入学して一週間。低音パート以外の見学は、もう全部終わり、廊下ですれ違うたびに声をかけてくる先輩や、名前で呼び合う同級生が、少しずつ増えてきた。
そして今日は、見学期間が終わり、正式に入部する日。入部希望者と部員が一堂に会した音楽室にはまだ余裕がある。
背の高い俺が後ろの方に陣取っていると、前に立った先輩たちが、順番に自分の担当する楽器の魅力を語り始める。静かに聞いていたその時、それは唐突にやってきた。
軽くステップを踏みながら、一人の女子生徒がユーフォを抱えて現れる。顔を隠すように構えた楽器の陰から覗く髪型は、入学式の朝に見た姿と全く同じだった。
「初めましてぇ〜低音パート久石奏ですっ‼︎ みなさぁ〜ん、私が手にしているこの楽器ぃご存知ですかぁ」
見た目どおりの可愛い声。そこにたっぷりと塗られたあざとさまで、わざとらしいと思うより先に、可愛いと思ってしまっていた。
「ユーフォニアムと言って、丸みを帯びた落ち着いた美しい音色を奏でる楽器なんですよぉ」
丸みを帯びた音色。入学式の朝、俺の耳に残った音も、確かにそんな音だった。
楽器を語る間だけ、彼女の声からあざとさが抜けていた気がするが、最後にもう一度あざとく笑い、ウインクまでしてみせる辺り、根っからそういう人なのだろう。
やっぱり可愛い。
その余韻に浸っているうちに、楽器紹介は終わり、楽器選びの時間になっていた。少し出遅れたものの低音パートへと向かう俺の前に、この間挨拶した先輩――牧誓先輩が立ちはだかる。
「幸人後輩」
「なんですか、誓先輩」
「サックス、おいでよ」
小さな体の前でグッドポーズを作りながら、キメ顔で言ってくる。サックスパートで一度吹いて見せてから、言葉にはされないまま、ずっとこの誘いの気配を感じていた。上手い後輩が入れば、自分の席が危うくなるかもしれないのに。向上心なのか、別の思惑なのかは分からない。分かっているのは、断るしかないということだけだ。
「すみません。俺、どこに行くか決めたんです」
「だろうね。だけどどんどん楽器が埋まっているこの状況、幸人くんのやりたい楽器の枠は、果たして空いてるかな?」
「なん……だと、貴様謀ったな‼︎」
「はっはっは、残念だったな。さぁサックスパートへ来るのだ‼︎」
「だが甘いぞ‼︎ 俺の希望する楽器は、不人気と噂のユーフォだ‼︎」
「なん……だと。……とまあお遊びはこの辺にして、そっか、ユーフォやりたいんだ」
「はい」
「それは残念。まあ頑張りたまえよ、後輩」
「はい‼︎ 頑張ります」
「そうだ、暇な時間あったらサックス教えてよ。みんなも教えてほしそうだったし、私たち上手くなりたいんだ」
「もちろんです。とは言っても俺も1から練習するので、どれくらい顔出せるかわかりませんけど」
「わかってるって。無理しない範囲でいいから。それじゃまたね」
言いたいことを言い終えたのか、牧先輩は去っていく。後輩に向かって笑顔で「教えてほしい」「上手くなりたい」と言い切るその姿勢――その頼みを断るという選択肢は、俺には無い。
気を取り直して低音パートの場所を探し始めると、頭に焼き付いたその姿はすぐに見つかった。
奏先輩は癖毛の先輩の隣に立ち、3人の新入生の相手をしているようだった。3人ということは、義井の友達なのだろう。そう考えながら歩いていると、いつの間にか低音パートのメンバーの会話が聞こえるほど近くまで来ていた。
「3人かぁ」
「私のせいじゃないですよ。私、ユーフォの魅力十分伝えましたから」
「そうですよ‼︎ ユーフォの魅力、十分伝わってきました‼︎」
「誰も責めてないよー」
「「って誰‼︎」」
後ろから会話に参加したせいか、予想以上の驚きを見せながら振り返ってくる先輩たちに、俺は思わず笑ってしまっていた。
「4人目の低音希望ですっ‼︎」
「おおー、4人目。っていうかあれじゃん、噂の残念イケメンくんじゃん」
「どうも、イケメンです」
「なんで都合のいいとこだけ切り取ってるの」
「やっぱ褒められるのって……嬉しいじゃないですか‼︎」
「褒めてないと思いますけど」
「まーたキャラ濃いのきたなぁ」
俺と奏先輩のやり取りを聞きながら、何処か遠くを見つめている癖毛の先輩がいたが、俺にとってはそれより、スポーティーな先輩が口にした噂のほうが気になっていた。
「ところで残念イケメンってなんなんですか?」
「なんかいろんなパートを渡り歩いては、すっと懐に入ってくる後輩がいてね。喋らなければイケメンだって、噂になってるよ」
「あぁ、そんな噂になってたんですか。まぁ確かに全部のパート回ってきたんで、俺のことであってると思いますよ」
そんなことを言いながら一年生の列の端に並び、深々と頭を下げた。
「一年二組。真島幸人です‼︎ よろしくお願いします‼︎」
「「「よっ、よろしくお願いします」」」
隣の一年生たちが、少し遅れて続いてくれる。そんな俺たちを、先輩たちは温かい拍手で迎え入れてくれた。
「幸人くんがきてくれたので改めて自己紹介をしましょう。まずは私、低音パートのパートリーダーをしてます川島緑輝です。名前を呼ぶときはサファイアじゃなくて緑って呼んでくださいね。楽器はコントラバスです」
「よろしくお願いします、川島先輩」
川島先輩から始まった自己紹介は、思ったより長くかかった。人気がないと噂のパートでも、三つの楽器に、俺を除いて10人。それでも、一人ひとりの癖の強さに、退屈する暇はなかった。
「ところで幸人くんってサックス吹いてたんですよね、もしかしてコンクールに出てませんでした?」
「中学の時いろんなソロコンに出まくってましたけど、川島先輩よく知ってましたね」
「だって有名人じゃないですか。いろんなソロコンクールの、しかも一般の部で金賞を取ってますし」
「えっ、そうなの? じゃあ検索してみたら出てきたりして……って、ほんとに出るじゃん‼︎ えーっと……なにこれ、コンクール荒らし?」
「なにそれ」
「えーっとね、金目当ての守銭奴、楽譜の奴隷、感情のないロボット? ……って、ごめん。読み上げるもんじゃなかったね」
「全然いいですよ。いやぁ、酷いこと書く人もいるもんですよね。まぁ書いてあること大体事実なんで、なんも言えないんですけど」
少し重くなった空気を戻そうと、いつも通り明るく振る舞ってみるも、どうやら足りなかったらしい。どこまで踏み込んでいいのか見定めるようにこちらを見ている視線に、どんな返事をするべきか考えていたが、やはりパートリーダーの存在は偉大だった。
「幸人くんはどうしてサックスじゃなくて低音に来たんですか?」
「おっ、志望動機ですか? いやぁ話せば長くなるんですけど、高校から新しいことしようかな〜って思っていたら、運命の出会いを果たしまして」
「運命の出会い?」
「はい‼︎ 入学式の朝、桜舞い散る演奏の中に一際輝く奏先輩に出会いました。そう、つまり一目惚れです‼︎ あっ、もちろん皆さん素敵でしたよ、その上でです」
「「「「「………」」」」」
「趣味悪」
「月永くんには言われたくないです」
俺の言葉を聞き、どうしていいかわからない空気が漂う中、求先輩と奏先輩のやり取りだけがよく響いた。
嫌そうに奏先輩を睨みつけている様子を見るに、自己紹介で言ってた事は嘘では無く、苗字で呼ばれるのが本当に嫌なようだ。低音パートでたった1人の男子の仲間の機嫌を損ねないようにしようと思う反面、趣味が悪いと言われるのは心外だった。
「奏ちゃんどうする?」
「どうして私に聞くんですか?」
「いやぁ奏ちゃん目当てって言ってるし、私としては奏ちゃんがいいならいいかなって思うんだけど……」
「そうですねぇ」
黄前先輩と相談していた奏先輩が俺のそばへとやってきて、自分の腰のあたりの高さを指さした。
「おすわり」
「ワン‼︎」
「お手」
「ワン‼︎」
「おかわり」
「ワン‼︎」
「プライドとか無いのかよ」
「求先輩、プライドが無いんじゃないんですよ。こんなことで傷つくようなプライドじゃないだけです」
「あっそ」
俺の言葉に短く返事をした求先輩は、そっぽを向いてしまった。最初から、俺にはさほど興味がなかったらしい。
「言うことは聞くみたいですし、入部してもらっていいと思いますよ」
「わかった。みんなも入部してもらうってことでいいかな?」
「「「「さんせーい」」」」
「ありがとうございます‼︎ 無駄にでかいこの身体、せいぜいこき使ってやってください‼︎」
腕の筋肉を叩いてみせたが、反応はいまひとつ。それでも、あんな宣言をした俺を受け入れてくれたことが嬉しかった。
「えーっと……とりあえず幸人くんはユーフォ希望ってことであってる?」
「はい。あってます」
「佳穂ちゃんと弥生ちゃんもユーフォなんだよね?」
「「はい」」
「うーん、ユーフォがここまで盛況になる日が来るとは……でも残念だけど、ユーフォあと一台しか空いてないんだよね……」
黄前先輩が申し訳なさそうに言ってくるが、人気がないと言われているパートだ。そこまで多くの楽器がなくても当然なのだろう。とりあえずスマホを取り出し、ユーフォで検索をかけていく。
「その一台は、2人のどっちかに譲りますよ」
「いいの?」
「はい。うーん、ピンキリとはいえやっぱ60万前後くらいだよなぁ〜。やっぱたっけぇ」
「……もしかして買うつもり?」
「はい」
「はいって……お金はどうするの?」
「ほら俺、悪名高いコンクール荒らしですし」
「こらっ。自分で自分を傷つけるようなこと言っちゃいけません」
「川島先輩……すみません」
「わかればいいんです」
書いてある内容自体はほとんど事実だし、自分が傷つくような内容もなかったが、空気が悪くなるのは本意ではない。それに、自分のことで真剣に叱ってくれる人がいるのは、妙に新鮮だった。
「とりあえずちょっとした貯金はありますし、部活以外でも色々使い道もあるんで、気にしないでもらって大丈夫ですよ」
「そこまでいうなら止めはしないけど……」
奏先輩から、どこか引いているような、少し棘のある視線を感じた。だが一目惚れしたと言ってきた男が楽器まで買おうとしていると考えたら、当然の反応なのかもしれない。
もしかして俺は、どこかで選択肢を間違えてしまったのだろうか。だとしても、奏先輩のことをまだ知らない俺にとって、なぜそんな視線を向けられるのか、本心まではわからない。ただ、この流れを変える必要はある。
「ということで俺の方はいいとして、針谷と上石には最後のユーフォを取り合ってもらわないといけないんじゃないですか?」
「取り合うって、まあそうなんだけどさ。うーん、シンプルにじゃんけんとかで決める?」
「じゃんけん……いいじゃないですか‼︎ ユーフォを取るのはわしじゃけん」
「ぶふっ」
「つぼ浅っ」
上石のダジャレとも呼べないような一言で吹き出す針谷を見ると、笑いのつぼが少し心配になる。だが、ここまで笑ってくれる相手は気持ちがいいだろう。
そうこうしているうちにじゃんけんも終わったようで、針谷がユーフォを勝ち取ったらしい。負けた上石と、元々残っていた釜屋はチューバを担当することになり、無事にそれぞれの楽器選びが終わった。
「では、一度集まってください」
黄前先輩が手を上げながら俺たちに呼びかける。部員全員の視線の先で、黄前先輩はどこか狼狽えているようだった。
「総勢91人」
「きゅっ」
黄前先輩の横から静かに人数を告げる高坂先輩の言葉で、目の前の人数を知った黄前先輩は目に見えて動揺していた。
そんな動揺を自分で落ち着けているところに、音楽室のドアが開く。中に入ってきたのは、すらりと背の高い、穏やかな笑みを浮かべた男の先生。その姿を見たからか、周りにいた同級生からちらほらと黄色い声が上がる。先生も慣れているのか、そんな音楽室の空気を気にする様子はなかった。
「遅くなってすみません。あぁ、お話中でしたか」
「ああいえ、大丈夫です」
「そうですか。では軽く」
黄前先輩と話しながら俺たちの正面に立った先生は、落ち着いた声で話し始めた。
「一年生は初めましてですね。顧問の滝昇です。担当教科は音楽ですので、みなさんの授業を受け持つこともあると思います。これからよろしくお願いします」
「「「「「お願いします!」」」」」
「それでは、部長」
「はい」
黄前先輩は滝先生に返事をすると、一瞬だけ言葉を探し、芯のある声ではっきりと話し始めた。
「では今日はこれから、この部の活動方針を決めたいと思います。北宇治高校吹奏楽部では、毎年活動の目標を自分たちで決めることにしています。結果を求めて厳しい練習に励むか、結果よりも部活を楽しむことに重点を置くか。具体的にいえば」
黄前先輩は話しながら俺たちに背を向け、黒板へと歩いていく。チョークが黒板を叩く乾いた音が、静まった音楽室に一画ずつ響いていく。
チョークを置き、俺たちに向かって振り返った黄前先輩は、黒板を力強く叩いた。
「これを目指すかどうかということになります」
その手の先には、はっきりと、大きな字で、綺麗に刻まれている。
全国大会金賞
「毎年、多数決で決めています。自分の気持ちに正直に、後悔のないように決めてください」
個人としてなら、似たような場所に立ったことはある。だが新しい楽器で、新しい仲間と目指すとなると、とてつもなく遠い場所だ。だからこそ、挑戦しがいがある。
でも、正直なところ目指す先は何でもよかった。ただ、やると決めた以上、手を抜く気はないし、どうせやるなら高い方が燃える。
それに、全国大会金賞を目指して楽器を練習するのは、間違った理由じゃない。確かに、そう思えた。
「それでは決を取りたいと思います。全国大会金賞を目標に頑張りたいと思う人は、挙手をお願いします」
黄前先輩の言葉を皮切りに、先輩たちが続々と手を挙げていく。もちろん俺も手を挙げていた。一本挙がるたび、黄前先輩の表情が少しずつほどける。そんな部内の様子に飲まれたのか、はたまた悩んでいたのかはわからないが、同級生たちの手もちらほらと挙がり始め、そして、全員の手が挙がり切った。
「では満場一致で、今年の北宇治高校吹奏楽部は全国大会金賞を目標とします」
高らかに宣言した黄前先輩に、気付けば俺は手を叩いていた。周りの部員たちも同じだったようで、すぐに音楽室は拍手に包まれていく。そんな空気に安心したのか、黄前先輩は疲れた様子を見せながら肩を落とし、一息ついていた。
「はぁ、よかったぁ」
「部長、まだ終わってないぞ」
小声だったが、聞こえた人は多かったらしい。あちこちで笑いがこぼれる中、黄前先輩は照れたように頭の後ろへ手をやり、慌てて言葉を継いだ。
「えっ……あぁ、えっと、全国で金を取ることは簡単なことではありません。でも、えーっと」
「では、あとは私から話しても?」
「あっ、はい」
「部長の言っていた通り、全国で金を取ることは容易ではありません。ですが皆さんは今日、今、目指すと、決めたんです」
滝先生の言葉は、一語ごとに短い間を置いて区切られる。休符のようなその間のたびに、音楽室の空気が一段ずつ締まっていく。
「そのことを忘れないでください。皆さん、わかりましたか」
その問いに返った俺たちの声は大きく、どこも遅れなかった。この音楽室の行き先は、たぶん、今ここで決まった。
この先、このメンバーでどんな道を進むことになるのかは分からない。ただ、何が起きても、最後にはきっと楽しくなる。そう思えた。
「新入部員の皆さん。北宇治高校吹奏楽部へようこそ」
全国の牧誓ファンの皆様大変申し訳ありません。サックスのパートリーダーとして出て欲しかったのですが、あまりにもキャラがわからなさすぎた結果好きに動かしていたらこうなりました。どうか怒らずに見てもらえると嬉しいです。