FAIRY TAIL ―継ぎ接ぎのS級魔導士― 作:七草空斗
第11話 幽鬼の支配者
昨夜の狂乱が嘘のように、ガルナ島には穏やかな朝の光が差し込んでいた。
澄み渡った空。紫ではない、本来の青白い月光を取り戻した夜の名残。村にはまだ宴の余韻が残り、あちこちから笑い声や、片付けに追われる村人たちの声が聞こえてくる。
しかし、その和やかな空気を切り裂くように、村長の絶叫が響き渡った。
「な、なんと!!報酬は受け取れない……と!?」
「ええ」
エルザの隣に立ち、今回の依頼に関わった者として僕も真面目な顔で村長へ向き直る。
「僕たちが途中で正式に依頼を引き継いだとはいえ、最初に無断で依頼を持ち出したのはS級魔導士の資格を持たないナツたちです」
結果として依頼は完遂できた。
だが、村人たちを巻き込み、余計な混乱を招いた事実まで帳消しになるわけではない。
「依頼を達成したことと、ギルドの規律を破って皆さんへ迷惑をかけたことは分けて考えるべきです。本来の依頼報酬まで受け取るわけにはいきません」
「これは私たちのギルド内の問題でもある」
エルザも村長へ深々と頭を下げた。
「この度は、こちらの不手際で余計な混乱を招いてしまいました。申し訳ない」
僕も彼女に合わせて頭を下げる。
村長は大きな翼をばたつかせながら、困り果てたようにその場を行き来した。
「ほが……しかし、それでも我々が救われたことに変わりはありませんぞ」
しばらく悩み続けた村長は、何かを思いついたように顔を上げた。
「ならば、これはギルドへの報酬ではなく、友人たちへの礼という形で受け取ってはくださらぬかの?」
「友人へのお礼、ですか」
村長の手には金色の鍵、黄道十二門の内の一本が握られている。
個人的な謝礼と言われてしまうと、こちらとしても無下には断りづらい。
エルザと顔を見合わせる。
彼女も同じことを考えたのか、小さく息を吐いて肩をすくめた。
「そこまで言われてしまうと、私たちも断り切れんな」
「そうだね」
村長へ向き直り、改めてこちらの条件を伝える。
「ですが、受け取るのは皆さんが追加で用意してくださった分だけにします。本来の依頼報酬については、先ほどお伝えしたとおり辞退させてください」
「おお!それならば喜んでお渡ししますぞ!」
「「いらねー」」
「いや、いるいる!!」
この話し合いを聞いてか後ろから追加報酬について色々聞こえてくる
けれど、依頼の規律違反の重大性に気づいていない三人を見て、僕は笑顔のまま後ろを振り返った。
「……みんな、ギルドへ戻った後のことも少しは考えようか」
「「「……はい」」」
三人は揃って背筋を伸ばした。
「それではせめて、ハルジオンまで我々がお送りしましょう」
ボボが、本来の報酬を受け取ってもらえなかった代わりとばかりに提案してくれる。
だが、エルザは丁重に首を横へ振った。
「せっかくの申し出だが、船はすでに用意できている」
「船?」
エルザが指差した先へ目を向ける。
岸辺の向こうから、見覚えのある不気味なドクロの旗を掲げた大型船が派手な水飛沫を上げて迫ってきていた。
「海賊船!?」
「ま、まさか強奪したの!?」
ルーシィが目を剥く。
間違いない。
ハルジオンからガルナ島まで来る際に使った、あの海賊船だった。
船が島へ接岸すると、甲板からいかつい男たちが満面の笑みで大きく手を振ってきた。
「姐さーん!!」
「姐さん!迎えに来やしたぜ!」
「……エルザ、これは?」
僕が先に島へ飛んだ時点では、彼らとエルザの間にここまで親しげな空気はなかったはずだ。
困惑しながら尋ねると、エルザはどこか誇らしげに胸を張った。
「何やら気が合ってな」
「何があったの……?」
「聞かない方がよさそうね……」
僕とルーシィは、ほぼ同時に同じ結論へ辿り着いた。
「イヤよ!!こんなの乗りたくない!!!」
「泳ぐなら付き合うぞ」
「無理!!!」
船へ乗りたくないナツは、躊躇なく海を自力で渡る案を出す。
いくらナツでも、ハルジオンまで泳ぎ切るのは無茶だろう。
「そんなことを考えるの、ナツくらいだから……」
苦笑いを浮かべながらツッコミを入れる。
結局、それぞれの理由で乗船を渋りながらも、全員が海賊船へ乗り込むことになった。
村人たちは岸辺へ集まっていた。
翼を広げて空から手を振る者もいれば、涙ぐみながら礼を述べる者もいる。最後まで宴の続きを勧めてくる者までおり、辺りは大変な騒ぎになっていた。
「本当にありがとうございました!」
「また遊びに来てくだされ!」
「今度は普通の宴でな!」
「悪魔の宴も十分普通じゃなかったけどね……」
ルーシィが疲れたように呟き、ハッピーが「あい!」と元気よく相槌を打った。
船がゆっくりと岸を離れ始める。
潮風が頬を撫でる中、僕は遠ざかり始めたガルナ島を見つめて一度だけ肩を回した。
「さて。僕はここで一旦、みんなとお別れだね」
「えっ、ヴェルクは一緒に帰らないの?」
全員でギルドへ戻るものだと思っていたルーシィが、驚いた声を上げる。
「うん、島でまだ調べておきたいことがいくつか残ってるんだ。それが終わったら、僕もすぐにギルドへ戻るよ」
「まだ調べることがあるの?」
「デリオラと、あの遺跡について少しね。危ないことはしないから大丈夫」
そう答えながら、島の中央にそびえる遺跡へ身体を向ける。
「
背中に白い翼を展開する。
海から吹きつける風を受け、羽が軽く揺れた。
「おう!じゃあな、ヴェルク!またギルドで!」
「ああ、今度また一緒に仕事へ行こうぜ!」
驚くほど呑気に手を振るナツとグレイ。
二人とも、ギルドへ戻った後に待ち受けているものを完全に忘れているのではないだろうか。
隣で静かに腕を組んでいるエルザへ声を潜める。
「ねえ、エルザ。ギルドに戻ったら、あの四人に
「えっ!?
ルーシィが敏感に反応した。
エルザはいつもの真面目な顔のまま、どこか楽しそうに拳を鳴らす。
「もちろんだ。最終的な処分を決めるのはマスターだが、
口元に僅かな笑みが浮かぶ。
「……腕が鳴る」
「
「いやだぁぁーー!!
ナツ、グレイ、ハッピーが抱き合いながら震え上がる。
「な、何!?本当に何なの!?誰か説明して!!」
「いやぁ、
笑顔で片手を上げる。
「みんな、頑張って」
「ちょっと待ちなさいよ、ヴェルク!言い逃げしないで説明してから行きなさいよ!」
「それじゃあ、またギルドで」
笑いながら船縁を蹴り、ガルナ島へ向かって飛び立つ。
その直後、上空まで届かんばかりのルーシィの絶叫が海を渡って追いかけてきた。
「だから
ギルドの皆と別れた後、僕はゼレフに関する痕跡を求めて再び遺跡へ足を運んでいた。
昨夜まであれほど騒がしかった島は、今では嘘のような静寂に包まれている。村から聞こえていた歓声も、海賊船から投げかけられた別れの声もここまでは届かず、潮風だけが崩れた石柱の隙間を抜けて風化した遺跡の奥で低く鳴っていた。
「……さて」
地下へ続く階段を見下ろしながら、逸っていた意識を落ち着かせるようにゆっくりと息を整える。
ウルの
あの時、
触れたのは生きた悪魔の力ではなく、長い年月をかけて
だからこそ、あの時に触れたものが何だったのかを確かめておく必要があった。
デリオラがゼレフ書の悪魔である以上、この場所にはその製造者へつながる痕跡が残されている可能性がある。僅かな魔力の偏りでも、ゼレフの術式へつながる残骸でも、デリオラの構造を示す欠片でも構わない。
僕は崩壊したデリオラの破片をいくつか慎重に回収すると、石壁や床へ指を這わせながら残された魔力の流れを探っていった。
崩れた儀式場には、ザルティが行使した『時のアーク』の痕跡と、リオンたちが三年間にわたって積み上げてきた儀式の残り香が染みついている。天井の裂け目から
それらは確かに存在している。
だが、どれも僕が探しているものとは違った。
「気になる痕跡は……なさそうだね」
各階を一つずつ調べ終え、遺跡の頂上まで戻ってきた頃には太陽が少し傾き始めていた。
上層から見下ろす森は穏やかで、昨夜まで島全体を覆っていた紫色の膜も今は跡形もない。回収した破片を持ち帰って調べるか、それとも島の別の場所をもう少し探るべきかと考えながら視線を巡らせた、その時だった。
潮風とは異なる揺れ方で、森の木々がざわりと鳴った。
最初は枝葉が擦れただけかと思ったものの、意識を向ければ一定の間隔で地面を踏み締める音が聞こえてくる。獣や村人のものとは思えないほど足運びに迷いがなく、こちらの居場所を最初から知っているような歩調で近づいていた。
「お前がヴェルク・ヴァニシュだな」
森の奥から、聞き覚えのない低く重い声が届いた。
反射的に振り返り、いつでも魔法を発動できるように身構える。
木々の間から姿を現したのは、頭にターバンを巻き、下顎を無骨な鉄当てで覆った大男だった。左目を覆う眼帯には月を象った紋様が刻まれており、その巨躯から放たれる威圧感だけで周囲の空気が僅かに張り詰めていく。
少なくとも、今すぐ襲いかかってくるほど露骨な敵意は感じない。
だが、ただの通りすがりではないことだけは一目で分かった。
僕が魔力を練り始めたことに気づいたのか、男は抵抗する意思がないと示すように、こちらから見える位置まで両手をゆっくりと上げた。
「危害を加えるつもりはない。オレの名はシモン。……エルザの旧友だ」
「エルザの知り合い?」
警戒を解かないまま、シモンと名乗った男の表情や立ち姿を観察する。
「残念だけど、彼女ならもうここにはいないよ。少し前に仲間たちと島を出た」
「いや……エルザのことはいい」
シモンは静かに首を振ると、真っ直ぐにこちらを見据えた。
「君に用があって、ここへ来た」
「僕に?」
エルザの旧友を名乗る男が、なぜ彼女ではなく、その同行者にすぎない僕を指名して現れたのか。しかも、僕だけが島へ残っていると把握していたようなタイミングで姿を見せている。
警戒を解かないまま、言葉の続きを促した。
「一体どういった用件かな」
シモンは答える前に周囲へ視線を巡らせた。
森に囲まれた遺跡の頂上には僕たち以外の人影はなく、聞こえてくるのも崩れた石柱を抜ける風と遠くの波音だけだった。そのすべてを確認してから、彼は僅かに声を落とす。
「単刀直入に言おう。今、オレたちには強い魔導士の力が必要だ」
シモンの眼差しが正面から向けられた。
「手を貸してもらいたい」
「依頼としてギルドを通してくれるなら、話を聞くことはできるよ」
その視線を正面から受け止めたまま答える。
「でも、わざわざ僕を直接訪ねてきたということは、公にはできない案件なんだろうね」
「ああ。公には依頼できない内容だ」
シモンの表情が僅かに硬くなった。
「すまないが、今はまだ詳細を話すことはできない。だが、この話を受けてくれるなら、追ってすべてを説明させてもらう」
「詳細を明かせない相手に、協力だけを求めるんだ」
「無理を言っているのは分かっている」
その声に嘘の響きはなく、隠しきれない切実さが滲んでいた。
しかし、彼の事情以上に気になるのは、シモンが僕についてどこまで把握しているのかという点だった。
名前だけならば、まだ理解できる。
僕もフェアリーテイルのS級魔導士として活動している以上、ある程度の噂や情報が外へ流れていても不思議ではない。だが、シモンの口ぶりには、単に戦力として僕を選んだだけではないような含みがあった。
「……分かった。それじゃあ質問を変えるよ」
僕は相手の反応を確かめるように一歩だけ距離を詰める。
「さっき『オレたち』と言ったね。君以外にも仲間がいるんだ」
「ああ」
シモンは迷うことなく頷いた。
「『楽園の塔』と呼ばれる場所に、オレの仲間がいる」
「……楽園の塔?」
聞き覚えのない名前だった。
少なくとも、これまでに調べた文献や依頼記録の中で、その名を目にした覚えはない。
だが、僕が記憶を探るよりも先にシモンが言葉を続けた。
「楽園の塔というのは、オレたちがそう呼んでいるだけにすぎない」
シモンの声が、それまで以上に低くなる。
「あれの本当の呼び名は――『Rシステム』」
その名前が耳へ届いた瞬間、目の前に広がる遺跡の景色へ別の光景が重なった。
それは何度も夢の中で見てきた、自分自身のものではない視界だった。夢を見るたびに覚えていた違和感とともに、その会話の中で何度も耳にした言葉が鮮明に蘇る。
Rシステム。
夢の中で垣間見たそれが実在するものなのか確かめるため、これまで各地の文献や古い記録を調べてきた。しかし、Rシステムという名称へ直接つながる情報を得られたことは一度もない。
それを、目の前の男が迷いなく口にした。
「Rシステム……ね」
喉から出た声は、自分でも分かるほど低くなっていた。
「確かに知っているよ。でも、どうして僕がその名前を知っていると分かった?」
夢の内容については、フェアリーテイルの仲間たちにも詳しく話していない。ましてや、そこから得た断片的な情報を頼りにRシステムを調べていることなど、知っている者はほとんどいないはずだった。
「ある協力者から聞いた」
シモンは、こちらの反応を予想していたのか驚いた様子もなく続ける。
「君がRシステムを追っていることも、この名前を出せば話を聞くことも」
「……その協力者は――」
喉元まで出かかった問いが形になりかけた、その時だった。
腰に下げた通信用ラクリマが激しい呼び出し音を鳴らし、静まり返っていた遺跡へ甲高い音が響き渡った。
一瞬だけシモンへ目を向ける。
彼は無言で頷き、通信を優先するよう促した。
「すまない」
一言断ってから通信用ラクリマを起動する。こういう時の嫌な予感ほど、外れた試しがない。
「もしもし、ミラ。どうしたの?」
ラクリマへ魔力を通した瞬間、水晶越しにミラの顔が映った。
そこにいつもの柔和な笑みはなく、強張った口元と何かを堪えるように揺れる瞳を見ただけで、ただ事ではないと察するには十分だった。
「ヴェルク……今、どこにいるの?」
「まだガルナ島だよ。みんなとは別れて遺跡を調べてた」
ミラの表情を見つめたまま、自然と声が低くなる。
「何があったの?」
問い返すと、ミラは一瞬だけ唇を噛んだ。
「今、
「ファントムが……?」
これまでにも両ギルドの間で小さな衝突はあった。
互いの気質を考えれば、酒場や依頼先で揉めることも珍しくはない。だが、マスターが重体になるほどの抗争など明らかに一線を越えている。
「いきなり、どうして……」
「ルーシィが狙われているの」
ミラの声が僅かに震えた。
「マスターだけじゃない。レビィ、ジェット、ドロイも襲われて……ギルドも攻撃されたわ」
息が詰まり、言葉が出なかった。
つい最近までギルドで賑やかに騒いでいた三人の姿が脳裏へ浮かび、噛み締めた奥歯が軋む。
「分かった。すぐに向かう」
「待って、ヴェルク」
通信の向こうから、焦燥を押し殺したようなカナの声が割り込んだ。
「今、動けるS級が足りない。あんた、ミストガンと連絡を取れる?」
「ミストガン?」
「こっちじゃ居場所が分からないの。ラクサスにも連絡を取ってるけど、すぐ動くかどうかは分からない」
カナは乱れた呼吸を整えながら言葉を続ける。
「エルザはいる。でも、あの子一人に全部背負わせるには相手が大きすぎる」
「……ミストガンの居場所なら、いくつか心当たりがある」
以前アルマから聞いた滞在先を思い出し、頭の中で最短の移動経路を組み立てる。候補となる宿を順番に回れば、本人かアルマのどちらかを見つけられる可能性はある。
「僕が捜しに行く。今そっちで動けるS級は本当にエルザだけ?」
「今はね。マスターは動けないし、それ以外のS級もつかまらない」
「分かった」
一度強く拳を握り、やるべきことを頭の中で整理する。
「ミストガンへ連絡を取る。それから、できるだけ早くマグノリアへ戻る。それまでルーシィとギルドを頼んだよ」
「頼まれなくても守るわよ」
カナの声には隠しきれない疲労が滲んでいたが、それでも折れてはいない。
そのことに、ほんの少しだけ救われる。
「ヴェルク」
再びミラの声が戻ってきた。
「無茶はしないでね」
「ああ、大丈夫」
いつもなら軽く笑って返せるはずの言葉が、今は上手く声にならなかった。
「ミラも、みんなも絶対に無事でいて」
通信を切断するとラクリマの光が消え、遺跡には再び静寂が戻った。
だが、それは先ほどまでの穏やかな静けさとはまるで違う。胸の内側では仲間を傷つけられた怒りと、一刻も早く戻らなければならない焦燥が激しく渦巻いていた。
シモンへ向き直る。
通信の内容はすべて聞こえていたはずだが、その瞳に余計な詮索の色はない。
「申し訳ないけど、急ぎの用事が入った。すぐに発たないと」
「いや。用があるのなら仕方ない」
シモンは静かに頷いた。
「十日後に、またここで話そう。僕もまだ君に聞きたいことが山ほどある」
「それは、オレたちに協力する意思表明として受け取ってもいいのか?」
「……いや。すまないけど、まだ決められない」
シモンという男が信用できるのか。
その背後にある楽園の塔がどのような場所で、僕のことを知る協力者が何を企んでいるのか。
何一つ分からないまま、安易に頷くことはできなかった。
「だけど、次に会うまでには答えを出すよ。君たちの話を聞く価値はある。少なくとも、僕にとってはね」
シモンはその言葉を受け止めるように深く頷いた。
「……分かった。その時までに、オレも話せるだけの覚悟を決めておく」
「そうしてくれると助かる」
Rシステムのことも、シモンや謎の協力者についても、問い詰めたいことは山ほどある。
だが、今はすべて二の次だった。
自分の過去へつながるかもしれない手がかりよりも、危機に晒されている仲間の方が重要だ。
今の僕が最優先で守るべきものは、帰るべき
「じゃあ、また」
背中に『
潮風を裂いて上昇すると、ガルナ島の遺跡が足元で急速に小さくなっていった。
向かう先はマグノリア。
その前に、ミストガンだ。
――――――――――――
普段からミストガンと行動を共にしているアルマなら、彼の居場所を知っている可能性が高い。
先日聞いていた滞在先を頼りに宿を回ったものの、一軒目にも二軒目にも二人の姿はなかった。三軒目へ飛び込んだところで、ようやくロビーの窓辺に立つアルマを見つける。
「アルマ!」
声をかけながら駆け寄り、ロビーの中へ素早く視線を巡らせた。
しかし、普段なら近くに感じられる静かな魔力の気配はなく、どこを見てもミストガンの姿は見当たらない。
「あら、ヴェル。どうしたの、そんなに急いで」
驚いたように振り返るアルマの口調は普段と変わらず軽い。
いつもなら、その声を聞いただけで少しくらい肩の力が抜けただろう。だが、今はそんな余裕を持てなかった。
「ミストガンは一緒じゃないの?」
「ミストガンなら『やるべきことがある』と言って、ついさっき出ていったわ」
「そう……」
ミストガンが一人で動くこと自体は珍しくない。
それでも、今は一刻を争う状況だった。所在が分からないまま戻りを待つ時間など残されていない。
「ミストガンに用事?急ぎでなければ、戻り次第伝えておくけれど……」
そこまで口にしたアルマの表情から、ふっと柔らかさが消えた。
こちらの様子を見て、ただの呼び出しではないと察したのだろう。僕は乱れた呼吸を整えると、余計な前置きを挟まずに事実を伝えた。
「ギルドが
「……!」
「マスターが重体で、ルーシィが狙われてる。レビィたちも襲われた。今、ギルドで戦えるS級はエルザだけだ。ラクサスが来るかどうかも分からない」
状況を言葉にするたび、抑えていた怒りが腹の底から熱を帯びていく。
「それで、ミストガンを呼びに来たんだ」
「……ギルドが、そんなことに」
アルマの表情が瞬時に険しくなった。
窓辺に立っていた穏やかな姿は消え、目の前にいるのは
「分かったわ。ミストガンには必ず私から伝える」
「お願い。僕はこのままマグノリアへ戻る。ミストガンが戻ったら、すぐに――」
言葉を続けようとして、アルマの表情に深い影が差していることに気づいた。
彼女は何かを伝えようとしていた。しかし、口を開いても声は出ず、言葉を喉の奥へ押し戻すように俯いてしまう。
「……アルマ?」
「ごめんなさい、ヴェル」
俯いたまま絞り出された声は、それまでよりもずっと重かった。
「ミストガンには伝える。でも、多分私たちは今すぐマグノリアへは行けない」
一瞬、その言葉の意味を理解できなかった。
「……行けない?」
自分で思っていたよりも強い声が出る。
「仲間が、ギルドが危ないんだよ?」
「分かってる」
アルマの指が机の端へ食い込み、そのまま強く握り締められた。
「分かってるわ。行きたい。今すぐにでも戻りたい。でも……どうしても途中で放棄できない役目を抱えているの」
声が僅かに震えている。
「ここで手を止めてマグノリアへ向かえば、別の場所で取り返しのつかないことが起きるかもしれない」
「役目って……」
「詳しく話している時間はないし、今の私からはこれ以上言えない」
アルマは悔しげに唇を噛んだ。
「本当に、ごめんなさい」
机の上で握られた拳が小さく震えている。
その姿を前にして、胸の奥で膨れ上がっていた感情が行き場を失った。
それらを一瞬でもアルマへ向けようとしていた自分に気づき、強く握っていた拳からゆっくりと力を抜く。
彼女の言葉は、仲間を見捨てるための言い訳ではない。
このギルドの中でも誰より仲間を大切にしているアルマが、それでも行けないと告げている。俯いた表情を見れば、マグノリアへ戻れないことを誰よりも許せずにいるのは彼女自身だと分かった。
「……そっか」
怒りをぶつける相手を間違えるところだった。
「アルマがそう言うなら、本当に放っておけない事情があるんだね」
「ヴェル……」
「詳しい理由は聞かないよ。信じてるから」
その言葉を聞き、アルマが伏せていた顔を上げる。
瞳には消えきらない悔しさが滲んでいた。それでも、その奥には自分の役目を果たそうとする揺るぎない意志が宿っている。
「代わりと言っては何だけど、私たちは今の巡回を続けながら
マグノリアへ向かえない以上、外側から敵の戦力を削る。
それが、今の二人にできる最大限の戦いなのだろう。
「直接マグノリアで戦えないのは本当に申し訳ない。でも、私たちも
アルマの真摯な眼差しを受け止め、迷わず頷いた。
「……頼んだよ」
それ以上の言葉は必要なかった。
互いに果たすべき役割を確認すると、僕はアルマへ背を向けて宿を後にした。
ハルジオンを飛び立った僕は、背中に展開した『
眼下に広がる森や街道、川の流れが線となって後方へ消えていく。その間も頭の中では、先ほどミラとカナから聞いた情報が何度も繰り返されていた。
マスターは重体となり、ルーシィは
仲間を傷つけた敵の名を思い浮かべるだけで、胸の奥に冷たい怒りが膨れ上がっていく。
だが、怒りに任せて動けば判断を誤る。
今は一秒でも早くギルドへ戻り、現場の状況を把握することが先だ。その上で必要と判断すれば、迷わず敵の中枢へ踏み込む。
逸る気持ちを抑えながら翼へ注ぐ魔力を増やすと、飛行速度がさらに上昇した。
やがて視界の先にマグノリアの街並みが現れたが、そこに広がっていたのは見慣れた穏やかな景色ではなかった。
無数の鉄杭を打ち込まれ、見る影もなく破壊されたギルド。その正面には巨大な歩行要塞が鎮座し、建物の前面には禍々しい魔法陣が広がっている。
周囲ではジョゼが生み出した幽霊のような兵士――
「みんな!」
速度を落とさないままギルド前へ降下し、地面を砕く勢いで着地する。
その直後、背後から複数の
吹き飛ばされた
「遅くなってごめん。状況は?」
「ったく、来るのが遅いわよ……」
肩で息をしていたカナは毒づきながらも、僕の姿を確認すると僅かに表情を緩めた。
「でも、ようやくまともに動けるS級が一人来たわね」
「一人?エルザはどうしたの。それに、ラクサスは?」
その言い方に違和感を覚え、すぐに問い返す。
エルザがこの程度の雑兵に後れを取るとは思えない。だが、カナは一瞬だけ苦い表情を浮かべると、巨大な歩行要塞へ視線を向けた。
「エルザは、あの巨人が撃ったジュピターを一人で防いだわ。ギルドを守るために真正面から受け止めたせいで、今はもうまともに動ける状態じゃない」
「ジュピターを一人で……」
エルザが戦えないという事実だけで、僕が不在の間にギルドがどれほど追い詰められたのか理解できた。
「ラクサスは?」
「参戦を拒否したわ」
「……そう」
怒りも疑問もあったが、今ここでラクサスの真意を考えている余裕はない。僕が短く答えると、カナは周囲へ視線を巡らせながら次の確認を口にした。
「一緒に来てないってことは、ミストガンたちも駄目だったのね」
「マグノリアには来られない」
巨大な歩行要塞から目を離さずに答える。
「ただ、アルマとミストガンは各地にあるファントムの支部を叩いて回ってくれる。直接ここへ来ることはできなくても、外側から敵の戦力を削ってくれるはずだ」
「戦う意思はあるってことね」
カナは小さく息を吐くと、すぐに戦場へ意識を戻した。
「分かった。それじゃあ今の状況を伝えるわ。私たちはここでギルドを守ってるけど、本当に危険なのはあの魔法陣よ」
カナが指差した先では、巨大な歩行要塞の前面に幾重もの魔法陣が重なり、禍々しい魔力を収束させていた。
術式の構造を確認した瞬間、その正体が脳裏に浮かぶ。
「
暗黒の波動ですべてを無に帰す禁忌魔法。
あれが完成すればギルドだけでは済まない。術式に蓄積された魔力量を見る限り、マグノリアの一角そのものが地図から消える可能性すらあった。
「ナツ、グレイ、エルフマンの三人が、あれを止めるために中へ入ってる」
三人がすでに内部で行動していると聞き、歩行要塞の各所に感じる魔力へ意識を向ける。だが、カナはそこで言葉を切ると、僅かに表情を曇らせた。
「それと、あの中にはミラもいる」
「ミラが!?」
思わず声が荒くなる。
「戦える魔力もないのに、どうしてそんな危険な場所に!」
「ギルドを守るためにルーシィのふりをして囮になったの。でも、ジョゼに正体を見抜かれて捕まった」
カナは痛ましそうに要塞を見上げる。
「今はエルフマンが付いている。信じるしかないわ」
戦う力を失ったミラが、それでもギルドを守るために自分の身を差し出した。
彼女が捕らえられていると知り、握った拳へ力がこもる。しかし、エルフマンが側にいるのなら、何があっても姉を置いて逃げることはない。
「……エルフマンがいるなら、何とかしてくれるはずだね」
そう口にしながらも、不安が消えたわけではなかった。
「ルーシィは?」
「リーダスが隠れ家へ避難させた。今のところは無事よ」
ひとまずルーシィの安全は確保されている。
だが、
巨大な歩行要塞の内部にはエレメント4や
正面に展開された術式へ意識を集中させる。
魔法陣は完成寸前まで構築されているように見えたが、三分の二を超えた辺りから進行速度が不自然に低下していた。内部でナツたちが動力源を攻撃している影響なのか、それとも別の何かが術式を妨げているのかは分からない。
どちらにせよ、ここで
外にはカナたちがいる。
「……僕は中へ行く」
カナは僅かに目を見開いた後、すぐに口元を上げた。
「話が早いじゃない」
「外は任せても大丈夫なんでしょ?」
「あんたがいれば楽にはなるわよ。でも、ここは私たちが守る」
カナはカードを構え直し、真っ直ぐに僕を見据えた。
「ナツたちは中で戦ってる。ミラも中にいる。だったら、あんたが行く場所は一つでしょ」
「うん。ここは頼んだよ、カナ」
「任せなさい。あんたらが戻ってくるまでくらい、意地でも持たせるわよ」
カナの背後では傷だらけのギルドメンバーたちが、それでも武器や拳を構えながら応えるように声を上げていた。
「行ってくる」
背中に『
そのまま空を埋め尽くす
そこへ反発の力を叩き込む。
圧縮されていた
「ヴェル!」
背後からカナの声が飛んでくる。
「絶対にミラを連れて戻ってきなさい!」
振り返らずに片手だけを上げた。
「任せて」
そのまま僕は、巨大な敵の懐へと飛び込んだ。
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