろうとも、決して変わることはなかった。




とりあえず暫くは更新をできる限り早くしたい……
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