FAIRY TAIL ―継ぎ接ぎのS級魔導士― 作:七草空斗
僕とグレイは意識を失ったリオンを二人がかりで運びながら、入り組んだ遺跡の階段を一段ずつ上っていった。
道中、上階から下りてきたナツやエルザ、拘束を解かれたルーシィたちと合流し、そのまま揃って頂上を目指す。
紫色の月光が降り注ぐ祭壇へ辿り着く頃には、運ばれていたリオンも意識を取り戻していた。
「デリオラを倒したぞ!」
ナツとハッピーは、早くもS級クエストを達成したつもりで喜びに沸いている。
「盛り上がってるところ悪いけど、まだやることが残ってるでしょ?」
近くの岩場へ腰を下ろし、乱れた呼吸を整えながら淡々と告げる。
「え?」
揃って呆けた顔をする二人へ、エルザが厳しい視線を向けた。
「今回の依頼は、悪魔に変えられた村人たちを救うことだ。デリオラが消えた今も、S級クエストはまだ終わっていない」
「でも、デリオラは死んじゃったんだし、元凶がいなくなったなら村の呪いも解けるんじゃないの?」
ルーシィの楽観的な問いに、僕は首を横へ振った。
「いや、村人の異変とデリオラは関係ないと思う。デリオラが人間を悪魔へ変えたなんて記録は、これまで一度も見たことがないからね」
「おそらくは、数年にわたって放出された『
エルザの推測を聞き、ルーシィの顔が不安に曇る。
「そんな……じゃあ、どうやって村の人たちを治せばいいのよ」
「あっ」
何かに気づいたグレイが、祭壇の端で身体を休めていたリオンへ鋭い視線を向けた。
「……オレは知らんぞ」
「何だとォ!!」
「とォ!!」
素っ気ない返答を聞くなり、ナツとハッピーが揃って突っかかる。
「三年前、この島へ来た時から村が存在することは知っていた。だが、オレたちは村人に一切干渉していない。奴らもまた、こちらへ来ることはなかったからな」
「三年もの間、一度も?」
僕が問い返すと、リオンは隠し立てする様子もなく、きっぱりと頷いた。
「そういえば、遺跡からは毎晩のように『
「それだけ目立つ儀式が行われていたのに、村人が一度も調べに来なかったのは確かにおかしいね」
ルーシィの指摘に同意しながら、僕は頭の中でこれまでの情報を整理する。
不可解な点は、それだけではなかった。
「それに、『
リオンが続けた。
「疑問ってなんだよ?」
ナツに問い詰められ、リオンは皮肉げに鼻を鳴らす。
「考えてもみろ。三年間、オレたちも村人と同じ光を浴び続けていたんだぞ。だが、見ての通りオレたちの身体には悪魔の兆候など一切ない」
「たしかに……!」
その言葉に、一同が互いの顔を見合わせた。
三年間、同じ島で同じ光を浴び続けていたにもかかわらず、姿を変えたのは村人だけ。遺跡にいた魔導士たちには、何の異変も起きていない。
「気をつけな。奴らは何かを隠している」
リオンは夜風に揺れる森へ目を向け、興味を失ったように肩の力を抜いた。
「……まあ、ここからはギルドの仕事だろ」
その忠告を受け、僕も森の向こうにある村の方角を見据えた。
────────────────────────────────────────────
リオンの忠告を背に、僕たちは一抹の警戒を抱きながら、村人たちを避難させた資材置き場へ向かった。
夜風に揺れる木々の隙間から紫色の月光が差し込み、足元へ歪な影を落としている。
「あれ……?誰もいない」
資材置き場へ足を踏み入れたルーシィが、不安げに周囲を見回した。
地面には大勢が座り込んでいた跡が残り、使いかけの毛布や空になった水差しもそのまま置かれている。つい先ほどまで、ここに村人たちが身を寄せていたことは間違いない。
それなのに、肝心の人影だけがどこにも見当たらなかった。
「ここに全員いたはずだよな?」
「村が壊されちゃったから、ほかに行く場所もないはずなんだけど……。一体どこへ行ったんだろう」
手分けして周囲を捜してみたものの、人の気配はおろか、物音一つ聞こえてこない。
これだけの人数が一斉に移動したのなら、足音や話し声くらい残っていてもおかしくない。だが、耳を澄ませても返ってくるのは、木々を抜ける風の音だけだった。
静けさそのものが、何かを覆い隠しているように感じられた。
「皆さーん!!戻られたのですか!た、大変なんです!!」
張り詰めた空気を破るように、資材置き場の入口から一人の村人が駆け込んできた。
顔には滝のような汗が流れ、肩を大きく上下させている。ただ人を捜していたという様子ではない。何か信じられないものを目にして、そのままここまで走ってきたような顔だった。
「そんなに慌ててどうしたんだ?それより、ほかの奴らはどこへ行った?」
ナツが問いかけるが、村人は乱れた呼吸を整える間もなく叫んだ。
「と、とにかく村まで来てください!今すぐに!!」
詳しい事情を尋ねる余裕もないまま、僕たちは村人に促されて来た道を引き返した。
森を抜け、壊滅したはずの村が見えてきたところで、先頭を走っていたルーシィの足が止まる。
そして、僕たちが目にしたのは――。
「な、何これ……」
「昨日、ボロボロに壊されたはずなのに……」
目の前に広がる光景を前に、ルーシィとハッピーが揃って言葉を失った。
昨日の村は、アンジェリカの『毒毒ゼリー』によって跡形もなく破壊されていたはずだ。
押し潰された家屋。
毒液に呑まれた広場。
瓦礫の下へ崩れ落ちた塀。
その凄惨な光景は、僕もナツもこの目で確かに見ている。
だが、今では倒壊したはずの家々が元の場所へ立ち並び、砕けた石壁にも、毒液に侵された地面にも傷一つ残っていない。
まるで昨日の惨状だけが、最初から存在しなかったことにされたかのようだった。
「元に戻ってる……」
ナツは信じられないといった様子で村の中へ踏み込み、近くの建物を何度も叩いて確かめる。
拳が触れるたびに返ってくるのは、幻ではない確かな感触だった。
「まるで、時間が巻き戻ったみたいだね」
「時間……まさか、あいつが改心して直したのか……?」
ナツも僕と同じ人物を思い浮かべたのか、修復された村を見渡しながら顔をしかめる。
「『時のアーク』……ね」
近くの壁へ歩み寄り、継ぎ目一つ残っていない石材を指先でなぞった。
表面から感じ取れるのは、ごくありふれた石の冷たさだけ。修復のために新しい材料を継ぎ足した形跡も、魔力によって無理やり固めた痕跡もない。
指先に伝わる感触を確かめながら、地下で戦った仮面の男の不気味な笑みを思い出す。
「魔導士殿!!いつになったら月を壊してくれるのですかな!!」
思考を遮るように、村長が血相を変えて詰め寄ってきた。
元通りになった村を喜ぶよりも、頭上に浮かぶ紫色の月への恐怖が勝っているらしい。周囲へ集まった村人たちも、不安げに空を見上げている。
「月を壊すこと自体は容易い」
エルザが騒ぎ立てる村人たちとは対照的に、落ち着き払った声で答える。
僕はその横顔を見つめ、小声で切り出した。
「エルザ、あの月は……」
「ああ、分かっている。だが、その前に確かめておきたいことがある」
エルザは紫色の空を見上げたまま、迷いなく答えた。
こちらが口にしようとした内容を、彼女もすでに察している。
それ以上説明する必要はないと判断し、僕は言葉を飲み込んだ。
「分かった。みんなを集めてくるよ」
「ああ、頼む」
ほどなくして、村人たちが広場へ集められた。
修復された家々に囲まれながらも、その表情に安堵はない。誰もが悪魔へ変わった自分の手足を気にしながら、紫色の月と僕たちの顔を交互に見つめている。
その全員を見渡し、エルザが静かに口を開いた。
「三年前、紫色の月が現れてから、お前たちは夜になると悪魔の姿へ変わるようになった。間違いないな?」
「はい……」
村長が自分の異形の腕へ目を落とし、重々しく頷く。
「そして、この三年間、夜になるたびに遺跡から一筋の魔光が立ち昇っていたはずだ」
「ああ。だからこそ、あの遺跡が異変の原因なのではないのですか?」
村長の答えを受け、エルザの眼差しが鋭さを増した。
「ならば、なぜ調査しなかった」
その一言が落ちた瞬間、広場の空気が目に見えて揺らいだ。
村人たちは互いの顔を見合わせ、困惑したように視線を泳がせている。
何かを隠して追及を逃れようとしている反応には見えない。
むしろ、今まで当たり前のように受け入れていた矛盾を初めて突きつけられ、自分たちでも答えを見つけられずにいるようだった。
やがて村長が額へ手を当て、記憶を探るように眉間へ皺を寄せる。
「それが……ワシらにも分からんのです。実を言えば、これまで何度も調査隊を送りました」
「それなら、そのまま遺跡に入れば――」
「……近づけないのです」
ルーシィの言葉を、村長が悲痛な声で遮った。
「遺跡へ向かって歩いているはずなのに、気がつけば村の門の前へ戻っている……。道を変えても、人数を増やしても同じでした。我々は、どうしてもあの遺跡へ辿り着くことができないのです」
「どういうこと?遺跡に近づけないって……」
「オレたちは普通に入れたぞ!?」
「本当なんだ!信じてくれ!!」
「この三年間、遺跡へ足を踏み入れられた村人は一人もいないんだ!!」
ナツやルーシィが戸惑う一方で、村人たちは口々に自分たちの体験を訴えている。
顔に浮かぶ焦りも、声に滲む恐怖も、作り物には見えない。
彼らは嘘をついているのではない。
本当に遺跡へ近づこうとし、それでも辿り着けなかったのだ。
だが、それなら別の疑問が生まれる。
同じ島で暮らしていながら、なぜ村人だけが遺跡へ近づけなかったのか。
同じ『
一つひとつは不可解な現象でも、すべてを並べれば、そこには同じ方向を指し示す歪みがあった。
黙って証言を聞いていたエルザが、不意にこちらを振り返る。
「ヴェルク、お前はこの件をどう見る」
「意見を聞きたいって……エルザの中では、もう答えがまとまってるんでしょ?」
「ふふ、まあな。だからこそ、お前の見解と一致させておきたい」
自信に満ちた彼女の笑みを受け、僕は夜空に浮かぶ不気味な月を指差した。
「ざっくり言えば、この三年間の儀式で積み重なった
僕は夜空に浮かぶ不気味な月を指差した。
「それが紫色の月光を生み出している。その歪んだ光こそが、村人にだけ異変を起こしている元凶だ」
ただし、今の段階ではまだ仮説にすぎない。
不可解だった現象の一つひとつは説明できても、実際に確かめなければ断定はできなかった。
「詳しいことは、実際にあの月を破壊すれば証明できると思うよ」
僕の見解を聞き終えたエルザは、満足げに口元を緩めた。
「やはり、お前も同じ結論に至ったか」
「エルザも最初からそう考えてたんでしょ?」
「ああ。私の見解と一致している」
短い返答と同時に、彼女の周囲へ凄まじい魔力が渦巻いた。
眩い光がその全身を包み込み、次の瞬間には、巨大な角を備えた重厚な鎧へと換装されている。
「これから月を破壊する。そして、皆を元に戻そう」
エルザの口から飛び出した『月の破壊』という大それた計画に、村人たちは歓喜の声を上げ、対照的にグレイやルーシィたちは「何を言っているんだ」と言わんばかりの困惑した表情を浮かべた。
「月を壊すなら、あの遺跡の上からやった方がいいんじゃねえか?ここより高いし、近そうだぜ!」
月を破壊するという暴挙を前に、ナツはワクワクを抑えきれない子供のようにはしゃぎながら提案する。
「いや。村人たちは遺跡に近づけないし、月を破壊するくらいならここからでも十分だよ」
「月を壊すって……さすがにあの二人でも無理だよな?」
「な、何をするつもりなの……?」
魔法がどれほど強力でも、遥か夜空に浮かぶ天体を破壊するなど不可能に近い。
それを簡単に言ってのける僕たちに、グレイとルーシィは緊張した面持ちで冷や汗を流していた。
「この鎧は『巨人の鎧』。投擲力を極限まで高める効果を持つ。そして、この槍は闇を退けし『破邪の槍』だ」
エルザの手に、長大な槍が現れる。
鋭い穂先から放たれる魔力だけでも、その威力が尋常ではないことは十分に伝わってきた。
「なるほどな!そいつをぶん投げて月をブッ壊すのか!!」
ナツとハッピーが揃って歓声を上げ、月が破壊される瞬間を今か今かと待ちわびる。
一方、グレイとルーシィは「無茶だ」と言わんばかりに立ち尽くしていた。
「うん。理屈としてはそういうことだよ」
僕はエルザの隣へ立ち、構えられた槍と紫色の月を交互に見比べる。
「破邪の槍なら月を破壊するだけの威力はある。ただ、この距離から確実に届かせるなら、僕の魔法も重ねた方がいい」
片腕を上げ、槍の穂先から月までの距離を測る。
「だから僕の魔法で、月まで届くように加速のアシストと火力を上昇させるよ」
「加速させるって、いったいどうやって……?」
常軌を逸した作戦に、ルーシィが僅かに身を引きながら問いかけてくる。
「エルザが槍を放つ瞬間に、僕が石突きを殴る。巨人の鎧の投擲力へ重力による加速を上乗せすれば、ここからでも月まで届くよ」
巨人の鎧が生み出す力と、僕の空間魔法。
二つが寸分違わず噛み合えば、狙いを外すことはない。
「あー、もう二歩後ろに下がって……そこから右に四歩半くらいかな」
僕の指示に従い、エルザが立ち位置を変える。
再び槍を構えた彼女の姿勢を確認しながら、穂先の向きと頭の中に描いた軌道を重ね合わせた。
「位置はここでよさそうか?」
「うん、そこで大丈夫。あとは月の正面へ向かって、いつも通り投げ抜いて。細かいブレは僕が抑えるから」
「ああ」
短く頷くエルザの顔に不安や迷いはない。
村人たちは祈るように両手を組み、ナツとハッピーは期待に満ちた目で僕たちを見つめている。
「二人とも、なんであんなにノリノリなんだよ……」
「まさか本当に月が壊れたりしないわよね……?」
背後から聞こえるグレイとルーシィの声を受け流し、僕はエルザの槍へ意識を集中させた。
「準備はできたよ」
エルザが深く腰を落とす。
巨人の鎧が大地を踏み締め、破邪の槍を握る腕へ凄まじい力が集まっていく。
僕も身を屈め右腕へ魔力を集中させた。
「合図はこちらからでいいな?」
「うん。任せるよ」
片手を夜空へ向ける。
「
放たれた魔力が空間へ浸透し、槍の穂先から紫色の月までを結ぶ軌道を固定する。
目には見えないはずの夜空へ、一本の道が通ったような感覚が生まれた。
僕は槍の石突きを確実に捉えられる位置で、右拳を構える。
「ヴェルク!!」
エルザの鋭い声が響く。
巨人の鎧が生み出す圧倒的な膂力を受け、破邪の槍がその手から放たれた。
石突きが目の前を通過する一瞬に合わせ、僕は右拳を叩き込む。
「
右腕へ集めていた魔力が拳から解放され、槍の末端へ一気に流れ込んだ。
巨人の鎧による投擲力へ、重力エネルギーによる加速が爆発的に上乗せされる。
破邪の槍は彗星のような光を引き、固定された軌道に沿って夜空を切り裂いていった。
「届けェェえええっ!!!」
エルザの叫びが夜空へ響く。
一同が固唾を呑んで見守る中、槍は一切速度を緩めることなく、紫色の月へ吸い込まれていく。
そして――ついに、その表面へ衝突した。
ピキッ
不気味な紫色の月に、決定的な亀裂が走る。
「「嘘だぁーーーー!!!」」
グレイとルーシィの驚愕が重なった。
だが、異変はそれだけに留まらない。
月に生じた亀裂は徐々にその輪郭を越え、蜘蛛の巣のように夜空全体へ広がっていく。
「な、何だ……?」
「月だけじゃない……空まで割れてる!?」
歓声を上げていた村人たちの表情も、次第に困惑へと塗り替えられていった。
やがて月を取り囲んでいた紫色の空そのものが、巨大な結晶のように砕け散る。
無数の破片が剥がれ落ち、その向こう側から姿を現したのは、禍々しい紫色ではない。
どこまでも澄み渡った、青白い月本来の輝きだった。
「こ、これは……」
「空が割れた……?一体、何が起きているんだ……」
降り注ぐ紫色の破片を前に、一同が騒然となる。
僕は本来の光を取り戻した月を見上げ、種明かしをするように口を開いた。
「今壊したのは、本物の月じゃないよ」
「本物の月じゃない?」
ナツが不思議そうに首を傾げる。
「三年間の儀式で漏れ出した
空から降り注ぐ破片へエルザが手を伸ばす。
「島の人たちは、ずっとその膜を通して月を見ていた。だから、本来は青白い月が禍々しい紫色に見えていたんだ」
破壊された膜の破片は、地表へ近づくにつれて細かく砕けていく。
本来の月光を反射し、無数の光となって村の上空を舞っていた。
それはまるで、長年の呪縛から解き放たれた島を祝福する雪のようだった。
「邪気の膜は破れた」
エルザは舞い散る光を背に、村人たちへ力強い視線を向ける。
「これで、この島は本来の輝きを取り戻す」
結晶の輝きが次第に落ち着き、清廉な月光が村を満たしていく。
けれど、歓声は上がらなかった。
「あ、あれ……?」
「…………」
村人たちの角も、変色した皮膚も、悪魔そのものの姿も変わっていない。
互いの身体を見比べ、困惑した声が広がっていく。
「元に……戻らねえのか……?」
「そんな……」
愕然とするグレイとハッピーの肩へ、それぞれ手を置いた。
「いや、これで元通りだよ」
「ああ」
巨人の鎧からいつもの装備へ換装しながら、エルザが僕の言葉を引き継ぐ。
「邪気の膜が侵していたのは、彼らの姿ではない。記憶だ」
「記憶……?」
ルーシィが目を見開いた。
「そう。簡単な暗示だよ」
僕は困惑する村人たちを見回した。
「君たちはこれまで、自分たちは人間で、夜になると紫色の月光を浴びて悪魔へ変わってしまうと思い込んでいた」
近くにいた村人の一人が、自分の額から伸びる角へ恐る恐る触れる。
「けれど、それは歪められた記憶だ」
「ま……まさか……」
ルーシィが僕の言葉の意味を察し、悪魔の姿をした村人たちへ目を向けた。
「うん」
僕は静かに頷く。
「彼らは最初から、悪魔だったんだよ」
その一言に、村人だけでなくナツたちも言葉を失った。
「僕は実際に見たわけじゃないけど、君たちは本来、人間の姿へ変身できる能力を持っている。そうでしょう?」
近くにいた村人へ問いかけると、彼は混乱したように自分の身体を見下ろした。
しばらく記憶を探るように黙り込み、やがて戸惑いながらも頷く。
「は、はい……。まだ少し混乱していますが、確かに……そうだったはずです」
「でも、それならリオンたちはどうして平気だったの?」
足から力が抜けたようにへたり込みながら、ルーシィが疑問を口にした。
「リオンたちは人間だからだよ」
僕は夜空から降り注ぐ最後の結晶を見上げる。
「この記憶障害は、悪魔にだけ作用していたらしい。遺跡へ近づけなかった理由も、それで説明できる」
「どういうことだ?」
「
儀式が始まった当初に抱いた「あそこは危険だ」という感覚だけが、記憶を歪められた後にも残った。
けれど、その理由を思い出すことはできない。
結果として、彼らは無意識に遺跡を遠ざけ、どれほど近づこうとしても村へ引き返していたのだ。
「さすがだ……。君たちに任せてよかった」
聞き覚えのない声が、後方から響いた。
その場にいた全員が弾かれたように振り返る。
月光の下に立っていた悪魔の姿を見て、ナツとグレイが目を見開いた。
「あ、あんた、あの時の船乗りのおっさんか!?」
グレイが青ざめた顔で、震える指を悪魔へ向ける。
「ああ。魔導士さんたち、本当にありがとう」
「ボ……ボボ……!?」
「ええっ!?だって、死んだはずじゃ……!!」
村人たちの間から驚愕の声が上がり、広場は再び騒然となった。
「胸を刺されたくらいじゃ、悪魔は死なねぇよ!」
ボボは豪快に笑いながら、自分の胸を叩いてみせる。
「だ、だってあの時、船の上から煙みたいに消えただろ……?」
グレイの問いに、ボボは悪戯っぽく笑った。
その身体が煙のように揺らぎ、輪郭ごとその場から掻き消える。
次の瞬間には頭上へ姿を現し、何事もなかったように白い歯を見せた。
「あの時も、こうやって姿を消しただけだ」
「紛らわしいことしやがって……!」
「あの時は本当のことを話せなくて、すまなかった」
笑みを浮かべていたボボの表情が、僅かに曇る。
「俺だけ先に記憶が戻って、自分たちが悪魔だと思い出したんだ。けど、自分を人間だと思い込んでいるみんなが怖くて仕方なかった。それで、一人でこの島を離れた」
切なさを滲ませながらも、ボボはどこか晴れやかな表情で仲間たちを見渡している。
「この人が、あの墓の……村長さんの息子か」
アンジェリカの『毒毒ゼリー』に荒らされた墓地と、その前で泣き崩れていた村長の姿が脳裏に浮かぶ。
死んだと思われていた息子が無事に戻った。
その事実に、僕の口元から自然と笑みがこぼれた。
「ボボ―――!!!」
村長の瞳から大粒の涙が溢れる。
大きく翼を広げて地面を蹴ると、一直線に息子のもとへ飛び込んでいった。
ボボも両腕を広げ、その身体を正面から受け止める。
「やっと正気に戻ったな、親父!」
二人は人目も憚らず、互いの無事を確かめるように強く抱き合った。
それに続くように、ほかの村人たちも次々と翼を広げる。
青白い月光の下、悪魔たちは本来の姿のまま夜空へ舞い上がり、長い間忘れていた自由を謳歌していた。
「悪魔の島……か」
その光景を見上げ、エルザが静かに呟く。
すると、ルーシィが何かに気づいたように僕を振り返った。
「悪魔……ってことは、まさかヴェルク、あの人たちを……」
「ルーシィ……。僕のことを何だと思ってるのさ」
悪魔狩りを生業としている僕の性質を思い出したのか、彼女の顔がみるみる青ざめていく。
その反応に苦笑し、溜め息をついた。
「そんな見境なく悪魔を狩ったりしないよ。それに――」
月光の下で笑い、泣き、喜びを分かち合う村人たちへ目を向ける。
僕が言葉を続けるより先に、ナツが笑顔で口を開いた。
「ああ。みんなの顔を見てっと……悪魔っていうより、天使みてぇだな」
その言葉を聞き、僕たちの間にも自然と笑みが広がった。
「今夜は宴じゃ―――!!悪魔の宴じゃ―――!!!」
「悪魔の宴って、なんだかすごい響きね……」
村長の宣言とともに、村中から歓喜の声が上がる。
偽りの月から解放されたガルナ島で、長い夜の終わりを祝う盛大な宴が始まった。
――――――――――――
「あれ?ヴェルク、どこに行くの?」
宴の火がパチパチと爆ぜ、村人たちが奏でる不揃いな楽器の音が響き始めた頃。
ジョッキを片手に広場を歩いていたルーシィが、喧騒から離れていく僕の姿に気づき、小走りで追いかけてきた。
「ん?ああ、ごめん。遺跡の方に少し用事があってね。大丈夫、すぐに戻るから」
「そう? ヴェルクもこの宴の主役なんだから、なるべく早く戻ってきてよね。村のみんなも待ってるんだから」
少し心配そうに眉を下げながらも、ルーシィの表情は晴れやかだった。
「分かってる。すぐ戻るよ」
手を振って彼女と別れ、一人で夜の森へ足を踏み入れる。
生い茂る植物や枝をかき分け、月光が僅かに差し込む獣道を進んでいく。
背後から聞こえていた楽器の音や笑い声は次第に遠ざかり、やがて木々を揺らす夜風の音だけが辺りを満たした。
しばらく森を進むと、視界を塞いでいた木々が途切れる。
その先に広がっていたのは、青白い月光が降り注ぐ遺跡頂上の祭壇だった。
祭壇の端には、村へ向かう際に別れた二人の姿が残っている。
「やあ。さっきよりかは調子が良さそうだね」
月光の下に座り込んでいるのは、満身創痍のリオンだった。
その傍らには、いつでも肩を貸せるようにトビーが寄り添っている。
こちらの気配に気づいたリオンが重い瞼を持ち上げ、鋭い視線を向けてきた。
「……今更、俺に何の用だ」
「ユウカをやった奴じゃねーかよ!今更、俺たちに何の用だ!」
トビーがリオンを庇うように前へ出た。
魔法によって伸びた鋭利な爪が月光を反射し、ギラリと不穏な輝きを放つ。
「まあまあ、落ち着いて。敵意はないよ」
両手を上げ、危害を加えるつもりがないことを示しながら二人へ近づく。
抱えてきた荷物を地面へ下ろし、中から医療道具を取り出した。
「話がしたくて来ただけだよ。でも、その前に――」
リオンの前へ腰を下ろし、その腕をそっと引き寄せる。
トビーが反射的に爪を振り上げかけたものの、リオンが短く制した。
「待て」
「でもよ、リオン!」
「こいつに攻撃する意思はない」
トビーは不満そうに唸りながらも、構えていた爪を下ろした。
「まずは二人の傷の手当てからだね。話はそれからにしよう」
「俺はケガなんかしてねーよ!」
「いや、どう見てもしてるでしょ……」
勢いよく否定するトビーへ冷静に返しながら、リオンの傷口へ薬を塗っていく。
切り傷や打撲だけではない。グレイとの戦いで魔力を使い果たした影響も大きいのだろう。身体の至るところに傷が残り、座っているだけでも辛い状態に見えた。
包帯を巻かれている間、リオンは痛みに顔をしかめることもなく、理解できないものを見るような目で僕を見つめていた。
「俺たちはデリオラを復活させるために、あの村を襲った」
低い声が、静かな森へ落ちる。
「そんな敵を、なぜ治療する。同情か?」
「デリオラはもう死んだ。それに、僕がこの島へ来たのは、村人から受けた『月の破壊』の依頼を達成するためだよ」
包帯を引き締め、崩れないように結び目を作る。
「村人たちは全員無事だった。壊された村も誰かが元に戻してくれたみたいだしね。今さら君たちと敵対し続ける理由も、個人的な恨みもないよ」
この島で起きた争いは、すでに終わっている。
彼らが再び村へ危害を加えるつもりなら話は別だが、デリオラという目的を失った今その可能性も低いだろう。
「それに、君たちには個人的に聞きたいことがあるからね」
リオンの腕から手を離し、医療道具を片づける。
「今ここで倒れられて、何も聞けなくなる方が僕にとっては困る。治療する理由としては、それで十分でしょ?」
同情ではなく、こちらにも目的がある。
そう淡々と告げるとリオンは呆れたように小さく鼻を鳴らした。
「随分と勝手な理由だな」
「同情されるよりはいいんじゃない?」
「……違いない」
それ以上拒むことなくリオンは黙って手当てを受け入れた。
「よし。応急処置だけど、これで大丈夫。あとは自分でどうにかしてね」
医療道具を手にしたまま今度はトビーへ向き直る。
「次は君」
「だから俺はケガなんか――いててててっ!そこ触るなよ!」
「やっぱりケガしてるじゃないか」
傷口へ薬を塗られて悲鳴を上げるトビーに包帯を巻いていく。
先ほどまで警戒していた彼もこちらに敵意がないと理解したのか、途中からは大人しく手当てを受けていた。
「……話があるんだろ」
遠くから聞こえる宴の音へ耳を傾けながらリオンが静かに口を開く。
「俺が知っていることなら話してやる」
「ずいぶん素直なんだね。もっと聞き出すのに苦労すると思ってたよ」
「デリオラは死んだ」
月を見上げたままリオンは淡々と続けた。
「俺に……貴様らと戦い続ける大義は、もう残っていない」
十年近く追い続けてきた目的を失った男の声には、怒りも執着もなかった。
残っているのは、すべてが終わった後の空虚さだけだ。
「そうだね」
治療を終えたトビーから離れ、リオンの正面へ座り直す。
「じゃあ、まずはザルティという男について教えてもらおうか」
リオンは僅かに眉根を寄せ、記憶を辿るように視線を伏せた。
「ザルティについては、俺も多くを知らん。分かっているのは、奴も俺たちと同じようにデリオラの復活を望んでいたということだけだ」
「それだけ?」
「ああ。ただし――」
リオンの声に僅かな迷いが混じる。
「奴の目的は、俺たちとは違っていたように思う」
「違っていた?」
「俺は復活させたデリオラを倒し、ウルを超えることを望んでいた。だが、ザルティはデリオラを倒したいわけではなかった」
仮面の奥に隠されていた不気味な笑みが脳裏に蘇る。
「確証はない。ほとんど勘に近いが……奴にはもっと別の、デリオラの復活そのものに関わる目的があった。そんな気がする」
あの男はデリオラがすでに死んでいると知った後、驚きこそしたものの絶望してはいなかった。
むしろ興味を失ったようにその場から姿を消している。
最初からデリオラを倒すことが目的ではなかったというリオンの推測には、一定の説得力があった。
「……なるほどね」
答えを頭の中で整理し次の名前を口にする。
「ジークレインという男については?彼と会ったことや、協力関係にあったことは?」
「ジークレイン?」
聞き覚えがないのかリオンは訝しげに眉を寄せた。
「いや。一度も会ったことはない。名前を聞いたのも今が初めてだ」
「彼に関係する人物や、組織に接触したことも?」
「ああ。ない」
迷いのない返答だった。
嘘をついている様子も、何かを隠そうとしている反応も見られない。
僕は一つ頷き最後の質問を切り出した。
「そうか。じゃあ最後に、ゼレフ……『ゼレフ書の悪魔』について知っていることを話してくれないか」
「あの黒魔導士ゼレフか?」
リオンは少し考え込むように目を細めた。
「俺もほかの奴らも、一般に知られている伝承程度の知識しか持っていない。ゼレフ書の悪魔についても、デリオラのことなら多少は調べたが、ほかの個体については……」
そこで言葉を止め、記憶を探るように黙り込む。
だが、その表情を見る限りこれ以上僕が求めている情報は出てこないだろう。
「いや、もういいよ。教えてくれてありがとう」
「知っていることなら話すと言っておきながら、ほとんど答えられず悪かったな」
「気にしないで。僕も、何か分かれば儲けものくらいのつもりだったから」
期待していた答えは得られなかった。
それでも、ザルティの目的がリオンたちとは異なっていた可能性を確認できただけでも、完全な無駄ではない。
「それより、一緒にいた二人の姿が見えないけど?」
トビーへ問いかけると、彼は少し声を落として答えた。
「ユウカとシェリーなら今頃は村にいると思うぜ」
「村に? どうして?」
「村の連中に謝りに行ったんだよ」
トビーは遠くに見える宴の明かりへ目を向けた。
「かつて俺たちはデリオラに故郷を滅ぼされた。それなのに今度は、自分たちがあの村へ同じことをするところだった」
僅かに唇を噛み締める。
「そのことに気づいて、自分たちのしたことを謝りに行ったんだ。俺は、動けないリオンの世話をするために残った」
かつての犠牲者が、復讐に囚われた末に加害者へ変わろうとしていた。
その事実から目を背けず自らの非を認めるために村へ向かったのなら、少なくとも彼女たちはすべてを他人のせいにするつもりはないらしい。
「そっか。案外、良い奴らなんだね」
「案外は余計だよ!」
「まあまあ。怒らない、怒らない」
相変わらず声の大きいトビーを笑って宥め、地面に広げていた医療道具を鞄へ戻す。
欲しかった情報の大半は得られなかった。
けれど、戦うことしかなかった相手と、こうして言葉を交わせたことには意味がある。
鞄を肩へ掛け、二人に背を向ける。
再び獣道へ足を踏み入れようとしたところで、一度だけ立ち止まった。
「そうだ、リオン」
「……なんだ」
「グレイは強かったでしょ?」
森を抜ける風が三人の間を通り過ぎていく。
しばらく返事はなかった。
「……ああ」
リオンは背を向けたまま、静かに答えた。
「昔よりはな」
素っ気ない言葉だったが、その声には隠しきれない敬意が混じっていた。
グレイが積み重ねてきた時間と成長をリオンも認めている。
「リオンも、どこかのギルドに入るといいよ」
「ギルドだと?」
「あそこには、いろんな奴がいる。考え方も使う魔法も、背負っているものもバラバラだ」
村で待っている仲間たちの顔を思い浮かべる。
「それでも一つの場所に集まって、喧嘩して、笑い合って、互いを高め合っている。グレイはそんな場所で強くなったんだ」
目的を失ったリオンがこれからどこへ向かうのかは分からない。
けれど、ウルを超えることだけが生きる理由だったのなら、新しい居場所を探すことも無駄ではないはずだ。
「……まあ、僕からの余計なお節介だけどね」
それだけ言い残し今度こそ村へ向かって歩き出した。
背後から返事は聞こえなかった。
けれど、拒絶する言葉も最後まで飛んではこなかった。
村へ近づくにつれ、遠ざかっていた音楽と笑い声が再び大きくなっていく。
森を抜けて広場へ戻ると、僕の不在に気づいていたナツとエルザが揃ってこちらへ駆け寄ってきた。
「どこ行ってたんだよ、ヴェルク!」
「宴の途中で勝手に姿を消すな!」
「いや、ちょっと用事が――」
言い訳を最後まで聞いてもらえるはずもなく、左右から腕を掴まれる。
逃げる間もなくそのまま宴の中心へ連行されていった。
入れ違いに村へ戻ってきたユウカとシェリーも、村人たちに謝罪を受け入れてもらえたのか、トビーを迎えに来た後には宴の片隅へ加わっていた。
敵も味方もなく誰もが同じ火を囲み、食べて、飲んで、笑い合っている。
偽りの月が消え真実の光に照らされたガルナ島。
その歓声は月が沈み、新しい朝を迎えるまで島中へ響き渡り続けていた。