校舎の玄関前に貼り出されたクラス分けの周りは、同級生たちの声で賑わっていた。歓声と溜め息の間をすり抜けて、自分の名前を探す。一年二組。それが、俺のクラスらしい。
教室までは、さほど迷わなかった。ドアを開けると、中学からの顔なじみなのか、もう輪になって話し込んでいるグループもあれば、一人で座ったまま黙っている生徒もいる。
黒板の座席表によれば、俺の席は一番後ろの列、窓際の一つ手前。窓際にはもう女子が一人座っていて、校庭の桜を静かに眺めていた。
鞄を下ろし、椅子を引く。これから一年、同じ教室で過ごす顔ぶれだ。話しかけるならまず隣からだろう。
「初めまして。俺、真島幸人って言うんだ。よろしく。真島でも、幸人でも、あだ名でも、好きなように呼んでいいよ」
「あ、じゃあ真島くんって呼ばせてもらうね。私は義井沙里です、よろしく。できれば名前以外で呼んでもらえると嬉しいかな」
「嫌いなの? 名前」
「嫌いじゃないんだけど、ちょっと私には可愛すぎる気がして……」
「名前負けしてるってこと? そんなことないと思うけど、むしろ足りないくらいじゃない?」
「そ、そんなことないよ!」
「あははは、ごめんごめん。揶揄うつもりだったけど、嘘はついてないよ。まあ嫌がることをする気はないし、義井って呼ばせてもらうよ」
「もぉ、揶揄わないでよ」
「悪かったって。ところで義井は、どこか部活とか入ったりするの?」
「部活? 私は吹奏楽部に入部するつもりなの。もう友達も誘ってるんだ」
「そうなんだ。実は俺も吹部に入ろうと思ってたんだ。経験者なの?」
「へー、真島くんも吹部なんだ。私はクラリネットやってたんだ。真島くんは?」
「俺はサックス吹いてたんだけど、高校からは別の楽器始めようかなって思ってるんだよね」
「そうなんだ。何するつもりなの?」
「とりあえず全部見て回ろうかなって思ってるけど、第一候補はユーフォかな」
「ユーフォなんだ。私の友達、初心者が3人いるんだけど、低音パートに誘ったんだよ」
「へー、じゃあすぐに会うことになりそうだな」
「そうだね。あっ、先生きたよ」
「みたいだな。じゃあまた後で」
担任が入ってくると、立っていた生徒たちも自然と席に着き、教室が静かになる。話を聞いているとどうやら、これから入学式が始まるらしい。
体育館で聞く話は中学の頃と大して変わらず、それは教室に戻ってからの説明も同じ。注意事項を聞き流していると、すぐに部活見学の時間になる。荷物をまとめて隣を見ると、義井ももう準備を終えていた。
「義井も今から見学行くの?」
「うん。今日は友達と一緒に低音パートの見学に行こうかなって。真島くんも低音パート見に行くの?」
「今日はとりあえず、サックスパートを見に行こうかなって思ってる」
「そうなんだ。友達が低音パートの練習場所は聞いてきたって言ってたし、また明日ってことになるかな?」
「多分そうなるだろうな。じゃあまた明日」
義井と別れ、各パートの練習場所を聞くために音楽室へと向かう。……とはいえ、その音楽室がどこにあるのかすら知らないが、まあ校内見学にはちょうどいいだろう。
しばらく校内を歩き回ると、音楽室の字が目に入った。ドアを開けると、中にいたのは男子生徒が一人だけで、その人もこちらに気付いたようだ。
優しそうな顔立ちで、背は俺と同じくらい。それでも、肘のあたりが少しくたびれた学ランが、先輩であることを教えてくれる。
「初めまして。入部希望の真島幸人です。よろしくお願いします‼︎」
「おお、元気があっていいな。俺は副部長の塚本秀一。トロンボーンやってるんだ、よろしく」
「はい! 早速なんですけど、全部のパートを見学したいんです。練習場所、教えてもらえませんか?」
「全部? 初心者なのか?」
塚本先輩は近くに置いてあったメモ帳を手に取ると、俺との会話を続けながら、器用に何かを書き始めた。
「いえ、ずっとサックス吹いてたんですけど、高校からは別の楽器を始めようかなって思ってます」
「おー、サックスやってたんだ。っと、はいこれ。全部のパート回るなら見学期間全部使うだろうし、紙に書いておいたから」
「すいません。わざわざそこまでしていただいて、ありがとうございます‼︎」
「ははっ、いいんだよ別に。じゃあいってらっしゃい」
「はい。いってきます」
音楽室を後にし、早速サックスパートの練習場所へ歩いていると、廊下のあちこちから、唇が鳴らずに空気だけが抜けるトランペットや、途切れ途切れのフルートが聞こえてくる。見学に来た一年生が、初めて楽器を吹かせてもらっているのだろう。
メモに書かれた教室は、思ったより近くにあった。人気のパートらしく、ドアの向こうから話し声とサックスの音が重なって漏れてくる。足を踏み入れると、大勢の先輩の中から俺の姿にいち早く気づいた一人が、すぐに駆け寄ってきた。
「サックス希望か? まあとりあえず入っていけよ。俺、瀧川ちかお。ちかお先輩でいいぜ」
「ちかお先輩ですね。俺は真島幸人です、よろしくお願いします。呼び方は好きに呼んでやってください」
「幸人か、よろしく。経験者?」
「吹奏楽はやってませんでしたけど、サックスの経験なら今年で11年目になります」
「じゅ、11年‼︎ やばっ‼︎」
「いやいや、たまたま楽器が近くにあって、たまたま始めて、たまたま続けてただけですよ」
「いや〜、経験者は結構いるけど、そこまで長いのは久々に聞いたな。やっぱ上手いのか……って、当たり前だよな」
「そりゃあもう上手いですよ」
そう言い切ると、ちかお先輩は一瞬きょとんとした顔をした。
「あっはっはっ、堂々と言い切るなぁ」
「嘘つくよりかっこよくないですか。キリッ」
「キリッじゃねえよ‼︎ はぁ〜あ。それでまた、なんで急に吹奏楽部に?」
「いやぁ、なんか新しいことしようかなって思ってたんですけど、朝の演奏聞いてたら、別の楽器を1から始めるのもありかなって思って」
「お〜、演奏聞いてやってみようって思われるのはやっぱ嬉しいな。でも別の楽器ってことは、サックスはやらないのか?」
「そうなりますね。冷やかしみたいになって申し訳ないですけど、せっかくなんで先輩たちと仲良くなっておきたいなって思って、会いに来ちゃいました」
「会いに来ちゃいましたってお前……男からそんな可愛く言われるのは、なんかちょっと嫌だな」
「ちょっと!嫌ってなんすか‼︎」
「悪かったって。まあ挨拶したいなら、手が空いてるやつならあっちにいるから話してこいよ」
「はい! いってきます」
ほとんどの先輩は見学者の相手で忙しそうだったが、手の空いた人と話しているうちに、話し相手は次々に入れ替わっていく。
日が傾く頃には、パートの先輩全員と言葉を交わしていた。別のパートに行くつもりだと伝えてあるのに、自分より経験の長い後輩を、誰もが笑って迎え入れてくれる。先輩というものに縁のなかった俺には、それが少しくすぐったくて、ありがたい。
明日はどんな人たちに会えるのだろう。
校門から続く坂を下りながら、気付けば鼻歌を歌っていた。朝の演奏の、旋律ではない方。その裏で動いていた、あの丸い音の方を。
この話から原作キャラが多く登場する事になりますが、深いところまでの理解が及ばず、解釈違いを起こす可能性が有ります。その点につきましては理解及ばず申し訳ありませんがご了承宜しくお願い致します。