FAIRY TAIL ―継ぎ接ぎのS級魔導士― 作:七草空斗
戦況はもはや、魔法の衝突という概念を超越していた。
「……っ、あ……」
ジョゼの喉から浅く掠れた呼吸が漏れる。変貌したヴェルクが放つのは、物理法則を塗り潰すような加速。
片腕を失い、出血に動きを蝕まれながらも全力で応じるジョゼ――その反応をなお上回る初速に対し、聖十大魔道は欠損した右腕の激痛を魔力でねじ伏せながら、眼前の「異形」を冷徹に分析していた。
ヴェルクの左腕から繰り出される「消滅」の一撃を、ジョゼは紙一重で躱し続ける。空振った左拳が空気を削り取り、その周囲を音もなく消失させていく。
左腕を避ければ、間髪入れずに右の打撃が、そして膝が、退路を断つように死の急所を抉りにくる。それらは消滅こそ伴わないが、人知を超えた筋力の暴力。残された左腕と魔力障壁だけでは受けきれず、衝撃が骨へ響くたびにジョゼの体は軋み、欠損した右腕からの出血も確実にその命を削っていく。
だが、それでもジョゼは崩れない。聖十大魔道としての矜持と、これまで積み上げてきた戦闘経験が、眼前の不条理に対する答えを強引に導き出そうとしていた。
ならば、左腕に触れなければいい。正面から止めるのではなく、視界を塞ぎ背後から崩す。
その猛攻の隙間、ジョゼの目はヴェルクの肩に浮かび上がった不気味な痣を捉えた。脈動に合わせ、刻印がじわじわと広がっている。
呼吸は荒く、混濁した瞳はジョゼだけを捉えたまま動かない。攻撃を避けることも、自らの傷を庇うこともなく、ただ目前の敵を仕留めるためだけに肉体を前へ進めていた。
「こんな……こんな
その不条理に相対しても、屈辱と生存本能がジョゼに聖十大魔道の矜持を再度呼び覚まさせる。彼は回避の最中、残された左腕に魔力を凝縮させた。
「デッドウェイブ!!」
漆黒の衝撃波が視界を埋め尽くす。ヴェルクはそれを左腕で迎撃するが、全方位から降り注ぐ弾幕が一瞬だけ視界を物理的に遮断した。
ジョゼはその壁の裏で即座に次の手を打っていた。標的を見失い、再び視界に収めようとしたその一瞬の隙、ヴェルクの背後から伸びた『
「が、ぁ……ッ!」
「甘い。終わりですよ」
ジョゼは間髪入れず、よろめいたヴェルクの顎へ残された左掌に込めた全魔力を叩き上げる。脳を揺らし、意識を刈り取る完璧な二段構え。
聖十大魔道が導き出した『
ジョゼは溢れ出す鮮血を魔力で強引に封じながら、力なく膝をついたヴェルクを見下ろす。
「残念でしたね……。私をここまで追い詰めたのはあなたが初めてですよ」
その言葉に、首を垂れていたヴェルクの指が微かに動いた。脇腹を貫かれ、顎を打ち抜かれたヴェルクは、力を振り絞るようによろけながら左の拳を振るう。
そんな拳が当たるはずもなく、ジョゼはひらりと身を躱し、そのまま追撃の掌底を放った。再度顔面に掌底を喰らったヴェルクは身をのけ反らせ、衝撃で意識が泥に沈みかける。
そこで終わるはずだった。
ジョゼは一瞬たりとも油断せず、完全に仕留めるために倒れ込むヴェルクへ追撃の魔力を叩き込もうと左腕を引き戻す。だが、その動作よりもわずかに早く崩れ落ちるはずの体が不自然に止まった。
反射的に身を引こうとしたジョゼの首を、ヴェルクの右腕が抱え込むように捕らえる。
「……っ!?貴様、まだ――!」
脇腹を貫き、顎を打ち抜いた。意識は落ちたはずだった。
それでも止まらない。その事実だけがジョゼの理解を一瞬だけ上回った。
「……つか、まえた」
息は絶え絶えで、言葉として形を保っていることさえ不思議なほど掠れている。今にも倒れそうな青年の混濁した瞳。その奥で、赤く染まった左目だけが鋭くジョゼを捕捉していた。
ジョゼは必死に拘束を振り解こうとする。だが、ヴェルクは崩れかけた全身の体重を預け、床を踏み砕きながら離さない。
戦いの決着をつけるかのように、ゆっくりとすべてを無に還す左腕が不吉な弧を描いて振り上げられた。
「……もうよい、ヴェルク」
その左腕が振り下ろされる刹那、背後から聞き慣れた声が響いた。左肩に置かれた小さくも温かい手。
振り下ろされかけていた左腕が宙で止まる。焦点の定まらなかった赤眼が微かに揺れ、肩に置かれた手を確かめるように、ヴェルクの顔がゆっくりと背後へ向いた。
「いくつもの血が流れた……子供の血じゃ。できの悪ィ親のせいで子は痛み、涙を流した」
声の主が肩から手を放す。遅れてヴェルクの指からも力が抜け、ジョゼの首を捕らえていた右腕が力なく垂れ下がった。
ジョゼはその機を逃さず、欠損した右腕を押さえながら背後へ大きく跳躍し二人から距離を取る。
「これ以上その力を使うでない……もう十分じゃ。終わらせねばならん!!」
「マス……ター……」
僕と入れ替わるようにジョゼの前に立つのは、マスター・マカロフ。重体だったはずのその背中はどんな言葉よりも大きく、そして語らずとも伝わる絶大な魔力を放っている。
対するジョゼもまた、深手を負いながらも魔力を沸騰させていた。マカロフを「最強を証明するための宿敵」として見据え、一歩も退かない。
ジョゼが忌々しげに顔を歪める。
「……天変地異を望むというのか?」
マカロフは一歩も退かず、己の魔力をさらに高めた。
「それが
両者の体から凄まじい魔力が放出される。聖十大魔道の本気のぶつかり合い。その余波だけで大気が粉砕され、ヴェルクの体は吹き飛ばされそうになる。
「よくぞここまで持ちこたえた。ヴェルク、上に居る者たちとこの場から離れよ」
マカロフは振り返らない。だが、その背中はここまで仲間を守り抜いた彼の戦いを認めていた。
圧倒的な力を持つ者同士の戦い。その余波による被害を抑えるべく付近の全員に避難を命じる。
「……マスターもどうかお気を付けて」
「すべてのガキどもに感謝する。よくやった!
魂を震わせる咆哮を背に受け、僕は限界を超えた肉体に鞭打ち『
羽ばたくたびに貫かれた脇腹から熱い鮮血が吹き出し、意識が飛びそうになる。仲間を守れたという安堵はあった。それでも胸の底には、先ほどまで自分の左半身を満たしていた得体の知れない感覚が冷たく沈んだまま残っている。
階下で始まる天を割るほどの聖十の戦い。その轟音を背に、空へと這い上がる。
上階へ到着した僕の目に飛び込んできたのは無残に破壊された広間だった。中央には緋色の髪を乱し、剣を支えに立つエルザの姿。周囲には数多の斬撃の跡と、目を背けたくなるほどの血痕が残されていた。
「エルザ……ッ!」
その呼び声にエルザは辛うじて顔を上げる。僕の姿を視界に捉えた瞬間、彼女を支えていた鉄の緊張が弾け膝が折れた。それをミラが間一髪で抱きとめる。
「ジョゼ……は……?」
エルザは混濁した意識の中でなお、震える手で折れかけた剣を握り直そうとする。僕はそのボロボロになった肩にそっと手を置き、血と泥にまみれた顔で震える唇を吊り上げて笑った。
「もう大丈夫。今、元気になったマスターが下でジョゼと戦ってるよ。僕たちは、帰ろう」
その報せを聞いた瞬間、エルザが瞳を閉じ換装がふわりと解けた。
「急いで、ここが崩れるわ!グレイ、エルフマン、立てる!?」
ミラはエルザをグレイたちに託すと、ふらつく僕の傍らに寄り添いその細い肩を自身の腕に回させた。
「……っ、ごめんミラ……助かる」
そう言ってミラの肩に腕を回した彼の体は驚くほど軽かった。だが、それ以上に彼女を不安にさせたのは、肩越しに伝ってくる尋常ではない冷たさだった。
歩き出す。一歩、また一歩。二人の体が刻むリズムは不安定で、ミラの服には彼の服から染み出した赤黒いシミがじわじわと広がっていく。
「ヴェル、あなた……その血……」
「……なんてこと、ない。出口まで、行けば……」
彼の声は、もう風前の灯火だった。そして出口の光が彼らを照らした瞬間、ミラの肩にかかっていた重みが、不自然なほど急に消失した。
「ヴェル!!」
前のめりに倒れ伏した彼の背中にミラがなりふり構わず縋り付く。抱き起こした彼の服の下では、
「嘘……。嫌よ、こんなの……!止まって、お願い止まってよ……!」
ミラの指先がその傷口を塞ごうと必死に彷徨う。掌に伝わる熱い感触。
「ダメよヴェル、目を開けて!まだ寝ちゃダメよ!!」
ミラの必死な叫びが巨人の崩壊音に混じって響く。彼女は自分の体温を分け与えるように、彼を強く抱きしめた。
その必死な振動と頬に落ちたミラの涙の熱さを、僕は混濁した意識の端で感じ取っている。周囲でグレイやエルフマンが何かを叫んでいる。だが、その声は崩壊音の向こうへ遠ざかり、かき消えてゆく。
視界がゆっくりと、抗えない睡魔に呑まれるように暗転していく。だが、その闇は冷たい死の淵ではなく、戦いを終えた後の泥のような深い眠りだった。
最後に耳に残ったのは、自分を必死に呼び続けるミラの震える声。
――間に合った。みんな、助かったんだ。
その安堵に縋るように、僕は深い深い眠りの中へと、落ちていった。